真夜中と手遊び
ふ、と。目が覚めた。真っ暗な部屋の中、ベッドの中で身じろぎもせず鷹司はぼんやりと目を瞬かせた。厚く引かれたカーテンの向こうから光は届かない。きっと、まだ朝までは時間があるのだろう。重い瞼が降りないように苦心しながら鷹司は考える。そのまま身体を捩り腕を背後に伸ばす。
ぽすん。
おや。ぱちりと瞬きして、シーツの海を探る。確か、鷹司の記憶が正しければ、そこにはしっかりと温もりがある筈なのだが。
ぽすり、さらり。
ひんやりした、シーツの海原が広がるだけ。
今度こそ覚醒して上体を起こす。眠い目を擦りながら隣を見れば、先の感触を裏切らず眠る前は確かにいた筈の佳月の姿はなかった。ぐしぐしと掌で目や顔を擦って、ベッドをのそのそと這い出す。ぺたり。春の、薄らと夏の気配を感じる季節。それでもフローリングはひんやりと体温を奪った。ふらり眠気の残る頭を振って、リビングに繋がるドアを開ける。
暗く、静かなリビング。家主の気質を表したように最低限の家具と大量の書籍が息を潜める空間。その中の、一際存在感のある大きなソファに、黒い影が蹲っていた。
「寝れねえの」
驚きもなく鷹司は言葉を投げた。
「うん」
果たして、影は応えを返す。平板で、ぼんやりとした声色で。ほう、と小さく息を吐いて鷹司は影の、佳月の隣に腰掛けた。半分だけ真似をした、片膝だけ抱えた姿勢で両膝を抱えて小さく纏まっている佳月に視線を向ける。
「良いよ、鷹司」
佳月は真っ直ぐに、鷹司に視線を向けることもなくぼんやりと呟く。
「寝ててよ。俺も眠くなったら寝るから」
「そう言って、お前大抵朝まで起きてんじゃねえか」
「……そんなことないよ」
薄っぺらい響き。鷹司の言葉が正鵠を射ているのは、きっと本人が一番良く解っているのだろう。
昔から、そうなのだ。上弦佳月という男は頭が良いからか、それとも全然そう言うのは関係なくただただ気質なのか、色んなことに心を砕いては、時々こうして困り果てたように夜の時間を追い掛ける。生憎と、頭も気質も単純な鷹司には佳月の心象を思い計るのは至難の技で、割と早い内からそういうことは諦めている。元々、頭だってそんなに良くはない。だから、夜を一緒に過ごすようになって、一線を超えて、そうして漸く——付き合いの長さからしたら、漸くなのだ、本当に——佳月の変わった習慣に気付いても特に解決をしようとは考えなかった。ただ、気付けば隣に座って、一緒にぼんやりしてみるくらい。そりゃあ、ホットミルクくらいは作って眠気の呼び水になれば良いだなんて思いながら下らない話は振るけれども。
「なんか飲む?」
「ホットミルク」
だからか、こう言う時に佳月は大体おんなじ物を所望するようになった。鷹司も予想しているから、ん、なんて簡潔な返事をしてキッチンに向かう。牛乳も蜂蜜も、切らせないようにしている。
ミルクパンに二人分の牛乳。かちりとつまみを捻ると青い炎がぶわりと立ち上がる。
「鷹司はさ」
このくらいになると、大抵佳月はほろりと声を零し始める。
「俺が死んだらどうする」
「死なせねえよ。つうか日本だし、んな死ぬようなこともねえって」
「もしもだよ」
じいっと自分の足元に視線を落として佳月は言う。
「たられば。フィクション」
「って言われてもなあ」
がりりと頭を掻いて、目を細める。ゆらゆらと、熱せられた牛乳がミルクパンの中で対流する。
「分かんねえな、そん時にならねえと」
「そう」
不満でも、満足でもなさそうに佳月は息を吐く。そう。噛み締めるように零されたその言葉を背景に、鷹司は火を止める。二人分のホットミルクを色違いのマグカップに注ぐ。蜂蜜は適当に。初めて作ってから、この量で文句を言われたことはない。
「ほい」
「ありがと」
ふう、と息を吹きかけて一口。ほうと息を吐いてテーブルに。何時も通りの所作。何かの儀式のように、佳月は何時も同じように鷹司の作ったホットミルクを飲んでいく。
「俺は」
そんな合間に、言葉を差し込むのだ。
「後を追うのかな」
「あ?」
「さっきの続き」
ほんのりと、苦笑のような曖昧な色の表情を乗せて、佳月は膝に顔を埋める。
「俺は、どうもしないのかもって、そうかもって、思わなくもないかなって」
「ほおん」
「変な返事だね」
「いや分かんねえもん。んなもん、考えてるよか明日の予定考えてる方が俺は多いし。飯どうしよって」
実際、明日の朝食だってノープランだった。
「明日何食いたい?」
「明日?」
「明日っつうか、今日っつうか。とにかく朝飯なんかリクエストある?」
面食らったようにゆっくりと瞬きをして、佳月はううん、と苦笑いをしながら口の端を引き上げる。
「急に言われても、思い付かないよ」
「それもそだな。まあ折角明日は午前何もないし、久し振りにちょっと凝ったのつくっかな」
「楽しみ」
ふふ、と吐息のような笑声を零して、佳月はまたホットミルクに手を伸ばす。ふう、と息を吐いて、また一口。別に猫舌でもないのに佳月はゆっくりとホットミルクを飲み干していく。
「どうだ、眠気は」
「微妙」
「微妙かあ」
まあ、想定内。どうせ、明日は早起きの理由もない。じっくりと、腰を据えて付き合うつもりだった。ぼう、と鷹司はちびちびホットミルクを飲む佳月を眺める。骨張った手はマグカップと、未だ折り畳まれた膝を行ったり来たり。ふわふわと、何処か掴み所のない気紛れな動き。ぼんやりと、薄らと眠気の宿った眼差しを向けたまま、その気紛れな手に自分のそれを伸ばす。びくり。不意の接触に跳ねる手を、宥めるように撫でる。
「どしたの、急に」
「んー、何となく」
「……もしかしなくても眠いでしょ」
「いんやあ?」
「……そう」
呆れたような、微笑ましいとでも言いたいような応えをぼんやり聞きながら、捕まえた手に指を絡める。つい、と指先から指の腹で撫ぜて、指の間をすりすりと擦る。夜に交わす行為よりも穏やかで、けれどもとても近しい、子供のような
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