ピアスと蓋 1

 ちかり、とそいつの耳に銀色のピアスが輝いていた。

 高校二年生、授業は四時間目。退屈で、眠くて仕方がない。おまけに腹の中はすっからかん。気紛れで授業に出ようなんて思うんじゃなかった。噛み殺す気もない欠伸を繰り返して、何となく視線を投げた先に、ピアスがあった。男のクセに少し長い髪の毛の間から覗く銀色。視線を動かせば、かりかりと律儀にノートをとっている手が、身体越しにちらりと見えた。

 確か、上弦佳月。俺の一つ前の出席番号で、そんでもって俺の前の席に座っている奴。俺は毎回授業に出ている訳じゃないけど、それでも俺が見ている内で居眠りはおろか内職すらしちゃいない。まあ、生真面目な野郎なんだとは思う。誰かと話している所は見たことがないし、俺がつるんでる連中の話題に上ることもない地味な奴。

 だから、そいつの耳がピアスに彩られてたってのは、俺の中では結構な驚きだった。そりゃウチの高校は校則緩いからピアスくらいどうってことないが、とにかく意外だった。しかも、一つじゃない。よくよく見てみれば、上弦の左耳には三つのピアスが着けられていた。おまけに一つは軟骨。髪に隠れちゃいるが、どうやら右耳にも何個か着いている。何だか、見ている俺の方が痛くなってくる。そりゃ俺らはそう言うオトシゴロだし、俺自身は興味ないが耳にピアスを開けたって仲間もそれなりにいる。だが、何と言うか、生真面目な野郎がいくつも、しかも痛いって噂に聞く軟骨にまで穴を開けちまうってのは中々不思議な話に思えた。

「なあ上弦」

 だから、授業が終わると声を掛けちまった。単純に、興味本位で。

「⋯⋯何」

 ぴくり、と一度動きを止めて、上弦が振り返る。長い前髪越しの、吊り上がった生気のない目がじっとこっちを見て、低い、平坦な声が返ってくる。こいつ、後ろ側ばっかり見ていて前からまともに見たことがなかったが、結構コワイ顔してやがる。と言うか表情がなくて得体が知れねえ。だがまあ、声を掛けた以上、ここで会話を放棄する選択肢はない。

「お前さ、ピアス着けてんのな、三つ」

「そうだけど、何」

「痛くねえの? そういうの。特に軟骨とかさあ、痛えって聞くからよ」

「ピアス、興味あるの」

「あー、いやそういうんじゃねえよ。痛そうだし」

 がりがりと頭を掻きながら言えば、ぱちりと瞬きをして、上弦は椅子に座り直した。

「痛い、と言えば痛いね。興味ないならそれで良いと思うよ、俺は。開けて褒められるもんでもないしさ」

 左手で自身のピアスを弄りながら上弦は言う。意外と穏やかな口調だ。

「やっぱ痛えんだ」

「そりゃ、穴開けるからね」

 おまけに、思った以上に淀みのない話し方をする。勝手に口下手だと思ってたんだが。ちぐはぐな感じにこっそり驚いている俺を尻目に、上弦は続ける。

「変って思った?」

「あ?」

「何で三つもって、思ったから声掛けたんでしょ」

「あー、まあ、な。こう言うのってヘンケンなんだろうけどよ、上弦そう言う風に見えねえじゃん。だからさっき気付いてビビった。やっぱオシャレとか、そんな感じな訳?」

「どうだろうね」

 眉一つ動かさないまま、上弦は言う。

「何だよそれ」

「別に。どっちにしろ、異常じゃん。何個もピアス着けるのって」

「そんなことはねえだろ」

 何でそう言うことを言うんだか。

「らしいらしくないみたいなのはあったけどよ、別にやりたかったらやるしやりたくないならやらないってだけで、変とか変じゃないとかそういうのは筋違いじゃねえの。好きで着けてるんならソウデスカで良いじゃねえか。少なくとも俺は気にしねえよピアスくらい。開けといて自分で言うなよな」

 誰かに無理矢理とかならそりゃ問題だが、自分で決めて開けたってんならそりゃ他人が口出しすることじゃないだろう。校則を破ってる訳でもないし。俺は自分で開ける気はないが、他人が何個開けていようが、別に気にしやしない。まあ、そんなに開けてどうすんだろう、って思いはするが。そういや昼飯も食わねえとな、なんて思いながら俺が言えば、上弦は少しだけ目を見開いた、ように見えた。

「⋯⋯そう、だね」

「てか結局どうなんだよ、やっぱファッション?」

「内緒」

「内緒ぉ?」

「聞いても楽しくないからさ。⋯⋯もう良いかな、俺、昼飯買いに行かないといけないから」

「⋯⋯そーかよ、んじゃ行けよ。悪かったな、時間取って」

 がたり。音を立てて上弦は立ち上がる。……思ったよりデカイ。俺よりタッパはある。ひょろっとした、なよなよした奴だって、勝手に思ってた。背中はちょっと丸まっていたが。

「あとさ、冠」

 俺の名前、知ってんのか。

「あ?」

「俺とあんまり話さない方が良いと思うよ」

「んだよ、それ」

「別に。……お前のことが嫌とか、そういうのじゃないから」

 じゃあ、と、もう一度素っ気ない挨拶を残して、上弦は教室を出て行った。

 何故か、周囲の視線が奇妙に気に障った。


   ・・・・・


「なあ鷹司、お前、あの上弦に声掛けたってマジ?」

 放課後、よりも少し前。授業に出るのも飽きて休憩時間に抜け出し、屋上へ出る。そうすれば、大体つるんでいる仲間の誰かはいて、ぐだぐだとくっちゃべったり、飯食ったりしている。色々とメンドウなので、煙草や酒なんかはナシだ。ケンコーにも悪いし。カツアゲとかのワルイこともナシ。そういうのは性に合わないし、むしろそういうことをしている奴らとぶつかってる方がスカッとして、気分も良かった。半端者だって自覚はある。結局、こうしたのは皆、ちょっとしたハンコウキでしかなかった。案外、教師からの評価も悪くはないのだ。こう見えて。

 そんないつも。いつもの連中、の中の、取り分け仲の良い烏丸がそう言えば、なんて言ってそんな言葉を掛けてきた。

「おう、何かあいつ、ピアス何個も着けててさあ、ビックリして聞いた」

「上弦何か言ったのかよ」

「いんや。なーんか、はぐらかされた。結構意外な発見は出来たけども」

 ギャップ、と言うか、何と言うか。ニンゲン、見た目が全てじゃねえんだなあ、というのが素直な感想だった。

 烏丸は何となく、苦いような、気まずいような顔を作って、俺の肩を抱いて声を潜める。

「んだよ、気持ちわりい」

「鷹司よお、お前、アイツはマズイぜ」

「ああ?」

「お前は興味なさそうだから誰も話題にゃ上げなかったがなあ、上弦はマズイ。激ヤバだ」

「極悪人ってか?」

 そうは見え……いや、顔だけは割と……なんて間抜けたことを考えている俺を尻目に烏丸は馬鹿みたいにヤバイ、マズイと捲し立てる。

「意味分かんねーぞ。オウムじゃあるまいし、具体的に話せ」

「噂に聞いたが、アイツ、ヤクザとカンケーがあるんだってよ。マジモンだ」

「…………あっそ」

 馬鹿らし。ふん、と鼻を鳴らすとムキになったのか、烏丸は一層声を落として捲し立てる。

「お前、馬鹿らしいって思ってんだろ? でもよ、あいつ金持ちじゃん。天下の上弦グループのオンゾーシ。でもこんなフツーの高校に通ってんの。おかしくね? しかもピアスとかさ。これは絶対何かあんだよ。……まあ、ヤクザは言い過ぎかもだけどよ」

「上弦、金持ちなのか」

「お前、そっからなのかよ!」

「興味ねえもん、そういうの。……あーでも、言われてみりゃ、上弦って聞いたことあるな。道理で」

 どっかの金持ちより今日の飯だ。

「つーか、噂じゃねえか、結局よ」

「火のない所に煙は立たねえって言うじゃん」

「どーだか」

 ふと、昼間のことを思い出す。

 ――俺とあんまり話さない方が良いと思うよ。

 ――お前のことが嫌とか、そういうのじゃないから。

「……ああいうこと言う奴が、ヤバイ奴な訳ねえよ」

 頭はあんまし良くねえが、そういうことは、知ってる。

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