問2.2 : え? それが根拠ですか?
初日の放課後、僕は一目散に帰ろうと席を立った。
こんな狂ったクラスから早く出たいと思った僕は、まだ正常なのだろう、と自分のことを励ましたところに、不吉な声がやってきた。
「ねぇ、鈴くん。ちょっと今から時間ある?」
振り返ると吉井がおずおずと手の甲をこすっていた。
吉井とは幼馴染であるとは言ったが、遊んだことがあるのも小学校のときくらいで、ここ数年は挨拶くらいしかしていない。つい最近、久しぶりに話したくらいだ。そんな彼女から、放課後のお誘い? いったいなんだろうと思い、僕はなるべく落ち着いたふうに言った。
「ぜんぜんまったくこれっぽっちも時間がない。今後、吉井が僕に声をかけるときは、すべからく僕は死ぬほど忙しいということが今さっき決まったところだから、お互いの人生を無駄にしないためにも金輪際もう誘わないでほしい」
「ひどくない!?」
できるだけ冷静に説いたつもりであったが、つい本日の鬱憤を吐き出してしまっていたらしい。
いや、だが、間違った選択はしていないと僕は自信を持って自らの言葉を噛みしめた。
「ていうか、おかしいよ! 私がいつ声をかけるかなんてまだわかんないじゃない! それなのに今からそのときに予定をいれておくなんて」
遠回しな断り方は、どうやら伝わらないらしい。
だが、自分で言葉に出してみてその言葉の意味を理解したらしく、ハッと吉井は目を丸くして、口に手を当てた。
「もしかして、鈴くんて預言者?」
「違う」
微塵も理解されていなかった。
「とにかく吉井と話している時間はないんだよ。僕はかえ……」
僕の記憶はここで一度途切れる。
あまりに突然の出来事で未だに何があったのか理解できないのだが、記憶の断片を辿ると、後ろから急に柔らかい感触が背中にぶつかってきたのだ。
それは今までに感じたことのない温かみと心地よさ。何がぶつかったのかもわからないのに、脳内にアドレナリンが溢れた。
同時に口と鼻が布で覆われた。
そして鼻口をつくような薬品系の匂い。
いや、まさかそんな犯罪じみたことが自分の近辺で起こるとは思っていなかったが。
次に目が覚めたときには、縄で拘束されていた。
見上げると、ちんちくりんの少女、織田真理子。
そしてかの演説が始まった。
「試召戦争を仕掛けるぞ!」
「待て」
誰だってこういう反応になる。
「鈴之介が帰ろうとするのがわるいんだろ」
「だからって薬品で眠らせて縄で縛って拘束するとかどこの犯罪組織だよ!」
しかもうろ覚えだが、それを実行したのは藤井咲だったのではないだろうか、と僕は推理している。こう、なんというか、大きい部分が藤井ではないかと思われ。
「ねぇ、鈴くん。何か変な顔しているけど、何考えているの?」
「別に何も」
女とは妙に勘がいい生き物である。
縄を解かれて、僕は体を起こした。
どこかといえば、教室である。しかしながら、生徒はほとんど帰ったようで、僕と女子三人と秀吉しかいない。
「ふぅ、で、何をするって?」
「試召戦争だ!」
織田が怒ったように言うので、「はいはい」と僕は適当に相槌を返した。
「それは聞いたよ。でも、わかっているのか? ここはFクラスだぞ」
「何当たり前のこと言ってんだ?」
「いや、アルファベット読めないのかと思って」
「何だと!」
そう思われても仕方がないだろう。
先にも述べたが、試召戦争で用いる召喚獣、その力は学力で決まる。そして文月学園の二年生は、学力順にAからFのクラスに割り振られる。
つまるところ、Fクラスの戦力は最も低いということだ。
「だいたいどことやるんだよ。うちが勝てるとこなんてEクラスくらいか。Dクラスはもうむりだろうな」
「Aクラスだ」
「はぁ?」
織田があまりにもはっきりと言うので、つい聞き返した。
「Aクラスを獲る。それ以外に興味なし」
「あほか!」
本当にアルファベット読めないんじゃないだろうな。
「相手との学力差がいくらあると思ってんだよ」
「はぁ? 知らねぇよ。そんなもんやってみねぇとわかんねぇだろ」
織田は、ぶすっと少しすねたような顔を見せた。
「やらなくてもわかるだろ。引き算もできねぇのかよ」
「いや、やってみなくちゃわかんねぇな」
「おまえは何にもわかっちゃいねぇ」と言って織田はにやりと笑う。
「あたし達がやんのは、ただの点数比べじゃねぇんだよ。試召戦争、戦争なんだよ。勝つのは、力の強い方って決まってんのか?」
ぐっと距離を詰められて、僕は目を逸らす。
「それでも勝率が低いことには変わりないだろ」
「勝率が低いってのは、つまり勝てるってことだ」
くっ、屁理屈を。
「あぁ、わかったよ。AクラスだろうとSクラスだろうとどことでも、勝手に戦争すりゃいいだろ」
「え? Sクラスなんてあったの?」
「「吉井(彩)は少し黙ってろ」」
むう、と膨れる吉井をよそに、僕は一つため息をついた。
「だいたいそんなこと僕に了解とる必要なんてないだろ。むしろクラス代表に確認をとれよ。試召戦争は、両クラス代表の合意がないとそもそも開戦ができないはずだろ」
「お、よく知ってんじゃん。でも、そこは心配いらねぇよ」
「だって」と織田はクッキーを一つ頬張る。
「あたしがクラス代表だもん」
さいですか。
「あんたを呼んだのは、この試召戦争に協力してもうらうためだよ」
協力?
「他の生徒はいいのかよ」
試召戦争はクラス対抗戦だ。僕以外の生徒の協力も必要である。
「他はあほ過ぎて使えん。まぁ、駒として使い捨てるくらいだな。駒と議論することはない」
最悪の武将だな。
「あんたはそこそこ賢そうだから、作戦会議に参加してもらう」
「いや、断る」
「彩、秀吉、縛れ」
「「ほいさ」」
ほいさ、じゃねぇ!
と思ったや否や、既に僕は押し倒され、腕を縛り上げられていた。
「手慣れすぎだろ!」
「こんくらいデフォできるやろ」
そんなデフォルト設定があってたまるか!
「そうだよ。チーズフォンデュだよ!」
そして、それは意味がわからない。
「勝手にやってろ! 僕は勉強しなくちゃいけないんだ。来年の振り分け試験でAクラスに入るためにな。そんな戦争ゲームをして遊んでいる時間はねぇんだよ」
「言うに事欠いてお勉強かよ」
織田は「けっ」と吐き捨てた。
「現実見ろよ。おまえ、一年間、みっちり勉強してFクラスなんだぜ?」
「こ、これは実力じゃねぇ! 不測の事態があって……」
「腹下したんだろ」
「な!」
驚く僕をよそに、織田はつまらなそうに言ってのける。
「腹下して、試験を受けられなかったんだろ。知ってるよ」
な、何で知ってんだ?
前のクラスの生徒から聞いたのか?
「体調管理も能力の内だとか言うんだろうが、あれは僕にも理由がわからなくてだな」
「そんなこと言わねぇよ。不慮の事態ってのは起こるもんだ」
意外とものわかりのいい返答する織田だったが、「ただ」と口を開く。
「そんなもんなくても結局Aクラスにはなれなかった、だろ?」
「な、何を……」
僕が言いよどんでいると、織田は一枚紙をぺらっと出した。
一瞬、わからなかったが、それは成績表であった。一年の期末テストだ。名前のところには、宍戸鈴之介と書かれている。
「おまえ、それをどこで!」
「理数系はいいじゃん、でも文系がだめだな。総合点数、3005点。これじゃ、Aクラスには入れないな」
「それは試験の一ヶ月前の成績だ。僕は一ヶ月間、しっかりと勉強してだな」
「ちなみに今年のAクラスの最低点数は3500点だったけど、自信のほどは?」
「……余裕だよ」
「目が泳いでいるけど?」
「……虫が飛んでたんだよ」
「え! 鈴くん、何が飛んでたの? カブトムシ?」
「「……」」
僕と織田はどうやら初めて同調したらしく、小さくため息をつき、目を輝かせる吉井に笑いかけた。
「ヘラクレスだよ」
「あっちに飛んでいったから、追いかけたらどう?」
「わーい! ヘラクレス!」
「「しばらく戻ってくるなよー」」
教室のドアから飛び出ていった吉井の後ろ姿を見送った後、織田は秀吉の肩を叩き、「彩のお守りをしてくれ。しばらく戻ってくんな」と依頼した。
「おっけー」と手をふる秀吉を送り出してから、織田は腰に手をおき、一つ息を吐いてから僕の方に向き直った。
「とにかく、あんたは仮に試験を受けることができていても、Bクラス止まりだったわけ」
それこそやってみないとわからんじゃないか、と言い返したかったが、実際に数字を出されて僕は言いよどむ。
僕の反論がないのを見て、織田は気分良さそうに、「でも」と続けた。
「宍戸鈴之介、あんたは運がいい。試験を受けてBクラスに振り分けられていたら、Aクラスへの道は完全に閉ざされていた。けれど、あたしのFクラスに来たことで、可能性が出た。一発逆転、Aクラスへの道が!」
「おい、ちょっと待て」
Aクラスへの道?
「たしか試召戦争で得られるのは、相手の教室の設備一式だろ? クラスが代わるわけじゃない」
「いいじゃんか! 設備交換!」
織田は突然目をきらめかせて、うっとりと夢想し始めた。
「きれいなインテリア、ふかふかのソファ、空調完備、無料のドリンクバーまであるんだぜ。しかも目の前の巨大スクリーンでは、映画見放題、ゲームし放題だ。こんな天国は他にないだろ」
なるほど、この女の目的はAクラス設備らしい。たしかに彼女の言うことはわかる。ある程度リスクをとってでも取りに行きたい気持ちもわかる。まぁ、映画見放題、ゲームし放題は妄言だと思うが。
「言っておくが、僕はAクラスの設備が欲しいわけじゃないぜ?」
「は?」
織田はまるで毛虫を見るような視線を僕に向ける。
「じゃ、何でAクラスなんて目指していたわけ? まさか、島田葉月? うわっ、男はこれだから」
「ちげぇよ! 進学のためだよ!」
この女の口から島田葉月の名前が出てきたことを僕は意外に感じた。正直、性格やタイプはあまりに異なっており、交流があるとは思えない。
一年のとき、同じクラスだったのか?
「この学校は特殊なんだよ。Aクラスとそれ以外では、大学推薦の質も数もぜんぜん違うんだ。いいか、Aクラスに入るだけで、難関大学へのフリーパスが得られるんだぜ。言ってみれば、この振り分け試験は、大学受験と等しい」
「なんだよ、それ。だとしたら二年にAクラスになる意味ないじゃん」
「二年だろうと三年だろうと関係ないんだよ。もちろん三年のときにAクラスならば申し分ないが、二年でAクラス、三年でBクラスの場合でもほぼ同等の待遇が得られる」
「ふーん」
織田は興味なさそうに髪の毛先をくるりと巻いた。
「じゃ、それも条件に追加してやる」
「は?」
「勝利条件に追加してやるって言ってんの。そんくらい余裕だから」
何が余裕なのかわからない。
「よし、これであんたはあたしに協力するよな」
「いや……」
頭を抱える僕を畳み掛けるように、織田は続ける。
「Aクラスに勝って、あたしは大スクリーンを手に入れる。あんたは難関大学への推薦を手に入れる。利害の一致だ」
「そうなんだが……」
僕は頭をかいた。
「皮算用にもほどがある。おまえ、本当にAクラスに勝つつもりかよ。いったいどこから来るんだ、その自信は?」
「あたしだからだ!」
……。
「話にならねぇ」
「まぁ、言いたいことはわかる。勝ちへの根拠を示せってのなら、とりあえず一つ、今から見せてやるよ」
おおよそタイミングを理解していたのだろう。
織田が言い終わると、ちょうど教室のドアが開いた。
「ごめーん、遅れちゃって! 明日の授業の資料整理に時間かかっちゃって」
デジャヴだな、と僕はふと思った。
肩で息をして教室に入ってきた島田先生は、ふうと息を吐いた。その正面で織田は、得意気に僕の方を向く。
「これが根拠だ」
僕は首を傾げる。
「これが?」
「島田美波、この文月学園の卒業生。試召戦争でFクラスでありながら三年Aクラスに勝利した伝説の年の経験者だ」
「なんだって!?」
僕は驚いて島田先生の方を見やるが、「ほえ?」と惚けた顔を浮かべる彼女を改めて見て、いったい誰が? と怪訝に思わざるをえなかった。
そんな僕の不安をよそに、織田はない胸を張る。
「彼を知り己を知れば百戦殆うからず。情報を制する者が勝者となるのは世の常だ。ということで、これから島田先生による試召戦争の特別授業を始める!」
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