3.6

 僕はその言葉に耐えられなかった。まるで僕そのものが笑われたような、そんな屈辱を感じたからだ。

「友人を失ったことは悲しいけど、私にとって大事なのは今の友人よ」

 そんな言葉で片付くほど軽いことではないはずだ。

「それにもう、十年も経っちゃった。当時は悲しんだけど、もう吹っ切れてる」

 時間が解決したというのか。なら僕のことも、時間が癒やすのか。時間が経てば、文緒を愛することが出来るのか。

「だから、もう、大丈夫」

「そんなはずがあるかっ!」

 僕はついに、声を荒らげてしまった。だが、僕の中にある人の死という事象は、こんな軽くないはずだ。

「岩永さんは、きっと何か変わったはずなんです。親友が居なくなったということは、それだけのことのはずなんです」

 岩永あかねは僕の雰囲気に圧倒されている。いや、怯えている。

「きっと分かり合えると思ったのに。僕といっしょで、僕の苦しみを分かってくれると思ったのに」

 込み上がるのはもはや意味があるのか分からない言葉だ。きっと彼女には通じていないだろう。知ったことか。

 そんな僕を止めたのは、作木光昭だった。きっと大声に反応してやってきたのだろう。

部屋に入ると僕と岩永あかねを見比べ、状況を理解したらしい。僕の胸ぐらを掴み、部屋の外へ叩き出した。

「てめえ、どういうつもりだ」

「ただ、お話してただけですよ」

「そんなはずあるか。何があったら岩永があんなに怯えるんだよ」

「幽霊でも出たんじゃないですか?」

 作木光昭の右の拳が僕に向かって突き出された。大きく振りかぶったそれを防ぐ手段はない。頬から身体全身に衝撃が走り、こらえ切れず、床に転がる。

遅れて痛みが来る。

「何をするんですか」

「やっぱりてめえは信用できねえよ」

 その言葉を置き去りに、作木光昭は岩永あかねの居る部屋に戻っていった。くそ、口が切れた。


 そのまま僕も部屋に戻ろうかと思ったが、そんな挑発的なことをすれば作木光昭にまたいいのを貰ってしまう。

これ以上痛い思いは嫌だったので、エレベータホール側にある談話スペースで待機することにした。

 きっと、作木光昭か岩永あかねが依頼の撤回にやってくるのだろう。少なくとも、僕がもうここにいることは出来ないことは確実だ。

感情に押し出され、高ぶってしまった結果だ。怯えさせた岩永あかねには、悪いことをしてしまった。

だが、僕のこの失望感を理解して欲しいとも思う。勝手な言い分だが。

「ねえ」

 窓に映る自分の姿を見ながら反省をする僕に話しかけたのは、意外なことに岩永あかね本人だった。

「大丈夫?」

 言葉少なに伺うのは、僕があの一瞬だけ興奮したのだと、理解してくれているからだろう。

「さっきはすいません」

「うん。もういいよ」

 岩永あかねは僕にハンカチを差し出す。知らぬ間に口の端から血が垂れていた。受け取って拭う。

「私で良かったら、話聞くよ?」

 ああ、この人はいい人だ。先程まで怯えさせるくらい怒りを露わにしていた人間に、こうも優しく接してくれるとは。

「ええ、ありがとうございます。でも、大丈夫ですから」

 口に出して解決するものじゃない。それに女性には尚のこと聞き難いものだ。

「深雪が言ってたけど、能村くんってひどい失恋をしたって。これが関係あるの?」

 橘深雪は結構に口が軽い。そんな人の秘密みたいなことをペラペラと喋って。

「ええ。ひどいというか、台無しになったというか」

「話したくない?」

 僕は頷く。そう、僕にとってこれは口に出したくないのだ。口に出してしまえば、綺麗な形に整えられてしまう。よく在る症状に、はめ込まれてしまう。

僕は曖昧なまま、解決したいんだ。

 けれど一つ。僕は興味で聞いてみる。

「どうして、作木さんのことが好きなんですか」

 質問を聞くと、岩永あかねはえっ、と声を上げた。意外な質問なんだろう。

「なんで、知ってるの?」

「流石に見ていれば分かりますよ。それで、どうなんです?どんな気持ちになったら、好きになるんですか?」

「えーっと」

 僕は岩永あかねを恋愛ネタでいじめるためにだけ聞いたわけじゃない。

人を好きになる。恋愛感情で好ましく思うという感情が分からないのだ。

「なんていうか、心の奥が疼くの。この人じゃないとって。感情じゃなくって、もっと奥の方から込上がってくるのよ」

 心の奥が、もっと奥の方から。精神に、身体は追随する。岩永あかねの言葉が分からないということは、やっぱり僕は愛情というものが分からないのだ。

「能村くんは、彼女いないの?」

「居ましたよ。というか、岩永さん会ってますよ」

 え?という岩永あかねの反応を見て、僕は補足を加える。

「今朝、橘さんのところに置いてきた女性が居たでしょう。あの子です」

 友達の少ない僕は、緊急時に頼りに出来るほど、メンバからの信用を勝ち得ていなかったりする。

だから、あまり乗り気ではなかったが、元恋人で身体を張るのに適正がある間瀬にお願いしたのだ。

「ああ、あの人。美人だよね」

「ええ、いい子でした。失敗しましたけどね」

 結局、僕には恋愛感情が分からないのだ。だから、僕の身体は愛を行わない。そんな男が、彼氏彼女関係をうまく築けるわけがない。間瀬には悪いことをしてしまった。

「だから恋愛感情について知りたいの?」

「そうですね。有り体に言ってしまえば」

「そういうことなら、私のことは何でも話すよ。今の話が参考になったなら幸い」

「ええ、ありがとうございます」

「じゃあ、私で協力出来ることがあれば何でもするから。落ち着いたら部屋に戻ってきてね」

 そして、岩永あかねは元の部屋に戻ろうとする。

「岩永さん、僕はまだここに居てもいいんですか」

「もちろん。あのくらいイザコザ、私と深雪はよくやってたしね」

 そう言って晴々と笑う岩永あかねは魅力的だった。こういう優しさは久しぶりだ。

「じゃあ、後で」

 僕も後で、と返す。さあ落ち込む時間は終わりだ。切り替えよう。一度の失敗だ。岩永あかねが違ったからといって、すべてがお終いになったわけじゃない。

また探せばいい。それだけだ。

 椅子から立ち上がり、両手を天井に向けて大きく伸ばす。自然と背筋が伸びて、気持ちがいい。さあ、目的は達したのだ。こんな事件にいつまでも時間を掛けていられない。

さっさとに終わらせよう。

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