祐樹と田中先生
クラスでの僕の成績は下の方だった。どうも皆と同じように勉強しても同じにはならない頭みたいである。宿題もやっているし、授業もまじめに聞いている。自分自身が唯一分かっていることはどうも呑み込みが遅いということくらいである。小学校に入学してから今の6年生になるまで特に成績の上下はない。何年もその位置にいるとどこか居心地もよくなってくる。ここが僕の定位置で、ここが僕の居場所なんだと。そう思う事で自分を自分として認めることができ、安心できる。そう思う方が何かと都合が良いのだ。初めから諦めていたわけではない。僕だっていつも成績が低いことには悔しさを覚えていたし、先生や同級生、そして親の目もテストの結果や成績表が出されるたびにきつく感じた。テストの結果または成績表が渡される日は学校には行きたくなかった。行けば胸が苦しくなって、息がしづらくなり、汗が止まらなくなり、頭が真っ白になる。親にそんなことを言っても信じてもらえるわけはなく、子供の嘘として片づけられるのがオチだった。子供というのは嘘がうまい。自分を守るために平然と嘘をつく。そしてその嘘はたいていただのダダである。少なくともそれが母の常識だった。だから成績表やテストの結果を渡される日に休んだことは一度もない。これは僕だけの誰にも理解できない誇りだ。
4年生になったころに田中先生が担任になった。このころに祐樹とは友達になった。この二人との出会いはこの時に会わなければ今の僕はいないと言えるほどの出会いだった。祐樹は非常に活発な子でスポーツは何をやらせても一番、だからといって勉強ができないわけでもなく、成績もクラスでは一番。学年では4番目だった。そんな祐樹が新しいクラスのみんなから注目を浴びるまでに時間はそれほどかからなかった。僕はというと祐樹とは全くの逆の位置にいる子だろう。引っ込み思案で人と目を合わせて話すことすらできず、祐樹と会うまでは周りからからかわれる対象の一人だったように思える。さらに成績も悪いのだから、その対象の中でも比較的からかわれる時間は長かったのではないだろうか。視線を膝から上に向けることができない僕は冷静に周りの状況を判断することは当然できないので、その時間の長短はあくまで推測である。祐樹は正義心も強い。そんな祐樹が僕をほっておくことは彼の中で決して許されることではなかった。祐樹だけが僕に優しさと興味を持って近づき、からかわれているときはいつも守ってくれた。そのおかげでしばらくしたら僕は周りからからかわれなくなった。祐樹にはいつか恩返しがしたいと思っているが、今はその方法が思い浮かばないし、祐樹も恩返しなんて望んではいないだろう。祐樹はそんなやつだ。祐樹は段々と僕に純粋に興味を持ち、今では一緒に登下校している仲である。僕も祐樹と一緒にいるときだけは何も気を遣うことなく、自然の自分でいれた。僕が相手の目を見ることができるのは祐樹くらいであろう。親でも見れるか見れないかだ。もちろん自分の目も見ることもできない。だから僕は自分がどんな顔をしているかをはっきりとは分からない。僕は祐樹の澄んだ目が好きだった。祐樹の薄茶の目は無限の奥行きを持っていた。僕は人の目を見ることができない。だけど、祐樹のような目を持っている人間は殆どいないと思う。僕はどんな目をしているのだろう。恥ずかしいけど、今度祐樹に聞いてみよう。
田中先生と直接、初めて話したのは4年生の新学期が始まって、3日たったくらいのときだと思う。祐樹が僕に興味を持つ前である。田中先生は新学期に入る前に事前に自分のクラスの生徒のことをよく調べていたらしく、その過程で引っ込み思案の僕が心配になったのだろう。田中先生は休み時間に自分の席で下を向いて座っている僕にそっと近づき、慎重にそして言葉をそっと置くように声をかけてくれた。その内容は明日の宿題についての確認だったが、そのあとも僕の趣味についても色々と質問をしてくれた。僕は昔から絵を描くのが好きだった。特に夕陽を背景にした絵は何度描いても飽きない。人には同じ絵に見えるかもしれないけど、決して同じ夕陽の景色はあり得ない。その微妙な違いが僕には分かる。先生もそれには多少の理解があったようだった。その日僕の話を興味深く聞いてくれた田中先生に対して信頼感を抱くのは早かった。決して僕がだまされやすい人間ということではなく、田中先生は信じていい人だと思わせる強い何かを持っていた。でも田中先生の目は見ることはできない。祐樹のそれとは異なるようだった。当時の田中先生の年齢はおそらく25歳前後であろう。直接聞いたことはないが、落ち着いた話し方、その容姿を総合して推理するとそのくらいだと思われる。田中先生はその日以降も僕が今まで描いた絵について興味深く話を聞いてくれた。いつだろうか僕が心を許せる祐樹と田中先生の共通点は何かと考えたことがある。僕から見た二人の共通点は見た目だ。二人ともすごくきれいだ。景色の一部とも思えるくらい綺麗だ。一つ一つのパーツが洗練されており、神様が創った人間のうちでおそらく最高傑作ではないかと思うくらいだ。僕は絵を描くのが好きだ。だけど人の絵は描かない。もっぱらその対象は景色である。その中でこの二人ならそのキャンパスに描いても違和感はないと思える。僕が思い当たる二人の共通点はそのくらいだ。だけどその綺麗というキーワードが僕の中で非常に重要な意味を持っている気がする。詳しくは自分でも分からないが、確かに重要なことだった。
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