4.1
すべてが一見落着したが、僕の喉の痛みはしばらく治らなかった。当然、入院を余儀なくされ、しばらくの間、ベッドの上から降りることが出来ない不自由を満喫した。
一週間の入院の間、見舞いに来たのは、僕が殴られる様を間近に見ていた間瀬だけだ。
「結局、最後は身体を張った解決ね」
「吉成は運動能力ないんだから、無理しちゃだめでしょ」
と、居てくれる間、ひっきりなしに説教を貰った。
石郷岡さんは忙しいらしく、入院日に『お疲れ様』とだけメールをくれただけだ。間瀬は甲斐甲斐しく毎日顔を出してくれた。
「やっぱり、私が必要なのよ」
「そうかもね」
僕は結局、岩永あかね達を襲った犯人が誰なんか、分からず仕舞いだった。石郷岡さんがそつなく調べてくれると信じているが、本人が来てくれない以上、確かめる術がない。
「吉成、何がしたかったの?」
「なんだろうなあ」
そんな中身のない反省をしながら、僕は間瀬に介護を受けつつ退院した。
その足で向かうところは一つだ。吊院探偵事務所では石郷岡さんが一人でノートパソコンの画面を覗いている。今日は定位置ではなく、テーブルの側のソファに座っている。
促される様に、テーブルを挟み、向かい合わせで座る。この日の石郷岡さんは、ラフなシャツ姿だ。
「今日、仕事はなしなんですか?」
「そうよ。能村君がベッドの上に居る間、頑張ってたからね」
そういう石郷岡さんは確かに疲れてそうだ。今日も、僕が退院でなければ事務所に来なかったのかも知れない。
だが、お疲れの石郷岡さんに気遣うことなく、聞きたいことを尋ねる。事件の顛末について。
「あの日、岩永あかねを襲おうとしたフード男は誰だったんですか?」
挨拶もそこそこに僕はずっと気になっていたことを尋ねる。あいつは誰だったのか。
「彼は出水洋世よ。私の調査対象だったね」
彼が出水博信の孫の、出水洋世か。これで疑問は一つ解決した。
「私が出水洋世を調査しているうちに分かったのは、彼がある日を境にほとんど会社にも行かなくなっていたってことよ」
そして察しが付く。そのある日というのはきっと、橘深雪に関係がある。
「彼が会社に行けなくなった理由である日。それが何なのか調べるのが私の依頼。で、調べるとその日って、橘深雪さんがインタビューをした日だった」
僕らの予想は的中していた。
「橘深雪のインタビューで、何か感じるところがあったみたい」
なんだか断片的な情報だ。それは石郷岡さんが出水洋世のことを理解出来なかったからだろう。出水洋世は弱い人間だ。きっと、石郷岡さんの様に強い人間には、理解出来ないくらい。
「出水博信さんが言っていたんだけどさ。孫の洋世はまだ、両親が居なくなったことを受け入れていないのかもしれないって」
彼は橘深雪のインタビューで、眠らせていた残酷な記憶が蘇ったのだろう。それはきっと、岩永あかねのものと一緒だ。
心ない周りの人間によって、被害者でありながら非難に晒された岩永あかね。
「出水洋世の顔ってテレビで見たこと会ったわ。まだ彼が小学生だったけど。事件について色々聞かれてた」
出水洋世は両親の死を、周りの人間に追求されたのだ。それが、幼い彼の心をどれだけ傷つけたのだろう。その記憶を、出水洋世は眠らせたのだ。
だが、それだけなら、トラウマのフラッシュバックで済む。だが、出水洋世は気が付いたのだ。
『青い一日』が刊行されることは、自分のトラウマが店に並ぶということを。そして世間で話題にでもなったら、事件の記憶は眠らせることが出来ない。ずっと苦しみ続ける。
精神に、身体は追随する。出水洋世は、本能でその事実に気が付いた。そしてその苦しみを排除するために、身体が自然と行動を起こした。彼の身体が取り得る、最善で最短な方法を。
「『絶対に本は出させない』。これが、岩永あかね達を襲おうとした理由ね」
シンプルな理由だ。だからこそ、交渉の余地はない。出水洋世が仮に理性的に岩永あかね達と話し合いを行ったとしても、互いの納得がいく結論は出ないだろう。
同じ事件で苦しんだはずの人間同士が傷付け合う。こんなに皮肉なことがあるのだろうか。
「それで、当の本人は今どこに?」
「出水博信さんのところ。岩永あかね達は被害届を出さないらしいわ。彼らの間でどんな話し合いが取り持たれたのかは知らない。でも、当人達の間で決めたことならいいんじゃない」
言うまでもなく、僕らの様な外野が、当人同士の決め事に口を挟む権利はない。僕は出水洋世のせいで大怪我をしたわけだが、そうであってもだ。
危険が付きものであることは初めから知ってたはずだ。後悔はない。
「ところで私、聞きたいことがあるんだけど」
石郷岡さんは僕に顔を近づける。大きな瞳だ。すべてが見透かされてそうな。
「君は一体この事件で、どれだけ暗躍していたのかな?」
「一体何の話でしょう」
僕は石郷岡さんから目を背け、ソファに深く座り直した。その偉そうな、もったいぶった態度を気に入らなかったのだろう。石郷岡さんは僕の顔を睨む。
「今回の事件、被害者は三人いるわ。岩永あかね、橘深雪、そして作木光昭」
「そうですね」
時系列順に考えれば、僕が石郷岡さんを手伝い始める前に、作木光昭が襲われている。そして僕の目の前で橘深雪が、岩永あかねが大学で襲われた。
「出水洋世はね、橘深雪と岩永あかねについては認めけれど、作木光昭は襲っていないと言ってるわ」
「そうなのですか。すべての事件が出水洋世の犯行だったと思っていました」
じゃあ作木光昭を襲った犯人はまだ特定できていないのか。
「私は出水洋世と直接交渉したのよ。岩永あかね達が被害届を出さないから、すべてを話すことって。彼は、神に誓って作木光昭を襲ってないと言っている。
ここまではまだいいわ。だけど、作木光昭は、『犯人を探さなくていい』と言ってる。これってすごく怪しくない?」
「そうですか?作木光昭については、僕らは調査する義理はないでしょう。本人も気にしないって言ってますし」
「そうじゃない。普通、これだけの危機に襲われた後に、自分を襲った犯人を放置なんてあり得る?」
「さあ?そういう精神構造なんじゃないですか?」
逃げ口上を嘯く僕を、石郷岡さんは再度睨む。そして乱暴な手つきで鞄を漁り、一枚の紙をテーブルに置いた。
「これ。君と作木光昭との契約書の写し。内容は簡潔に言えば、『青い一日』刊行の邪魔をする障害を排除すること」
「何故、持っているんですか」
僕らは普段、依頼人と契約すると、契約書を作成する。そしてその原本を吊院さんが金庫に管理し、依頼人と僕ら担当はその写しを持つ。
だから、石郷岡さんが僕と作木光昭との間に交わした契約を知ることは無いはずだ。
「作木が私に寄越したのよ。『能村によろしく。これはもういらねえ』だって」
それはもう契約が完了したということなのだろう。だが、最悪な人に最悪なタイミングでやってくれたものだ。
「能村君、私が岩永あかね達の刊行を邪魔するという仕事の手伝いをする傍ら、この契約を履行してたの?やってくれるじゃない」
石郷岡さんの担当する依頼は、『青い一日』の刊行を阻止すること。そして僕の担当したいた依頼は、『青い一日』の刊行を邪魔するものを排除すること。
つまり、僕と石郷岡さんはお互い潰し合う依頼を受け合っていたのだ。
「この依頼の契約日は、作木光昭が襲われるよりも前の日よ。私の勘だけどね、あなたは作木光昭の事件に絡んでいる」
僕は何も返事をしない。それはどう答えても石郷岡さんの機嫌を損ねることになるからだ。既に最悪に近い状態だと思うが。
そんな僕に業を煮やしたのか、石郷岡さんは彼女の座るソファから立ち上がり、僕の目の前までひとっ飛びした。
石郷岡さんは僕との間にあるテーブルの上に立ち、僕を見下ろしている。呆然とする僕の胸ぐらを掴み上げ、叫んだ。
「お前がやったことを、すべて話せ!」
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