ジ・アビス・オブ・メモリーズ

@zumiharu79

ジ・アビス・オブ・メモリーズ

 俺は小さいころから、不思議な夢を見ることがある。見たことのない波止場に立っていて、何人もの水夫が手招きをしている。

「俺の船に乗れば千円で『奈落』まで案内してやるよ。」

「俺の船だったら、半分の五百円で案内するぜ、坊や。」

俺はただ立ち尽くすだけだった。彼らの言っていることが全く理解できずにいた。ここには用はない。その場を離れようとすると、夢から覚めるのだった。

 高校二年になったある日、親の脛をかじり続けるわけにはいかないと思い、コンビニのバイトを始めた。特に問題もなくバイト生活が始まり、一か月ほど働いていると、俺より先にバイトを始めていた同い年の舞と仲良くなっていた。彼女は俺のことを、下の名前である「将人」と呼んでいた。同じ学校ということもあって、二人で待ち合わせをしてバイト先に向かったり、そのまま自宅まで帰ったりしていた。

そんな生活が半年ほど続いて、夏休み前にはお互い恋に落ちていた。俺らはテストの成績を競ったり、部活の大会の戦績を自慢したり、映画を見に行ったりと、至って普通な、けれど幸せで充実した生活を送った。

 あっという間に高三になり、受験勉強一本となると、恋愛への比重は必然的に軽くなっていった。けれど舞との関係は続いていた。俺は早く受験が終わって舞とまた幸せな時間をたっぷり過ごしたかった。それは舞も同じであったであろうとおれは思っていた。

二人で勉強しようとすると、どうしても恋愛感情が勝ってしまうため、個人で勉強するようにしていた。その方が、お互いの身のためだと俺は考えた。幸い舞も俺の考えに賛同してくれたため、勉強はお互い順調に進んでいった。それぞれの志望校への対策を着々と進めていき、気付いた頃にはセンター試験前日になっていた。

その日の夜、俺はまたあの夢を見た。そういえば、舞と出会ってから一度も見ていなかった。

 大きなリュックサックを背負って、俺はあの波止場に立っていた。すると突然、見知らぬ男に話しかけられた

「お前、『思い出』を捨てに来たのかい。」

「…はい。」

自分でも気づかないうちにこう返事をしていた。

「なんだい、元気ないじゃないか。まあ安心しろ、捨てちまえばそれで終わりだ。」

中年の水夫に手を引かれ、彼の船に乗った。捨てるものなどあったろうか…。

「あそこまでは三十分くらいかかるから、荷物の整理を済ませとけ。タダで送ってやる。いいか、あそこはそんなに長くはいられねぇからな。チンタラしてると…いや、この話はやめた。」

「…あの、何か問題でも?」

「これは、あの波止場にいる水夫しか知らない話だ。お前には特別に教えてやる。あの奈落には、バクみてぇなでかい怪物がいる。あの怪物は、人間が捨てた『思い出』を喰いに来るのさ。だが、一度喰うと、もっと食べようと暴れ始める。そうなれば、波止場はめちゃくちゃに壊れちまう。だからいいか、絶対にチンタラするんじゃねぇぞ。」

リュックサックの中には、球状のクリスタルの様なものがぎっしり入っていた。覗いてみると、幼少期にいじめられたり、中学で初恋の相手に振られたり、そして舞とデートしたりと、いろいろな風景が見えた。自分の人生を客観的に振り返るのはとても不思議な気分だった。少し間をおいて、水夫が言った。

「お前、明日が人生の分岐点なんだろ。」

「え、なんで…」

「お前の顔を見れば一発さ。今まで何十人とお前みたいなやつを届けてきたんだ。」

微笑を浮かべて答える水夫の顔が、月明かりに映えて不気味だった。

「お前も、自分の心をかき乱すような『思い出』は捨てちまいな。」

「…。」

「なんだよ、捨てる勇気無いのか?あの波止場に来たのは、捨てたいからなんだろ?」

間違いなかった。俺は受験に集中するために舞への恋愛感情を抑えたかった。それでも舞の顔を何度も思い出してしまう。集中なんて出来っこなかった。消したかった。

「そうです…。」

「だろ、じゃあ早く箱に詰めちまいな。『迷い』ってのは、人間に与えられた有限な時間に『無駄』を生む。なんもいいことなんかない。するだけ損だ。」

俺は明日のため、自分の人生のために、舞との「思い出」を箱に詰めた。

目的地に着いたのだろうか、水夫が船を止めてこちらにやってきた。

「自分で決めたことだ、いいか、絶対に後悔するんじゃねぇぞ。」

「わかった。」

水夫は箱を閉めた。箱の隙間から光が漏れている。その箱を水夫が海へ放り投げる。キラキラと光るそれは、奈落へと姿を消していった。

「さあ、帰りな。」

水夫がそう言って手を三回叩くと、あっという間に俺は海にのまれた。不思議と息は苦しくなく、みるみる体を引かれていくと、あの波止場に打ちあがった。体は濡れていない。不思議だった。そして果てしない海を背に、涙をこらえてゆっくりとその場を去った。後悔ではなく、想像をはるかに上回る悲傷が俺を襲った。そして目を覚ますと、枕元が濡れていた。

 俺はセンター試験会場に着いた。正々堂々と、今までの努力の成果を発揮するだけだ。俺の頭の中はだいぶすっきりしていた。するとその時、後ろから面識のない女子に肩をたたかれた。

「将人、これから本番だね!今まで二人で頑張ったんだから、きっと志望校受かるよ。がんばろう!」

「え、ごめん…。君、誰?」

「またそうやってとぼけるんだから。あなたの彼女の舞ですよ~。」

「俺に彼女はいないよ?人違いじゃないかな…。」

すると突然、彼女は顔色を変えて怒鳴りつけた。

「何よ、人違いって!将人、正気なの?」

「え、いや、正気も何も…」

「受験に合格したいからって、私と縁を切りたいんでしょ?ひどいわ、そんな話。なんで今日に限って…。」

彼女は泣き出してしまい、俺のそばから離れていった。俺にはどうすることも出来なかった。彼女は一体…。

 受験戦争が終わり、卒業式を迎えた。友人との別れを惜しみつつ家に帰ると、着替えもせず寝てしまった。

「よお、終わったか。」

あの水夫だ。

「はい、お陰で合格できました。」

「まったく、照れること言いやがって。」

お互いに笑っていた。

「おっ、今日は一段と可愛い女の子が来た。さて、仕事だ。お前も帰りな。」

すると水夫は踵を返して持ち場に戻っていった。彼を目で追うと、視線の先に見たことのある横顔があった。きっと何か辛いことでもあったのだろう、大粒の涙を流しながら船に乗り込んでいった。

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