3.1

 気が付くと、プラネタリウムにいた。大きく背が後ろに傾く椅子に身体を預けて、天井を見ている。まだ上映は始まっていない。

閑散としている。僕以外には誰も居ない。

 会場の明かりが落ちる。周りの様子が分からなくなると、急に不安な気持ちが湧いてきた。子どもの頃、上映が始まって、明かりが落ちてから星明かりが照らすまでの暗やみの間、お姉ちゃんに手を握ってもらっていた。

 おかしいな、石郷岡さんを送った後、事務所に車を返してアパートに戻ったはずだ。

そして布団に入ったのは覚えている。何故僕は、こんな古めかしいプラネタリウムに居るのだろう。

「思い出したからじゃない?」

 ふと声がした方を見ると、中学生くらいの女の子がいた。人工の星明かりに照らされて、姿が捉えられる。制服を着ており、肩口で揃えられた髪が印象的だ。彼女は自分の黒い髪を気に入っていた。

なんで知っているのだろう?そうか、この子は僕のおねえちゃんだ。昔に死んでしまったはずの。

「よく思い出したね、私がもう死んだって」

 プラネタリウムは既に始まっている。手を伸ばせば触れられるだろう距離のはずだが、真っ暗でどこに居るのか分からない。

「今までバラバラだったもんね」

 そう、僕の中で実像を結ばなかった思い出が、あの夜に縁取られた。僕の初恋はお姉ちゃんで、もう死んでしまったということ。

そして、何故死んでしまったのかということを。

「ごめんね。私達のせいで、歪めちゃったね」

 お姉ちゃんの顔は見えない。でもきっと悲しそうな顔をしてるはずだ。そんなことはない。そう言いたいのに声は出なかった。きっとここが夢だから。

 そしてお姉ちゃんの声は聞こえなくなった。きっと夏の大三角形に見とれているのだ。そして姉のいる椅子と、反対側の椅子を見る。そこから息遣いが聞こえたためだ。

「やあ」

 少年の声が聞こえた。彼の座席は星の光が当たっていないため、その姿は分からない。だがその声が僕の記憶を刺激した。達晃くん。僕のいとこのお兄さん。

お姉ちゃんの好きな人。好きだった人。

 そして彼は何も言わない。昔から、喋らない人だった。でも、僕もおねえちゃんも達晃くんが誰よりも優しいことを知ってたし、いつも一緒に居たかった。

だから、おねえちゃんが好きだと知ってもそれほどショックじゃなかった。

「おねえちゃんを、もらっていくね」

 夢のプラネタリウムで達晃くんはそう言った。もらっていく?おねえちゃんはずっと前から、達晃くんのものだったでしょう?

もういいよ。僕は諦めるよ。でも、きっと似たような人に惹かれちゃうはずなんだ。おねえちゃんみたいな人。おねえちゃんみたいな愛しい姿の人。

それがどんな人なのか、どんな姿なのか。今の僕には分からない。でもきっと、答えは僕の中にある。だから、僕は僕を探求するんだ。きっと達晃くんは知っていたんだろう?

おねえちゃんが一番美しいのは_______________


 病院が嫌いだ。昨日は病院に行かせろと喚いたが、健康な状態であれば、僕はこの味気ない施設を訪れるのはひどく気が進まない。

更に外は雨が振っている。梅雨は開けて久しいが、思い出したように朝から降りだした。

この雨の病院という、最悪に最悪を折り重ねた環境に僕が身を置いているのは、今朝に岩永あかねから電話で呼び出されたためだ。

「昨日はごめんね。あと、深雪が目覚めたから、顔を出してあげて欲しいな」

「それは良かったですね。もしかして、岩永さん達も病院ですか?」

「そうだよ。だから、来てもらえると依頼のことも相談できて、嬉しいかな」

というわけだ。

 僕は外の雨が止むのを待ってから行こうかと思ったが、一向にその気配が見えないため、諦めて昼過ぎに赴くことにした。

そして今現在、橘深雪の病室の前で立ちん坊をしてる。

「お待たせ、診察は終わったから、入って大丈夫よ」

 五分程立ち尽くした後に、岩永あかねが僕に声を掛けた。

「だってよ。入ろうぜ」

 僕の横で何も言わずに五分間に及ぶ無言の時間を過ごしていた作木光昭が、それに答える。

岩永あかねに何か言われたのだろうか、今日は比較的だが悪意に満ちていない気がする。嫌いなことには変わらないが。

「や。心配を掛けたね」

 病室に入ると、ベッドの上で上半身だけ起き上がっている橘深雪と、見舞い客用の椅子に座る岩永あかねが居た。

心なしか顔色が良くない気がするが、橘深雪は僕に挨拶をする程度の元気はあるみたいだ。

「すみませんでした」

 そして、僕は深く頭を下げた。彼女の顔を見た時に、僕は言わなくてはならない言葉を思い出したのだ。

「そんな、謝ることなんてないって。能村くんは悪いことしてないし。深雪も能村くんが守るだなんて思ってなかったでしょう?ねえ、深雪?」

 岩永あかねは橘深雪に賛同を求めたが、橘深雪は返事をしなかった。きっと彼女は分かっている。僕が何に対して謝罪しているのか。

これはあの日、言いそびれてしまった言葉なのだから。

「いいよ。私も決心ついたし。うん、許すよ」

「ありがとうございます」

 その言葉を聞いて僕は顔を上げた。岩永あかねも作木光昭も話についていけないという表情だが、説明する気はない。それは橘深雪も同じだろう。

その空気を察したのか、岩永あかねが話題を切り替えた。

「それにしても、深雪が能村くんみたいなタイプが好みだなんて、知らなかったな」

「え?いきなり何を言い出すのです?」

「だって、能村くんをあのパーティ会場でナンパしたんでしょ?」

 そう言って橘深雪を見る。そうか、橘深雪の部屋で夜まで居たというシチュエーションは、そういうことを想起させるのか。

異常事態にばかり注目していて気が付かなかった。

「違うって。能村くんが私をナンパしたのよ。『お話の続き、聞かせてください』って」

 そして橘深雪も事実をねじ曲げ始めた。なんだ、僕がナンパしたことになるのか?でも、確かに僕からご飯に誘った記憶がある……。

「事実でしょ?小動物系な顔して、意外と肉食なのよね」

 いたずらっぽく話す橘深雪の冗談みたいな言葉を、僕は否定しないことにした。多分これは、『私に悪いと思ってるのなら、付き合いなさい』ということなんだろう。

「ええ、橘さんがとっても魅力的だったので。でも変なことはしてないですよ。本当に」

「なんだ、ようやくカップルが出来ると思ったのに」

 そしたらお祝いだよね?そう言って岩永あかねは作木光昭を見る。壁際に立っている彼はそうだな、とつまらなそうに答えた。

「能村くんと深雪ならお似合いじゃない?意外と」

「そうかな。私、もう少し背が高い人が好みかも」

「深雪、身長高いもんね。能村くんより高いでしょ」

「ギリギリ私のが高いと思う。やっぱり並ぶと格好つかないかな」

 岩永あかねも橘深雪も楽しそうな恋愛トークに花を咲かせている。方向は主に僕と理想の彼氏の差分についてで、僕が遠回しに貶されまくっているのだが、我慢した。

 この二人仲いいじゃん。

「橘」

 いつまで経っても終わらないと思われた女子トークにピリオドを打ったのは、意外なことに作木光昭だった。

「そいつはやめておけ。もっといい男がいる」

 それだけ言って、作木光昭は病室から出て行った。やっぱり僕が貶されているのは代わりないが、なんだか重たい言葉だ。

 岩永あかねと橘深雪は彼の言葉を聞くと、顔を見合わせて笑い合った。きっと、作木光昭の言葉に、彼女達にしか分からないメッセージがあるのだろう。

笑い声を背中に向けて、僕も病室を出た。

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