第6話
8月に入り、暑さは一層厳しくなる。
柔剣道場は蒸し暑く、立っているだけでも汗が垂れてくる。道着を着て防具をつければサウナのようだ。
優香が扇風機の前に仁王立ちし、袴を持ち上げ「涼しい〜」と顔を緩める。みっともない、と望美のチョップを頭にくらい涙目だ。
そんな和やかなやりとりが繰り広げられるなか、一葉と風夏の間には静かな緊張感が絶えることなく漂っている。
あれから2人は和解していない。風夏ほど刺々しい態度ではない樹咲とは和解とまではいかないが、お互いこの間のことを気にせず会話をする。
「あんなに熱心なのに、何が気に食わないのかな。十束と高宮は」
「女子にしかわからないことがあるんだろう、きっと」
優希と慧が女子に聞こえないようにボソボソと会話する。
どうやらこの剣道部は女子優位なようだ。
「だからさー、あの打ちがダメなんだって。動きが悪い。なんて言えばいいのかな、面を打つぞ!! って気持ちが出すぎてるのかな? あー、わかんない。感覚だからなぁ。慧、ちょっと」
仕方ないな、という雰囲気を纏いながらそれでも頼られることが嬉しいのか樹咲の元に向かう足取りは軽い。
優希はそんな後ろ姿を眺めながら「リア充爆発しろ」と呟いた。
一葉は練習の休憩になると、樹咲に何が悪かったのか聞きに行っているのだ。
「樹咲先輩がさっきから抽象的なことしか言ってくれないんです」
こんな風に軽口を言えるほどには打ち解けた。
「だからね–––」と話し出す樹咲にウンウンと頷きを返す。しばらくしてポンッと手を叩く。
「腕の動作と身体がちぐはぐな動きをしてるんだ。一歩踏み込んだ時に竹刀は面を捉えていないといけない。けれど、振りが大きくなって一拍遅れてる。そんな感じ? 」
最後の一言は樹咲に向けて。樹咲は大きく首を縦に振る。一葉も思い当たる節があるのか、難しい顔をしている。
「わかりました。ありがとうございます」
その日の練習終わり、珍しく一葉はバテていた。
連日の猛暑で、部員たちはいつもより疲れていた。
同じ練習量でも、暑いというだけでだいぶ違う。3、40分に一回、面を外し休憩を取る。みんな扇風機の前に座り込み、涼んでいる。
今日は練習の最後に練習試合を行うことになっていた。
組み合わせはこうだ。
望美対優香
風夏対樹咲
一葉対風夏
最初、一葉と対戦するのは望美と決まったが風夏が「やりたい」と珍しく主張したのだ。一葉に断る理由もなく、決定となった。
「一葉、顔赤いけど大丈夫? 」
いつもと少し様子の違う一葉を心配した優香が声をかける。一葉はヘラリと笑う。
「一試合だけだから、大丈夫」
「無理しないでね」
優香はまだ心配そうにしていたが、すぐに試合が始まるため、面をつけ始めた。
望美対優香の試合が始まった。
優香は150cmと小柄なのに対し、望美は165cmと背が高い。こういう場合身長が低い優香が不利なのだが、優香は自分の身体のことを熟知しており、また戦う相手で自分より背が低い人は滅多にいないため背が高い人と試合をするのに慣れている。
無理に面を狙わず、小手や胴などを狙う。そして面を打たれないように気をつけている。
反対に望美は身長差を活かし、面を狙う。しかしそれだけでは塞がれてしまう。うまく他の技を織り交ぜて、隙あらば面を打つ。
激しい攻防が続くも、4分間どちらも一本も取れないまま時間が過ぎた。
「毎回毎回、ちょこまかと……」
今にも歯ぎしりが聞こえてきそうな声にビクリと肩をゆらす。
「2人とも一歩も譲らないね」
苦笑い気味に告げれば、これまた悔しそうに隣から声が聞こえる。
「今日で、30勝30敗30分……。記念すべき90試合目、私が勝つはずだったのに」
「優香、それ違う。あたしが勝つはずだったの」
「なっ! 違う違う–––」
2人に挟まれている一葉は「他所でやれ」とため息をつく。
2人の言い合いは樹咲と風夏の試合が始まるまで続いた。
樹咲対風夏の試合は先の2人の試合に比べ静かな試合だった。
お互い相手の呼吸やテンポを読み攻めていくため忍耐と判断力がいる。
焦って前に出れば打たれる。けれど打たなければ一本取れない。
風夏が先に仕掛けた。樹咲の竹刀を払い面を打つ。しかし半歩下がった樹咲の面には少し届かない。風夏は焦ることなくそのまま鍔迫り合いに持ち込む。一度離れた後、風夏は間髪入れず竹刀を振るう。今度は面を打ちにいくと見せかけ小手を狙う。樹咲はそれが見破れず、面を庇おうとし小手を取られた。
樹咲は何の感情も見せず、開始線にいく。「二本目」
再開してすぐ、相手に打つ間を与えず面を打つ。風夏は反応が遅れそのまま綺麗に面が決まる。
一際大きな拍手。
風夏は悔しそうだ。
「勝負」
一本一本が重く力強い。これで決める。そんな思いがにじみ出ている。
一葉は知らず識らずのうちに手を握りしめていた。
結局、こちらも勝敗は決まらずに終わった。
風夏が連戦になるためしばらく休憩した後、一葉対風夏の試合は始まった。
「始め」
試合さながらの緊張感に、部員も静かに見守っている。
負けない
強く想った。
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