1.3

 遅ばせながら、この吊院探偵事務所という僕のアルバイト先について説明をしたい。

 この探偵事務所という名のついた大学生の溜まり場は、お金があるけどやる気がない、善意の人助けくらいならしてやってもいいかな、という吊院さんのスタンスを如実に反映した探偵事務所である。吊院さんはどこか田舎の名家だか財閥だかの娘で、バリバリのビジネスマンとして活躍していたらしい。その吊院さんのお父上が亡くなった際に、跡取りとか相続とかの問題が起きて、ハイエナのように権力、金銭を狙い撃つ親族相手にアグレッシブな姿勢を貫き続けた結果、家に居場所がなくなったそうだ。

醜い親族間の争いの勝者は意のままの権力を得たわけだが、本家の吊院さんを無下に扱い切れず、凡人には十分過ぎる程の金銭と持て余していた土地と建物を与えた。その土地と建物が、僕らが講義後の憩いの場として活躍している吊院探偵事務所なのである。

 一度権力争いに負けた吊院さんはなぜだか解らないけれど、探偵事務所を開くことにした。働かなくてもいいほどの金銭を得た人間がなぜ勤労に従事しようと思うのか、理解に苦しむ。僕ならしない。そして、彼女が気に入った若い男女をアルバイトとして雇い、ビジネスマン時代のコネだか父上の友人だとかいう人から依頼を受ける。基本的にはお悩み相談レベルの話だ。殺人事件だとか誘拐事件だとかは依頼しない。普通に警察が解決するし。

 そして出来上がったのが、吊院さんお気に入りの若い男女が出入りする、お悩み相談所こと吊院探偵事務所なのだ。ここに何人アルバイトとして登録されているのかは、当の吊院さんも把握していなかったりする。お金、払ってるのにね。


 画面を見た見ないの押し問答で、これが成人した人間の姿かと嘆きたくなるほどの見苦しいやり取りが続き、お互いが意地になって引けなくった午後四時に、石郷岡さんのお手伝いという体で働くという妥協案が示された。

「私が指示したことだけしてればいいから。それなら楽でしょ」

 石郷岡さんが半ば捨鉢といった風に言った。実際のところ僕も夏は暇をしている。不毛なやりとりに多少僕も心折れていたのか、石郷岡さんの出方と態度次第で、働いてやらなくもないかなというくらいの気持ちになっていた。だけど、確認しなくてはならないことがある。

「報酬はどうするんです。石郷岡さん、吊院さんから幾ら貰うつもりなんです?」

「秘密よ秘密。でも手伝ってくれるなら、これだけあげる」

 石郷岡さんは自身のノートパソコンに、僕の一ヶ月分の家賃相当の金額を表示させる。金銭的に厳しい生活を強いられる男子大学生には十分過ぎる。だけど、この吊院探偵事務所の一員として、安易に承諾しては名折れというもの。もう少し粘ってみる。

「僕を拘束するのに、これは安いんじゃないですかね。僕は将来ラッパーとして大成する男ですよ」

「能村くんは心にも無いことを真顔で言うよね。じゃあ、お仕事の説明をしていいかな」

 どうやら僕の交渉能力は全くと言っていいほどないようだ。石郷岡さんは淡々と資料の準備を始める。本当にこれ以上の賃金交渉に応じてくれる気は無いらしい。

「まず事の発端なんだけど、十年くらい前にあった『東海地区連続殺人事件』って知ってる?」

 完全にお仕事モードに入った石郷岡さんを賃金交渉のテーブルに戻すのは難しい。僕も諦めて仕事にモードに切り替える。

「あんまり知らないですね。正直、ニュースとか疎くて」

「そんな感じするよ。じゃあおさらい代わりにこれを読んでみようか。私が説明するより楽だしね」

 そう言うと石郷岡さんは僕にノートパソコンを差し出す。画面は先程とは切り替わっており、ウェブページが表示されている。タイトルは『東海地区連続殺人事件、未だ苦しみから解放されない被害者遺族の声』。

このタイトルを見た時に古い記憶が蘇ってきた。確かにこの事件が会った十年ほど前、通り魔が無差別にかつ長期間に渡って死傷を繰り返す事件があった。

「読み終わったら声かけてね。私はちょっと寝る」

 石郷岡さんの呑気そうな声を聞き流し、僕は記事に没入していった。

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