第4話 窮地と希望
道に集った民衆たちが大きな音に気付いて振り返ってみたもの、それは壊れゆく城壁と、町へ入り込む巨大な怪物の姿だった。
その場にいた全員は一瞬、その現実を呑み込むことができなかった。イサヤもまた同じように心に空白を生じさせていた。
その中で比較的に復帰が早かったのは、タダオだった。長い人生経験と強い責任感が彼を突き動かしたと言える。
「あそこに入るんだ!」
彼はすぐに孤児院の子供達を一軒の家の玄関前に誘導する。イサヤもタダオの言葉で我に返り、子供の背中を押してそこに入った。
そうして全員が道の脇へと退避したのとほぼ同時に、道は人々によって激しい激流が作られた。誰もかれもが死にもの狂いで寺院を目指しひた走る。町の中はすでに安全ではなくなった。ならば今助かるために必要なのは、助け合いよりも誰より速く走ること。そこには弱者への気遣いなど欠片もなかった。
そんな中でタダオは自分一人逃げるのではなく、弱い子供達の身を守るために咄嗟の決断をした。
目の前を大勢の人々が必死の形相で横切っていく。イサヤはそんな恐慌状態を目の当たりにして胸の動悸がいっそう激しくなった。それでも腕の中で泣き出したタイチを見て、
「大丈夫だからね」
空いている手で頭を撫でる。守る者がいるという状況がかえってイサヤの心を支えていた。タダオもその様子を見て顔を引き締める。
「道が空いてきたら私たちも避難する。私から離れないように」
タダオは左腕でユタカを腕を抱き、そして腰に差していた短剣を抜き放ち右手に握る。普段は持っていないが、今は護身のために装着していた。
それから少し待っていると目前を走る町民たちの行列がまばらとなり始める。タダオは頃合いと見て走り出そうとしたが、すんでのところで足を止めた。
「うわぁっ!?」
目の前を走っていた男が後ろからガルムに飛び掛かられ、視界から消えた。間も置かず噛み砕き咀嚼する音と、男の溺れるような声が聞こえ、それは次第に弱まっていった。
タダオは思わず右手の短剣を握りしめる。自分が思った以上にガランバの町への浸透が早いと。道へは進めない、隠れなくては。そう判断した時、間が悪いことに道を駆けていたガルムの一匹がタダオ達に気づいた。
タダオは腕に抱いていたユタカを素早く地面に降ろすと、短剣を構え前に出た。タダオ達に狙いを定めたガルムは幸いにしてその一匹のみ。しかし、大型犬のような大きさで、敵意をむき出しにした目と鋭い牙は脅威としてみるに十分すぎた。
それでもやるしかない、タダオが攻撃を仕掛けようとした時、
「おおおおぉっ!」
掛け声とともにカズトが家の庭のほうから飛び出してきて、手にした剣で瞬く間にガルムを切り捨てた。
カズトは振り向くと、すぐさま全員を庭のほうへと押し込むように歩く。全員それに従い、退避した家の脇にある庭へと入っていく。庭は鉢植に入れられた花などが置かれている程度の小さなものだったが、隣の家の庭へと移り、別の道へ出られるため逃げるのに最適だった。
少しの間歩くとカズトは一軒の鍵をしていない家の扉を開き、全員を中へと入れた。
「みんな、大丈夫だったか?」
そこでようやく、カズトは口を開いた。心配げにこの場に集った面々の顔を見回す。そして、誰も欠けていないことを確かめて安堵の笑みを浮かべた。
「助かったよ、カズト」
タダオは全員を代表してカズトに礼を言う。イサヤや他の子供達もみなカズトの登場で少し安心していた。
「窮地に颯爽と現れて、まるで話に出てくる英雄みたいだった」
「よせよ、俺はそんなのじゃない」
イサヤの褒め言葉にカズトは眉を顰めて首を振る。タダオは大体の事情を察し、話題を変えることにした。
「少しのあいだカズトと話す、イサヤは奥で皆を休ませてくれ」
そう言ってイサヤを含めた子供達を遠ざけ、カズトとタダオの二人だけで今後の相談をすることにした。
「これからどうするべきだと思う?」
「寺院はまずい、敵は大体あそこに向かって群がる。今向かったところで奴らに見つかるのがオチだ」
「この場に留まり収まるのを待つというのは?」
「悪いが、これが人の手によって収まることはないだろう。ここの守備はほぼ壊滅してる、いずれは寺院も壊され、その後はヤツらによる人類の残党狩りが始まる」
「……なんと」
カズトの口から語られた現状の悲惨さにタダオは天井を仰ぎ見る。しかしすぐに視線を戻した。
「では、どうする」
「町役場へ、あそこは有事の際の物資が貯蓄してあるし、こういう時に動けるヤツもいる」
「……アキヅキさんか。彼女ならば確かに」
タダオもチヒロと面識があるためカズトの提案に納得した。そうしてほんのひと時休憩すると、再び一行は外に出て西にある町役場を目指す。道中は大きい道を避け、小道や人家の庭を伝ってガランバをやり過ごす。幸か不幸か、ガランバはほぼ全てが寺院へ向かっていて、そこへ逃げようとしている人々の数にも反応したため、一行は比較的安全に目的地へと進むことができた。
日はすっかり沈んで夜が訪れ始め、寺院の方角からは人の悲鳴や獣の唸り声、建物が崩れる音などが聞こえてくる。さらに風に乗って何かが焼ける臭いや血の臭いなどが漂ってくる。
一行はそんな緊迫した道中を進み、ようやく町役場が見える位置までやってきた。
「様子を見てくる」
カズトはそれだけ言うと気配を殺すように重心を低くして先行した。建物の壁に張りつき、物陰から町役場の様子を確認する。
町役場は乳白色の外壁の大きな建物で、入り口の前にはちょっとした庭園もある。カズトが遠目に確認したところ入り口の扉が閉ざされていて、1階にある窓は内側から板か何かで塞がれていた。
それを見て、思った通りだと安堵する。襲撃が起きてすぐそうした行動がとれるのは指導者がいるからで、それはチヒロ以外にはありえないとカズトは確信している。
次いで周囲を見渡す。何もなし。町役場はドルドン寺院とは離れた位置にあり、町を襲っているムボウの眷属のほぼ全てが寺院へと向かっていた。
カズトは事は急げとばかりにイサヤ達の下に引き返し。一行を引き連れて音を立てず、なるべく急ぎ足で町役場へと近づいた。そして入り口の扉付近まで近づき、扉を3回叩く。
「ここまで逃げてきた、入れてくれ」
カズトが小声で呼びかけると、扉の奥から物をどかす音が聞こえてきた。そして扉が控え目に開く。中から若い男の顔がすっと外をのぞき込み、カズトの姿を確認する。
「早く入ってください」
そして扉は人が通れるくらいにまで開かれ、カズトは子供達から先に中に入れた。それからイサヤ、タダオと続き、最後に中に入る。
カズトが屋内に入ると扉脇に陣取っていた男が扉を閉じ、他数名が再び棚や机といった物を置いた。
「ここが機能してて助かったよ、無駄骨はごめんだからな」
最初に顔を見せた男に声をかける。男は町役場に務める職員の制服を着ていた。
「私はただ言われた通りに動いただけですから、部長が指揮を執ってくれなかったら今頃はあたふたしてたか、寺院へと逃げてました」
「それは、従って正解だったな。……たぶん寺院はもたない」
カズトの悲観的な言葉に男性職員は言葉に声を失った。カズトは自嘲するように笑みを浮かべ、
「幼いころに経験してるんでね、大体わかるのさ」
男性職員は青ざめた表情で俯いた。暮らしている町が滅ぼうとしているという現実は受け止めるにはあまりに重すぎた。
「だから今は各々生きる努力と知恵が必要ってことさ……部長は?」
「二階に」
カズトはそれを聞くとイサヤ達のほうに振り向いて、
「みんなは休んでくれ。水や食料は今のうちに食べておくように」
そう告げて立ち去っていた。イサヤに抱えられているタイチはわけもわからず首を傾げる。イサヤは少し言葉を選んで、
「まだ走るかもしれないから、食べて元気を出そうってことだよ」
伝わるように補足説明した。
「いつお家に帰れるの?」
腕に抱えられているユタカがタダオの服の袖を引っ張って問う。
「ごめんねユタカ、悪い怪物が町にやってきたからお引越ししなきゃいけないんだ。でもみんながいるから怖がらなくていいんだよ」
タダオは言葉に詰まりながらも絞り出すように告げた。
「みんなも今はつらいかもしれないが、信じて欲しい。これが終わればまた元の生活に戻れると」
タダオの表情は力強く、頼もしかった。しかしイサヤだけはそんなタダオの手が白くなうまで握りしめられていることに気付く。
「皆で手を繋ごう、ほら輪になって」
イサヤは努めて明るい声で提案した。子供達はわけもわからず、イサヤに急かされる形で手をつなぐ。イサヤとタダオに抱かれていた二人も一旦床に降りて輪に加わった。
それからイサヤもその中に入り、タダオの手を掴んだ。タダオは思わずイサヤの顔を見て、意図を察し、空いている右手で端にいる男の子の手を握り、一つの輪が完成した。
「こうしていればあったかいし、安心するでしょう?みんなひとりじゃないって」
イサヤの言葉に対する反応はそれぞれだった。首を傾げたり、笑みを浮かべたり、恥ずかしがったりと。しかし共通して、張りつめていた緊張感が緩んでいた。
イサヤはその様子に安心して、タダオの手を握る力を少し強める。タダオが反応してイサヤの顔を見ると、イサヤは微笑んだ。
タダオはそれに同じく笑みで返しながら思う。自分を支え、励ましてくれたのはいつもイサヤだったと。
孤児院は最初、妻と二人で切り盛りしていた。しかし妻は重い病にかかってこの世を去った。イサヤは当時七歳でありながらも、押し殺していた自分の悲しみに、今のように寄り添ってくれた。
イサヤという優しい娘がいて、カズトという強い息子もいる。
その二人の存在が、絶望に挫けそうなタダオの心に活力を与えていた。
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