1.1

 低い壇上で、ドレス姿の女がマイクを手にした。挨拶が始まるのだと直感する。

 煌々と会場を照らしていたライトが落とされ、彼女を照らすライトだけが灯る。その会場の変化は、会場に散らばるいくつもの丸テーブルを囲む参加者の短い歓声を誘った。続いて、拍手が鳴る。

 学生街の安い居酒屋に慣れた身には、この会場の上品さが窮屈だ。テーブルの上に並んだ上品な料理には手を付ける気がしないし、見知らぬ他人と花を咲かすほど話術には自信がない。無料で飯が食えるからと、付いて来るのではなかった。

「本日はお忙しい中、私どものためにお集まりいただきありがとう御座います。皆様のお力添えがありまして、『青い一日』は完成に至りました。改めて感謝を述べさせていただきます」

 ステージの女は感謝の言葉を流れるように読み上げている。内容とは異なり、感謝の情が篭っているようには思えないほど棒読みだ。

「彼女が岩永あかねさんか。取っ付きにくそうな顔してる」

 隣に座って暇そうにグラスを弄ぶ石郷岡さんが、壇上を見ながら言った。岩永あかねは華やかな装いとは対象的な険しい仏頂面を引き下げ、挨拶を続けている。

出版記念パーティと言うことだが、岩永あかねはまだ僕と変わらない程度の年齢だろう。

「あの人が今回の調査の対象ですか」

「直接の対象じゃないけどね。警察で言うところの重要参考人ってくらい。それにしても、すごいことを成し遂げたみたいな扱いね」

 僕と石郷岡さんが紛れ込んでいるこのパーティは、『青い一日』という本の発売を記念しているものだ。本の出版など珍しくないが、岩永あかねのこの本に関しては、少し曰くが違う。

「この本の完成までに、多くの被害者の方からお話を聞かせていただきました。その度、あの事件を風化させてはならないと、強い使命感が湧いてきたことを覚えています」

 岩永あかねが作り上げたのは、七年前に起きた『東海地区連続殺人事件』の被害者家族にスポットライトを当てたものだ。この会場に来る途中に石郷岡さんから聞いた話によると、被害者家族のその後や、やりきれない思いを形にすることが目的らしい。

「彼女も変わっているよね。普通は殺人事件なんかに巻き込まれたら、そっとしておいて欲しいだろうに」

 石郷岡さんは挨拶の内容を熱心にメモに書き起こしている。こんなに興味のない挨拶でもしっかり書き残そうとする当たり、彼女の生真面目さが分かる。

「一応、私達が関わりそうな人は言っておくね。壇上で喋っているのが著者の岩永あかね。その前に司会みたいなことしてた女の子が橘深雪。この子は取材とか担当してたらしい。

あと、今日は居ないみたいだけど、作木光昭って男がいる。彼は運転手とかもろもろしてるらしい。この三人が本の作成の中心人物」

 壇上の隅を見ると、岩永あかねが挨拶を始めるまで司会をしていた女性がいた。かっちりとスーツを着込んで、長い髪を一つにまとめている。

個性を消臭され切った働く装いをしているため、てっきりこのレストランの人間かと思ったら違うのか。

「三人とも僕と同じくらいの年齢ですか」

「二十一歳だったかな。この本も卒業研究の一環って位置づけだったりするのよ」

 そういえば岩永あかねが挨拶をする前に、ご老人が挨拶をしていた気がする。あの人が彼女らの指導員なのだろう。名前は忘れた。

「この話が終わったら、彼女のところに行くよ。取材の準備、しておいて」

 はい、と小さく答えて鞄からいつもの取材用メモとレコーダを取り出す。レコーダは胸ポケットに入れて、外からは見えないように。

ここで岩永あかねの挨拶を録音していないことを思い出したが、まあいいだろう。石郷岡さんがメモを取っているし。

彼女のそういう生真面目さを見習わなければと思い、メモを横目で覗きこむと、手帳には仏頂面の女性の似顔絵が描かれていた。

「昔テレビで見た時には、もうちょっと可愛らしい顔だった気がするけどなあ」

「これ、岩永あかねですか。もう少し可愛い顔してますよ。というか何で似顔絵なんて描いてるんです?」

「暇だから。それに似顔絵書いてると長い話が終わるって、ジンクスがあるのよ」

「また適当な。ところであの人って殺人事件とどんな関係があるんです?」

 僕の一言を聞くと石郷岡さんは、そう言えば話してなかったっけ?というかそんなことも知らないの?というような疑問と僕の常識を疑うような顔をしてこちらも見た。そして、何かを言おうと彼女が口を開いた瞬間、会場が拍手に覆われた。壇上を見ると、岩永あかねが一礼しているのが見えた。雑談に気を取られている間に、挨拶は終わっていたらしい。

「ね。ジンクスだって馬鹿にできないでしょ」

「話が終わるまで似顔絵描いてるだけでしょ。それにしても、今回は大変そうなお仕事ですね。安請け合いをした気がしました」

「仕事は須らく大変よ。大変じゃないなら、それは大変じゃなくなるような工夫を先人がしてくれたか、そもそもお金を貰っていいような仕事じゃないのよ」

 そういうもんですかね。楽してお金を稼ぎたい僕から見ると、なんて生き難い考え方だと思う。

 そして改めて今回の依頼を思い出す。岩永あかねを包む拍手の絶え間ない弾ける音が、僕らの依頼の難しさを伝えているようだった。

「この本の出版を取りやめさせるなんて、できるのかなあ」

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