4.3

 石郷岡さんは、僕の顔を見る。そこに込められた意図が僕には分からない。

心底、軽蔑されたのかも知れない。自分の意図通りの結論を得られたことを、喜んでいるのかもしれない。

その無表情からは何も分からない。

「残念だよ、本当に」

 吐出される言葉は辛辣だ。何か僕に期待してたのかも知れない。だが、僕は元々こういう人間だ。

「出来れば、教えてくれない?その、動機をさ」

「ええ、別に構いませんよ」

 僕は特別でもないように答える。正直なところ、少し気が楽になったのだ。それは罪悪感ではなくて、石郷岡さんに嘘を付くことの面倒さに嫌気が差していたのだ。

結局、この鋭い女性には見抜かれたのだが。

「僕は、ただ岩永あかねも橘深雪も嫌いなだけですよ。初めに会った時から」

「ねえ」

 石郷岡さんは低い声で僕を遮った。

「そんな適当な嘘、私は聞きたくないわ。初めに言ったよね、すべて話せって」

 面倒だから適当な嘘を言ったが、通じなかった。きっと見破った理由は、直感だろうが。

「分かりましたよ。正直に話します」

 ここから先は、感情の話だ。何故、出水洋世が襲っている姿を見逃したのか。

「実は最近、間瀬と別れまして」

 僕は恥ずかしながら、プライベートな事情を話す。石郷岡さんは黙っているが、一瞬、眉を顰めたのを見逃さない。

「間瀬から告白されて付き合い始めたんです。半年だったんですけど、間瀬は僕を想ってくれました。けれど、僕は間瀬のことを想ってなかったのかもしれない。

そして、気が付いたんです。僕は今まで、誰のことも想ってなかった」

「ねえ。能村君の恋愛事情に興味はないんだけど」

「事件について知りたいなら、僕の恋愛事情について知ってもらわないと」

 石郷岡さんは不満そうな表情で僕を見る。もっともな反応だ。だが、ここから話をしないと理解はしてもらえない。

「間瀬に言われたんです。『あなた、一度も私を抱かなかったね』って。間瀬のことを抱くなんて、僕にはそういう考えがなかったんですよね。

それどころか、僕は今までそういうことに一人でも臨んだことがなかった」

 それはきっと、僕のそういうところをおねえちゃんが持っていったからだ。愛するという概念。きっと、罰が下ったんだと思ってる。

「女の裸とか動画とか見ても反応しないんですよね。触ろうと、何しようと。僕はそういうもんだと思ってました。でも普通の男って違うらしいですね。

好きな人の前とか、自然と反応するらしいんですよね」

 どうやっても反応しない僕自身をいじる間瀬に、僕はなんて声をかければよかったんだろう。今日は疲れてるんだ。君に魅力が無いわけじゃないよ。

ただ、僕がそういう奴なんだ。

「間瀬に、申し訳なくて、済まなくて。僕は間瀬に感謝してるんです。僕は間瀬が好きなんです。なのに、僕の身体はそれに付いて行かない。精神に、身体は追随する。

これは僕の信奉する言葉です。身体が間瀬を、誰も愛そうとしないのならば、僕の精神は愛するという想いがないということです。

それが僕は苦しくて、間瀬も悩んで、言葉が交わせなくなりました。そして気まずさから抜け出せないまま、別れました」

 ねえ、ちょっと距離を置こう。ごめん、僕のせいで。そんなことないよ。ごめん。愛してるよ。

「それで?前置きが長いよ」

 石郷岡さんはあくまで自分のペースを崩さない。僕の恋愛事情に興味はないか。

「文緒ちゃんとうまく行かなかったのは、あとで慰めてあげる。けどね、今は違う時間。犯罪者には優しくしないよ」

「ええ。話しますよ。ここからが、本題です。

 そんな中、僕は唯一自身が反応した瞬間に出会った。いや、反応どころじゃなかった。それは、出水洋世が橘深雪の首を締めている瞬間です。

僕の身体はその瞬間、確かに愛を行ったのです」

 石郷岡さんは無表情を崩さない。僕も話を続ける。

「けれど、首を締める瞬間に反応するなんて、普通じゃない。これでは、僕は何に反応するのか分からない。だから、僕は調べることにしたのです。

僕が何に反応するのか。どうすればそれが制御出来るのか」

「だから、だから出水洋世を見逃した?」

「そうです。彼に頼んだんです、橘深雪を襲ったのと同様に、岩永あかねも襲ってくれと!そして僕がそのためにあらゆる協力をしようと!!

僕はそれで僕が何に反応するか、実験することが出来る。反応したのなら、僕にとって首を締めるということがトリガーになっているのです。

反応しないのであれば、橘深雪が襲われたあの一瞬。他の何かにトリガーが隠れていたということになる。僕は、僕自身を図るために、まだ試行錯誤が必要だった。

あのフード男が誰だとか、何が目的だとか、心底どうでもよかった。ただ、僕は、僕を、知りたかった」

「岩永さんも襲わせようとしたの?」

「ええ。ですが、僕はその時点では岩永あかねには別の意味の興味もありました。『青い一日』の内容によっては、僕は彼女と仲良くなれたかもしれない。

そう信じてたんです。けれで、それは違った。残念ながら」

 『青い一日』を読んだ後、僕は岩永あかねへの興味を失った。むしろ、期待を裏切られたような、そんな苛立ちの様な感情を抱いた。

だから、フード男にくれてやったのだ。あいつは岩永あかねが大学に引きこもり、手が出せなくなるとわかると、面白いように狼狽した。

目的のために暴力に訴えるような人種だ。先のことなど考えていない、短慮なのだ。だから、僕が協力すると言ったら、話も聞かずに快諾したのだ。

大学でことを始めるために、そいつに僕の学生証を渡した。もっとも、何枚かあるうちの一枚だが。あとは、どこに、何時に通るのかを指示するだけで十分。

一人で外に出た岩永あかねが運悪くフード男に襲われる。最悪の自体を避けるために、確保役の間瀬に連絡することを怠らない。

「ねえ、聞いてもいい?」

 石郷岡さんは無表情を崩さず、授業中の生徒の様に挙手をした。

「どうぞ?」

「どうも。能村君は結局、岩永さんをかばったんだよね。あれはなんで?」

 痛いところを点かれた。僕は直前まで、本当に岩永あかねを助ける気などなかったのだ。あの三号館の暗い廊下で、襲われる姿を見るつもりだったのだ。

「なぜか、身体がそう動いたんです。自然に、本当に僕の意に反してフード男の進路を塞いで、戦うような姿勢をとってしまいました。だからあいつは僕が裏切ったのだと思った。

だから、執拗に攻撃してきたんだと思ってます」

 僕はまだ痛みが残る喉を擦る。喋り過ぎた。だが、言いたいことはもう無いと言えるくらい話した。これで伝わらないのなら、しょうがない。

「わかったよ。うん」

 石郷岡さんは噛みしめる様にうんうんと頷きながら、僕の話の感想を呟いた。

「私、やっぱり能村君のことが嫌いよ」


 石郷岡さんは冗談という風でもなく、気軽に映画の感想を言うかのように言った。

「なんて取り繕おうとも、やっぱり君のしたことは許されない犯罪だと思う。それにその理由に、自分の身体的ビハインドを持ち出すのも気に入らない。

言い訳がましくて許せない。加えて、私達の仕事を平気で投げ出して私欲を優先したのも気に入らない。下劣としか言えない」

 そこで石郷岡さんは息継ぎをする。目線は僕から逸らさない。それには、淡々とした冷たい感情が篭っている。

「それにね。自分の身体の事情に、文緒ちゃんを出したことが気に入らない。なんでこんなのを好きになったのかしら。私は男性の理想が高くてね。

軟弱で、彼女を言い訳のダシにするような奴、この世で一番軽蔑する人格だわ。虫唾が走る」

 けどね、と石郷岡さんは続ける。

「岩永さんを守ったこと。ギリギリだけど、自分で作った脅威からだけれど、そこだけは評価してあげる。

その一点に免じて、大嫌いで軽蔑している能村くんに、今まで通り接してあげる」

 石郷岡さんはそうやって言い切ると、僕からようやく目を離した。その瞬間、身体を覆っていたものが取り除かれるような、爽快さのようなものが訪れた。

「ありがとうございます」

「何を言ってるの?」

「なんとなく、僕はようやって言って貰いたかったんです」

 それは石郷岡さんにではなくて、間瀬に、だ。別れたはずなのに、危険な仕事にも赴いて、毎日見舞いに来て。

そんな甲斐甲斐しい彼女に、軽蔑され嫌われたい。そうなれば、間瀬が僕から離れるだろう。そして、僕のような人間とは違う、ちゃんと彼女の感情に答える人間と一緒になるはずだ。

そうすれば、そうすれば僕は僕の探求をやめる。追い求めることに、意味が無くなるから。けれど間瀬が僕を望むのであれば、それに答えよう。

答えるために、探求を続けよう。

「石郷岡さん、この依頼が完遂したときの報酬、いただけますか?」

 結末がどうであれ、石郷岡さんの依頼は僕の助力によって完遂した。ならばその報酬を求めるのは妥当だろう。

「いいわ。ほら、受け取りなよ」

 石郷岡さんは鞄から封筒を出して僕に渡す。だがそれを僕は手で辞退を示す。

「お金よりも、一つ願いを聞いて欲しいのです」

 そして僕は石郷岡さんに願いを伝える。僕にとって、極めて重要な願いだ。それを聞いた石郷岡さんは、ようやく微笑んだ。

「嫌よ。慰める気も失せたわ。変態」

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