2.2

 そこからの作木光昭の車に載せられて病院に行ったが、そこらへんの記憶は曖昧だ。

「階段からこけてしまいまして、頭が痛いそうです。大丈夫だと思うけれど、場所が場所なので念の為に見てあげてください」

 僕のことを完全に信用しきっていない岩永あかねは、医者に適当な説明をして検査させた。

僕に元気があれば口答えをしてのだろうが、この次点でまだ気分が悪く、楽になるならなんでもいい、といった心情だった。

結局、検査は特に問題なし。気分が悪いのは精神的なものが原因ではないのかと診断された。あっという間だ。

「なんだ。やっぱり大したことないじゃない」

 僕らは検査が終わると、作木光昭が買ってきていたコンビニの軽食を車の中で摂っていた。きっちり逃げられないように見張られている。

「食欲はあるのね」

「当然でしょう。朝から何も食べてないのですから」

「頭は痛くねえのか」

「おかげさまで。でも僕も橘さんみたいに、検査入院できません?」

「いやよ。少なくとも能村君が無罪であることを証明してからにして」

 だからなんで僕が警察でも何でもない岩永あかねに、自分の無罪を証明しなくてはならないのだ。警察であっても容疑者にこんなこと求めないぞ。

「僕が疑わしいなら、証拠を持ってきてくださいよ。僕が橘さんを襲った確固たる証拠」

「そんな暇ないわ。それに、疑わしいだけで十分なのよ。ねえ、めんどくさいから一筆書いてよ。深雪がいいって言ったら示談にしてあげるから」

 岩永あかねは本当はどうでもいいのだろう。僕や、多分、橘深雪のことも。障害であるから取り除きたいだけなのだ。だから、処分可能な状態にして消えて欲しいというのが本音か。

「ちなみに、一筆書いたらどうなるんです?」

「さっきも言ったじゃない。それで解放してあげる。それで出版が終わったら、処理は考えるわ。あなたの場合、深雪がしたいようにさせるわね。警察に突き出すならそれも良し。

示談でお金もらってもいいわ。どっちにしても、それは彼女の問題で、私は知らない。連絡先が掴めなくなったら警察に相談することになる。逃げられると思うなら、逃げてみたら?

どうでもいいけど」

 そんな口約束みたいな真似、信用できない。簡単にこの不愉快空間から解放されるなら構わないと思ったが、一筆書くということは更に不愉快な状況を生むだけだろう。

今だってトイレまで作木光昭が付いて来ていて、不愉快極まりないってのに。

「僕が犯人じゃないって説明できればいいんですよね」

「できるなら早くやれ。お前に構ってる時間が惜しい」

 こいつら、人にとんでもないことを要求しておいて。独善的過ぎる。僕の事情などお構いなしか。

「分かりました。証明しましょう」

 僕は苛立ちを腹の奥にしまい、ゆっくりと口にした。二人が僕の顔を見る。作木光昭は不信感を隠さず、岩永あかねは少し楽しそうだ。

「道々に、説明します。とりあえず橘さんのマンションまで行きましょう」


 作木光昭は渋々という態度で車を出発させる。僕の席は彼の運転席の真後ろなので彼の表情を伺い知れないが、エンジンを掛けた時の舌打ちがそれを知らせた。

「ここから先の説明は、僕が犯人でないという過程で進めます」

 今日の一日で、僕は隣に座る岩永あかねという人間の尊大さというか、身勝手さに感心している。この特有の人格はやはり『東海地区連続殺人事件』の後遺症なのだろうか。

彼女もきっと、元は他人を大事にする思慮深い少女だったに違いない。

「まず、僕が目撃したフード男は何が目的だったのでしょか。なぜ、橘さんのマンションに訪れる必要があったのでしょうか。

橘さんを襲うことだけが目的ならば、彼女のマンションに侵入するのはひどく不自然です」

「そう?マンションの部屋なら必ず深雪はいるし、誰かに見られる心配もないからじゃない?」

「確かにそうでしょう。でも、フード男が橘さんを狙っていると過程すると、彼女を襲うのにもっと絶好のタイミングがあります。それは、昨日の夜の帰り道です。

なぜなら昨夜、僕と共に橘さんは強かに酔っておりました。僕が近くに居たとは言え、泥酔している男女を襲う方が成功率が高いでしょう。

わざわざ監視カメラに映る心配や、扉の鍵を開ける方法を考えるより、よっぽど簡単です。

 じゃあなぜ、橘さんの部屋にフード男が現れたか。それは、彼女の部屋に興味があったからです」

「深雪の部屋に興味を引くようなものはあったかな」

「何を言ってるんですか。橘さんが襲われた理由は、作木さんと一緒でしょう?」

 唐突に名前を呼ばれた作木光昭は、あ?という不機嫌な返事をした。

「あなた達は今、『青い一日』の出版に反対する団体から狙われている。橘さんを襲った男も、そういう奴の一端だと考えるのが自然です」

 あえてなのかどうなのかは分からないが、岩永あかねは橘深雪が襲われた理由と、作木光昭が襲われた理由について触れようとしない。

「だから、橘さんが襲われた理由は、作木さんを襲った理由と同じだと考えるのが自然です。決して、行きずりの、目に着いた女性の部屋に侵入したとかじゃない。

事前に橘さんに目を付けて、跡をつけていた可能性が高い。昨日は、橘さんの跡をつけるのに絶好の日でしたから」

「パーティの後だったから?」

「そうです。あの日は必ず橘さんと岩永さんが来られるのは、分かっていましたから。

橘さんを襲った犯人は、本当は襲うつもりじゃなかったとも言えます。

橘さんの部屋にフード男がどんな用事があったのかは分かりません。けれど、彼女の部屋を割り出すこと、そして可能であれば侵入することが目的だった。この程度は確信しています。

つまり、ここまでの犯人像は、『橘深雪の部屋に用があった人間』となります。

そして、それは昨夜に偶然誘われ、部屋に招かれた僕ではありえない」

 僕の言葉をどう受け止めたのかわからないが、岩永あかねは少し思案しているようだ。もしくは、反論の余地を探していると、穿った見方も出来るかも知れない。

「たまたま誘い入れた奴が既知外だった可能性はあるだろう?」

「余計なこと言ってると、事故に遭いますよ」

 作木光昭は真剣に考えては居ないのだろう。適当に嫌味な相槌を売っている。こんな奴のどこに橘深雪は惹かれたのだろう。

「なるほど。あり得るような気がする。でも、あなたがやっていないという証明にはなってない。深雪の部屋で口論になっただけかもしれないしね。

そのほうが自然よ」

「そのまま床で鼾をかいて寝てるのもですか?すぐに帰るでしょう」

「さあ?あなたも酔ってたんでしょう?突発的に犯行に走って、そのまま眠ってしまったんじゃない?」

 この女、どこまで本気で言っているんだろう。こちらに微笑みを向ける岩永あかねは、いたずらを仕掛ける子どもの様だ。

「それに一番大事なことの説明がまだ。鍵のことはどう説明するの。君が犯人じゃないとしたら、誰がどうやってあの部屋の鍵を締めたの」

 そう、あの部屋の鍵は岩永あかね達がやって来た時、閉まっていた。そしてその鍵は部屋の中にひとつ。大家が保管するもうひとつ。

「大家の鍵は持ちだされていないのですよね。泥棒とかの可能性も」

「私達が深雪の部屋を開けるように頼んだ時、ダイアルロックの金庫から合鍵を出していた。あんなの開ける手間を考えたら、扉のピッキングを学んだほうがよっぽど楽でしょうね。大家本人も家族と家に居たそうよ。丁度お客様とパーティをしていたって」

 つまり、大家宅から鍵が盗まれた可能性は低いということか。完全に可能性が省けたわけじゃないが、今回は排除していいだろう。僕の行き着く結論は一つしか無いのだから。

「では大家の鍵は可能性から排除します。鍵は一つ、部屋の中。この状態でどのように脱出をしたのか」

「ちょっと待てよ。どうやって橘の部屋に入ったかは気にしないか」

 運転に集中していた作木光昭が声をかける。無視してやろうかと思ったが、確認のために説明をしてやる。

「さっきも部屋で言ったでしょう。オートロックなんて簡単に入れます。それに、部屋の鍵は開いていた。あの瞬間だけは」

 フードの男が部屋に現れた時、僕はエントランスで橘深雪の部屋に鍵を掛けずに出て行った。橘深雪も僕がすぐに戻ると思い、鍵を掛けなかったのだろう。

フード男は、エントランスホールで何故かくつろぐ僕の姿を見て、僕が部屋に戻ると確信したのだ。そして、彼女の部屋に鍵が掛かっていないと考え、部屋への侵入を試みた。

結果、その予測が的中し、フードの男は犯行に及んだのだ。

「だから、脱出の方法だけが疑問点なのです。ここでちょっとフードの男の目的に立ち返ってみましょう。彼は橘さんの部屋に用があった。つまり、部屋の中の物が用があった。

しかし岩永さん、橘さんの部屋に入った時、部屋が荒らされた形跡はありましたか?」

「いえ、綺麗な部屋だった」

 そう、あの部屋は、僕が作木光昭に叩き起こされたとき、整理が行き届いているままであった。これは何を意味するか。

 ここで見覚えのあるマンションの駐車場に着いた。丁度良いタイミングだ。僕の結論も大詰めだ。後は論より証拠で、見てもらえば分かる。

「降りましょう。結論はすぐそこにあります」

 そして、マンションのエントランスに入る。オートロックの扉は、岩永あかねが取り出した橘深雪の鍵で開けた。

「着替えとか必要だからね。当たり前のことでしょ」

「別に、誰も咎めたりしてませんよ」

 そしてエレベータで五階まで上がる。その間にもう少し、説明をする。

「部屋に用があったのに、何故部屋が綺麗なままだったのか。考えられるのは二つ、目当ての物がすぐに見つかった。もうひとつは、探している時間がなかった。なぜか。それは予期せぬ来客があったためです」

 三人でゆっくりと橘深雪の部屋まで向かう。足取りは軽くはない。きっと予感があるのだろう。部屋に何か起こっているという。

「フード男は、部屋に人が来るはずがないとタカをくくっていたのでしょう。だから、岩永さんたちがインターフォンを押しても、無視して部屋で捜索を続けていた。ゆっくりと書類を一つづつ精査しながらね。でも実際は、岩永さんたちは合鍵を持つ大家を伴って、部屋の前まで来てしまった。そして犯人は逃げられなくなったのです」

「ちょっと待って。それって」

 そして部屋の前に着く。扉を開ける前に、彼女の疑問に答える。

「そうです。フード男は鍵を締めたまま、部屋に居た。昨夜に僕達を襲ってから、今朝岩永さん達と僕がやりとりをしている間もね」

「……信じられない」

「すぐに分かりますよ。そして、フード男は、僕が病院に運ばれている間に出て行った。

……ところで岩永さん。ここを出るときに、この扉の鍵を締めましたか?」

 僕は橘深雪の部屋の扉を指す。岩永あかねは頷く。そう、犯人が出て行ったのであれば、ここの鍵は空いているのだ。部屋の鍵は岩永あかねの手の中にあるから。鍵を持たない犯人に、扉の鍵を外から締める術は無いから。聡明な二人は説明をせずとも理解しているようだ。

 そして僕はゆっくりとドアノブに手を掛ける。手首を捻り、ドアを押す。僕の腕の動きに合わせて、ゆっくりと扉は開いた。

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