第1章 夢の声1


空が厚い雲に覆われた昼下がり、教室内は休み時間で賑わっていた。



皆が昼食を食べる音や大袈裟な程に談笑する声を聞きながら、

黒板の近い窓辺の席で、紫乃(しの)は弁当箱を片付けながら静かに夢の事を思い返していた。




静かな森の中の湖畔に立ち、聳える大樹を見る夢。


紫乃が物心ついた時から時折見ている夢で、不思議に思いつつも特別気にはしていなかった。


ただ、今朝は今までと違って確かに少女の様な幼く高い声が聞こえた。



そのあまりに消え入りそうな絞り出した声が、実際に聞いた様な感覚で頭に刷り込まれ、忘れられずにいた。



夢は夢でそれ以上のものは無いと思っていても、何度も頭の中に響いてくる。




「なにが、同じなんだろう…」



今にも降り出しそうな空を見ながら、ぽつりと呟いた。



「紫乃、どうしたの?」



突然、机に手をかけて顔を覗き込んでくる影に思わず体が跳ねる。



「びっくりした、環(たまき)…用事は終わったの?」


「うん、委員会のプリントを貰ったきただけ。」



環はプリントをひらひらとさせながら、長身のすらりとした身体を反らし、そして窓の外を見た。



「ああ、もしかして紫乃も傘忘れちゃったの?」



窓辺を眺めていた紫乃を見て思ったのか、

環は雨降りそうだよねと言って眉を下げて、大きな目を縁取る眼鏡をずり上げた。




「そうね、でも私はちゃんと傘持ってるよ。」


「なんだあ、私持ってこなかったよ。」


「梅雨時期は傘持ってこないと…あ、降ってきたね。」



気象庁が梅雨入りを発表したニュースはつい最近のもので、蒸し蒸しとした暑さが日に日に増していた。



「私の傘に入っていいよ、放課後は図書館に行くけど…」


「本当?やった、私も行っていい?」



近くの山影が擦れる程、雨足が強まるのを見て苦い顔をしていた環が嬉しそうに首を傾げる。


勿論、紫乃に断る理由も無い。



「いいよ、本を返すのと明日のテスト勉強するだけだけど。」


「うん、紫乃に数学教えてほしいの!今日も後一限で終わるねえ。」



次は世界史だったなと思いながら紫乃は頷く。


テスト期間でいつもより早く授業が終わるのは喜ばしい事だが、

辺りを見ると雑話しながら参考書を片手に持っている生徒が殆どで、心なしか教室の空気がピンと張っていた。



それも仕方ない事で、この新渡坂高校は県内随一の進学学校として有名だ。


それなりに内容は難しい上に、

高校三年生前期の成績は進路を決める上で重要だと皆が意識していた。



「紫乃はずっとトップの成績だもんね!世界史も余裕そうだね。」


「環だって変わらないじゃない。」


「いやいや、紫乃は群を抜いてるし、私は理数が駄目なの。」



そう言って環は眉上で揃えた前髪を弄って、息を吐いた。


確かに中学生の頃から誰よりも環はよく本を読んでいるし、現文や古文の方が得意だったなと紫乃は納得した。



紫乃が学年で一位の成績を取り続けるのは、

部活動に興味がなく、勉強に打ち込んでいるので、他者に負けたく無いという意地があった。


その点、 厳しい陸上部に所属までしている環は、学年で五位以下の成績になった事は無く、その要領の良さや努力に紫乃は素直に憧れていた。



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