破の段

 岬の古いトンネルに異界に繋がる門があるという。

「って、どこいくんですかあっ」

「大丈夫、行けばわかりマス」

 と先生は言うが、大丈夫じゃない、冗談じゃない。

「ちょ、まっ、せめて靴を」

 庭から道へと出る直前で一旦停止、靴のかかとを直しつつ、どう逃れようかとイクトが考えを巡らせていたら。

「あら、アナタ達」

 塀の向こうからミュウとオーマが現れた。

「何で?」


 曰く、オーマが土手で木刀振るって遊んでいたところを見つけたミュウがわざわざここまで連れて来たらしい。

(いや、ますます何で? なんだけど)

 土手で木刀、というあたりしてから解らない。いやあの、中学三年生だよね? 

「筧くん聞いたよ、コイツがまた迷惑かけたんだって?」

「よーわからんがコイツが謝れってしつこいから謝りにきた」

「ちゃんと謝れっ」

 ミュウはオーマの手をひねって極めた。ひぎいと奇声が一声あがって、ゴメンナサイ、とパペットの操演じみた動きでオーマがぺこりと頭を下げた。

「よろしい」とうなづくミュウ。

(三文芝居)とイクトは思う。何ごっこだか知らないが付き合っちゃいられない。 

「別に、謝って貰わなくたっていいよ、いま急いでるから、じゃあ」

 吐き捨ててイクトはその場を後にした。

「待ってよ」と声が追いかける。「筧くんまた転校しちゃうんでしょ? 短い間かもしれないけどそれでもクラスメイトじゃない、友達になろうよ、さみしいじゃない」

「僕はさみしくなんてない」 

 ハの字眉で顎に指を当てている先生に、

「行きましょう」と言ってイクトは早足で歩きだした。脇目も振らず振り返らず、何もかもを振り切るように、ここではないどこかを目指して駆け出した。

 だから、

 後ろで先生がこっそりと、ちょちょいと手招きをしてそれからしーっとやってただなんてちっとも気づいていなかったのだ。

 


 岬を巡る県道脇にお化けトンネルと噂される手掘りの古いトンネルがある。

 照明はなく昼なお暗く、地下水が常にしみ出て濡れている。見るからに、不気味なところだ。そして見るからに、繋がっていると感じる場所だ。例えて言うなら黄泉比良坂。

「ここが、異界への……」ぜい、はあ、と息を切らしてイクトは言った。手を膝にかけ、肩を震わせ闇を睨む。

「そうデス、ここが入口」

 先生はイクトの頭を後ろから両手で抱えるように撫でた。

「これで見えるはずデス」

 あっ、とイクトは声を上げ、それから息を飲み込んだ。

 闇の中で闇が、影の中で影が、生命を持ってうごめいていた。

 それは両親が消えたあの時に見た、あの光景と全く同じものだった。

 あの日以来イクトはネットで書籍で同じような失踪事件を調べてきた。それを周りの大人たちは悲しみから逃れるための行為だろうと噂した。でもそうではなかった。

 なかったのだ。

 あれは確かにあったことなのだ。

 神隠しはあったのだ。

 そうだ、あの日から今日まで何度思ったことだろう。何度悔いたことだろう、何度お願い神様と震えて唱えたことだろう。

 僕のせいだ、僕があんなところに行こうだなんて言い出さなければ、僕があの時子供みたいにはしゃいで先を急いだりしなければ――

 だから、

 行かなくては、

 行かなくては。

「行こう先生」

 瞳孔を拡大させてイクトは言った。

「行きまショウ」

 先生はイクトの手を取った。熱く汗ばむ、爪の跡が刻まれた手を。

 二人は闇の中へと進む。

 

 ぴちゃ、

 ぴちゃ、

 と滴る音と。

 シャーーン……

 シャーーン……

 と深く長く震えて響く鈴の音があった。

「O`iche agus la`――

 Solasa agus sca`th――

 Anseo agus ansiud――」

 ドルイドベルの音に乗せて、先生は歌うように言の葉を紡ぐ。

 歌の意味は解らなかったが、その響きは細胞膜を透過して核まで震えさせるようだった。

 眠っていた官能が目覚める。

 影がうごめきだした。霧が踊るように雲が崩れ落ちるように水銀が渦を巻くように、闇の中で闇が、影の中で影が、動く姿が見て取れた。

「――Oscail!」

 その時、光と闇が反転した。此方と彼方の存在確率が逆転し、波動が体を突き抜けた。

 転移が始まった。

 その時イクトは「うわあ」「きゃあ」と後方から上がる声を聞いた。

 直後、四人の存在はこの世から消え、跡には等質量の水が残った。




 ほんの一瞬、意識を失う感覚があった。

 気がつくと草の上にいた。身を起こし辺りを望むとそこは小高い丘の上。自然がそこに広がっていた。

 いっけん地球と大した差はない風景だ。 

 空はやはり青く、山はやはり暗く、緑はやはり緑であった。鳥が鳴き風が草の香を帯びてそよいでいた。

 だが、違う、現実の自然とはあきらかに異なる。 

 見渡す景色の全てにおいて、陰影は薄く、色は淡く、輪郭は曖昧だった。 

 イクトは土の手触りに気がついた。スポンジのようにふわふわとして頼りげのない、おぼろげな手触りの大地であった。立ち上がると今度は我が身の異常な軽さに気がついた。まるで肉体が消え心だけとなったような、ここはあらゆるものが朧な世界であった。

 此処こそ異界、逢魔の世界。

 昼と夜との狭間の時のみ越え渡り能う、現世の彼岸の常世の世界。


「ここが……」とイクトは呟く。

「そうよ」と先生が答える。「霊界ほどには遠くなく、星々ほどには近くもない、もう一つの世界」

「それで」とイクトは言葉を続ける。「アレは?」

 アレ、とは「わー」だの「きゃー」だの能天気なはしゃぎ声を連発しているふたりの事だ。

「すっげー! なんじゃこれ!? すっげー!」オーマは猿よろしく地面でトランポリン遊びをしている。

「何これ何これ!? 体が軽い!」ミュウは至っては2メートルもジャンプして二重とんぼを切っていやがる。

「んっとね、その、せっかくだし手伝ってもらおっかなーって」

「先生……」


 


「せんせー、ここどこなん?」とオーマがたずねる。

「んー、説明するのはむずかしいんだけど、一言でいうと……異世界? かしら」

「あー異世界ね、知ってる知ってる」

(知らねーだろお前絶対)とイクトは思う。

「兄ちゃんのツレがキノコで行ったとか言ってたやつだ」

(それは絶対違うと思う)

「はい先生」と今度はミュウ「スーパー開いてるの八時までなんで、それまでに帰りたいんですけど」

(オイ女子、お前何しに来たんだ)

「それは大丈夫、帰ったら一緒に半額のお惣菜買いに行きましょう」

「……もしかして、先生けっこう貧乏ですか」

「派遣はねー、きびしいのよ色々と」

(異世界まで来て何の話してんだあんたら)

「いい加減本題に戻りませんか」イクトは吐き捨てるように言う。「遊びに来たんじゃないんだから」

「えー」

「じゃ何しに来たんだよ」

「それは……」

  言えない。親を探しに来ただなんて、こいつら相手に、まさか言えない。

 だから

「イクトくんのご両親がいま神隠しに遭っててね、こっちの世界に探しに来たの」と先生が全てぶっちゃけた。


 なんで言うかな、とイクトは膝を抱えて思う。

 その背中をばんばん叩いてオーマが言う。

「心配すんなよ、俺らにまかせとけって」

 予想通りの上からな物言い。だから嫌なんだ。

「元気出してイクトくん、あたしも手伝うからさ、一緒にがんばろう、ね」とミュウ。

 こっちは早くも名前呼び。馴れ馴れしいんだよ、と言いたくなる。

 どいつもこいつも口だけは達者だ。任せろだとか助けるよとか平気な顔して言いやがる。でも実際は優越感にひたりたいだけ。かわいそうな奴に手を差し伸べるのはさぞかし気分がいいだろう。お手軽に偉くなった気になれるもんな。でも実際は、口先だけ。何の中身もないガワだけの恩を売りつける連中ばかりだ。

 だから誰にも言いたくないのに、どうしてそれを言うんだろうか。

 イクトは恨めしげな眼を先生に向けた。

 先生はでかいカバンに手を突っ込んで何やらごそごそやっている。

「先生、何持ってきたんですか」とミュウがたずねる。

(オイもう興味はそっちかよ)

「んー? 色々。杖でしょ、香油でしょ、それに……」

「おい! おい! あれ見ろアレ! あの飛んでんのプテラノドンじゃね?」

「え、うそうそ、ホントだー! 何ここすごーい! どうなってんのー!」

 あっという間に二人の興味は別の方。

「……ワイバーンっていうんだけどね」と先生は一人さみしく呟いた。「準備できるまでそのへんで遊んでて、……なんていわなくても遊んでるわねもうすでに」

 はあ、と小さくため息を漏らし、先生は丘の頂に向かった。

(本当に、なんでこいつら連れてきたの?)

 子供のように駆けまわる二人の姿に顔をしかめるイクトであった。

 その目の前に、黒い水溜りが近づいてきた。

 

 それが敵だとは思わなかった。

 実体を持たない影だけの影。イクトが呆とながめていると、影が沸き立つように立ち上がった。

 実体化した影の姿は猿に似ていた。大きさは1mほどで頭が大きく体は細い。灰色のガスの塊のような曖昧な素材の肉体だが、吊り上がった大きな目だけが黒曜石のような質感で暗く鋭く光っている。

 影魔。影の怪物、そして敵。

 おどろくイクトの顔面めがけ影魔が飛び掛かった。

「ひっ」

 上体を倒しそれをかわす。と、影魔はイクトの背中に飛び乗り首に手をかけ抱き着いてきた。

「重いっ」たまらずイクトはひざから崩れた。

 取り付いた影魔が重いのか、いや自身の体が重いのだ。力が奪われたようだった。地に手をついたままで立ち上がることすら出来なかった。

 ヒダル神、という伝承をイクトは思い出す。異界とよばれる熊野の地に餓鬼穴と呼ばれる洞があり覗いたものは突発的な脱力感に襲われ身動きがとれぬまま死んでしまうという。

 穴、

 異界、

 もしやその餓鬼穴とやらはお化けトンネル同様この地に繋がるスポットでヒダル神とはこの化け物の事ではなかったろうか。

 いや、考えている場合ではない。体はますます重みを増してついにイクトは肘をつく。

「助けて」と絞り出すような声でイクトは言った。

「おう!」と答えるオーマがいた。木刀一閃。

 イクトの背中でばしゅっ、と空気を咲く音がしたかと思うと影魔は消え失せ脱力感も消えうせた。

「な、な、なんだ。大したことないじゃないか」

「いやイクトくん、今おもいっきり叫んでなかった?」

 

 すげえすげえ、とオーマ。修学旅行土産の木刀を振り回しはしゃいでいる。

 たしかにすごい。振るたびに爆音とともにプリズムの輝きを帯びた白い空気の塊、衝撃波が発生し飛んで行くのだ。

「あたしも」とミュウもまた自慢の正拳突きを放った。ばん、と爆音が鳴りリング状の衝撃波が広がりながら飛んで行く。

「すっご!」ミュウは身震いしながら言った。それからあとはもう前蹴り肘打ち回し蹴り、オーマと二人で爆音大会。

 イクトも真似してやってみた。ぽすん、とイマイチな音とともに生まれた白い塊は――

「あ、小さい」とミュウが言う。 

 

 ふてくされつつイクトは衝撃波について考えた。どう見たって音速を越えるような速度でないのに発生している。ひょっとしてこの世界の空気にはエーテルだとかオーラのようなものが含まれていて、攻撃にオーラを乗せることでそれを弾き飛ばし衝撃波を発生させているのではないか? 

 もちろん考えたところで出来ないという事実は変わらない、変わらないが、なんとなく二人に勝ったような気分になれた。弱いという事実は何ら変わらないのだが。

 と、

「おいやべーぞ、わんさかこっちに向かってる!」オーマが叫んで駆けて来た。

 全力疾走の後ろ、丘の下から影が群れなし追ってくる。5匹10匹15匹、それ以上。

「ひっ」とイクトは立ちすくむ。

 その襟首をすれ違いざまオーマの腕が引っつかむ。

「止まってんじゃねえ!」

「こっちへ」と丘のてっぺんから先生が言った。

 三人は丘の頂へと駆けた。


「四海を駆け天地を渡る風の御君――」

 先生は呪歌を口ずさみながら杖を下から上へと一直線に振り上げた。軌跡に垂直に立ち上がる青い光の線が残った。呪歌を続けながら杖で線に横棒を何本も何本も書き足していく。

 オガム文字。Y、T、E、∃といった文字をを縦に幾重にも積み重ねた図形を想像してほしい。あるいは広葉樹の葉脈の形を。ないしは針葉樹の樹形を想像いただきたい。

 それはケルトに伝わる魔術文字。空中に青く輝く言の葉が書き刻まれた。

「来たりて此処に遊びたもう――」先生が最後の言葉を歌い終わると、プリズムの輝きを帯びた風が立った。

 上昇気流だ。先生が頭上に杖で示した一点めがけて渦をなして吹き上がっていく。上空では下向きの渦、下降気流も生まれている。二つの渦が杖の示した一点でぶつかり合って雲を生んだ。

「何」「何なんだ」ミュウとオーマは驚愕の表情を浮かべて言った。

「魔法だ」とイクトは身を震わせて言った。

 影はすぐそこまで迫っていた。


「雷の御君よ――勇夫も巌もことごとく、土くれの如く打ち砕く――」

 先生は杖を高く掲げ――

「御力いま顕し給う!」振り下ろした。

 骨まで震わす雷鳴と、視床下部に刺さる稲光。稲妻が雲より放たれ影を打った。一撃のもとに影は崩れ去る。

 だが一撃では終わらない。矢継ぎ早に次々に、前後左右に四方八方に、稲妻の矢は斉射され、打たれた影魔たちがことごとく実体化しながら崩れていった。

 周囲を埋め尽くしていた影は残らず全て打ち滅ぼされた。


「先生――」「今のは――?」「魔法、ですよね?」

 目を丸くして言う子供たちに

「お話は後、今は急ぎましょう、夜になるまでに帰らなきゃ」

 と先生は言って、再び呪歌を歌い出した。

「雨の君よ聞き給う、夕べに俄かに喧しく立つ――」

 先生は杖を雲に向け、つつくように軽く突き出した。途端に雲が崩れ落ち、豪雨となって地に降り注いだ。

 濡れた大地に歩み寄り杖の頭で地面を叩く。

「種よ子よ、巌を割りて芽吹けよと――」

 すると身の丈を越える巨大な新芽が大地を割って現れた。先生は微笑みながら芽に杖を向けあやすようにくるくると回し、

「育てや育て、君は天樹の御子なりや――」

 と歌いながら伸びろ伸びろと言うように杖を何度も振り上げた。

 芽はぐんぐんと伸びて太い一本のツルへと育ち先端に実を宿した。

 実は膨らんで物置小屋ほどもある大きな大きなカボチャが育った。

 先生は育ったカボチャをニコニコと撫でまわし、それから「辛抱してね」と言って、とん、と石鎚で地面を突いた。

「焔よ起きよ、汝の飢えを満たす可し――」

 地に電流が走った。先刻、大地に落ちた雷のエネルギーがカボチャの直下に再び集まり、それは火柱となって燃え上がり、カボチャを激しく焼いて焦がした。ヲオオオオと鳴る音は、カボチャの断末魔のようだった。

 だがカボチャは生きていた。真っ赤な炎を身に宿し、オレンジに光り輝きながら、黒焦げたツルを切って捨て、空にぷかりと浮かび上がった。


 気球の原理だろうか、と考えていると、突然に先生がイクトのネクタイにしゅるりと指をかけて来た。

「あ、あの、先生?」上ずった声を上げるイクト。

 先生はネクタイに指を滑らせオガムを刻み魔法をかけた。ポッ、とネクタイの先に緑の小さな光が灯り、蛇のように鎌首をもたげた。

「これは?」

「これは羅針盤の針、指し示してるということは、この先にあなたの求めるものがある」

「それじゃ」

「ええ、あなたのお父さんとお母さんはちゃんと生きてるわ。さあ行きましょう、さあ乗って」

「え? 乗るって言っても」

 浮かんでるのにどうやって? と言いかけたイクトに向けて、カボチャのヘタからツタが伸び、絡みついて引っ張り上げた。

「うわあ」

 ミュウとオーマも同様だった。否も応もなくツタに巻き取られて宙に浮かんだカボチャの上へ。

 先生は歌を歌って杖を振るって身の丈ほどのホウキ草を5本生やした。それぞれにオガムを刻み、そのうち一本を引き抜き自らの乗用とし、横座りに腰かけ宙にスイと浮かんだ。

 残り四本はカボチャのツタが摘み取った。カボチャは摘み取った箒を肘を軽く曲げて持つように、ゆるりとカーブを描いたツタで四本を水平に並べて持った。

「行きましょう」と先生が言った。

 と、箒草はレシプロエンジンのごとく高速回転し推進力を生みだした。

 空にカボチャの戦車チャリオットが飛んだ。

 


 

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