1.6

 本当であれば、追いかけて非礼を詫びるのが常識人のあるべき姿だと思う。

だが、何かに苛立った岩永あかねと同じように、石郷岡さんも機嫌が悪かった。そのため、常識人としての行動を放棄していた。

「なんなのあの子。気に入らないなあ」

 女同士というのは何かと折り合いが悪いと聞くが、石郷岡さんと岩永あかねは正に相性最悪らしい。

「そんな怒鳴るようなこと聞いてないじゃない」

 取材という体をとった以上、多少失礼を承知で質問をすることはある。だからといって、どこかに逃げ出すのは非常識だ。

 僕と石郷岡さんは残った橘深雪に謝罪し、会場の外に出た。岩永あかねの叫び声で周りの注目を浴び、とてもあの場に居座れる雰囲気ではなかった。

今は会場近くで路上反省会だ。石郷岡さんを宥める会と言ってもいい。

「まあ落ち着いて下さいよ。岩永あかねはプライドが高いから、反対されてるってのが我慢ならないんですよ。きっと」

「そんなものかな。あの女王様みたいな性格じゃ、絶対に友達はできないよ。よく橘さんとか付き合ってられるよね。あんな付き人みたいな扱いでさ」

 岩永あかねが立ち去った後、僕と石郷岡さんが謝ったが、それ以上に申し訳無さそうにしていたのが橘深雪だった。

きっと彼女が気難しい岩永あかねの代わりに、色々な折衝役を担っているのだろう。

 僕を無理矢理事件に巻き込んだ石郷岡さんもよっぽど女王様気質だと思ったが、言わないでおく。女王の機嫌をわざわざこちらから損ねに行く理由は無い。

「まあいいわ。私は戻って資料をまとめる。多分、金銭よりも主義主張のための出版みたいだしね」

「それで依頼人が納得するんですかね」

「どうかしらね。実は会ったことないのよ。吊院さんから譲り渡されただけだからね。ま、どうにかなるでしょ」

 そう言うと、石郷岡さんは事務所に向かって帰り道を往こうとする。

「能村くん、どうする?」

「僕は自宅に帰ります」

 このまま事務所に戻っても、資料整理などに付き合わされるのは目に見えている。しかも時刻は午後八時を回ろうとしている。引き上げ時だろう。

「おやすみなさい。また明日、作戦会議しましょ」


 石郷岡さんと別れると、駅へと歩く。

 夏の夜は日が長い。夜もいい時間であるが、まだ周りはうっすらと昼間の熱気の香りを残している。

この通りには、パーティ会場であったレストランを初めとして、飲み屋が多く立ち並ぶ。

雑踏の中、酔客とぶつからないよう気を付けて歩く。途中、大学で見た顔とすれ違ったが、向こうは気が付かなかったようだ。

 何故、岩永あかねは僕らのインタビューに怒ったのだろうか。石郷岡さんの質問は確かに彼女の行動に疑問を呈するような、面白くない類のものだった。

しかし、それで立ち去るほど怒りが湧くだろうか。そういえば、質問の途中から岩永あかねは顔色が悪かったような。

 もしかしたら、岩永あかねは僕らには分からない、触れられたくない部分があるのだろうか。石郷岡さんは知らず、それに触れてしまったのかも知れない。

間違ってないと叫んだ彼女の気持ちを推し量るには材料が足りない。

「あれ、さっきの人?」

 駅が見えてきて、人だかりが更に多くなったところで、背中越しに声を掛けられた。振り向くと、先程に謝罪をして別れたはずの橘深雪がそこにいた。

「君ってもうとっくに帰ったのかと思った。まだ駅にいたの」

 橘深雪はパーティ会場で会った時とは変わって、フランクな口調に変わっている。こっちが本来の彼女の姿なのかもしれない。

「橘さん。先程は失礼しました」

「もういいよ。どっちかっていうと、すぐに癇癪起こすあかねが悪いし。相方の人はどうしたの」

 橘深雪は本当に先程のことは気にしていないようだ。察するに、よくあることなのだろう。

「石郷岡さんはもう帰りました。橘さんも今お帰りですか」

「あー、うん。あかねが居ないとあとはおっさん連中しか居ないしね。悪目立ちして、居づらかったし」

 僕らが原因で橘深雪もあの場にいれなくなったらしい。申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

「本当にすみません。迷惑ばっかりで」

「そんなつもりじゃないって。あそこじゃご飯食べた気がしないから、調度良かったくらいよ。ねえ、君はお腹減ってない?」

 橘深雪はそういって僕の顔を覗きこんだ。薄い化粧で彩られたその顔は、美人な部類だ。鈍感な僕でも、食事のお誘いをされているということは分かる。

正直、僕も食べた気がしないので、駅前でファストフードのお世話になろうとしていたのだ。これはある意味、渡りに船ではないのか。

女性の無縁なむさ苦しい男子大学生にとって取るべき行動は一つだ。ひねくれ者な僕でも、このお約束ははずさない。

「ご一緒に夕飯でもいかがですか。まだ、お聞きしたいこともありますし」

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