4.2

「確かに僕は、石郷岡さんに作木光昭からの依頼について黙ってました。それに隠していることも一杯あります。話しますから、手を離してくださいよ」

 テーブルで仁王立ちする石郷岡さんに、僕は指摘を認める。素直になった僕の態度に満足したのか、石郷岡さんは僕から手を話す。

バランスを崩しながらソファに倒れこむ。石郷岡さんはそんな僕を一瞥すらせず、乱雑に散らかるテーブルの上を雑誌や書類を踏みつけながら悠然と歩き、対面のソファに座った。

「おら、話せよ」

「なんか急にキャラクタが変わってませんか……」

「どうでもいいだろ。さあ」

「はあ」

 石郷岡さんの態度がおかしいのはともかく、僕はどう話そうかと考える。石郷岡さんは暗躍だなんだと言ったが、僕は自分が非難されるようなことをしたとは思っていない。

ただ、依頼を遂行しただけだ。

「伴文明って、覚えてます?」

 僕は多少唐突であるとは思ったが、石郷岡さんに質問をぶつける。

「え?だれ?」

「伴文明。出水博信さんが言っていたでしょう。僕らのところに依頼を持っていくよう、後押ししたって」

 『青い一日』に否定的で、積極的に活動していた人物。

「えっと、突然居なくなったんだっけ」

「ええ、そうです。出水博信さんに手紙だけだしてね。作木光昭が僕に依頼したのは、伴文明を排除することです。

 伴文明は活動的な人物でした。それこそ、岩永さんが何度にべ無く対応してもしつこく大学にやってきたくらい。

岩永さんは当初はしつこいくらいにしか考えていませんでしたが、連日訪れる伴文明への対応に、見るからに疲弊していったそうです」

「その姿を見かねて、作木くんが依頼を?」

「概ねそのとおりです。きっかけは、伴文明が岩永さんの実家に電話を掛けたたことです。どうにかしないと、厄介なことになる。最悪、身の危険が生じかねないと」

「だから、君が排除したのね。依頼通りに」

 石郷岡さんの問に、僕は首を縦に振る。

「けれど、そこまで荒っぽいことはしてないです。作木からの依頼も、『この依頼について他言しない』とありまして。岩永さん達にも知られたくなかったようです」

「それで、君は何をやったの?」

「単純ですよ。伴に作木を殴らせたんです。その様子を録画して、これを警察に持って行かれたくなかったら、活動を自粛しろって」

 その僕の言葉を聞いた石郷岡さんは、苦虫を噛み潰しような、不愉快極まるといった顔になった。

「そんな、そんな」

「これが一番楽なんですよ。実際、伴には効果覿面でしたね。作木にありったけ伴を挑発させたんです。『お前の取材が間違いだって言われるのが怖いのか』

『俺達の邪魔をして、手柄を立てたら古巣の出版社に戻れると思ったか?』『首になった人間になんて、振り向いちゃくれないぜ』」

 僕は作木光昭から依頼を受けてすぐ、伴文明の経歴を洗った。分かったのは、岩永あかねを犯人扱いし、彼女を傷つけた雑誌の記者の一人が伴文明だったことだ。

大手の雑誌記者を務め、大きな事件の取材を行う花形のようなポジションだったそうだ。真実よりも読者受けを意識しすぎたきらいがあったそうだが。

 そして伴文明はその会社を退社し、現在は全く違う職業で働いている。僕の調査能力ではこれ以上分からなかったが、想像は出来る。

何か理由があり、退職を余儀なくされた。そして、追い打ちを掛けるように、岩永あかね達は自分を非難する本を出そうとしている。

故に、それを止めるために彼なりの行動をとった。

「世間体を気にしてる人間だから、すぐに転びましたよ」

「……もっといいやり方があったんじゃないの?」

「あったかも知れないですね。でも、僕にはこんな方法しか思いつかないのですよ」

 石郷岡さんなら、どうしただろうか。伴文明が納得するまで話し合いをしたのだろうか。僕には興味がない方法だ。だがきっと、僕のやり方を知った時、石郷岡さんは僕を軽蔑する。

それが嫌で、僕は契約に追記したのだ。僕が依頼を遂行したことを、誰にも話さない。結局、作木光昭は全く守る気などなかったのだが。

「方法はともかく、伴はこれで大学に来なくなりました。それ以外の活動も収まりました。僕の依頼はこれで完了したのです」

 実際のところは、『青い一日』が刊行されるまで念の為、依頼は継続するということになった。

「だから、石郷岡さんを邪魔するようなことはしてませんよ。僕の隠し事はこれだけですよ」

「それは違う」

 僕が話を切り上げようとしたところで、石郷岡さんはそれを拒否した。

「能村くん。まだあるでしょう。私に隠していることが」

「ありませんよ。もう何も」

 石郷岡さんは僕のその態度を見て、また怒りの顔を出した。また飛びかかられるかもしれない、そう思うと石郷岡さんは大きくため息をした。

大きく吐出された息に混じってきっと怒りも出て行ったのだろう、元の無表情に戻る。

「分かった。じゃあ私が追求するわ。橘深雪の事件で、腑に落ちないことがある」


 岩永あかね達の二つ目の事件。僕らが巻き込まれた一番初めの事件である橘深雪の事件。

「あの事件で、何が疑問なのですか?」

「それを説明する前に、あの事件を時系列で確認させてくれる?」

 あの事件、僕と橘深雪がたまたま出会ってから僕が犯人こと出水洋世に気絶させられるまで。それを振り返る。

「まず僕が二十時頃に橘さんと駅前で会いました。そして、大体二十三時頃まで駅から少し離れた居酒屋で飲んでました。

その後、橘さんの部屋に移動して少し喋ってました。で、二時過ぎ頃に僕がエントランスホールに降りました。

それから少しして、出水洋世の犯行を目撃して、殴られて気絶しました」

 僕の事件のあらましを聞いた石郷岡さんは小さな声でやっぱり、と言った。

「じゃあ、あなたが気絶したのは三時くらいってことね」

「そうなりますね」

「もうひとつ確認。これは能村くんというか、出水洋世に聞いたほうがいいんだけど」

 石郷岡さんは一拍の間を置く。

「犯人の目的は、岩永さん達の原稿を確かめることだったのよね」

 確かに僕は岩永あかねの追求から逃れるために、犯人の目的を橘深雪の部屋に用があるとした。

実際に、原稿を奪うなり、何なりの目的があったのだろうと思っている。

「出水洋世は正直、あまり賢いタイプじゃない。あの本の原稿を紙で保存してると思ったのかもね」

 僕も賢いタイプじゃないな。途中で気が付いただけ多少ましかもしれない。

「そして、犯人は岩永さん達が来るまで、橘さんの部屋を探索した。それと、岩永さんと作木君が来たのが何時頃?」

「かなり早い時間でしたね。六時とか。三重かどこかに出かける予定だった言っていた気がします」

 その時間に僕は作木光昭に怒鳴られて起こされたのだから、はっきり覚えている。

「じゃあ六時ってことにしましょう。じゃあ最後、橘さんの部屋はどのくらい広い?」

 なんとなく、僕は詰まされた様な気持ちになる。

「普通より、ちょっと広いワンルームですね」

 それを聞いた石郷岡さんは、やっぱりねと小さく答えた。

「犯人は橘深雪の部屋を探索するために、能村くんを襲った三時から岩永さん達が来る六時までの時間があった。賞味三時間くらいよね。

それだけの時間があれば、ワンルームから原稿一つを探すなんて十分じゃない?」

「さあ?僕は家探しなんて、したことないですし」

「加えて言うならね」

 僕の言うことは無視された。だが、石郷岡さんは僕から目を逸らさない。

「岩永さん達が橘さんの部屋に入った時、部屋はそんなに荒れていなかった。これは犯人がまだ収納の中を探していないことの証左よ。

もし探していたとしたら、能村くんが言っていたように、部屋が大荒れになっているだろうからね。ここまではいい?」

「ただ、出水洋世が部屋を探すのに手間取っただけじゃないですか?」

「否定はしないけど、あんまり自然じゃないよね」

「じゃあ、何が自然なんですか」

「あの夜、犯人の目的は原稿だった。けれど、その場に居た人間に、原稿がないことを教えられた。そして、その共犯者の手によって、犯人は逃された」

 僕は何も答えない。

「出水洋世が橘さんの部屋から逃げたのは、あなたが手助けしたからよね、能村くん?」

「ひどいですね。僕を疑うなんて」

「状況的に、それが一番しっくりくるのよ。あなたがあの夜どこまで計画したのか分からないけれど、少なくとも協力はしてる」

 石郷岡さんは断定した。だが簡単に受け入れるわけには行かない。僕は反論する。

「僕が協力した証拠でもあるのですか?」

「あの夜、仮に出水洋世がそのまま逃げたとしたら、どうなっていたかしら。きっと、岩永さん達が朝にあなたと橘さんを見つけるわね。

そして、岩永さん達はあなたを犯人扱いするでしょう。実際にされたみたいに」

「そうでしょうね」

「実際は、能村くんの推理通り、病院に行っている間に犯人は部屋を荒らして出て行った。けれど、犯人が夜のうちに、そのまま逃げていたら?

きっと、もっと面倒なことになっていたでしょうね。岩永あかねは警察を意地でも呼ばない。あなたは変な宣誓書にサインさせられたんじゃない?

橘さんを襲った犯人として」

「さあ、どうでしょう。現実は別でしょう」

「別にしたのでしょう?面倒な事態を避けるために。それ以外の目的もあったのでしょうけど」

 僕は石郷岡さんの説明のあらを探そうとしたが、やめた。きっと彼女の話にはそんなものは見つからないだろうし、何より、僕がもう降参に近い気持ちになっているのだ。

「あなたはあの夜、橘さんを襲った出水洋世をどうやってか懐柔した。そして、あなたが有利になるように、一晩中、橘さんの部屋に隠れさせた。

あなたが病院に行っている間に、部屋を荒らして出て行くように指示もしてね」

「買いかぶり過ぎですね。僕はそんな機転、効かないですよ」

「自信を持っていいよ。君は犯罪者としてセンスがある」

 石郷岡さんはあくまで僕が共犯者であるようなものいいだ。

「証拠はあるんですか?そこまで言うなら」

 石郷岡さんは動じない。ゆっくりとした口調で、話し始めた。

「あるとは言わないわ。でも、教えて欲しい。だからこそ、はっきりと教えて欲しい。出水洋世は、一晩中、どこに隠れていたのかしら?」

 橘深雪の部屋は大学生の一人暮らしにしては上等なマンションであるが、一般的な一人暮らしの部屋の水準を大きく超えるわけではない。

つまり、ワンルームにユニットバス。それに小さなキッチンがあるだけだ。

「あなたが朝に作木君に起こされてから、ワンルームを出て、顔を洗ったのよね?洗面台はユニットバスの中。部屋には岩永さんがいた。

一体、どこに隠れていたのかしら?」

「さあ?それこそ出水洋世に聞けばいいじゃないですか」

「ここのところは、全然答えないのよ。橘さんの部屋の間取りを考えたら、ユニットバスしかありえない。そしてそこに入ったのは能村君だけ。

君が共犯者でないと、考えられない」

 僕は何も言わない。

「君たちが病院から帰ってから、橘さんの部屋が荒らされていた。そして部屋には鍵が掛かっていた。あの部屋には誰かが隠れていたことは確かよ。

あなたの推理通り。だからこそ、あなたは答えなくちゃいけない。出水洋世はあの夜、誰にも見つからずにどこにいたのか。

これに答えられないのならば、あなたが共犯者であるということを認めることに等しい」

 暴論だ。と、そう答えることは簡単だ。だが、僕は意を決し、口を開く。

「ええ、出水洋世を匿ったのは僕です。そして、彼に岩永あかねを襲わせたのも、僕です」

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