ピアスと蓋 2

「よっす」

 次の日の朝、もう既に席に着いていた上弦に声を掛けると、奴は相当驚いたのか何度か目を瞬かせて口を開いて、閉じて、そうしてやっと。

「おはよう」

 挨拶を返してきた。驚いてもきっちり返して来る辺り、律儀な奴だ。

「早いね」

「まあ、気分?」

「そう」

 相も変わらず平板な声をバックに、ぺらっぺらのカバンから申し訳程度の教科書とノートを取り出して、机に突っ込む。さすがに留年は笑えねえ。マジで。だからこれでも最低限、勉強はしてる。

「俺のこと」

「あ?」

 前から声。

「聞かなかった?」

「何を」

「お前は顔が広いし、慕われてるっぽいし、耳に入ってると思ったんだけど」

 ひょっとしてあれか。昨日烏丸から聞いたみてえな奴のことを言ってんのか、こいつは。

「じゃあ聞くが、お前、ヤクザとかとカンケーあんのかよ」

 周りの空気が凍った、ような気がする。

 知ったこっちゃねえな。

「ないよ」

 上弦の答えはすごくシンプルだった。

「ただの噂」

「あっそ。んじゃあ問題ねえな」

 全く、意味深に聞いてくるからもしやなんて思ったが案の定デマじゃねえか。烏丸も烏丸だがこいつもこいつだ。思わせぶりな態度しやがって。

「ヤメロよなあ、そういうの。マジかもってちょっと思っちまうだろ」

「……そう」

「そもそもよ、デマならデマだって言っとけよ。噂やべえらしいぞ」

「別に、デマ流されても、困らないし」

 急に冷ややかな口調で上弦は言う。

「人付き合いとか、面倒だしさ。それなら勝手に勘違いしてもらってた方が、色々と楽な気がして」

 人付き合いがメンドーだから避けられてホンモウってか。

「バカか、てめえはよ。そういうの、良くねえぞ」

 じろりと睨みつけてやると、少しだけビミョーに上弦は怯んだ。

「人付き合いがメンドーってのはまあ、仕方ねえのかもしれねえけどよ、やっぱデマはダメだろ」

「何で」

「なんでって、そんなの良くねえからだよ。あとムカつく。お前、悪い奴じゃねえじゃん。コミュ障? ってワケでもねえじゃん。つーか頭も良いんだろ? 授業マジメに受けてるっぽいし。そういや、名前もちゃんと覚えてんだな。マジで頭良いじゃん。しかも話しかけたら俺みたいなのでもちゃんと話してくれるし。だから、俺が腹立つ。良い奴を悪い奴呼ばわりすんのはよ、オカシイじゃん」

「本人が良いって言ってるのに」

「それでも、俺はやだね」

 ああ言えばこう言う。俺がイヤってだけで、理屈はねえんだ。だから、ツッコまれても困る。ぜってえ言ってやらねえけど。だから、頭をがりがり掻きむしりながら、ちらっと時計を確認した。もうホームルームだ、ちょうど良い。

「別に一々テーセーして回れって言ってんじゃねえの。違うなら違うって言えって話。あと人付き合いがメンドーだとか、ストレートにぶっちゃけるのもやめとけよな。もっと悪い噂できちまうかもだぜ」

「別に」

「俺がムカつく」

「…………そう」

 ものすごくしっぶい顔で上弦が返事をすると、ちょうど良く担任が入ってきた。真面目な上弦は一瞬俺に視線を寄越したが、すぐに前に向き直った。それ見たことか。そういうのができる奴がヤクザのお仲間なんてオカシイ話だ。噂なんざクソ喰らえ。上弦の、長めの襟足を見ながら心の中で誰か知らねえデマを流した野郎にツバを吐いておいた。

 一体どれだけ、こいつのことは知られていないんだ。

 そりゃあ、俺だって知らねえけども。



   ・・・・・



 午前の授業が終わり、ぱたりとノートを閉じる背中に声を投げる。

「お前さあ、飯どこで食ってんの?」

「懲りないね」

 いつもと同じ、言っちまえば能面みたいだった上弦の表情が、ビミョーにしかめっ面になってやがる。こっちの方が親しみやすいんじゃねえのかな。

「いやさ、俺だって考えたんだよ。確かにお前のこと、俺知らねえじゃん。そりゃ、知らねえ奴からぐちぐち言われたら腹立つなって思った訳よ。だから、その、あれだ、チョーサ? って奴だ」

「調査は疑問形でなくて良いんじゃないの」

「うるせえ」

 対人でこういう言葉は使わねえから、落ち着かなかっただけだっつうの。

「お前、昼飯ん時教室にいねえじゃん。んで、俺普段屋上にいるから知ってっけど屋上にもいねえ。だからどこで食ってんのか気になったんだよ」

「食堂って線はないの」

「ないない。お前、人付き合いメンドーなんだろ? んじゃあそんなとこ、行く訳ねえな」

「随分と勝手な物言いだね」

「違うのかよ」

「いいや、合ってる」

 言いながら上弦は立ち上がる。

「どこ行くんだよ」

「購買」

「んじゃあ俺も行く」

 しかめっ面。んで、溜め息。

「……そう」

 諦めたらしかった。俺にとっちゃあ都合が良いから自分の弁当を引っ掴んで、さっさと購買に行こうとする上弦の背を追った。

「いっつも購買なのかよ」

「面倒だからね」

「作るのか、飯」

「うん。一人暮らしだから」

 オンゾーシにも色々あるらしい。あっそ、と返して周囲を見回して、ちょっとだけ後悔する。めちゃくちゃ見られてねえか、俺ら。興味津々というか、怖いもの見たさ? というか。どちらにせよ、あんまり良い気はしねえ。試しに適当な奴にガンを飛ばしてみりゃ、慌てたみたいに目が逸らされる。骨がねえや。

「悪目立ちするよ、冠」

「別に今更……つうか、いっつもこんなんなのかよ」

「ここまでじゃないよ、普段はね」

「ちょっとはあんのかよ」

 まあね、とさらっと答えやがった上弦はすたすたとなんにも気にしてねえみたいな涼しい顔で購買まで歩いて行って、普通にパンを何個か買った。

「冠さ、まだ付いて来るつもり」

「そりゃな、ここまで来て帰っかよ」

「そう」

 びっくりするくらい能面みたいな顔でそう言うと、上弦は周りの目なんざ知ったこっちゃねえと言わんばかりに進んで行く。この方向は、確か。

「旧校舎か?」

「そう」

 テンプレかよ、なんて思いながらいくらかボロそうな建物に足を踏み入れる。新校舎が出来てしばらく、もう誰も用事のないような建物だ。確か、もう一二年で壊されるとかなんとか、そんな話を聞いたことがあるような。冷暖房もねえし、新校舎から移動ってのもめんどいし、なんつうか、ビミョーに不気味なもんだから寄り付く奴はいねえ。

 なるほどな、それだからか。

「うってつけ、ってか?」

「そういうこと」

 ぎしぎしとやたら不安な音を立てる階段をゆっくり上り、錆びて立て付けの悪くなった扉を開けると、そこは屋上だった。新校舎よりは低いが、それでもなかなかの眺めだ。

「結構良い感じなんだな」

「そうかな。人がいない所は楽で良いけど」

 言って、上弦は適当な所に腰を下ろしてパンの袋を開け始める。俺も食わなきゃならねえから、とりあえず隣に座って弁当の包みを開ける。……おふくろ箸親父のと間違えてやがるなこれ。まあ良いけど。案の定上弦は一つも喋らずもそもそパンを食ってるから、一応それにならう。

「お前さ、楽しくないでしょ」

 と思ったら、上弦はぽつりとそんなことを言った。

「あ?」

「お前が何思って俺に付き合ってるのかは知らないけどさ、別に何の面白みもないよ、俺といてもさ。さっきも変な感じになったし」

「あれはお前のせいじゃねえだろうが」

「それでもだよ。俺といなかったらああはならなかった。冠さ、お前、結構慕われてるんでしょ。なら俺なんか放ってそっちに行けば良い。これ以上面白いことはないよ」

「面白いってなんだよ。さっきから聞いてりゃ」

「……珍しいからでしょ、お前が俺について来んのって。どうせ飽きるよ」

「はぁ?」

 何言ってんだコイツ。

「飽きるって何だよ、漫画やゲームじゃねえんだぞ。人に飽きるってどういうこったよ? そういうの考えて付き合うのかよお前は」

「俺は別に」

「なら言うなってんだよそういうの。ネガティブ過ぎんぞ。つーかお前は面白くね? オンゾーシ? だしそのクセ一人暮らしだし、ギャップ? もあるしよ。そんなら俺なんなんだよ。俺なんかちっとも面白くねえよ」

 オンゾーシじゃねえし、バカだし、俺。

「冠は面白いよ……多分」

「んじゃあお前はもっと面白えよ。だから飽きるとか飽きないとか、意味分かんねえ話すんなよな。俺はお前がどういう奴か知りてえの。面白いとかそうじゃねえとか、関係ねえよ」

 と言うか、そういうのを決めるのは自分じゃねえだろ。

「あんまさあ、ネガティブなこと言うなって。お前頭良いから難しいのかもしれねえけどさ。俺分かんねえんだよ、そういうの」

「……そっか」

 上弦は少しうつ向いて一口パンをかじる。……まあ、俺も大概好き勝手なことを言っちまった気がする。別に、俺だってエラソーなこと言える立場じゃねえのに。

「俺は頭悪いからよ、なのにすっげー変なスイッチ入るとやたら喋っちまうし、話半分で聞いてくれよ」

「でも、お前の言うことは正しいと思ったよ。だから、ごめん」

「謝るほどじゃねえよ。んでも、今後は気を付けろよな」

「分かった」

 言うと、表情一つ変えずまた食事に戻る上弦。ちゃんと分かってくれたのか、それとも喉元過ぎればなんとやら、って奴なのか。まあ、そんなの分かんねえな。俺もさっさと弁当をかき込むことに専念する。休み時間が終わっちまう。

「冠」

「ん?」

「お前は大丈夫そうだけどさ、此処のこと、一応秘密にしといて」

「おう」

 そりゃ、一人が良いからってこんな所に来たんだもんな。俺だって言いふらす程悪趣味じゃねえ。

「……お前は、まあ、知っちゃったから、また来ても良いよ」

「まあまだまだお前のこと分かんねえしな」

「……そう」

 妙にシュショーに聞こえる返事だった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

月と夜鷹 夏鴉 @natsucrow_820

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ