1.7

 僕のお誘いを橘深雪は快諾して、彼女がよく行く個室居酒屋で夕食をとることにした。

「インタビューの続きがしたいなら、個室みたいなところがいいよね」

 橘深雪が提案した店は大通りからはずれ、十分程度歩くと到着した。彼女が言った通り、すべてのテーブルが障子で区切られ個室になっている。

「このお店、お昼も有名なのよ。秘密の話はこういうところでしたいから、よくお世話になってるの」

 向かい合うように座ると、橘深雪はそう笑った。障子と壁で区切られた彼女と二人きりの空間は、薄暗く、明りに照さなければメニューさえ見えない程だ。

「雰囲気がありますね。確かに秘密って感じです」

 適当に頼むよ、と一言断って橘深雪は僕と彼女の分のビールと適当な料理を注文した。メニューを見ないで自然に頼む様から、確かによく来ていることが分かる。

「全く。こういうのじゃないとお祝いって感じしないよね」

 テーブルに鶏の唐揚げやポテトなどジャンキーな料理が並んだところで、ビールで乾杯した。橘深雪は一息でジョッキの半分程を飲む。僕も釣られて、同じ程度の量を飲んだ。

「お祝い?何のですか」

「おや、それはボケかな。今日は私達のお祝いパーティだったんだよ。でも、あかねも光昭も居ないし。今日だけでいいから、代わりになってよ」

 僕にとってはお仕事のきっかけでしか無いから忘れていたが、彼女達にとっては長年の悲願が叶った日なのだ。そんな日に一人きりというのは寂し過ぎる。

だから僕を夕飯に誘ったのか。

「すいません。ところで、光昭というのは誰ですか」

「いいよ。今日は君、謝ってばっかりだね。作木光昭って『青い一日』を書いたもう一人よ。聞いてない?」

 そういえば石郷岡さんがもう一人居るとか言っていた気が。完全に忘れていた。

「君ってさ、なんか取材に来たって割に全然調べてないよね」

 痛いところを点かれた。実際、岩永あかねや橘深雪、そして作木光昭について知ったのは今日の夕方なのだから、調べてなくて当然だ。

だからといってそんなことを話すわけにはいかない。アルバイトではあるが、一応は探偵なのだから。

「実は代役なんですよ。新聞部で本来取材を担当するはずの奴が急に帰省しまして。それで僕が急遽連れて行かれたので、準備不足だったんです」

「ふーん。全然本当のこと言ってるような気がしないけど、まあいいや」

 口から出まかせを言ってみたが、全く通じて無い。僕はそんなに嘘を付くのが下手だっただろうか。

「でも、流石にあかねについては知ってるでしょ」

 嘘がすぐバレる僕は、正直にすべて言うことにした。知ったかぶりほど嫌われるものもない。

「実はなんで岩永さんが本を書いてるかとか、知らないんですよね」

 これを聞いた橘深雪は、吹き出すように大笑いをした。手を叩いて笑う声は、障子で閉めきった個室からでも店中に響いたと思う。

「そっか。そーか。そこから知らないの!じゃあ今日はずっと退屈だったんじゃない。というか、岩永あかねって名前と『東海地区連続殺人事件』でピンとこない?」

 パーティ会場でも石郷岡さんは、岩永あかねを知らない僕を信じられないといった表情で見つめていた。やはり有名人なのか。

「その時期に海外にでもいたの?まあ、当事者として教えてあげよう。

 『東海地区連続殺人事件』は知ってると思うけど、あの最後の事件ってのはちょっと今までとは違って、特殊だった。

今までの第一の事件、第二の事件は路上で被害者がいきなりナイフで刺されて亡くなっている。犯行は被害者以外の人間が居ないような裏道とか、深夜に行われていた。だから、事件を直接目撃した人って誰も居なかったのよね。けれど、あかねが巻き込まれた第三の事件は様相が違う。

 第三の事件の犯行は夜の公園で行われたんだけど、被害者は中学生が三人。部活帰りに、公園で喋っていたらしいわ。そこを犯人に襲われて、二人が亡くなった」

「三人いて、亡くなったのは二人ですか」

「そうよ。つまり、一人は生き残った。それがあかねよ」

 岩永あかねは、あの事件の唯一の生き残りなのか。確かに他の被害者家族よりも事件に密接に関わっていると言える。事件を風化させないための本の出版も、彼女であれば書き手に相応しいと思える。

 だが、それとは別に、僕の興味は別の方向を向き始めた。

「岩永さんは、どうして生き残ったのですか」

「運が良かったってだけよ。他の二人と同じように背中からざっくりやられたらしいけど、大事な臓器は傷ついてなかった。本当に、奇跡的に助かったって本人が言っていた」

「橘さんは、当時から岩永さんと知り合いだったのですか」

「いや、違うよ。私達は高校に入ってからの友達。あかねが事件について話してくれたのは、大学生になってからだけどね」

 ならば橘深雪は当時の事件によって、岩永あかねがどう変わったのか知らないのか。

「本を実際に執筆してるのは、岩永さんですか」

「基本的には、あかねがすべて書いてるよ。『青い一日』には事件についても書いてあるけど、あかねの周りが事件でどう変わっていったのかが中心だからね。

私は取材が専門で、光昭は出版までの手続きとか諸々の雑務担当」

 石郷岡さんが、僕をこの事件に誘った理由が分かってきた。岩永あかねはきっと、事件に対してどうしょうもなく伝えなければならない思いがあるのだ。

それは、事件を解決に導くとか、社会的に忘れ去られるのを避けるためとかじゃない。

きっと、事件の前後で自分が何か変わってしまったことに気が付いて、でも何が変わったのか分からない。だから、その答えを求めて、本にして訴える。

誰か私に答えを下さい。僕は岩永あかねがどう変わったのか気になっている。目の前で友人が殺された事実が、彼女をどう変えたのか。

そして、どう変わったと受け入れているのか。

「大丈夫?思いつめたような顔してるよ」

「ええ。全然平気ですよ。むしろ、ワクワクしてきました。失礼かも知れないですけどね。岩永さんに話を聞いてみたいな」

 当時を知らない橘深雪に話を聞いても、これ以上のことは分からない。本人に話を聞きたい。そして、『青い一日』を読んでみたい。その本には、彼女について書かれているだろう。

「どこに興奮するのか分からないけど、やる気が出たのは良いことね。でも、あかねに話を聞くのは難しいかな」

 パーティ会場でのやりとりを見る限り、取材という物が嫌いなのかもしれない。それでも石郷岡さんと一緒に調査をしていれば、自然と話す機会があるだろう。

「まあ、事件とかそういうのは私か光昭に聞いて欲しいかな」

 そういうと、橘深雪はグラスに残ったビールを飲み干した。その顔はどことなく疲れた顔だ。

「ちょっとだけ、愚痴聞いてくれる?」

 彼女の少し疲れた大人の顔は、僕に有無を言わさず頷かせる力がある。

「初めは私もあかねも光昭も、ちょっとした創作のつもりだったのよ。丁度、卒業制作で何かしなくちゃいけないかったからね。

でも、あかねは本を書くにつれて、どんどん鬼気迫っていた。初めは三人で色々言い合いながら作っていったのが、あかねが指示して私と光昭が動く。そんな感じになってた。

卒論で終わる予定が出版するなんて話になったときも、私と光昭には相談もせずに決めちゃってた」

 岩永あかねはきっと、本を書くにつれて思い出したのだろう。封印していた色々な感情や、消えていった傷跡みたいなものを。

この感情は、経験した人間にしか分からない。橘深雪は、分からない側の人間なのだ。僕と違って。

「本になるのはすごいし、賛成よ。お金になるなら助かるし。でもあかねほど情熱は注げない。なにより……」

 橘深雪は言葉を区切った。

「他言しませんよ。僕は嘘は下手だけれど、隠し事は得意なんです」

「私も酔ってるのかな。さっき会っただけの人に、変な話をしようとしてる」

 人間、吐き出さないといけないときがある。むしろ、他人相手が丁度いい話題もある。きっとそういう類の話題だと、彼女の理性的な頭は判断しているはずだ。

問題は、他人である僕が怪しいというところだろう。

「いいんですよ。ここだけの話にします。その後、忘れます」

「今日のパーティ、光昭が居なかったでしょ。なんでか知ってる?」

 僕は曖昧に首を傾げた。

「彼ね。襲われたの。きっと、私達の出版に反対してる人に」

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