第三話 転 二
さて、HIM船の動力系はきわめてシンプルで、宇宙空間航行用の推進ユニットとブレーキ及び姿勢制御用の噴射口のみで構成されている。
虚数空間航行にしても、大気圏突入にしても、船体にそれを可能とするユニットを組み込むことにはコストがかかる。
それよりも公共サービスとして船体とは切り離したほうがはるかに安上がりなので、HIM船は基本的には星間航行に必要な推進ユニットのみ設置されているのだ。
宇宙港からの出航時も、初期の加速は港のカタパルトサービスを使用する。
HIM船の推進ユニットは、虚数空間通過前に待機する時、虚数空間内を通過する時、虚数空間通過後の再加速時、宇宙港周辺での停止時、緊急時の姿勢制御と加速に使用する他は、さほど出番はない。
あとは慣性航行であるから、ほとんど燃料代はかからない。念のため燃料をある程度載せられるようになってはいるが、フルに入っていることは稀だった。
しかも、プライベートな依頼で貨物輸送する場合の燃料代は客持ちが原則だから、「緊急時以外は最小限のエネルギーで航行すること」が契約書に織り込まれていることが多かった。
まあ、緊急事態はそれほどあるものではないから、通常航行には燃料フル補充も拡張ユニットも必要はない。身軽なものである。
もちろん、まれにすべての機能を単体の船舶に含有し、常時最大推進を前提としている船舶もある――『戦船(いくさぶね)』だ。
*
アルフレッドは貨物の状況確認結果報告を貨物係に送信しつつ、今回の依頼内容に関する確認書に眼を通した。
・ある星系で、致死率の極めて高い感染症の流行が確認された。
・その感染症には治療薬が存在するが、星系内にある治療薬の備蓄は極めて乏しい。
・感染症の拡大に歯止めがかからないため、「不足している治療薬を緊急医療搬送して欲しい」という依頼が入った。
・治療薬には「感染が確認されてから五日以内に服用しないと効果がない」という臨床結果がある。
・貨物の受領と出港準備、現地での大気圏突入とその後の搬出作業時間を差し引くと、三日が実際の輸送に割けるぎりぎりの時間である。
この条件で輸送が可能な業者(あるいは失敗した時の訴訟リスクなどの面倒をすべて引き受けようという業者)は、どこにもなかった。
リスクが大きすぎるというのが理由の一つ。
それに実際問題、時間が短すぎた。
そんな短時間で星間航行を行うためには、多少なりとも無茶なことをしなければならない。それ用の専用ユニットを持っている必要もある。
大手業者はコンプライアンスの問題があるので、違法ユニットは最初から期待できない。
中小の業者は、違法ユニットの存在がばれるのを嫌がるし、リスクなんか進んで取りたがらない。
ということで、既に拘留中のアルフレッドに話が回ってきたのである。しかも成功報酬として『今回の犯罪行為に対する免責』を提示されたものだから、彼はその仕事を請けた。
アルフレッドが話を受けるまでの間にも、宇宙港では積み込み準備が進められていたようである。
途中、「治療薬の有効期限に誤りがあり、貨物の入替をおこなった」という記録が残されていたが、所要時間には影響を与えていなかった。
しかも、今回は宇宙港から虚数空間門通過前までと、虚数空間門通過後から目的地までの通常空間で、通常では認められない『医療緊急加速』が承認されていた。
「ふむん」
アルフレッドはムードスタンプ『微笑』を私的内面空間内に表示する。法定速度懲戒をお上公認で実行できるというのは実に嬉しい。
それにアルフレッドは『きんぎょばち』である。
人間には耐え難い急加速であっても、全身を保護液の中に浮かばせている全身保存容器(かんおけ)型HIMには関係がない。もちろん、脳幹保存容器(きんぎょばち)型HIMにはさらに関係がない。
――久しぶりに脳の奥が痺れるような加速を楽しめるかもしれない。
そんなことを考えながらアルフレッドが出港前確認を進めていると、外部から通信が入った。
出てみるとサムである。
「おい、アルフレッド、ちょっと待て!」
「何だよ。時間がないんだよ」
「その件の話だ、聞けよ! トライスターの連中がさっき白状したんだよ」
「――何を?」
トライスターはアルフレッドの商売敵の三人組HIMである。
彼にはリアルな背筋はないのに、そこに悪寒が走る気分を味わう。
「お前の船の推進ユニットにかかわる制御装置が、軒並み解除されてんだよ!」
アルフレッドは状況が深刻であることを即座に把握した。
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