第6話 阻む者

 一階に降りたチヒロは広間に避難民を集めさせた。避難民たちは突然の集会に好奇や不安、苛立ちといった反応を示す。チヒロはそんな彼らの前に毅然とした姿で宣言する。


「これから町の外へ出ます」


 避難民たちはざわついた。


「少しだけ時間を設けますのでそれまでに準備をしてください。手荷物は水や食料、衣類や薬等、生きるのに必要なものだけにして後は置いていくように。それから瘴気対策の防護面を配りますので、くれぐれもなくさないでください」


 説明が終わると、一人の男性が手を挙げた。チヒロが手で発言するよう促すと、


「ここで待ってるべきでは?もしかしたら衛兵達がヤツらを押し返してくれるかもしれない。それにこの町には聖戦士がいたでしょう?」


 その提案に反論したのはカズトだった。


「夢を壊すようで悪いが、町の衛兵は城壁防御の際にほぼ壊滅、生き残りを集めたところでどうにもならない」


 それに続くように他の衛兵も、


「聖戦士と言えば、シオヤさんいなかったな、そっちは?」


「見てないって、そもそも、あの人がいたらあんなどうしようもない様になってねぇよ」


 衛兵達の話は共通していた。そのやりとりで聖戦士にも期待が持てないことが説明され、カズトは話をまとめるように手を叩いた。


「つまりは待ってても助けは期待できない。自力でこの状況をなんとかしなきゃいけないってことだ」


 カズトの締めくくるような言葉を聞き、発言した男は大人しく引き下がった。チヒロは場が収まったのを確認すると、


「事態は差し迫っています。敵が寺院に集中している今しかありません。それでも納得が行かない場合、ここに残るのを止めはしません」


 切迫した雰囲気が避難民の中で広がる。チヒロはそれに楔を打つように、


「ですが私はこれに賭けます、どうか私を信じてついてきてください」


 話終え、少しの間の静寂。それからすぐにほぼ全員が動き始めた。

 荷物を袋に詰め、あるいは取り出して脇へよける。よけられたものの中には思い入れのある品とわかる家具や楽器、美術品などがあった。しかしそうしたものは今は重荷にしかならない、それを手放すかどうか選択するのは心をすり減らす行為だった。


 チヒロはそれぞれに防護面が行き渡ったのを確認すると、町役場の職員と衛兵を集めた。町役場の職員はチヒロを入れてニ五名、衛兵はカズトを入れて一三名だった。


「男性職員は弓矢や刺又で寄ってくるガランバを牽制、女性職員は子供やお年寄り、怪我人の手助けをするように」


 チヒロの言葉に一同揃って頷く。この場に残っている職員たちは職務意識が高く、チヒロへの信頼も厚い。

 一方、カズトは揃った衛兵達の顔を見回す。カズトはチヒロから兵士を束ねる役割を与えられていた。


「はっきり言おう。俺たちは町を守れずにここに逃げてきちまった負け犬だ」


 カズトの最初の言葉に兵士達はそれぞれ反応は異なっていたが、悔しい思いは共通で誰一人異を唱える者はいない。


「さっさと見切りをつけて逃げたヤツもいるだろう。他ならぬ俺がそうだ。家族のためにそうした」


 カズトの罪の告白とも取れる発言を聞いても、衛兵達の表情に怒りの感情は浮かばなかった。ここに集った誰しもが後ろ暗さを抱えていた。


「だが、ここにはまだ守るべき町民がいる、衛兵の仕事は町民の盾となり、剣となること。もう逃げる場所はない。今度こそは命を賭してその義務を果たそう」


 その言葉を受け、衛兵たちの目に闘志が宿り返事が返された。カズトはそれを確認し本題に移ることにする。


「町の外に出たら、俺達衛兵は避難民の先頭と後方に半々ずつ分かれる。側面の外周には職員の方々にいてもらうようにするが、仕掛けられた際はすぐに何名かで迎撃に移る。戦いは長引かせない、深追いも決してするな。殺すことに拘らず、動けなくしたらそれで十分だ」


 そうしてチヒロとカズトはそれぞれ避難の打ち合わせを進め、連携について話し合った。



 

 そのころ、広間の片隅でイサヤとタダオは他の避難民と同じく準備を進めていた。


「すいません店長、手伝ってもらって」


「いいんだよ、どうせあたしは一人だからね」


 ヤスコも厚意から子供たちの荷物整理や身支度の手伝いをしている。男の子の正面に立ち、鞄の紐がずれないようにぎゅっと縛った。


「それにあたしはもう店長じゃないよ、店は終いさ」


 イサヤはかける言葉が見つからなかった。普段のヤスコからは考えられないような沈みよう、なんとか声をかけたいと口をまごつかせていると、

 

「ハシバさん、生きていればなんとかなります。なにをするにもまずは生きて、何がしたいのかを考えて、そしてやってみる。まだまだ人生は終わってないですよ」


 タダオはそういってヤスコの肩に手を置く。ヤスコはかけられた言葉をかみしめるように目を閉じ、


「そうだね、くよくよしてても何も始まらないね」


 力強くうなずいて見せた。イサヤはヤスコが盛り返したのを見てほっとすると、次に壁際にいるミキヒコへと目を向ける。

 ミキヒコはただ座って壁によりかかっていた。イサヤは意を決して声をかけることにした。


「シドリさん、早く準備しないと」


 声をかけられたキミヒコはイサヤに顔を向けたが、その顔つきは焦燥感を滲ませていた。


「準備?生きるために?」


「そうです。それともここに残りますか?」


 ミキヒコは頭を抱えて唸り始めた。


「私は……どうしたらいいかわからない。家族を失った私にとっては漂う羽の教義こそが全てだった。こういう場合は大人しく彼らの手にかかり、来世の生を待つのが教えとされている、彼らこそがこの世の真の支配者で新しい世界の創造主なのだから。だが私は逃げ出した。どうしようもなく怖かったんだ、私は信者失格だ。きっと罰せられる」


 聞こえるか聞こえないかの声量でぶつぶつと呟き始める。イサヤはミキヒコの前にしゃがみ込んで、両肩を掴んだ。


「一緒に行きましょう、ここにいたっていいことないです」


 ミキヒコは顔を上げてイサヤの顔を見る。まだ少女の顔立ち、瞳は力強く、しかし恐れを隠せてはいない。しかし、ミキヒコにとっては眩しいもののように映った。


「そう、だな。今は何が正しいのか結論がつけられそうにない。まずは生きることにしよう」





 準備を終え、いよいよ外へと飛び出す時がきた。玄関の扉は障害物が取っ払われており、カズトが扉の取っ手を握っていつでも開ける体勢を取る。チヒロはカズトの隣に寄り添って後ろを振り向き、


「絶対に離れないように、私たちについてきてください」


 避難民たちは覚悟を決めるように頷いたり、不安そうにしたりする。このうち何人が生き残れるのか、という思いがチヒロの脳裏によぎった。それをすぐさま打ち消して力強くカズトを見つめる。


「それじゃあ、行くぞ」


 カズトが扉を開き、まずは二人の衛兵が斥候として飛び出した。衛兵二人は町役場を抜け、通りへと走っていく。それから通りの中心で立ち止まり周囲を見回し、何もいないのを確認してカズトに手で合図を送った。


「順番に出て、ついてきてくれ」


 カズトは後ろにも伝わる声で言うと外へ出た。続いてチヒロや役場職員、避難民と続き、最後に後方で殿を務める兵士数名がつく。イサヤ達は避難民達の中で後列あたりにいる。


 町はカズト達が役場に避難したときと同様の空気が立ち込めていた。人ならざる者達の殺気と、血や煤の臭い。空が暗い夜闇へと切り替わっているのが余計に不吉だった。

 一行が向かう先は西門。町役場から近く、かつ寺院や突破された南門から遠い、それが理由だった。


 読み通りムボウの眷属の気配はさほどない。未だに寺院の結界が敵の猛攻に耐えている証拠だった。

 それでも群れからはぐれたガランバとの遭遇は避けられない。


 一行が進む先に鹿のようなガランバ、エアレが四体現れた。エアレは道の脇の死体に食らいついていた。鹿とは違い牙が鋭利で顔つきも凶悪なのが特徴的だ。


 エアレは避難民の一団に気づくと嘶き、突進してきた。頭部に生えた角、力強く大地を蹴る脚の蹄による踏み込み、いずれも受けたらひとたまりもない。

 カズトを筆頭に先頭を走る衛兵達は迎撃に出るのかと思いきや、屈むほどに姿勢を低くした。


「構え」


 カズト達の後ろで、役場職員が弓を構え弦に矢を番えていた。役場職員は有事に備えて戦う術を一通り教わる。弓矢の扱いもその一つ。


「放て」


 チヒロの掛け声とともに矢が一斉に放たれた。されど教わっているとはいえ彼らは兵士ではない、腕前は錆びついており命中精度は芳しくなかった。

 それでもニ本の矢が二体に命中、向かってくる四体のうちニ体が速度を落とした。


「かかれ!」


 カズトの号令とともに衛兵達が一斉に斬りかかる。カズトは一体の突進を横っ飛びにかわし、すれ違いざまに後ろ脚を斬り飛ばした。支えをなくしたエアレは道から逸れ、道沿いの建物に頭から突っ込み転倒した。

 他の衛兵たちも危なげなくエアレを捌ききった。エアレの強みは多勢で列を組んで突進、今のように小勢でさらに足並みを崩せばさほどの脅威ではない。


 その後も幾度かの遭遇はあったものの死傷者はおろか怪我人も出ずに進むことができた。先頭を走るカズトはもっと数の多い群れとの遭遇も視野に入れていただけにあまりに順調すぎて拍子抜けしていた。あるいは、これから何かが起きるのか。


 そして一行は北西の門が見える位置まで辿りついた。あたりは人家が立ち並び、門周辺は交通の便や軍事的な配慮のために余分な建物がなく開けている。


「門の外の様子を見てくる。安全そうなら門を開けるから待っててくれ」


 カズトは同行させる衛兵二名を選んでからチヒロに声をかける。


「どこかに隠れていたほうがいいかしら」


「あの長い建物、衛兵詰所にいてくれ」


 チヒロはその指示に従い、避難民を先導する。衛兵詰所は門の五〇〇メートル近くに建てられていて、衛兵が訓練するための施設として外には柵で囲われた修練場もある。チヒロはそこに全員を入れた。


 カズト達はその間に門へと到達し、城壁内部にある門を開閉するための部屋に入る。部屋の中には小窓があってそこから外の様子を窺い知ることができた。外は畑、ムボウの眷属の姿はなく逃げるのに支障はない様子だった。

 カズトはほっとしていると、反対側から震え嘆く声が聞こえた。カズトがそちらへ振り向くと、一人の衛兵が城壁の町側にある小窓を見て驚愕していた。


「ケバルだ!みんなを襲ってる!」


 そして絶叫、一気に緊張が駆け廻った。早く逃げ道を示さなければならない。

 カズトは逸る気持ちで、仲間に協力させ、降りきった落とし格子型の門を上げるべく急ぎ取っ手を回した。






 イサヤは目の前で人が死んでいく光景を息を荒くして見つめていた。もうすぐ脱出ということで皆が安堵している最中にそれは現れた。

 地面が揺れ、大きい何かが地中から飛び出してきた。その直下にいた女性の役場職員は大きく空中へと飛ばされ、落下した後、現れた怪物に胴体を食いつかれた。


 その姿は、岩のような皮膚で六本足のワニガメのような姿。鋭い爪と牙を持ち、今は人間をその口に咥えていた。それは南門に現れたケバルを四分の一にまで小さくしたようなものだが、それでもその体高は一階建ての建物に相当する。


 現れたケバルは呆気にとられる避難民達を見回すと、女性職員を咥えている口をおもっきり閉じた。その咬筋力により胴体は真っ二つに割かれ、上半身は地面に落ち、下半身は瞬く間にケバルの腹の中へと収まる。


「け、ケバルっ!?」


 避難民の一人が気が動転したように叫んだ。

 ガランバとケバルの両者には決定的に違うものがある。身体の大きさや強さ、形状など色々あるが、何よりも意思があるかどうか。ガランバはあくまで自由意思を持たぬ従僕、対してケバルは明確に意思をもって行動し、思考して人を殺傷する。

 このケバルは生き残りが逃げてくるだろう場所の近くに潜み、こうして姿を現した。

 

 運悪くケバルの近くにいた避難民の男は腰を抜かした状態で後ずさる。ケバルがそれを踏みつけると、地面とケバルの体重とに耐えきれずに身体は爆発した。


「町民を守れ!」


 我に返った衛兵達は果敢に応戦する。しかし剣はケバルの硬い皮膚に弾かれ、せいぜい表面に極小の傷を与える程度だった。そのうち一人の衛兵がケバルの鋭い爪によって薙ぎ払われ、分たれた肉体が遠くの建物の壁に叩きつけられる。

 チヒロが咄嗟に弓を構え矢を放つ。されど矢は皮膚に突き立つことなく弾かれた。


 ケバルにとっては矢も剣も脅威ではない。この場にいるものは全て糧に過ぎない。衛兵、避難民、選ぶことなく目についた者をその爪で引き裂いていく。


 近くにいたら確実に殺されるのは明らか、避難民たちは散り散りに逃げ出した。兵士も役場職員も戦意をなくし同じように逃げる。

 イサヤも同じように逃げようとしたが、後ろを振り返ると子供の一人が転んで逃げ遅れていることに気がついた。ケバルはそれを見逃さずに狙いを定め歩みを進める。


「ヨウスケっ!」


 イサヤは名前を呼んで飛び出した。そして距離の関係からケバルより早く駆けつけたが、すでにケバルは眼前に迫っていた。そして爪が振り上げられる。イサヤは咄嗟に自分の身を盾にすべく子供を抱きしめて迫る爪を背で受けようとした。


 行為としては、まったくの無意味。ケバルの爪はイサヤの華奢な身体もろともに子供を肉片に変える威力を持つ。それでも庇わずに逃げるという選択がイサヤにはできなかった。


 イサヤは目を瞑りその時を待ったが、前で何かが弾き飛ばされるような硬質な音が響いた。それから何者かが地面を踏みしめる音が耳に入る。


 恐る恐る目を開けると、恐ろしいケバルはいない。


 代わりに黒い革のコートを身を纏った青年の背中があった。

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