第4話
樹咲に「勝ちを諦めている」と言われ、咄嗟に反論を言葉にできない自分がいることを、一葉はわかっていた。
昔は今よりももっと負けず嫌いだった。けれど歳を重ねるにつれ、できることできないことがわかってくるに連れて、それが無くなっていった。何が何でも全てで1番になってやろうなんて、思わなくなっていた。
剣道もその1つだった。ただそれだけであるはずなのに、割り切ることができなかった。
一葉が初めて剣道に出会ったのは中学校の部活動紹介だ。目の前で繰り広げられる、先輩たちの試合に心奪われた。
昔から少女漫画より少年漫画、かっこいいものが大好きであった一葉。剣道に心惹かれたのは必然だろう。
最初の頃はよく勝てていた。
先輩の人数が2人だったこともあり、早い段階から中堅を任され、主戦力としてチームを引っ張っていった。
楽しかった。練習すればそれだけの成果である勝ちが得られ、それでも同じくらい負けるから練習に励んだのだ。
それも長くは続かなかった。
剣友会主催の大会。1回戦は1年生とあたった。さすがに初心者が相手であったので、二本勝ちした。
2回戦、同じ学校の同級生とあたった。
「一葉になら、負けてもいいかな」
一葉をバカにしているとも受け取れるそのセリフに、絶対に勝ってやると一葉が思ったのは言うまでもないだろう。
試合運びは悪くなかった。
中心をとり、素早く打ち込む。それでも竹刀で受けられ、鍔迫り合いになる。相手の引き技を竹刀で払い、追いかける。相手の構えが完成しないうちに、面を打ち込む。
……結果は負けてしまった。一本取られたのだ。
一葉はできるだけ丁寧に小手と面を外す。
理性がもったのはそこまでだった。
「何が、負けてもいいかな、だ。そんな気持ちでやって、構えも打ちもめちゃくちゃのくせに」
八つ当たりしてしまった。相手に聞こえるのも構わず、一葉は胸の内に隠した言葉を吐き出す。
勝てない理由をつけて、自分が悪いのではないと言い聞かせていた。みっともないやつだと、落ち着いた一葉は自分をなじる。
後から考えると「勝てない」という思いはそこが始まりだった。
負けず嫌いであるがゆえに勝ちにこだわり続け、チームの中で自分の存在意義を見失っていた。それに悩み思うように動かず負ける。そんな悪循環を繰り返していた。
「大丈夫!! 勝てるって」
部員の励ましが忌々しく、声を荒げたこともあった。
「なに、勝てるって。そんな気休めいらないから、軽々しく口にしないで」
まとめる立場にあり、周りに気を配る。声を出さず、行動も遅い。向上心のない部員に苛立ちを募らせるも吐き出す場所はない。
上に立つ者は強い人である、というその周りの思い込みも一葉をさらに苦しめた。
強くなければならない。
勝てなければならない。
まとめなければならない。
重く胸にのしかかり、息がつまる。人知れず泣いたのも一度や二度ではない。
心が限界に近かった。
「ポジション変えよう。もっと自由にやっていいんだよ」
最後の地区予選大会。ずっと中堅でやってきた一葉にかけられた言葉。ずっと勝てないことを気にかけられかけられた言葉。
あの時は笑って変更を受け入れた。一葉の心情はどうであれ、波風を立てないように。それにチームにとってもそれがいい判断であるということは一葉にもわかっていた。
しかしポジションを変わっても、勝てることはなくむしろ足を引っ張るばかりだった。
なぜ、チームのみんなは勝てて、自分は勝てないのか。どう頑張っても剣道では勝つことはできないのか。一葉は泥沼にはまり、もう抜け出せなくなっていたのかもしれない。
それから県大会2回戦まで勝ち上がったが、一勝もできなかった。
中学を卒業して何度か同級生の試合を観に行った。
「なんでこんなとこにいるんだ。竹刀は、防具はどうした」
そんな風に馴染みの先生が一葉に声をかけることもしばしばあった。
「もったいない。高校で伸びるだろうに」
一葉は笑って誤魔化していた。
実は一葉が本当に怖がっていたのは『勝てない』ことではなく、『負けに慣れる』ことだった。
試合をする度に負け、そして負ける度に何も感じなくなっていく自分が怖かったのだ。一葉にとってそれは何事にも変えがたい恐怖だった。
一度負けに慣れてしまえばもう勝負の世界で生きていけないだろうと、本能で認識していた。
一葉自身、それに気づいていなかったが。
好きな競技だからこそ必要以上に臆病になっていた。
そして一葉は、剣道から離れたのだ。
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