第三話 転 四

「とはいえ、さてどうしたものかな」


 アルフレッドはそうつぶやいてみたものの、選択肢はほとんどなかった。

 サムの連絡通り、推進ユニットの制御装置やリミッターが確かに軒並み外されていた。

 注意深く船体状況の監視ソフトウェアを実行しておけば察知できる程度のものだったが、出港準備を優先したために見過ごしていた。

 アルフレッドの緊急任務の件は、トライスターの連中にも伝わっているらしい。だからこそ彼らは自白してきたのだ。

 しかも、この制御装置やリミッターはユニット単位のシステムに直結しているものである。制御装置に予備はないし、リミッターは緊急時にキャンセルすることは出来ても、再設定出来ない仕様になっている。そうでないと好き勝手にオン、オフされるからだろう。

 今から装置を手に入れて、リミッターのソフトウェアを再インストールするためには、メーカーを呼ばなければならない。ということは速くても半日かかる。それでは到底、任務を遂行できない。

 しかし、このまま任務を遂行しようとすると、通常速度の範疇ならばともかく、緊急加速時の制御は一か八かの賭け事に等しい。緊急任務で賭け事はしたくなかった。

 となれば、船本体の制御システム側で速度設定をかけるしかない。

 こちらは誤操作防止用のフール・プルーフで、設定以上の速度が出そうになると警告音とともに自動で逆噴射によるブレーキがかかるようになっている。

 繊細な設定は困難なので、ブレーキがかかった時の衝撃が半端ないものの、積荷である治療薬の対重力制限値をかろうじて下回っている。積荷が生体だったら命の保障が出来なかったところである。

 サムが言っていた通り、ここで異議申し立てをして積荷を他の船に載せ替えさせるという手段もあるが、善管義務違反を声高に叫んでみてもお役所相手では、馬鹿を見るに決まっている。それに、人形生活スタンドアローンには戻りたくない。

 アルフレッドはムードスタンプ『僅かに唇の端を歪める』を私的内面空間に表示しつつ、宇宙港のカタパルトサービスへの移動を申請した。


 *


 宇宙港のカタパルトサービスは混んでいたが、治安維持軍権限で最優先の利用が認められた。流石は官僚機構である。敵に回すと厄介だが、味方にすると実に効率が良い。

 打ち出された後は通常航行。虚数空間門の通過開始時間は三日前に厳密に決められているので、急いで行っても意味がない。

 これは公共サービスであるが故の制限で、行き先の虚数空間門で他の船と鉢合わせにならないための措置だった。

 アルフレッドも大人しく、行儀よく、待機列に並ぶ。

 順番待ちの時間を使ってもう一度、船体各所の監視ソフトウェアを実行しようかと考えていたところで――今度は割り込み緊急通信を着信した。

「加速言語を使って三系統通信を行うので、速やかに設定をお願いしたい」

 空港の管制官とは思えない、目つきの鋭い男がそう指示してきたので、アルフレッドは言語条件を『加速言語』に変更し、通信速度を『三系統』に切り替えた。

 加速言語というのは、思考の直接伝達に特化した言語体系である。

 通常言語は表意文字であっても表音文字であっても過剰な情報を含んだ形で成立しているが、加速言語はそれらを削ぎ落とした純粋な通信手段である。モールス信号のようなものだと思えば分かりやすいかもしれない。

 三系統通信というのは言葉通りで、加速言語を同時に三つのチャンネルでやりとりする方法である。これは流石に常人の可能なことではなかったから、通信相手が管理者HIMであることが分かる。

 男は即座に用件に入った。


 *作者

 以下、通信は三倍速の三系統で行われております。

 ただし、そのまま表現することが出来ないため、通常文に変換しております。


「緊急事態である。急ぎ積荷のスキャンを実行せよ」

 いきなりの命令。アルフレッドは即座に答える。

「理由をご説明頂きたい」

「詳細は企業機密事項に抵触するため、開示不可である」

「こちらは緊急医療搬送中の船舶である。人道主義の観点から説明を求める」

「詳細は企業機密事項に抵触するため、開示不可である」

「こちらの任務の遵守事項に反する。説明を求める」

 これはただのブラフである。相手は僅かに眉を上げると、唇を歪めて言った。

「貴様が全うな市民だったら問題なかったんだよ」

「何だと!」

「Aとまでは言わんが、Bクラスの一般的な模範市民ならば緊急事態の人道的措置として、情報開示が認められただろうね。ところが貴様はDクラスの前科者ときた」

「……」

「さっさと指示に従いたまえ。契約条項の問題は治安維持軍情報統括局の名前で何とかしてやる」

「……分かりました」

 アルフレッドは大人しく貨物のスキャニングを実行する。

 そして、そこに確かに男の言った緊急事態が現出していることを確認した。

「積荷のうちの一つが、内容確認できません」

「そんなことがあるものか」

「そう言われても分からないものは分かりません。そちらに解析結果を転送するので確認音願います」

 同時にアルフレッドが解析結果のデータを転送する。すると、それを受信したらしい男の表情が曇った。

「何だこれは?」

 男の困惑した声に、アルフレッドが答える。

「これは、遥か昔に地球で放送されていた学園ドラマの一つです。確か『ハイスクール青春白書』とかなんとか」

「それがどうしてここに表示されるのだ?」

「その答えは一つしかありません――」

 アルフレッドはその解析結果を目にした途端に分かっていた。

「――非合法ジャマーです」

「貴様が運んで逮捕されたやつのことか」

 流石は情報統括局勤務である。既に調査済みだった。

 男は再び冷静さを取り戻すと、言った。

「目視はどうなのだ?」

「当該の積荷は、三列三段で搭載しているもののうち、真ん中にあるものです。いずれの方向からの目視確認も出来ません」

「……これはどうも手詰まりだな。非合法ジャマーは以前貴様が扱った荷物とは別物だろうが、そういうニーズに加担したことは事実だ。結局のところ、貴様が招いた事態なのだから貴様が何とかしたまえ。中身が分からないのでは、治安維持軍情報統括局権限での停船命令も出せない」

 小さく両手を挙げた男の姿を見つめながら、アルフレッドは言った。

「今ので分かったことがあります」

「何のことだね?」

「積荷の中にいると想定されているのが、かなりの重要人物おえらいさんということですよ。でなければ、そんな命令自体が想定不可能です」

 それを聞いた男は、明らかに苦笑した。

「いまさらそれが分かったところでどうにもなるまいよ。後は任せる」

 そこで通信が切れる。

 アルフレッドは考え込んだ。


 虚数空間門通過前までに既に一日が経過していたので、積荷は二日以内に目的地に届けなければならない。

 しかし、推進ユニットの制御系が外れているので、無謀な緊急加速と緊急停止しか出来ない。

 しかも、積荷の一部に密航者が紛れ込んでいる可能性がある。

 彼ないし彼女は、治安維持軍情報統括局が関与するほどの大物である可能性もある。

 緊急加速をすれば、その人物の命は保証できない。

 ところが、緊急加速を行わなければ目的地への到着が遅れる。

 間に合わなければ、感染症による死者は増加する。


 話が錯綜していて実に面倒だった。

 ――こんな多次元連立方程式のような事態をどうしろというんだよ?

 アルフレッドは数学が苦手である。しかし、なんとかして正しい解――さもなければ最適な解を導き出さなければならない。

 虚数空間門が眼前に迫っている。

 指定された通過時間まであとわずか。通過してしまったら、もう後戻りは出来ない。


 アルフレッドは次第に近づいてくる虚数空間門の真っ黒な平面を眺めながら、『全身に冷や汗をかいている自分』の姿を想像した。

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