第2話 リボルノ
ステラとアルデバランはリボルノの町に着いた。
歩く人々はみな服が色鮮やかで、髪型も垢抜けていて、この町が平民ですら潤っていると一目で分かる。中には高価な絹の服を着た人もいる。
(キシュの村は、貧乏だ)
ステラは何度か買い物のためにリボルノの町に訪れたことがあるが、その度にそう思い知らされる。
キシュの村人の服は大半が未染色の麻布であり、また日に焼けた農家が多いので、村人を遠目で見たら茶色が砂色を着ているみたいに見える。それが貧民層の特徴の一つであり、リボルノのような開けた町では悪目立ちしてしまう。
ステラは自分の格好を見た。着古された麻布の服に麻布の旅袋。土の色が染みて土の匂いがしそうな茶色い肌。牛の革を重ねて作られた粗末な靴は乾いた泥で汚れていて、長くなったら家の錆びた鋏で切るだけだった髪はボサボサで埃っぽい。ステラは裸を見られたくらいに恥ずかしい気持ちになった。
「暫く旅をするのだから、そっちの方が良い」
アルデバランはステラの気持ちを察するように言った。
「うん」
ステラは、恥じたことを恥じた。この格好こそ、農民の誇りだ。
「きれいに着飾ってちゃ、汚れるの気になっちゃうもんね」
宝石の一件のあと、ステラとアルデバランは暫く旅をすることになったのだった。
アルデバランはステラがキーパーを目指すことには反対したが、そのままキシュの村に留まることにも不承知だった。悩んだ末にアルデバランが出した結論は、アルデバランと同じ『アーカ』のキーパーでブラドックという人が孤児院を経営しているので、その人に頼んでステラを孤児院に入れてもらう、ということだった。
(もし入れてもらえなかったらどうすればいいの?)
という考えがステラの頭に過ぎったが言わなかった。
それならそれで、アルデバランはステラを放っておかないだろう。
その方がいいかもしれない、とすらステラは思っていた。
「さて、例の宿を探そう」
アルデバランによると、その宿の主人がアルデバランの次の仕事の依頼人だということだった。とはいっても報酬は滞在期間中の宿代と食事代で、本来ならば見習いが受けるような小さな仕事らしい。
「そんな仕事の方が好きなんだけどね」
とアルデバランは言うのだった。大きな仕事は大抵危険が伴うから――と、ぼそりと付け加えた時のアルデバランの寂しそうな顔が、今でもステラの目に焼き付いている。
「地図によると……、こっちだな」
アルデバランに手を引かれ、町の奥へ向かった。商店町を抜け、中央広場に入り……、と、中央広場の真ん中に来たときに、アルデバランの足が止まった。
「不思議な像だね」
貴婦人を、男が背負っている。それだけでも奇妙な像だが、もっと変わっているのは婦人の脚が消えたように無いことである。初見の旅人は必ず像について興味を持ち、町人に尋ねる。それが町のお決まりの光景になっている。
「グレース婦人だよ」
「グレース婦人?」
「知らないの? えっとね……」
「待った」
アルデバランはステラの口を押さえた。
「それはお伽話に聞かせておくれ」
立派な大人のアルデバランにお伽話をするところを想像して、ステラはくすりと笑った。
◆
二人は宿に着いた。
宿、と言っても外見はまるで大邸宅のようだった。三階建の石造りの大きな建物の前に、別の建物が何軒も建てられそうな広さの庭があり、何本もある手入れが行き届いた庭木は、遥か遠くの国が原産の香木の一種である。アルデバランが場所を間違ったかと地図を何度も確かめたくらいで、ステラが鉄格子の門の隣にちょこんと置かれた『足休めの宿』という小さな石彫の看板を見つけなければ、町の案内所まで一度引き返していたかもしれない。
門を開けて中に入り、二人は歩く。
園路は平石が敷き詰められて出来ていて、でこぼこがなく歩くだけで心地いい。その園路の周りをほうき草がぽこぽこと生えて彩っているのも可愛らしかった。
右手に見える、正方形に削られた花崗岩を組んで作られた八角形の花壇には、赤、青、黄色の、名前もよくわからない綺麗な花々が咲いている。反対に、左手には芝生の広場にいろいろな草が生えていて、鮮やかな花と対比になって趣がある。
庭木に鳥が巣を作っているのかチィチィとひな鳥の鳴き声がする。この宿の主人は、森から離れて生きようとするはぐれ鳥の家族を追い払うような酷いまねはしない人なのだろう。それどころか、庭の隅にひっそりと生えている野いちごは、もしかしたら鳥のためなのかもしれない。
庭の世界の小旅行を終えて、アルデバランが玄関の扉を叩く。暫く待つと扉が開いた。
「ようこそ」
二人を迎えたのは車椅子の老婦人だった。その老婦人の横には――。
ステラは、ギャッと声を上げてしまった。
木製の脚が立っていた。
脚だけ、である。
腰はなく、左脚と右脚が離れて独立して立っている。
どうやって立っているのか不思議に思ってステラがじろじろ見ていると、脚はしゃがむように膝を曲げてお辞儀をした。
「びっくりさせてごめんなさい」
老婦人は言った。
「その『脚だけ人形』が今回の依頼と関わっているのですが……まずは中へどうぞ」
そうして二人は応接間へ通された。応接間は何十人も入れそうなほど広く、真ん中に革張りの長椅子と大理石の長机、壁には大きな絵が飾ってあり、やはりこの宿はもとは貴族の館か何かだったのだろうとステラは思った。
「『足休めの宿』へようこそ。まずは足をお休めになって」
と老婦人は長椅子を指し、自分はキコキコと車椅子の車輪を器用に両手で動かして長机の向こう側へ行き、二つの車輪を反対に回してくるりと二人の方へ向き直った。それはさながらダンスのように滑らかな動きで、ステラは喝采をしたいくらいだった。老婦人の後ろをひょこひょこと木の脚が着いて行くのも面白かった。
二人が長椅子に座ると、老婦人は 、
「『足休めの宿』にせわしなく動く脚があるのは可笑しいでしょう。でもそのおかげで一時はすごく繁盛したの。私の足は生まれてからずっと休みっぱなしですけどね」
と言って動かない自分の足をポンポンと叩いた。
そのとき、メイド姿の女性がお茶を持ってきた。彼女も白髪が目立つような年齢で、長机に茶を三つ置くと無言で一礼して去っていった。
「見ての通り、もう私も彼女も老いてしまって。主人が亡くなって男手もないし、庭木の手入れや力仕事を人に頼むのもばかにならない出費なのよ。だからもうここはたたもうかと思っているの。……ごめんなさい、話が逸れちゃったわね。改めまして、私が今回の依頼人、イザベラです。遠いところお越し下さり誠にありがとうございます」
イザベラがお辞儀をすると、木の脚も再び膝をギイと曲げてお辞儀をした。
「アルデバランと申します」
「ステラです」
「あら可愛らしい。キーパーの見習いさん?」
「はい、そうです!」
ステラとしては、そう主張したかった。アルデバランは違うというように眉を顰めたが、わざわざ否定はしなかった。
「よろしくね。依頼の件は、この――」
と、イザベラは木の脚の方を見た。
「『脚だけ人形』のことなの。脚だけなのに『人形』と言うのは本当はおかしいわね。でも私はそう読んでるの。この『脚だけ人形』は亡くなった私の夫が昔どこかから拾って来たもので、魔法で動いているんだと思うのだけど……、どう思います?」
「魔法でしょうね」
と、アルデバランは即座に答えた。
「ですが、ずっと動き続けているというのは奇妙ですね。見つけてからどれくらいになるのでしょうか」
「もう四十年近くになると思います」
「四十年……、それは長いですね。ものに吹き込まれた魔力は時が経つにつれ薄まるものですから、よほど魔力を蓄えられていない限り四十年も動き続けるのは無理です。術者がどこかから魔力を送っているのでしょう。生憎私にはその魔力の出処を感知することはできませんが」
「あらあ、それではこの『脚だけ人形』の作り手はやはりまだ生きていらっしゃるということね」
「魔力の送り主が作り手と同じとは限りません。……が、まあ作り手と無関係というのも考え難いでしょうね。で、その作り手を探すというのが今回の依頼の内容でしたね」
「ええ。それから、もしその作り手がこの子の脚から上の体も作っていたとしたら、それも探して欲しいの。だって可哀想でしょう。脚だけなんて。体の方もきっと困っているでしょう」
「……」
アルデバランは、車椅子姿のイザベラに何と返答して良いやら考えあぐねている様子だった。思い出したように懐から手帳を取り出して、イザベラの言葉を書き記すのに夢中なふりをした。
イザベラは構わずに続ける。
「これまでもキーパーの方にお願いしようと思ったことはあったのだけど、商売が忙しくて……。それに作り手が見つかったら見つかったで、『返せ』なんて言われないとも限らないでしょう。二の足を踏んでいたの」
『脚だけ人形』はイザベラの言葉に反応してカタコトと足踏みをした。
ステラはぷっと吹き出してしまった。
「ふふ。滑稽でしょう。こうしていつも楽しませてくれるので、手放したくなかったの。でも、それもわがままな話よね。もし作り手が返せというのなら返そうと思います。ちょっと寂しいですけどね」
「事情は分かりました。まずは『脚だけ人形』を詳しく拝見させてください」
アルデバランがそう言うと、『脚だけ人形』はカタカタとアルデバランの方に近付いてきた。
「ふうむ」
アルデバランは右脚をひょいと掴んで舐めるように調べた。
木の脚は細く女性の脚の形に見える。男性のアルデバランがそれを撫でたり眺めたりする様は、ステラには少しいやらしく見えた。
暫くして、アルデバランは再び「ふうむ」と言って『脚だけ人形』の右脚を左脚のもとへ返した。
「筋肉の微妙な凹凸までよく作られています。関節部分は金属で作られていて壊れにくくなっている。素人が作ったものではないようですね。それから、使われている木の材質までは分かりませんが、年輪に焼け焦げたような跡があります。四十年以上前、近くで山火事はありませんでしたか?」
「山火事……ですか」
イザベラは頭の中を探すように目を瞑った。
「そういうのは疎くて……、義理の弟のリックなら知っているかもしれません。彼は木こりですから」
「リックさんですか。彼が知らなくとも、彼の仲間が知っているかもしれませんね。それから、この土地特有の魔力の媒体はないでしょうか。媒体がないと、ここまで動くのは難しいように思います。魔法で動くものには、例えばタウィザ草の汁ですとか、山トカゲの光る角の粉末ですとか、あるいは魔導師の血の場合もありますが、そういったものを塗ったり埋め込んだりして魔法に反応しやすくするのです。この『脚だけ人形』にはものを埋め込んだ形跡はないので塗ったのでしょうね。色がついていないところを見ると、聖水かもしれません」
「水……、『数添う星の湖』の水は魔力がこもっていると聞きました。それもリックの家の方面にありますよ。結婚前に夫と行ったことがあるんですが、夜になると……。ああ、どうせなら、行って見たほうが良いですよ。湖のほとりに秘密の地下室があるので、そこで一泊できます。私なら、急ぎませんから。旅の良い思い出になりますよ」
「『数添う星の湖』……。では、明日はリックさんにお話を聞いてそこで一泊することにします。……それから、宿代と食事代ですが」
「それは、もちろん結構です。それが約束ですから」
「いえ、この子の分です」
と、アルデバランはステラをの方を見た。
「報酬は滞在中の大人一人分の宿代と食事代だけだったはずですから、この子の分は別途お支払いしないと」
「いえ、構いませんよ。こちらは謝礼を出せないのが心苦しいぐらいですのに。それにいつもご飯は作り過ぎて余るんです」
「いえ、そんなわけには」
「いーえ、構いませんよ」
大人の遠慮合戦が始まりそうだったので、
「じゃあ、私、お手伝いする!」
と、ステラは叫んだ。
「ご飯と宿代の分働く!」
「まあ、じゃあ、お願いしましょうか」
と、イザベラは嬉しそうに言った。
◆
それから、ステラとイザベラとお手伝いさんの三人で、夕飯の支度をした。
チキンと人参のスープに、麦と米のおかゆ。 スープにはステラの提案で庭にあったコエンドロの葉を香辛料として混ぜた。ステラは庭を通った時にそれを見つけていたのだ。いつも腹を空かしていたせいで、ステラは食べられるものを見つけるのが得意だった。
それから四人で夕飯を食べ(スープは大変好評だった)、大きなたらい風呂に入った。ステラは濡らした布で体を洗う水浴しかしたことがなく、お湯を沸かしてたらいに入れて入る風呂は初めてだった。体が芯までぽかぽかになって気持ち良かった。
風呂から上がると綿布で体の水気を拭いて(これまた初めての体験だった)服を着て、『脚だけ人形』に案内されて今夜泊まる部屋へ向かった。
着いたのは三階の大きな部屋で、アルデバランはステラと入れ替えで風呂に入ったのか部屋に居らず、油灯の光だけがゆらゆらと揺れていた。「ありがとう」とステラが言うと、『脚だけ人形』は膝を曲げるお辞儀をしてトタトタとどこかへ帰っていった。
ステラは二つあるベッドの一つに潜り込むと、布団を被って天井を見上げた。
(何から何まで、初めてばかり)
ステラは、突然夢の世界にでも迷い込んだようだった。
宿に泊まるのも初めてだったし、魔法も話で聞いたことがあるだけで、まだ見たことがなかった。もしずっとキシュの村に居たままだったら、どちらも経験せぬまま一生を過ごしていたかもしれない。
春はブラッケン、アラリア、ルッコラの新芽摘みにじゃがいも掘り。
夏は近所の農家を手伝って、きゅうり、トマト、カボチャ、野とうもろこしなどの収穫に忙しい。
秋は山に行ってキノコ採りや栗、どんぐり拾い。
冬は寒さに凍えて麦の脱穀、一年使った農具の手入れ、藁や麻編みの内職などをして春を待つ。
そうして同じように繰り返す一年一年をただ過ごす人生……。
あの『脚だけ人形』が、長い長い道をただひたすら歩く姿が頭に浮かんだ。
休むことなく、カタリと一歩、また一歩。
だが、思いのほか、『脚だけ人形』は楽しそうに歩いている。
カタリ、カタリ……。
そこで、その日のステラの記憶は途切れている……。
◆
翌日、二人はイザベラに作ってもらったお弁当を持ってリックの家に向かった。
行くみちみち、ステラはアルデバランに昨日の夜できなかったグレース婦人の話をした。
リボルノの町の領主の娘、グレース婦人は、町人誰もが見ると溜息をつくほどの美貌の持ち主だったという。特にすらりと白く長かったグレース婦人の脚は、町人から『天使の脚』とも言われていた。グレース婦人は町人みんなに愛されていた。グレース婦人も町人みんなを愛していた。町は平和だった。
だが、その平和は、ある日、戦争によって一瞬で壊された。
グレース婦人の父は処刑され、新しい領主がやって来た。彼は町人に重税を課した。それはもはや合法的な略奪だった。リボルノの町の通りに溢れていた笑顔は嘆きに変わり、飢えて死ぬ人も出始めた。
町の人々はかつての領主の娘のグレース婦人を代表として、今はグレース婦人の像があるあの広場で新しい領主に減税の懇願を行った。
グレース婦人と町人の懇願を聞き終わった新しい領主は言う。
「減税は即ち本来国に入るべき財が入らないということだ。それは国に財を失えと言っているに等しい。お前はその大切な『天使の脚』という宝を失えと言われて素直に従うかね?」
「ならば」
と、グレース婦人は近くに居た兵から剣を奪ってその場で自分で天使の脚を切り落とした。
痛みに耐えながら、グレース婦人は新しい領主に言った。
「私はたった今、『天使の脚』を失いました。国も財を失う覚悟を」
一部始終を見守っていた町人達は驚きの悲鳴をあげ、何人かが急いでグレース婦人のもとに駆け寄り、止血をした。
新しい領主はグレース婦人の気迫に圧倒されたが、減税の懇願をそのまま受け入れるわけにもいかず、咄嗟に口からでまかせを言った。
「では、お前がそのまま町の東門へ行けたら、税を減らすとしよう」
直截に拒否するよりよっぽど残酷な嫌がらせである。
「分かりました」
と、それでもグレース婦人は息も絶え絶えに地面を這って東門へ向かおうとした。動くたび止血した脚の切り口から血がどくどくと流れ出た。
町人たちは、グレース婦人の無茶な行動を止めようとする者も居れば、逆にグレース婦人の命懸けの覚悟を無碍にすまいとそれを制止する者も居たりと混乱していたが、一人だけことの成り行きを冷静に見ていた男が領主に向かって言った。
「彼女が這おうと転がろうと、どんな方法でも東門に辿り着いたら良いわけですね」
「ああ、そうだ。それができればの話だが」
「途中でグレース婦人を殺したり、妨害したりするような真似だけはしないと誓ってください」
「ふん。疑い深いな。約束しよう」
グレース婦人がこれ以上動き続ければ、やがて血を失って死ぬのは明らかだったので、それは領主にとってはどうでも良いことだった。
「約束ですよ」
と、男は突然群衆の中から飛び出してグレース婦人を背負い、町の東門に向かって走りだした。
新しい領主は慌てて「男を止めろ! 男は殺して構わん!」と兵に向かって命令した。
男はよく走ったが、やがて兵に囲まれて、背にグレース婦人を乗せたまま、胸を槍で突かれて死んだ。
新しい領主は狼狽する町人たちに向かって言った。
「婦人の命は約束しよう。だが、婦人を助ける者は死刑である。それは約束に含まれていない」
しかし再び勇敢な一人の男が群衆の中から飛び出して、暴れまわって兵の垣を破り、倒れ伏して絶命している先駆者の背からグレース婦人をひょいと持ち上げて背負い走り出した。男は兵の網を掻い潜り暫く走ったが、やはり逃げきれず殺された。
そうして、誰かが兵に殺される度に、新しい男が群衆から出てきてグレース婦人を運んだ。
グレース婦人が東門に辿り着いた時、死者は十三人になっていたという。程なく血を多く失っていたグレース婦人も息を引き取った。一説によると彼女は東門に着くずっと前に既に息を引き取っていて、男たちはそれを隠すために文字通り決死のリレーをしたとも言われているが、いずれにせよ新しい領主は屈辱に耐えて約束通り減税を受け入れるしかなかった。受け入れなければその場で民の怒りは頂点に達し、暴動が起こって彼の命はなかっただろう。
「そうすると、あの像は、気高きグレース婦人を称えると同時に、グレース婦人を背負った男達の心を忘れないというこの町の住民達の誓いでもあるわけだ」
と、ステラの話を聞き終わったアルデバランはいたく感心して言った。
「どれぐらい前のことなのかな?」
「やっぱり、気になるよね」
ステラはそう聞くのも当然、というように頷いた。
「私も聞いたけど、母ちゃんは知らなかった。でも大事なのは何年前かじゃなく、これから何年忘れられないかだって母ちゃん言ってた」
「そりゃそうだな」
と、アルデバランは笑った。
◆
迷うことなく、すぐにリックの家は見つかった。
戸を叩くとリックが出て、アルデバランが光る右手の甲を見せて事情を説明した。リックは快く二人を家に招いて茶を出してくれた。
「兄貴のパオロの葬式以来イザベラさんには会ってないが、元気だったかね」
「ええ」
ずず、と茶を飲んだアルデバランが顔を顰める。ステラは臭いで分かっていたが、出されたのはきこりが良く飲む黒ドクダミ茶で、体には良いが、味は舌を洗って掃除したくなるほど苦い。
「そりゃあ良かった。葬式の時のイザベラさんの悲しみようは本当に酷かったんだよ。放っとけばパオロの後を追っちまうかと思ったが、俺にもここで仕事があるだろ。どうにもできなくて。ときどき気にはしてたんだが、親戚とはいえ身分違いだし、軽々しく会いに行くのも気後れしてねえ。まあ、立ち直ってくれたのなら、何よりだ」
「やはり、イザベラさんは貴族なのですね?」
アルデバランが確認するように聞くと、リックはそれを知っていることを少し得意そうに腕を組んでこくりと頷いた。
「そうだよ。一人娘でね。パオロはあの屋敷に薪を運んでいたんだ。イザベラの両親が死んで、あの足だろう、遺産を食い潰して生きていくのかと思ったら、パオロと結婚して二人で屋敷を改装して宿を始めたんだ。俺は二人の仲を知らなかったから、あの時は本当に吃驚したね。あの『脚』のお陰で有名になって繁盛したから良かったが、俺は素人がちゃんとやっていけるか心配してたよ」
「そうだったんですか」
「まあ、今思えば、あの二人だったら、何でもやっていけただろうな。……おっと、山火事だったね、昔のことでもう定かではないが、四十年前くらいにここいらで山火事はあったよ」
「それは、『数添う星の湖』とも近いでしょうか」
「変なこと聞くね。そこまではどうだろう、まあそうだったかもしれん」
二人はリックにお礼を言って(お茶はかなり残した)、彼の家をあとにした。
◆
『数添う星の湖』も見つけるのは簡単だった。大きな牧場ひとつ分ぐらいの大きさで、その存在を知らぬ者から隠すように周りにヒノキが群生していた。
二人は手分けしてイザベラに教えてもらった地下室を探した。目印は下半分が不自然に切り取られたように見える岩で、これは実は岩の傘が被さった通気口なのである。半刻ほど探してステラがそれを見つけた。出入り口の石の蓋も土と草が被さって巧妙に隠されていたが、丁度その上に乗ったアルデバランが足下の感触の違和感に気付いたのですぐに見つけることができた。
石の蓋を二人でずらすと、地下室の入口が大きく口を開けた。二人が並んで入れるくらいの幅で、石の階段がずっと中に続いている。
ステラがすぐに入ろうとすると、「待った」とアルデバランが荷物から木の棒を出して、何やら言葉を呟いた。
「アパレロ・ケ・エクニ」
それは、ステラが初めて聞く魔法の言葉だった。空気が焦げるような臭いがしたあと、木の棒に火が付いて松明になった。
「洞窟や地下室は毒の空気で満ちている場合がある。もしこの火が消えたら毒の空気である合図だ。通気口があるくらいだからまあ大丈夫だろうけど、一応用心して行こう」
二人は石の階段を降りた。コツコツと二人の足音が両手の壁で反響する度に、ステラの好奇心と未知への恐怖がゾクゾクと背筋で毛虫のように蠢いた。
階段が終わると、目の前に広い空間が広がった。平屋の家ならすっぽりそのまま入ってしまうほどの大きさで、上下左右前後全面が石の壁になっている。何人もの人が何年もかけてようやく作れるような規模の地下室である。風化の具合から見るに、作られてから何百年も経っているようだ。その真ん中に、白い布が被さった奇妙な物体があった。石の台座の上に置かれたそれは、高さはアルデバラン背丈ほど、上のほうが卵を逆さにしたように異様に盛り上がっていて、輪郭だけでは何なのか全くわからない。
アルデバランはステラに松明を渡してゆっくりと布を取った。
「これは……」
女性が男に背負われている木像だった。
通気口が湿気を逃し、布が掛けてあったおかげで保存状態が良かったのか、カビや傷んだ部分はない。
「グレース婦人かな?」
「いや、脚がある」
アルデバランの言う通り、確かに像の女性には脚が付いていた。上の方に目線を移して、ふと、ステラは女性の像の顔に親しい面影を見た。
「イザベラ婦人だ」
「……ふうむ、確かにそのようだ」
アルデバランは唸った。
「どうも『脚だけ人形』と同じ木が使われているらしい。おそらくこの辺りに生えているヒノキだろう。彫りの感じも似ている」
「じゃあ……」
と、ステラはイザベラを背負った男の像を見た。人ひとりを背負いながら、その顔には一片の辛さも見せず決意したような仄かな笑みを浮かべている。
「男の方はイザベラさんの夫のパオロさんだろうね。と、いうことは、これまで得た情報を総合するに、この像もあの『脚だけ人形』も、きっとパオロさん自身が作ったんだろう。彼はきこりだったから、木彫りが得意だったとしても不思議はない」
「『脚だけ人形』が動く魔法は?」
「それもパオロさんによるものだろう。何十年もずっとあれに魔法をかけ続けてきたんなら、亡くなった後も暫く魔力は残り続ける。それに、『数添う星の湖』の水に魔性(ませい)があるなら、それを吸って育った木で作られたものは魔具として死者の魔力を保存しやすいし、丈夫だ。その二つの条件が重なって、あの『脚だけ人形』は今も動き続けているんだろう」
「でも……どうして?」
「多分、義足のつもりで作ったんだと思うよ。あれは人形の脚と考えるにはあまりにも本当の人間の脚に形が近かったから、もしかしたらとは思っていたんだ。足や手をなくした人の中には義足や義手を魔法で動かして普段と変わらない生活をしている人もいるんだよ。パオロさんもそれを知っていたに違いない。そしてイザベラさんのために義足を作って、それに自分の魔力を吹き込んで動かしてイザベラさんに見せたんだろう。だが、最初に義足だと言わなかったんだろうね、それでイザベラさんが勘違いをした」
「イザベラさんは、『脚だけ人形』だと思っちゃったんだ」
「全くの憶測だけど、彼は押し付けがましいことはしたくなかっただろうから、『作った』とは言えず、『見つけた』と言ったんだろう。それを聞いたイザベラさんが勘違いをして、あれよあれよと話がパオロさんの思わぬ方向に向かってしまった。それにイザベラさんが義足をつけるとなると脚を切らないといけないからね。なかなか言い出しにくいことだったろうと思う。ぴょこぴょこ動く『脚だけ人形』を見て喜ぶイザベラさんを見て、当初の目的とは違ったけど、このままでも良いと思っちゃったんじゃないかな」
「正直に言っちゃえば良かったのに」
「照れというか、秘めというか、男心とはそういうもんなんだよ。それが男の美学だ。きっとこの像もそうだろう。最初はグレース婦人の伝説になぞらえたイザベラさんへのプレゼントとして作っていたのかもしれない。或いは最初から自分のためだけに作っていたのかもしれない。いずれにせよ、パオロさんはこの像の存在を秘密にしたまま亡くなった。だからここで見たことは黙っていよう、ステラ。パオロさんがそう望んだのだから」
ステラはそれに納得しようとした。だが、どうしても納得できなかった。
(――秘密にする男の美学なんて、理解できない)
ステラは叫ばずにいられなかった。
「男の都合なんて知ったこっちゃないよ。イザベラさんがこれを見たら絶対喜ぶよ! 見せなきゃだめだよ!」
アルデバランはいきなり叫んだステラに虚を衝かれたように驚いた後、暫く悩むように黙っていた。
そして、ぼそりと、
「これは、男の負けだね」
と呟いた。
◆
その夜、ステラとアルデバランは『数添う星の湖』の正体を知った。
水が魔性を含み、凪いだ夜の湖は、鏡のように星の光を反射して、地面にもう一つの空を作る。
その湖に映る空の星が……増えている。
それはまるで、湖に嘘を吐かれているようだった。
(嘘を吐いているのは空の方で、湖が真実を映し出しているのかもしれない)
そう思いながら、ステラはぼうっと湖を眺めた。
「湖の底に昼の光を吸収して夜光る蛍石があるようだね。それがこの湖の水の魔性のもとになっているんだろう」
と、傍でアルデバランが解説してくれた。雰囲気が台無しだ、と、ステラは思った。
湖を見たあと、二人は地下室に戻って寝た。ステラの夢の中にはイザベラとパオロが現れた。
「あらあ、不思議ね。魔法で動いているのね。このお人形の体はどうしたのかしら?」
車椅子に座った若いイザベラが、動く木の脚を見て目を輝かせる。
「いや、これは……」
パオロは言い難そうに下を向いている。やがて、意を決したように言った。
「君の脚を作ったんだ。これで君は歩けるようになる」
「でも私、歩けるわよ」
と、イザベラは言った。確かにイザベラには脚があった。それはパオロの脚だった。不思議に思ったパオロが自分の脚を見ると、木になっていた。
「踊りましょうよ」
と、イザベラが言った。そうして二人は踊った。パオロが動くたびにカタカタと音がした……。
◆
翌日、二人は早起きをした。
「ヴェンテ・ケ・ポルト・オ・イド」
とアルデバランが唱えると、木の像が浮かび上がって、アルデバランの後ろについた。
「これをやると後で酷く疲れるんだけどね」
と、アルデバランは眉をへの字にしたが、どこか嬉しそうだった。
そうして二人は『足休めの宿』への帰り路を急いだ。
イザベラを背負ったパオロの像が、二人の後ろからついてくる。
その姿から、イザベラを守り、支え、ともに人生を歩んだパオロの気持ちが伝わってくるようだった。ふと、『数添う星の湖』の付近は足もとが悪く車椅子は使えないのだから、こうしてパオロがイザベラを背負ってあそこへ行ったのだ、とステラは気付いた。
足休めの宿に着き、アルデバランがイザベラに像を見せて彼の推理を話すと、イザベラは
「まあまあ」
とだけ言って、それきり像を見つめたまま黙ってしまった。
それはまるで心の中で会話をしているようだった。
◆
二人は『足休めの宿』を後にし、次の町へ向かうことになった。
途中、「あそこへ寄ろう」と、アルデバランが宝飾展を指差した。
不思議がるステラの背をアルデバランが押して、そうしてわけもわからぬまま宝飾店へ入った。
中では、指輪、首飾り、耳飾り……、ステラの人生とは無縁だったものが、所狭しと飾られていた。金や銀や宝石がキラキラと光って目が痛かった。
「一つだけ選びなさい。安いやつにしてくれよ。旅人には旅人のおしゃれの仕方があるのさ」
と、どこか照れたようにアルデバランは言った。
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