第5話 急襲
「む?」
最初に反応したのは、またしてもウォードだった。だが今度ばかりは、ディランもすぐにそれに気づいた。
「な、なに?」
セリアが上擦った声を出す。地鳴りのような音と共に、地面が細かく揺れいてる。地震にしては音が大きいし、揺れは長く、一向に収まる気配が無い。
「
ウォードは嬉しそうに――少なくともディランにはそう見えた――きょろきょろと辺りを見回している。ディランは泣き笑いのような顔になって、言った。
「違うと思うけど……」
明らかに異常事態だった。まさか崩れるんじゃないよな、と思わず上を見た。逃げた方がいいんだろうか。でも、どこに?
音が徐々に近づいてくる。後ろだ。全員が振り返ったその時、音の主が姿を現した。
「げっ」
ディランは小さく呻いた。そこに居たのは、ダンゴムシが巨大化したような、見たことも無い魔物だった。巨大化とは言っても、巨大蜂とは桁が違う。通路を半分以上埋めるほどの大きさの塊が、角を曲がって向かってきていた。
「うおっ」
さすがのウォードも、立ち向かう気にはなれないようだった。高速で迫ってくる巨体を避けるため、全員壁に張り付く。
真横を通り過ぎていく魔物を、ディランは冷や汗をかきながら見つめた。
このままどこかに行ってくれというディランの願いも虚しく、一旦通り過ぎた魔物は、向きも変えずにそのまま引き返してきた。今度は通路の中央ではなく、ディランたちのいる壁際ぎりぎりを狙ってきている。
「走って!」
セリアが叫んだ。三人は慌てて走り出す。
敵の速さは、こちらとあまり変わらないようだった。距離は近づきも離れもしない。ディランは顔を引きつらせながら言った。
「に、逃げ切れると思う?」
「俺たちの方が、体力があればな!」
若干余裕がありそうなウォードが答える。しかし、それは到底期待できない。
「そこ、入って。一気に曲がって」
セリアが切れ切れに言った。真っ直ぐ伸びる道の先に、横道がある。
正面まで来たところで、前を走っていた二人は、横跳びをするように急激に方向転換した。セリアもそれに続く。
ディランたちは無事横道に入れたが、魔物は急には曲がれなかったようだ。彼らを追い越してから、急ブレーキをかける。ちょうど、横道を塞ぐような位置で止まった。
ウォードが、その横腹に剣を振り下ろした。だが、金属同士がぶつかるような硬い音を立てて弾かれる。脚にも斬り付けたが、結果は同じだった。
「無理よ、奥へ」
セリアが言う。もぞもぞと動き出している魔物を置いて、三人はまた走り出した。
体を捻り、横道に入ろうとしている魔物をちらりと見て、ディランは言った。
「逃げ切れないんじゃ?」
「この先でまきましょう。分かれ道を、
セリアが答える。その表情には、疲労の色が濃い。
彼女の期待に反して、分かれ道は一向に現れなかった。曲がり角が多いため、小回りの利かない魔物との距離は徐々に離れていっているようだ。
(でもだめだ、このままじゃ)
ディランは後ろに目をやりながら思った。苦しそうにあえぎながら走っているセリアが、徐々に遅れ始めている。そろそろ限界が近い。
「あっ」
セリアの足元がもつれた。前に投げ出されるように体が浮き、どさりと地面に倒れた。男二人は、慌てて立ち止まる。
「ディラン、先へ行け!」
「え!?」
倒れたセリアに駆け寄るウォードの言葉に、ディランは驚いた顔を向けた。
「セリアは俺がなんとかする。先に道を確認しておいてくれ!」
「わ、分かった」
頷いて駆け出す。魔物の姿はまだ見えていないが、音は迫ってきている。
(分かれ道か階段か、出てきてくれよ……!)
そう願いながら、角を曲がった。
「嘘だろ……」
だがそこにあったのは、最も見たくない物だった。行き止まりだ。
(なんだあれ?)
一番奥に、何かある。あれは……剣?
ディランはやけくそになって走った。地面に突き立った剣だ。柄には女性の裸身像があしらわれ、刀身には複雑な文様が浮かび上がっている。もしかしたら、剣型の魔道具――魔剣かもしれない。
これであの魔物が倒せるか、せめて怯ませることができれば。そう思ってディランは剣の柄に手をかけた。だが力を込めても、その場に固定されているかのように動かなかった。ぱっと見ただけだと、剣先が僅かに床に刺さっているだけのようなのに。
「道は!?」
角の向こうから、ウォードが顔を出した。セリアに肩を貸して、というかほとんど引きずって、なんとか歩いているようだった。さっき転んだ時に、足をくじいてしまったのだろうか。
「だめだ、行き止まりだ!」
叫びながら、もう一度力を込めた。やはり、ぴくりとも動かない。
焦るディランの頭の中に、不意に中性的な声が響いた。
『私の願いを聞いてくれるなら、力を貸してやろう』
「聞く! 聞くから力を貸してくれ!」
それが何の声なのかを考える前に、ディランは答えていた。同時に、剣がするりと抜ける。両手に収まったその剣は、見た目よりもはるかに軽い。
「え、なんだって?」
必死に歩いていたウォードが聞き返す。その奥から、魔物が顔を出していた。説明している時間は無い。ディランは走った。
二人を追い越し、魔物に肉薄する。頼む、効いてくれ。そう祈りながら、すれ違いざまに剣を一閃した。
「……っ!?」
ほとんど何の手ごたえも無いまま、剣は振り抜けた。まさか外したのかと、一瞬思ってしまったほどだ。
「うわっ!」
直後、魔物の上半分が削げ落ちた。下半分に置いていかれたかのように、グロテスクな断面を晒しながら地面に滑り落ちる。体液が噴き出し、ディランは慌ててその場を離れた。
残された下半分も、やがて勢いを無くし、停止した。その向こうに目をやると、ウォードとセリアの二人がぽかんとしている。
突如、剣を持った手が真下に引っ張られた。いや違う、剣の重さが急に増したのだ。持っていられないほどになって、地面に取り落とした。
「その剣で、斬ったのか?」
「……多分」
セリアを地面に座らせたウォードが近づいてきた。驚きを隠せない表情で、落ちた剣を指さす。ディランも自分のことながら、信じられない思いだ。
「奥にあったんだよ。急に重くなっちゃったけど……そうだ」
先ほど聞こえてきた声を思い出す。声に応えた途端、剣が抜けたのだ。あれは、この剣のものだったのだろうか。
「さっき話しかけてきたのは、君?」
そう尋ねてみたが、何の返答も無い。今度は柄を持って同じことを繰り返したが、結果は一緒だった。
「喋るのか?」
「さっきは聞こえたんだけどね」
注意深く剣を持ち上げてみる。武器として使うのはとても無理だが、背負えば持って帰ることはできそうだ。
「戦利品も手に入れたし、帰った方が良さそうだな。セリアは動けそう?」
「少しだけ待って」
遠くの方から、本人の答えが返ってきた。どうやら、秘蔵の治癒の軟膏を使っているようだ。値段は高いが、そんなことも言ってられない。
ウォードは、辺りを見回してから言った。
「ここで休んで、その後帰ろうか」
「……そうだな」
辺りに飛び散った体液の臭いに顔をしかめながら、ディランは同意した。できれば場所を移したいが、それで別の魔物に出くわしたら目も当てられない。
(助かったよ、ありがとう)
その場に座り込んだディランは、剣に手を添えながら頭を下げた。先ほどの声は、やはり聞こえなかった。
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