第7話 人の皮を被った何か

 ハバキは崩れた城壁の上から終わりゆくタカマツリ町の姿を眺めていた。

 城壁から町のある一方向に向かうように地面が削れ、進路上の建物も粉砕されている。ハバキはそれを巨大ケバルによるものだと考察する。

 向かった先はドルドンの寺院。ムボウがまず向かう先が寺院というのは聖戦士ならば誰もが知っていて当然の知識だ。


「……これは、もう終わりだな」


 淡々とした声で呟く。寺院の方角には南門を壊した巨大ケバルの岩のような背中が見えていた。さらに目視できずとも、その足元にどれだけの数がいるかくらいは気配で把握できる。


 聖戦士はムボウの眷属を屠る狩人。狩人であるがゆえに成果を上げられない状況に飛び入って命を落とすような玉砕行為は行わない。


 手の施しようがない、ハバキはそう結論づけ、町の中に入った。。

 道には逃げ遅れた人の死体が転がっている。さらに至る箇所で家屋が燃えている、それが消火されないまま隣の家へと延焼し広がりつつあるため、いっそう町を地獄の風景へと変貌させている。


 想像通り、ほぼ全滅といった様相。建物の中に隠れている者がいるかもしれないが、くまなく探す余裕はない。寺院が破壊されればケバルとガランバは散開して近くにいる人間を手当たり次第に襲い始めるからだ。


 さらに言うと、ハバキは民間人の救助にはそれほど情熱を注いでいない。彼の目的はあくまでも『暴食獣』を討ち取ることのみ。

 それでも聖戦士の役割として民間人の保護も含まれているので義務としてこなすということは弁えていた。


 ハバキは道中で高い建物を見つけると地面を蹴って跳躍、まずは隣接する建物の屋根の上に飛び乗り、そこからさらに高い建物の中層にある屋根へ、そして屋上までと跳躍を重ね到達した。


 高みから町全体を眺め、生存者がいないか確認する。ハバキの視力は平均的な聖戦士程度の強化はなされており、地平線上にいる人がどんな身振りをしているかまで確認できる。そして闇夜に紛れ北西の門へ近づいていく一群を発見した。


 ハバキは建物から飛び降り、屋根伝いに進み、途中で屋根から降りて地面を駆ける。その際に、地面を掘り進む微かな振動を足で捉えた。


 振動の主は地面を突き破って人々を襲い始める。遠目でその虐殺の様子を目撃するが、義憤は沸かなかった。あるのは、どのようにして攻撃を仕掛けるかの一点のみ。そして周囲の地形を計算した結果、上から奇襲して頭部に一撃、と決めた。


 その時、転んだ子供に駆け寄る少女の姿が目に映った。ハバキの思考が戦闘のためのものからズレる。少女の容姿と、自分を省みぬ利他的行為に、固く封じられていた過去が呼び起こされた。


 ハバキは無意識のまま全速力で駆ける。頭はあらゆる感情に入り乱れながらも加速していき、ケバルが少女に攻撃を仕掛ける寸前、斧を両手持ちに振りかぶって脇腹に痛烈な一撃を与えた。


 獲物に意識を捉われていたケバルは左へと十数メートル吹っ飛ぶ。ハバキはケバルと入れ替わるようにして、少女、イサヤをケバルから守るように立ち塞がった。


「……あ、あれ?」


 イサヤは茫然自失のままハバキの背中を見つめる。それに対してハバキの胸中は複雑だった。攻めの最適解を無視し、拭ったはずの過去に縛られ起こした事故、それがハバキの実感としてあった。


「さっさとそのガキ連れて離れろ、邪魔だ」


 自分への怒りと、浮上しつつある感情を押し殺すようにして放たれた一言は辛辣だった。チヒロはすぐに正気に戻り、子供を抱えながらハバキとケバルがいる場所から離れる。

 ハバキはそれを確認することなく、ケバルと対峙する。先ほどまで抱いていた感傷は破棄し、戦いに全神経を集中させた。

 

 目の前の敵の姿形から、『動く岩山』の異名を持つケバルの幼体だと分析。

 『動く岩山』それが今現在このタカマツリ町を襲っているケバルの特性を考えてメリシュ教会がつけた名である。

 特徴として挙げられるのは、まずは名前の通り堅さと巨大さを兼ね備えているその姿。そして多くのガランバと幼体を何匹か引き連れて町を襲う習性。移動速度は遅く群れを引き連れているため察知は容易、また幼体をすべて潰した際に襲撃を諦め退いたという報告が上がっている。


 ハバキがケバルに与えた脇腹の傷は深く、ケバルの挙動は傷を庇うようなぎこちないものとなっていた。

 手負いとなったケバルは自身を鼓舞するように咆哮する。甲高く、まる金属同士をすり合わせたような声。周りにいた避難民はそれに耐えかねて両耳を手で塞いだ。


 ハバキはそれを意に介さず、右手に携えた斧を脇に構え重心を低くする。

 ケバルは自分に傷を与えた相手に報復すべく、後ろ四本の脚でハバキに向かって突進、土を多くまき散らしながら距離を詰め、右前脚をがばっと構えて二本の前足の爪を振り下ろした。


 チヒロはその戦いの始まりを遠巻きに眺めていたが、西門が開きつつあることに気づき、自分がすべきことを思い出した。


「門のほうへ逃げて!」


 出せる限界の叫び声で避難民を誘導する。チヒロはハバキを知らない、しかしケバルと勝負できる力から聖戦士に違いないと判断し、ケバルの相手を任せることにした。


「我々はどうすれば?」


 衛兵の一人がチヒロに近づいて声をかける。チヒロは呆れるように、


「逃げるのよ、あんな戦いに割り込めるわけないでしょ」


「……確かに」


 視線の先にあるのは、怪物と、人の姿をした怪物の戦い。剣や矢を弾き、爪で薙ぐだけで人を肉片に変えるほどの怪物相手に、ハバキは真っ向から挑んでいた。戦いの音は激しく、周囲一帯に響き渡るほど。


 ハバキが繰り出す一撃一撃がケバルの硬い皮膚に浅い傷を与え、ケバルの攻撃は身軽な挙動で避け、避けきれないものは斧で逸らしているため無傷。

 簡単にやっているようでその実、際どい見切りと聖戦士としての腕力を必要とする非常識な技である。その証拠に逸らした爪のは地面を大きく抉り、まともに受ければただでは済まないことを現している。


 チヒロは、あれをカズトにやってと言ったら首がもげるくらい頭を横に振るだろうなと思いながら、逃げ遅れている避難民がいないかどうかくまなく確認する。みんなから遅れるようによたよたと子供を抱えるイサヤの姿が目に入った。


「怪我はない?その子を貸して」


 イサヤの身を気遣いながら、腕に抱いていた子供を受け取った。イサヤはそれで力が抜けたのか身体を大きくふらつかせたが、なんとか足を踏ん張って耐えた。


「もう少しだけ頑張るのよ。……あなたは偉いわ、ほんとうに」


 チヒロはイサヤを励ましながら一緒に門の先を目指して走る。イサヤは息を切らしながら、


「私は、余計なことしただけです、あの人が来なかったら、結局は二人とも……」


「助けるために動いたんだから立派よ」


 チヒロの言葉で少し慰められたが、それでもハバキの放った言葉が頭の中で反響するように思い起こされる。

 ハバキの口から発せられた「邪魔だ」という言葉は自分の軽挙に対して怒っているように感じられた。


 その当人は現在、自分が救ったイサヤのことなどとうに頭の中から追い出し、ケバルとの戦いに全神経を注いでいた。

 致死確実の爪の嵐を避け、隙を突いて一撃入れ、なおも衰えないケバルの頑強さに思わず舌打ちをする。攻撃が効いてはいないという実感が彼を苛立たせていた。


 最初に放った一撃は助走をつけ全力を込めた一撃であったため、ケバルに深手を負わせた。しかしこうして対面した状態では中々そうはいかない。ましてケバルは自分とつかず離れずの距離を保ち、四本の脚を駆使して間断なく攻撃を仕掛けている。


 だが、手がないわけではない。いくらかの攻防を経てケバルの癖を見抜いていたため、さっさと勝負を決することに決めた。

 ケバルの真ん中の右前脚から繰り出された爪を攻撃姿勢のまま回避、一瞬で攻防が入れ替わり、関節部を切り上げた。

 堅い皮膚を持つケバルも関節部となるとその防備は薄く、攻撃を受けた右前脚の関節は破壊されて垂れ下がった。ケバルは予期せぬ負傷に動転し大きく後退する。それを逃さないよう距離を詰め、後ずさるケバルの脇へと走り抜けながら右後ろ脚の足首裏を斬った。

 身体の支えを崩されたケバルはうつ伏せに倒れる。ハバキは淀みない動きでケバルの背の上へと飛び乗り、頭と背中に足を置くと斧を振りかぶり頸椎に向かって振り降ろした。


 ケバルは苦悶の叫び声をあげた。ハバキを振り落とすべく身体をよじろうとするが、続く二撃目によってふたたび地面に腹這いに叩きつけられる。そして三撃目によって頸椎は寸断され、完全沈黙した。


 ハバキは屍と化したケバルの背中から飛び降りると、斧に付着した血や髄液を振り飛ばす。ケバルを無事倒して自身は無傷。ほぼ完勝と言って良い戦いだったがハバキの表情は冴えない。


 相手は所詮ただの幼体であり、ハバキの上司であるゴーダなら数秒で倒すことが出来る程度の敵。それを相手に時間をかけすぎたという事実がハバキにとって大いに不服だった。


「この程度じゃ到底及ばない」


 ハバキの脳裏に、『暴食獣』の姿が蘇る。幾年もの月日が経とうともその姿は克明と記憶されていて、色褪せることはない。







 避難民は城門を駆け抜け、その先の畑を突っ切り、木々が生い茂る森の浅いところで全員が合流していた。衛兵と役場職員が連携して避難民を誘導したことが功を奏した。

 森の中を散り散りに逃げたら再び集合するのは難しく、命はない。


 先に避難して避難民を纏めていたカズトはチヒロとイサヤの姿を見て安堵する。イサヤもカズトの姿を見ると彼に駆け寄り、その途中で力尽きるように前のめりに倒れる。カズトは慌ててそれを抱き留めた。


「無事でよかった」


 カズトにかけられた言葉を耳にしたイサヤは泣きじゃくった。恐怖を押し殺し、子供たちを鼓舞する側に回ろうと努めていた。しかしそれはまだ幼いイサヤにとっては大きな負担となっていた。


 カズトそれを優しく受け止め、掌で頭を撫でる。

 今の状況は奇跡だ。自分が守りたかった者が一人として欠けずに無事でいる。そして同時に自分が情けない。遠目にイサヤが襲われそうになっている場面を見たとき、手遅れだと感じてしまった。

 結果としては誰とも知れぬ聖戦士が現れたことでイサヤは助かった。そしてその聖戦士は自分でも到底歯が立たないケバルを相手に互角以上に戦っていた。あの力が心底羨ましかった。


 その時、暗い木々の間から光が差し込むように、一人の青年が現れた。

 まさに銀光と呼ぶべき人物だった。反射するように綺麗な銀髪を下ろし、黄金比のように整った容姿と碧い瞳をしている。背がすらりと高く優美な立ち姿で、着ている服はハバキやゴーダと同じ聖戦士のもの、腰には長剣を差してある。

 戦った後なのか返り血らしき染みが服に付着していて、右肩と左脇腹は何かで穿たれたような穴がありそこから微かに出血していた。


「みなさんご無事で何よりです」


 現れた青年は人を安心させるような笑みを浮かべて避難民に向けて声をかけてきた。その服装からして聖戦士、直前にハバキが現れたこともあり、全員が彼を見て安堵した。


「あなたもさっきの彼と同じ、ここに派遣されてきた聖戦士ですか?」


 チヒロの問いかけに青年は綺麗な口元に弧を描いて、


「そうです。しかし途中でケバルと遭遇していまい……結果、恥ずかしながら遅れて参上した次第です」


 後半、心の底から悔やんでいるかのような神妙な面持ちとなった。その真摯な様子にチヒロは信用を抱き、首を振る。


「責めるつもりはありません、お仲間は窮地に間に合ってくれたわけですし」


「はい……どうやら仲間はすんでのところで間に合ったようですね。ちなみに、避難できた町民はこれで全員ですか?」


 青年は避難民達を見渡す。それは全員の顔を確認しているかのような素振りだった。


「はい、あるいはまだ取り残されている人が町にいるかもしれませんが……」


「任せてください、私達が救出に向かいます」


 チヒロはその言葉で肩の荷が下りた。生き残っているかもしれない人々を置き去りにしたという罪悪感が片隅にあったからである。

 その間、青年はカズトの胸に顔を押しつけているイサヤに目を向けた。


「怪我でもされたんですか?これでも医術の心得があるので任せてください」


「ただ緊張の糸が切れただけさ。あまり触れないでやってくれ」


 カズトは苦笑いしながら申し出を断る。それでもイサヤは初めて会う人への体面を整えるために顔を袖で拭うと、青年のほうを見た。

 イサヤと青年の目が合う。青年はイサヤが今まで目にしたことがないような美男子で、


「えっ……?」


 それなのに第一印象は、なぜか吐き気がするほどのおぞましさだった。青年が巧妙に隠していた狂気をイサヤは見ただけで感じ取った。

 一方、イサヤの顔を確認した青年は探し物を見つけたとばかりに表情を喜悦に歪ませていた。


「なんという運命、僥倖と呼ぶべきでしょうか」


 青年の突然の変化に誰一人、彼の相手をしていたチヒロやカズトすら気づいていない。

 そのため青年の右手がいつのまにか腰に差してある長剣の柄にかかったことにすら疑念を抱くことはなかった。青年はそのまま誰の目にも映らないほどの速さで抜刀。


 凶刃は水平に煌めき、イサヤを腕に抱いているカズトの顔に向かっていく。

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