真心を込めて。
野田枝葉
夏の夜。
春はあけぼの、夏は夜、秋は夕暮れ、冬はつとめて。
「つとめてってなんですか。」
机に広げた教科書と問題集を見比べるように交互に頭が振られ、顔も上げずに縁側にいる自分の方へ真っ直ぐ声を投げかけてくる。
「早朝って意味だよ。」
納得したようにこくりと頷き、かすかに動くつむじを眺めていた自分へは目もくれずにペンを動かし始める。そっと風が吹いて吊るした風鈴がちりん、と鳴った。
慣れない畳へ正座する彼女に、足を崩していいよと声をかけるべきか、宿題を終わらせたいという彼女の集中を乱さないでおくべきか。
また涼しい風が吹いて、風鈴が揺れる。ふと明るくなった空を見上げると、雲がかかっていた見事な月が顔を覗かせた。
ちりんと鳴った鈴の音に、またあの子の方へと目を向けると、いつのまにかこちらを向いていた目と視線が合わさった。
「やっとこっちを見てくれたね。」
思わず微笑みながら、月が綺麗だよ、とこちらへ来るように誘った。
本当は正座が苦手で足が痺れていたり、宿題をする口実でしか先生である男の家に来れないと思っていたり、緊張してあまり顔を見れないのは全部お見通しだけれど。
真面目な年下の恋人へ素直に受け取って貰えない I love youを伝えるなら君を見守るよ、あとはいつも自分を見てください、かな。
「月の頃は更なり、だねぇ。」
夏の夜風に過ごしやすいね、と隣に座ったつむじを見下ろすと、ちらりとこちらを見上げ目を細めながら、
「私には少し眩しすぎます。」
でもつい見てしまいますけれど、とすぐにそっぽを向いて照れ隠しする彼女に、そう言えば教科書に夏目漱石も載っていたなと気づいた。
きっと真面目な彼女のことだから調べるうちにあの逸話も目にしたのだろうと、いつのまにか伝わっていたのかと少し照れてしまって、お互い寄り添って月を見上げた。
ちりんと可愛いらしく鳴る風鈴の音だけを夜空に響かせて。
真心を込めて。 野田枝葉 @1030chocolate
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