第5話 不吉の予感

 タカマツリ町が襲撃を受ける少し前、ハバキとゴーダは夕暮れ時の薄暗い森の中を駆けていた。木と木の間を縫うように走り、木の根を飛び越え、岩々を飛び降りる。一連の動きは淀みなく行われ、まるで猟犬の疾走。

 そこでふと、ゴーダが遠方の騒ぎに気がついた。すぐさま感覚を鋭くして概要を知る。


「大量のガランバ、ひときわ大きなケバル一体、あとケバルの小さいのが何体か。町に殺到してる」


「町にはシオヤとかいう聖戦士がいるんじゃないのか」


 ハバキは前を睨みつけながら剣呑な口調で問い質す。


「そのはずなんだがな、そんな数を町まで到達させたっていうのは妙だ」


「下手を打ったんじゃないのか」


 ハバキの侮るような言葉。ゴーダはそれを否定するように彼を睨みつける。


「シオヤさんは衰えていても熟練者だ、それはありえん」


「じゃあ何が起きてる」


「さぁな。もしかすると近頃噂になってる奴らが絡んでいるかもだ」


「ムボウの眷属を利する行動をとる集団か、実在するかも定かではないだろう」


 普段とは異なる様子に二人の議論は白熱する。その間、お互い走る速度を緩めていないあたりは流石といえる。


「っ、待て」

 

 そのときゴーダが何かの臭いを嗅ぎ取り急停止した。ハバキはゴーダに合わせて立ち止まる。


「いきなりどうしたんだ」


 ゴーダはそのあいだにも注意深く鼻を利かせ、それがなんであるか見当をつけた。


「人間、いや、聖戦士の血だ」


「やられた後じゃないのか」


「先に行け、俺はこの臭いを辿る」


 ゴーダの宣言に対してハバキは憤然とした態度で、


「町が襲撃されてるんだぞ、早く向かうべきだ」


「正直言って、今から俺達が行っても大したことはできん。だから俺はシオヤの身に起きたことを突き止める。これは町どころか人類全体に関わる問題かもしれないからな」


 ゴーダの意思は固い。彼は自分で決めたことは必ずやり遂げ、さらに言えば自分の感覚に妙に自信を持っている。こうなったらもう動かしようがない。ゴーダと組んで一年足らずのハバキでもそれくらいは理解していた。


「勝手にしろ」


 ハバキは一言告げて再び町を目指す。ゴーダはそれを見届けずにすぐさま臭いもとを辿った。

 そして現場に近づくにつれ、戦場の跡が見受けられるようになった。鋭利な刃物で一刀のもとに斬り倒された綺麗な断面の倒木、武器を振るい打ちつけたかのように抉れた地面、そこかしこに点在する血痕。


 ゴーダは妙な点に気づく。ケバルやガランバとの戦いならばもっと乱雑な戦場跡になっている。ケバルの大量の血やガランバの亡骸といったものがこの場にないのも不自然過ぎた。


 そして先へと進むと、周りの木がなぎ倒された場所へと辿りつき、そこに一人の男の亡骸が転がっていた。やや小柄の男性、ハバキやゴーダとと同じ聖戦士の衣装を纏っている。

 身体には無数の切り傷と刺し傷があり、右腕と首がない。

 ゴーダが周囲を見渡すと首は遠くの木の根元に転がっていたのでそれを拾い上げる。


「……シオヤさん」


 その顔の主をゴーダはよく知っていた。生きていた頃は剽軽で下世話な話が好きな軽い印象の先輩だったが、芯の部分はまっすぐで、戦う姿勢は強かで、見習う点は多かった。

 ゴーダはシオヤの開いたままの目を指で閉じた。そして亡骸の首があるあたりに置く、今は埋葬する余裕がないため、せめてもの心遣いだった。

 




 襲撃を受けたタカマツリ町の町役場の一階広間。そこにイサヤを含め避難してきたタカマツリ町の住人が約六十名集まっていた。そこへ新たに数名が加わる。その中の一人はイヤサが務めている食堂の店主、ヤスコだった。


「店長っ!」


 イサヤは思いがけぬ再会に喜びを露わにし遠くから呼びかける。


「イサヤ」


 ヤスコは仕事着のままだった。イサヤの姿を見て呆然としている、イサヤはすぐにヤスコへと駆け寄って体当たりするように抱きついた。


「無事でよかったです」


「ははは、お互いにね」


 ヤスコはイサヤを安心させるように二回背中を叩いてから両手で引き離し、


「そっちはどうやって助かったんだい?」


 イサヤはここに来るまでの経緯を話した。ヤスコは一通り聞いた後に納得したように、


「カズトにねぇ、そりゃ運が良かったね。あたしもこの通り、衛兵さんたちに拾われたおかげで助かったんだから」


 ヤスコはそう言って自分をここまで連れてきた衛兵達を手でさし示す。衛兵達の鎧は返り血で染まり、表情も疲れ切っている。その様子はさながら敗残兵に近いものがあり、誰も彼らに近づこうとはしない。

 それでも一人、広間にいた一人の男が立ち上がり、衛兵達に向かって憤然とした態度で歩み始めた。


「お前たち、まさか……ケバルに傷を負わせたのではあるまいな?」


 それから訝しむような口調で衛兵達を問いただす。男は朝に広場で演説をしていた男、ミキヒコだった。


「なんでそんなことを聞く?意味がわからないぞ」


 衛兵達は急に声をかけられて困惑する。


「どうなんだと聞いてるんだ」


「そりゃ、城壁からあの化け物に向かって何発もぶっ放してやったけど、ピンピンしてやがったよ」


 それを聞いたミキヒコは顔を真っ赤にして震えはじめた。そして問いに答えた衛兵を糾弾するように人差し指を向けて、


「罪深いことを、天空神ムボウの御使いであるケバルを傷つけるとは……彼らはただ、我々と対話しにきただけかもしれないのだぞっ!」 


「なぁ、あんた頭おかしくなったのか?とりあえず深呼吸でもして落ち着けよ」


 別の背の高い衛兵が鼻で笑いながらミキヒコに歩み寄る。しかし目は笑っておらず物騒な光を秘めている。


「私は正常だ、お前たちこそどうかしているぞ。そのようにして攻撃するからケバルも応戦せざる負えなくなるのではないか!?」


「いいから座れよ」


 まだ理性的な衛兵は騒動になるのを望まず、やんわりとミキヒコを宥めようとする。しかし、頭から血を流した衛兵がミキヒコの顔と話を見ているうちに思い至った。


「お前、いつも広場で演説してる『漂う羽』の信者か」


「そうとも、私の布教が行き届かなかったばかりにこの災厄は起きてしまった……ケバルは怒り狂い、我々を全て殺すだろう……お前たちのせいで」


 ミキヒコは嘆かわしいとばかりに首を振る。それが引き金だった。

 背の高い衛兵がミキヒコの首元を掴んで引き寄せ、殴りつけた。殴打は一発に留まらず何発も続く。他の衛兵達は止めもしない。やりたいようにやらせるという空気が漂っていた。


「すまないがそこまでにしてくれ、子供が見ているのでな」


 結局、暴行を止めたのはタダオだった。タダオはミキヒコと衛兵の間に割り込んで引き離す。合計で七発殴られたミキヒコは顔中を腫らして力なく崩れ落ちた。


 殴っていた衛兵はタダオをも睨みつけるが、タダオが言う子供たちの存在に気付き、怒りの矛を収め仲間と共に立ち去った。


 一連の騒動の間、イサヤは小さい子供が暴力を見ないように背中で隠していた。場が収まってほっとしたが、同時にやるせない気持ちになる。


「やなもん見ちまったね。でも衛兵さん達の怒りはもっともさ。頑張って戦った人達になんてこと言うんだい、あの男は」


 ヤスコは怒りを滲ませた声でミキヒコを悪し様に言う。助けられたのもあってか、完全に衛兵の肩を持っていた。


「そうですね……」


 イサヤはヤスコに同調するように頷くが、表情は曇っていた。暴力自体が嫌いで、それが正当化されつつあるこの状況にも胸が痛くなる思いだった。


 暴行を受けたミキヒコに近寄る者は誰もいない。町役場を管理している職員達も眉を顰めて遠巻きに眺めていた。

 イサヤはそんな様子を見て、意を決するように右手を握りしめた。


「私、行ってきますね」


「やめときな、あれに近づいてもいいことないよ」


「今は助け合わないと、こんなのは間違ってます」


 イサヤは首を振ってその手を振り払い、ミキヒコへと近寄る。タダオは諍いを起こした兵士達を宥めるように話していたが、イサヤの姿を見て慌てて駆け寄る。


「戻るんだ」


「いやです」


「イサヤ」


「院長もいつも言ってるじゃないですか、困っている人には手を差し伸べなさいって」


 ミキヒコ自体がある意味困った人なのだが、とタダオは嘆く。そして折れる様子のないイサヤにため息を吐いて、 


「綺麗な布と、水を汲んできてくれ。私は彼の傷の具合を確認する」


 イサヤはタダオの言葉に表情を明るくして頷いた。そして一旦元いた場所に戻ると、


「クミコ、ちょっとのあいだ皆を見ていてね」


 声をかけられたクミコは自信なさげにイサヤを見つめる。


「イサヤ姉、今は一緒にいてよ」


「クミコはお姉ちゃんでしょ」


「でも……」


 すっかり弱気になっているクミコにイサヤは困惑する。こんな様子のクミコに子供達を任せるには不安を感じた。


「あたしも見ていてあげるよ」

 

 そんな様子を傍から見ていたヤスコがイサヤに助け船を出した。そしてクミコの頭を手で大きく撫で回し、安心させるように肩を抱く。


「すいません、よろしくお願いします」


 イサヤはヤスコに礼を言って走っていった。






 町役場へと避難して早々に二階に上がったカズト。階段を上り切ると、塞がれた廊下の窓の隙間から外の様子を眺めるチヒロの姿が目に留まった。その佇まいは凛然としているようだが口元はきつく結ばれている。

 

「よう、元気だったか?」


 カズトは気をまぎらわすように明るい声でチヒロに話しかける。チヒロはカズトを見ると淡い笑みを浮かべた。


「まぁまぁね、そっちも元気そうじゃない」


「元気すぎて外に飛び出したくなるよ」


 お互いに軽口を叩き合うと、カズトはチヒロと肩が触れるくらい近寄り、同じく外の様子を眺める。

 外は町のいたるところで黒煙があがっている。襲撃がちょうど夕食時だったため、火の始末もしないまま避難した住人がいたためでもある。

 

「寺院が壊されるのも時間の問題か」


「そうみたいね、ここに留まった私達は結果的に命拾いしたってところかしら」


「日頃の行いのおかげだな。……町長と夫人は?」


 カズトがチヒロの両親について聞くと、チヒロは表情を硬くした。


「いち早く寺院に行ったわ、今頃は安全な場所にでも籠ってるんじゃない?」


 含みのある言い方にカズトは複雑な気分になる。彼はチヒロと一時期懇意にしていた時期があり、チヒロの両親についても知らぬ仲ではない。最もそれは良い仲とは言い難いものであったが。

 なので、チヒロと話す際は家族のことに関して深く掘り下げない。掘り下げた先には自分とチヒロの過去がどうしても関わってくるからだ。


「町を出るべきだ。奴らが寺院を壊したら、次は手当たり次第に人間の気配がする場所を探すだろう。そうなる前に早く」


「わかってるけれど、……まだここに避難しにくる人がいるかもしれないわ」


 チヒロは自分の責務を全うする心構えで、それが目つきにも表れていた。カズトはそんなチヒロを快く思う。それでも、


「事は一刻を争う。ここは人が密集しているからすぐに襲われるだろう、そうなればこんな施設ではひとたまりもない。だから今のうちに逃げるしかないんだ」


「それでも、私は少しでも多くの町民の命を救わないと」


 カズトは言葉を尽くしてチヒロを説得しようとするがチヒロは責任に囚われていた。カズトは悩んだ挙句、チヒロの両肩を掴んで顔を近づける。チヒロにとって久方ぶりのカズトとの接近に思わず心臓が高鳴る。


「俺が孤児院の皆を助け、ここに来れたのはなんでかわかるか?」


「それは、なぜ?」


 カズトの真剣な眼差しを受け、高揚していたチヒロの心は静まる。


「逃げたのさ、敵前逃亡だ。まだ仲間が戦ってたのに、俺だけさっさと見切りをつけて逃げた」


 カズトの罪の告白にチヒロは絶句した。そして何か言うべく口を開こうとするのをカズトが手で止め、


「誓って言うが、命欲しさじゃない。無意味だとわかってる戦いをして死ぬよりも、大事な人達を守ろうって決めたからだ。孤児院の皆と、お前をだ」


 チヒロは圧倒されたようにカズトの目を見つめる。その目は後ろ暗さや罪の意識を感じさせないほどに覚悟に燃えていた。

 それを見てようやく察した、カズトが極限の状況で選んだのだと。気が咎めようとも、自分が救いたい相手の下へと駆けつける道を選んだのだと。


「……下に降りましょう。みんなに準備をさせないと」


 チヒロは自分を掴んでいたカズトの手をやんわりと外して廊下を歩き出す。そしてカズトに背を向けたまま顔だけ少し振り向いて、


「私は、こうして来てくれただけで十分だと思ってるわ。ありがとう」


 それだけ言うと再び歩き出した。カズトは目を伏せたが、すぐに前を見据えてチヒロの背中を追った。

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