白黒のことば

日々ひなた

白黒のことば


 川橋。残り2分だ。何とか同点まで繋いでくれ。頼んだぞ」

「はい。分かってます。皆、とにかく前にボールを回して。確実にパスを繋いでいこう」

 7月17日の日曜日。少し早く蝉が鳴き始めた初夏。この日は私の住んでいる市で中学生の少年少女サッカーの大会が行われた。この試合は準決勝戦。私達の桜町FCが一点を追う状態で後半を迎えた。

 この試合は私が中学校生活で出場する最後の試合だ。それを思ってか監督も私をキャプテンに指名した。ベンチからは私に対しての応援が行われる。キャプテン、頑張れと。私に対してまるで運命を預けたように繰り返している。何度も何度も。


 遡ること三か月。

「次のキャプテンは川橋このりだ。川橋なら大丈夫だ。頼んだぞ」

 監督は無責任にもそう言って私に薄紫色のキャプテンバンドを渡した。

 私はキャプテンやらリーダーが好きではなかった。特に皆をまとめることが上手いわけでもなく他人より技術があるわけでもない。でもサッカーが嫌いという事でもないのでむしろ他人の指示に従ってプレイした方が楽と思っていたぐらいだ。

 でも三年生は私だけ。先輩たちはすでに引退している。そうなると自然に私にその役割が回ってきてしまう。

「はい。皆のリーダーとなれるよう精一杯頑張ります」

 そういって薄紫のそれを受け取った。他の後輩達も拍手をしながら頑張ってください、応援しています等と声援を送ってくれた。

 私は居心地が悪かった。別に声援がうれしくないわけではない。むしろ応援されているような気持ちがしてこれからもがんばろうと思える。ただ皆からの眼差しが嫌だった。私にきらきらした目や憧れの目が向けられる。そういう間違った目が向けられるからだ。


 私は小さい頃から体が弱かった。体も痩せていて体力もなかった。おかげで小学校の頃は学校も休みがちで体育の授業も見学が多かった。それを心配した父が私に体力作りのためスポーツを進めた。野球、バスケ、ラクロス、水泳、新体操。とりあえず父の進めるスポーツは一通り試してみたがどれも私にしっくりくるものが無く少しかじっただけで止めてしまった。それからしばらくスポーツは何もやらなかった。

 スポーツを止めてしばらく経ったある日、たまたまテレビを付けるとサッカーのJリーグの試合が放送されていた。それは私の知らないチームだったが何故かその試合に目が引かれた。

 お互いの選手が一つのボール目掛けてがむしゃらに走る、蹴る、止める。それをひたすら繰り返すだけの単純操作なのに何故かかっこいいと思った。

 それから私は父に相談し近所の少年サッカークラブに入れてもらった。最初は周囲は男子だらけで新しい環境に馴染めなかった。おまけに体力もなかったのでただ走ることさえ息が苦しくなって苦痛で仕方がなかった。ただボールを蹴るときは何よりも楽しかった。私は初心者だったから下手くそだったが思いっきりボールを蹴るという行動が何とも言えぬ感情の高ぶりを与えてくれた。例えるなら幼い私の全身を包んでいた目に見えないもやもやした鎧を一気に吹き飛ばすような不思議で心地よい感覚だった。

 そして続けること6年。昔と比べたら体も丈夫になり体力も技術も身についた。他人と比べるのは好きではないが正直な所特別上手なわけではない。普通の人から見れば多少は上手いかもしれないがチーム内ではいたって普通だ。むしろ私の後輩の方が優秀かもしれない。だがそんなことは気にならなかった。私はとにかく楽しむことだけを考えていた。


 しかしそのような感情もいつしか薄れていった。私と同じ学年には5人が所属していた。技術も私より上手く、しかし皆に優しい完璧な人達だった。だから私は後輩の面倒もまかせっきりでひたすらサッカーにのめり込めた。だが一人、また一人と辞めて行き気が付けば二人だけになっていた。

 そんな状況でも私は変わらなかった。結局自分の事しか考えられなかったのだ。そして私にとって最悪の事態が起こった。残っていた一人が事故に遭い辞めてしまったのだ。

 その結果私はキャプテンにならざるを得なかった。当時の私は最低だった。

 キャプテンになったということは当然皆を引っ張っていくという責任も生まれる。そしてチームを勝利に導かなくてはならない。次第に練習も厳しいものへなっていた。私は勝ちを目指すだけのロボットになっていたのだ。


「前へ。パス上げて」

 私は声を上げ前線に飛び出した。ただがむしゃらに前だけを向いて走る。前にはディフェンス。後ろには味方がパスを出そうとしている。それでも走る。斜め前に競り出てボールを受け取る。ゴールはフリー。キーパーは反応できていない。

 私は全身全霊の力を込めてボールの腹を蹴り込む。空気を叩く音が響きバスッという鋭い音がゴールに突き刺さる。無機質な笛の音が鳴り響いた。

「やった。これで同点だ」

 私は幸せな気持ちとやり遂げた達成感を持って自分の陣地へ走った。これこそが私の目的。勝つために必要不可欠な行為であると信じてやまなかった私には何よりの喜びであった。

 しかし敵チームはボールをセンターサークルへ移動させようとはせず私がシュートした場所にボールを置いた。

「え」

 私は目を疑った。確かにゴールは決まった。だが副審は不吉な旗を掲げていた。オフサイドだ。私はゴールを決めようとするあまり敵のディフェンスを突破してボールを受け取ってしまったのだ。いつもの練習のように冷静に考えればこんな失敗はしないだろう。勝ちたいという強い気持ちが気が付かないうちに私を前に進ませていたのかもしれない。だがその気持ちは空回りしてしまった。

「先輩。まだ終わってませんよ。まだ……」

「わかってる。早くしないと負けちゃう」

 この時の私に後輩の声は届いていなかった。私の心には何も響いてはこなかった。自分が冷えていくのを感じていた。同時に今までの行動を挽回しようとする焦燥感に追われていた。しかし焦る心とは反対に試合は動くことは無かった。


「あれ?負けちゃったの……」

 試合が終わったことに気が付いたのは選手が真ん中に集まり始めてからだった。私の耳にホイッスルは聞こえなかった。ただ何もない音がグラウンドを漂っていた。こうして私の夏は無情にも終わってしまった。私の今までは終わった。


「このりちゃんお疲れ様」

 試合が終わり落ち込んでいる私に声をかけてくれたのは6年間一緒にサッカーをしてきた、そして事故で怪我をして辞めてしまった優ちゃんだった。

「優ちゃん見に来てたんだ。足の怪我はもう大丈夫なの」

「うん。昨日病院に行ったら日常生活に支障はないって」

 優ちゃんはサッカーを辞める前と変わらない可愛い顔で微笑んだ。この日の私にはその微笑みが酷く冷酷なものに見えてならなかった。

「良かった。今日はごめんね」

「何で謝ってるの」

「だって試合に勝ってたらまた一緒にサッカーが出来たかもしれないんだよ?これが私の最後の試合だったんだし」

 しかし彼女はポツリと言った。

「ごめんね。私はもうサッカーは出来ないんだって」

「……」

 私は何も言えなかった。ごめんね、気を付けて、なんて気の利く言葉も出なかった。何故言えなかったのか理由は私にも分からなかった。ただ私がどれだけ最低な言葉を放ったのかだけはかろうじて理解することが出来た。

「あ、あのね」

「何も言わなくていいよ。だって誰も悪くないんだもん。事故はしょうがないよ」

「だったら絶対勝ちたかった。やっぱり最後は優ちゃんに桜町FCの勝っている所を見せたかったよ」

 私は声が上手く出なかった。悔しい、悲しい、苦しい。そんな今まで後輩の前では見せまいと思っていた感情が堰を切ったように溢れてきたのだ。

「ありがとうこのりちゃん。でも勝ち負けってそんなに大切なのかな?」

 優ちゃんは不思議そうな顔で私に尋ねてきた。

「当たり前だよ。だって勝てなきゃダメじゃん」

「私はそうは思わないけどな」

 彼女は当然のように言った。

「それに負けて今までの努力が無駄になっちゃったら悲しいなって思って」

「え、なんで」

「だって私と一緒に過ごした時間が無駄って言われちゃうとね」

 その時私は気付いた。今の私は目的を見失ったまま空回りし続けてきたことを。それなのにその事実を素直に認めることが出来なかった。ここで認めてしまえばかろうじて私を繋ぎとめてきた大切な何かが崩れてしまうような気がしてならなかったからだ。

「優ちゃんには分かんないよ。だって私今まで勝つことを目指して頑張ってきたんだもん」

「そっか、そうだよね。優ちゃんも頑張ってきたんだもんね。私の方こそ分かってあげられなくてごめん。じゃあ私帰るね。お疲れ様」

 彼女は消え入りそうな声で呟いた。

「あっ……うん、じゃあね」

 私はこの時でさえ自分に正直にはなれなかった。

 しかし後で考えてみるとおかしかったのは私だったと気付いた。次第に分かっていたのに認めなかった自分に腹が立った。

 謝りたい。ただ謝りたかった。

 しかし優ちゃんとはもう会うことは無かった。いや、会えなかった。もう二度と会うことは叶わない。私では行けない遠い場所へ行ってしまったのだ。


 ああそうだ。

 あれは夏が深くなり始めた日だった。あの時のことはいまだに鮮明に覚えている。きっと私の試合は終わっていない。だから私は今も答えを求め続けているのだ。答えの出ない自問自答を。

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