2.5

 作木光昭達に依頼を受けるという連絡はまた明日にして、僕は今日一杯、石郷岡さんの手足になることを決めた。

「今から、依頼主のところに行くよ。誰か覚えてる?」

 石郷岡さんと僕は、食べ終えた昼食の後片付けをしながら、これからの予定について話し合っている。そして依頼主という言葉を聞いて思い出す。そうだ、僕には報告しなくてはならないことがあった。

「もちろんです。出水博信氏ですよね。『東海地区連続殺人事件』の被害者家族の父親の。ところでこの出水博信氏には、出水洋世という親族はいますか」

「さて、どうだったかな。何?知り合いなの?」

「いえ、昨夜、橘さんのお部屋で見つけた取材メモに名前が在ったので」

 僕はデジタルカメラに保存しておいた取材メモの写しを、石郷岡さんに見せる。内容はシンプルに、質問と回答が記載されているだけだ。

「『事件の前後で周りの目は変わりましたか』『今も当時を思い出すことはありますか』『犯人に言いたいことは』。普通の質問ね」

 石郷岡さんはふむふむといった様子でメモの写しを見やった。

「一応、私に送っておいて。他のメモも一緒に。ところで出水博信って名前はなかった?」

「まだ全部見たわけじゃないですけど、確かなかったと思います。取材してないのかな」

「取材しても、何もメモすることがなかったとか。門前払いを食らったら、何も書き留めようがないでしょ」

 なるほど。僕らに出版を止めるよう求める人物だ。本人達がのこのこ取材にでもやってきて、快く応じるわけがない。

「さ、それはまた後で。会場へ行きましょう」

 そして僕と石郷岡さんは事務所を後にする。無人の事務所は、夕暮れにも関わらず、強い日差しが差し込んでいた。


 石郷岡さんと僕は事務所の裏手の駐車場に置かれた社用車に乗り込み、目的地まで出発する。

運転手はもちろん僕だ。石郷岡さんは出来ないことなど何もないと思える程の完璧なスペックを誇る女傑であるが、唯一に近い欠点はマニュアル車の運転が出来ないことだ。

「吊院さんも、なんでこんな車を社用車で置いてったのかね。私が運転出来ないじゃない」

 そんな吊院さんのセカンドカーこと社用車は、普段使いには向いていないクラシックカーだ。クーラーの効きが悪いので、僕もあまり好きじゃない。

「置いていってもらえるだけありがたいですよ。車持ってる奴、いないですし。で、どこに向かえばいいんです?」

「蒲郡まで」

 そしてエンジンを掛け出発する。当然、カーナビなどはないので、助席に座った石郷岡さんから逐一案内を受けて会場まで車を走らせる。

 帰宅ラッシュに巻き込まれて時間がかかるかと思ったが、東名高速道路を走る車両はまばらであった。

「夏休みだからですかね。早めに着きそうですよ」

「夏休みなら普通、車の数は増えるんじゃない?どちらにしても、今お休みなのは、学生だけだよ」

 そういえばまだ時期はお盆休み前。社会人の皆様はオフィスで労働に勤しんでいましたか。

「休み気分でいると、働いている人が一層不憫に思えますね」

「今は君も私も労働中よ。バイトだけどね」

「そういえばそうですね。働いているって感じではないですけれど」

「能村君が働いているって思うときっていつ?」

 言われて考えてみるが、働いているという自覚を持ったことなど無い気がする。いつだって真剣味がないし、責任なんて想像もつかないのだ。

「思い当たらなさそうだね。能村君はそういうところが恐ろしいよね」

 石郷岡さんはスマートフォンを覗きながら続ける。恐ろしい?僕が??

「よく分かりませんね。どういうことです?」

「公私混合するなって言われたこと無い?能村君は仕事を遊びというか、半ばゲーム感覚でこなしているのよ。こなしてるから悪いわけじゃないけど、

完遂することの優先度が低い。ゲーム感覚って言ったけど、『つまらないゲームを嫌々やってる』って感じ。だから自分の別の目的が出来ると、すぐに投げ出しそう」

 ひどい言われようだ。だけど、当たっている気がする。特に『つまらないゲームを嫌々』ってのはまさしくという感じだ。

「概して仕事というのは、そういうものじゃないですか?『つまらないゲームを嫌々』って感じで」

「私は違うけれど、そういう人が多いのは否定はしないかな。能村君が特殊なのは責任感が無いところよ。仕事より、自分の興味がありそうなことを優先しそう」

 興味がありそう。今の僕にとって興味がありそうなものとはなんだろう。一瞬頭を巡らせると、一人の女性が浮かんだ。そうだ、僕は今、岩永あかねの中身に興味がある。

多分、仕事なんて、依頼なんて、どうでもいいくらい。だけれど、正直に答えるのはやめた。

「どうですかね。今までそんなシーンに遭遇したことないので分からないですね」

 僕の言葉は石郷岡さんにどう届いたのだろうか。スマートフォンから目を外し、僕を横から睨みつけてきた。

「じゃあ、忠告よ。あんまり調子に乗らないこと。君が好き勝手やる裏で、きっと傷つく人がいる」

 それだけ言うと、石郷岡さんはまたスマートフォンに興味を移す。タイヤが路面を駆ける硬い音が車内に響く中、この言葉だけは嫌にはっきり聞こえた。

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