第3話 崩壊の足音
夕刻を告げる鐘の音が町中に響き渡る。店の中からそれを聞いたイサヤは、残っていた客の勘定を終え、ヤスコに仕事を上がる旨を伝えに行く。
「店長、お先に失礼します」
「そういえばそんな時間だね、今日もおつかれさま」
店自体は夜まで営業している。しかしイサヤは孤児院でも家事や子供の世話があり、ヤスコもその事情を知っていた。なのでこれは二人で決めた乗務時間だった。
「転ばないように帰るんだよ」
「そんな子供じゃないですよ」
ヤスコからのからかいまじりの言葉にイサヤは軽く抗議しながら店を後にした。裏口から表通りに出ると町は夕焼けに染まっていた。建物の影も長く伸び、地面は暗く、夜の訪れを告げている。
イサヤは店先でこの光景を見るたびに、一日の終わりを実感する。もっとも、孤児院に帰った後はまた家事が山のようにあるのだが。
「さ~てと、帰ろう」
弾んだ声で独り言をつぶやきながら軽い足取りで帰路につく。
毎日、家事や子供の世話、仕事と息つく暇もないイサヤだが、投げ出したいと思ったことは一度もなかった。自分はその分、タダオや子供達、ヤスコに色々なものをもらっているという実感があったためだ。
成長して大人になり孤児院を出ることになっても、この町にはずっといる。カズトのように自分の道を進み始めても、繋がりは決して消えない。
しかしそれは、イサヤが普通の人生を歩むならばの話だった。
穏やかな夕餉の時間を切り裂くようなかのように、鐘が鳴り響く。夕方を知らせる鐘の音はすでに慣らされているため、イサヤは最初、それが何なのか判断がつかなかった。
しかし、その音は幾度か聞いたことがあった。普段の鐘の音とは別の、割れるように甲高い音。それは今も激しく打ち鳴らされている。
そして答えに至る、これは襲撃を報せるものだと。
イサヤの心に不安感が沸き始める。襲撃ということは、町の衛兵であるカズトが戦うかもしれないということ。戦いとは命の危険を伴う。
もしものことが起きてしまったら、そう考えるだけでイサヤの足はぐらつきそうになる。
イサヤと同じく外に出ていた町民達の行動は様々だった。訝しげな表情で周囲を見渡す者、家路を急ぐ者、慌てて家へと入る者など。そんな多様な人の行動を見て、イサヤも自分が今すべきことはなにかという考えに及んだ。
まずは孤児院へ、そう言い聞かせて勢いよく地面を蹴った。
帰り道を急ぎ駆けるイサヤの耳に、鐘の音以外の音が南方向から聞こえ始める。大砲の音、人の叫び声、そして人ならざるものの咆哮。
これほど近く感じられる襲撃は、今まで生きてきた中で始めてだった。
イサヤは弱気になる心を押しとどめ、無我夢中に駆ける。そうして、なんとか孤児院のある通りまで辿りつく。孤児院の前にはすでに避難の準備を済ませた孤児院の皆がいた。
「院長!」
イサヤは駆ける速度をさらに速めて、勢いよくタダオに飛びついた。
「無事だったか、イサヤ」
タダオはそれを受け止めて、心配そうな顔でイサヤを見つめる。
「はい。でもカズ兄、カズ兄は衛兵だから戦ってるはず、カズ兄は大丈夫ですよね?」
「きっと大丈夫さ、カズトは強い男だからな」
タダオは安心させるように断言した。ただしそれは、自分に言い聞かせているようでもあった。
「今は私たちが安全な場所に行こう」
それからタダオは、襲撃を受けているであろう南方向を険しい目つきで見据える。長くこの町に住んでいるタダオにとっても、これは尋常ではなかった。
「寺院に行こう。あそこなら安全だ」
タダオの提案にイサヤは頷き、孤児院の中で年少の男児タイチを抱きかかえる。不安のあまり泣き出しそうなタイチをあやすも、イサヤの胸の内にも不安は巣食っていた。
それから一行はタダオを先頭に寺院を目指して歩を進めた。
町は大地の神ドルドンの力によって寺院を起点に結界が張られる。
タダオ達以外の町民も皆、寺院なら安全だとすがる気持ちでそこを目指していた。
大地の神ドルドンを祀る寺院は、町に何層かの結界を張る。
一つ目に町全体を覆う薄い結界。それが破られれば城壁内を覆う結界へと切り替わり、それすら突破された場合、結界の起点である寺院を守る結界が起動する。寺院は言うなれあ最後の砦。
そのため寺院へ向かう道はそんな避難する人々が殺到し混み合っていた。唯一大人であるタダオと年長のイサヤ、クミコの三人で子供たちがはぐれないよう気を使いながら行列の中を進む。
その間も聞こえてくる激しい戦闘音が止むことはない。避難する町民達の不安感はじわじわと勢力を増す。
やがて南城門から、叩きつけるような轟音が響いてきた。それは一発ニ発と続き、回数を重ねる度に大きくなっていく。
イサヤは不安げに上を見上げる。空には、普段、不可視となっている町の結界が姿を現していた。薄黄色で、小さな六角形の半透明の板が無数に合わさって出来ている結界。それが今、衝撃を受け揺らいでいる。
そして揺れるたびに色は薄くなり、板が剥がれ落ちていっているようだった。
その少し前、チヒロがいる町役場も騒然としていた。襲撃の鐘の音は施設内にも届いていた。職員達は今までとは明らかに異なる雰囲気を感じ始めたせいか、慌てふためいている。
そんな中、役場の二階の廊下、町長室前ではチヒロと彼女の両親が只ならぬ雰囲気で言い争いをしていた。
「いいから、早く、寺院へと急ぐぞ」
チヒロの父親で町の町長でもある彼はいち早く避難しようとチヒロを説得する。チヒロの母、町長夫人もその言葉に頷いていた。
「それじゃ、無責任すぎると言ってるでしょう。まずは町民へ呼びかけたり、職員に指示をしたりすべきよ」
対するチヒロはあくまで立場に沿った行動を取るべきと町長を説得するが、
「そんなもの各課の課長がやってくれる。もしものことがあったらどうする、私達には替えはいないんだぞ」
「彼らにだって替えはいない!」
チヒロの一喝に町長は身体を震わせ呆気にとられた。
「いいからあなたも来るのよ」
町長夫人は業を煮やし、チヒロの腕を引っ張って連れて行こうとする。チヒロは断固とした態度でそれを振り払った。
「私ならけっこうよ、ここでやるべきことがある」
チヒロは訴えかけるように町長を見つめる。しかし想いが父親に伝わることはなかった。
「勝手にしろっ」
町長は諦めたように首を振ってその場を立ち去る。夫人も迷うことなくその後を追った。親子の道が分かれる形となり、チヒロは両親の背を心底失望した目で見送った。
彼女にとって二人は、俗物だった。公人としての責務よりも自身の幸福を優先し、そのために町長の椅子に座っているのではとすら感じていた。
それでも嫌いきれなかったのは、二人が自分を大切に思っていたから。自分もいっそ両親のように生きていればきっと楽だっただろうと思う。
しかしそうはならなかった。チヒロが少女の頃に出会った教師の教え、読んで学んだ書物などから自分がどうあるべきか定めた。そしてなによりも、カズトとの交流があった。
「……しっかりしないと」
チヒロは自分に言い聞かせるように呟き、頬を叩く。まずは職員の統制を図り、それから自分達ができることをしよう。チヒロはそう決心した。
さらに時は襲撃の鐘が鳴り響いた直後まで遡る。
鐘が鳴った時、カズトは衛兵の宿舎にいた。衛兵なだけあって、鐘の音の意味するところを即座に知ると現場へと急行した。
たとえ非番でも襲撃となると関係がない。急ぎ襲撃があったとされる南城壁付近へと走った。近づくにつれ音は大きくなり、大砲を撃ち出す音も聞こえてくるようになった。
カズトは城壁の近くに建てられた衛兵の詰所へと入り、鎧を着て剣を腰に差し再び表へと出る。そのころには城壁外に集っているムボウの眷属たちの息遣いや身じろいが聞こえるくらいにまでなっていた。
「一番隊二番隊は弓、三番隊及び四番隊は投石、五番六番隊は補給、各自急ぎ持ち場につけ!」
門の近くで士官が大声で指示を出していたカズトは三番隊所属なので指示に従い階段を使って城壁の上へと駆け上がる。
そして上がり終えた先で目にしたものは、目を覆いたくなる光景だった。
視界一杯に怪物、ムボウの眷属がいた。
犬のような形状のガルム。大きさや姿形も人間に近いグール。グールより二回りも大きく屈強な肉体を誇るオーガ。鹿のように見えるも頭が猪のようなエアレ等、数種類のガランバが城壁に群がっていた。
「……まじかよ」
カズトは思わず絶句したが、後ろにいる衛兵に怒鳴られ我に返った。それから城壁上の歩廊を走り、空いている場所を見つけそこに陣取った。隣では衛兵が手当たり次第に弓を構え矢を放っている。
カズトも歩廊の脇に積み上がった大きめの石を手に取り、胸壁の出っ張った部分にある穴から下を見下ろす。そこからは城壁に取りついているグールが見えたため、カズトはすぐに石を落した。石はグールの頭に命中、ばたりと横向けに倒れた。
さっそく一匹を倒すことができたが、達成感よりも焼石に水なのではという徒労感だけを味わった。
それよりも、とカズトは城壁から離れた位置に鎮座する大きな物体を見る。
大量のガランバ達の後ろで泰然と構えている、ワニガメを思わせる怪物。体高はカズトが立っている城壁を優に超えまるで小山、皮膚は岩のようにゴツゴツしていて、六本の太い足で大地を力強く踏みしめているため地面が窪んでいる。
その大きさと出で立ち、カズトはあれこそがガランバを従える上位種、ムボウ直属の配下、ケバルである確信した。
城壁内に設置された大砲が火を噴いている。その数八門、全てがケバルへと向けられ放たれている。しかし当のケバルは直撃を受けてもまるでこたえている様子はなかった。
「なんだありゃあ……あんなの見たことねぇぞっ」
「聖戦士は何をやってたんだ! こんな数にあんなのまで、どうしようもねぇよ!」
恐怖を紛らわせるため叫ぶ衛兵もいるが、咎めるものはいない。誰もが今の状況に対して恐怖と絶望を抱いていた。
しかし今のところ、城壁には傷ひとつついていない。ガランバが数にものを言わせて城壁や門へと殺到しているが、それらは全て結界によって阻まれている。結界がある限りは城壁が物理的に壊されることはありえない。
「ははは、案外いけるかも、な」
カズトの隣で同じく投石を行っている衛兵が呟く。しかしカズトはその意見には賛同しかねた。結界は絶対のものならば、なぜ滅びる町が後を絶たないのか。
その問いの答えはすぐに出ることとなる。
配下のガランバに攻撃を任せ後方に構えていたケバルが動き始めたのだ。六足で歩みを進め、足元にいるガランバなど避けもせず踏み潰す。そのことからして両者の決して覆らない主従の差が垣間見える。
砲兵は近づけさせまいと大砲を放つが、せいぜいが岩のような表皮を削るだけでまるで応える様子はない。
そしてケバルはついに城門前に到達した。そして立ち止まり、上体をあげ後ろ二本足だけで地面を踏みしめる体勢へと移行する。ケバルを射程に収めることができる二門の砲が砲弾を喰らわせるが、少々の傷を与えるだけで怯ませるには至らない。
誰も阻める者がいない状況、ケバルは二本の前脚を構え、城門を攻撃し始めた。攻撃による振動と轟音があたりに響き渡り、城壁にまで衝撃が伝わる。それにより立っていられずに転倒する衛兵もいた。
カズトはその様子を見て、あと少しで決壊も城壁も崩されると察した。続いてある考えが頭をよぎる。結界が壊された以上、あの規模の敵を相手に戦ったところで大した足止めにはならない。それよりもすべきことがあった。
そして覚悟を決めると、歩廊を走って階段を下りる。敵前逃亡、と取られても仕方ない行動。カズトに続くように行動する者も現れ始めるが、誰も注意しない。ほぼ全員の意識は結界を攻撃し続けるケバルへと向いていたからだ。
ほどなくして結界は完全に砕かれた。結界の加護を失った城壁はケバルの攻撃を直接受けて崩れていき、ついには瓦礫の山と化す。近くにいた者は下敷きとなり、城壁上に陣取っていた者も崩壊に巻き込まれた。
瓦礫の上をケバルが踏みしめ、町の中へと足を踏み入れた。その足元から無数のガランバが続々と町へと入っていく。
城壁を守っていた衛兵達は呆気なく倒されていく。数で劣り、士気は落ち、統制は崩壊。烏合の衆に過ぎなかった。
この場にカズトの姿はない。ケバルが城壁を攻撃し始めた時点で、彼の脳裏には幼いころに見た、町が壊されていく光景が蘇っていた。
そしてそれは再び現実のものとなりつつある。ならばせめて、自分の大事なものだけは。
カズトは卑怯を承知で残った衛兵を囮に使った。
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