三鹿島さんと朝ごはん

    1


 僕と将輝さんは彼の車で一路三宮へ向かっていた。大倉山公園を横目に大学病院を抜けて、南に坂を下ると神戸駅が見えてくる。車はそこからJRに沿って東へ進んでいた。ちらっと見えたナビの時計は土曜9時23分を示していた。(朝ご飯と言えるのだろうか……)


 僕は彼の愛車だという赤いminiの助手席に座って、流れていく神戸の景色を目で追っていた。なんの会話も、ないし会話するきっかけもないので、そうやってぼうっと眺めていると、横目に花隈公園が過ぎていった。三宮まではもうすぐのようだ。そこで僕は改めて運転席を向く。


 車内はひと席に僕ひとりがまあまあ入るかなあ、と言った感じなのに、彼が入るとシートを一番後ろに引いても脚がハンドルに当たりそうなくらい狭い。しかし、彼は「案外快適だよ?」と言って笑うのである。僕は車に乗る時、なぜminiなんですか?と彼に尋ねたのだが、彼はminiがコンパクトで何となく愛嬌があるから好きだと言ったのだ。彼ならどう考えても乗る時に頭を打つ。


 ここでひとつ考えたのだが、彼はもしかすると狭い所が落ち着くといったタイプの人間なのではないだろうか?部屋の散らかり具合から観てもそれには説得力があるように思うのだが……。


「まあ、狭い所が好きっていうのは、ある意味正しいかな?僕は広い所が落ち着かなくてね」


僕はびくっとする。(またもや見抜かれていたか……)


「なんで判るんですか!?」


「そりゃあ、君の顔を見れば大概は」


この域に達してくると、本当に顔を見て判断しているのか疑問に思ってくる。一度自分の顔を鏡で見てみたいものだ。


「そう言えば、なんで朝ご飯食べるために三宮なんですか?」


南部の神戸市民にとって三宮は「さて、外食でもしようか!」とか「服とか買いたい!」とかいう時に行く場所(いわゆる繁華街)であって、朝ご飯を食べるためだけに行く場所ではない。やたらめったらお高い店とか、雰囲気がゴージャス過ぎる店とかも多い。とすると、この後は仕事、いや彼ならば大学にでも行くのだろうか。


「特に理由はないよ。この前行ったときにクーポンを貰ったから、使いたくてね」


それだけの理由だったとは。ーー呆れすぎて思いつく言葉もない。一体この人はどんな人なのだろう、と詮索していた自分が馬鹿らしい。僕は引きつる笑顔で「そ、そうでしたか」と短く返した。


***


 と言う事で、いつの間にか三宮に着いていた車は三宮センター街の横のパーキングに停められた。


 車がバックしている間、横にランボルギーニのスポーツカーが目にはいった。たしかこの辺りは車ヲタクの友達によると、高級外車の頻出地帯なのだそうだ。灰色の黒光りしたランボには、傷ひとつ無い。こんな車にも一度乗ってみたいものだ。


 彼は車を降りると、足早に近くにあったカフェに入った。


 クリーム色の壁に温かみのある木の梁。玉子型をしたオレンジのランプ。全国で見かけるありふれたカフェだ。途中、カフェの向かいにあったコンビニの幟の新作スイーツに目が行ったが、将輝さんが先さき行ってしまうので、仕方なく今度買おうと心に決めて横目に流した。


 休日の朝だからだろうか。店内には多くの客が来ている。イヤホンをしてテキストに書き込みをする人。マグカップ片手に読書をする人。奥の喫煙ルームでタバコを吸っている人。真ん中できゃっきゃと笑うおばさんたち。僕らはそれを横目に窓側の席に陣取った。窓辺に置かれた観用植物が店の景観に華やかさを加えている。


 席を取ると将輝さんはすぐにカウンターへ注文をしに行った。する事が速すぎて目で追うだけでも一苦労だ。意外とせっかちな性格なのかもしれない。ただ、気にくわないのが、注文のアルバイトの女子たちが彼を見てきゃっきゃとはしゃいでいることだ。将輝さんもニコニコと笑っている。僕も彼はイケメンだと思うが、どこかいけすかない。「イケメンは等しく爆ぜるべし」ヲタク友達の言葉が身に染みる。


 そうして僕が彼を冷ややかな目で見つめていると、しばらくして彼はトレーを持って戻ってきた。購入したのはホットサンドだ。こんがり焼かれたきつね色のトーストに半熟のスクランブルエッグ、ハム、レタスが挟まれている。彩りが鮮やかで、なかなか美味しそうだ。


「はいどうぞ」


そう言って彼は僕にコーラを渡した。


「僕の分まで、ありがとうございます」


「いえいえ」


彼はトレーをテーブルに置くと、椅子にさっと座り帽子を脱いで机に置く。僕はふとサンドイッチからそれに目を移した。


 今どきには珍しいフェドーラ帽。今年の流行でも無いし、第一、彼が流行を追うような人にも見えない。


「その帽子ね、僕がカイロへ発掘調査に行った時のものなんだ」


僕は飲んだコーラで思わずむせかえった。全く、心臓に悪い。彼は「ごめんごめん」と謝った。


「何か記念にお土産でも買おうと現地の市場をぶらぶらしてたらね、ある店の紐細工の中にこれが置いてあったのさ」


彼は帽子をポンと叩く。


「それでね、暑かったし、なんか珍しかったから、ひと目見て買ったって訳」


「へぇ……」


「それがね、案外生徒に好評だったんだよ」


と彼は笑う。そうか、将輝さんは准教授だったんだな。仮にもひとりの教師として、生徒からの信頼はあったってことか。


「将輝さんって、生徒さんに人気だったんですか?」


すると将輝さんは「心外だなぁ」と笑う。


「これでも生徒からは、今の准教授やってる友達より上手いって評判だったんだよ?しかも矢永田先生からのお墨付きだ」


矢永田先生。また聞く名だ。


「あの……家で、矢永田先生って言ってましたが、その人って誰ですか?」


すると将輝さんは少し意表を突かれたように眉をあげる。


「教授? ああ。彼はね、僕の先生で、色々な事を教えてくれた恩師だよ。好奇心旺盛でね、いろんなことに興味を持つ人だった。例えば調査とかに行ったときの、現地の料理に入っている具材は何かとか、路地裏に棲んでる野良猫の種類を調べたりとかね」


「野良猫の種類……」


「あと、こんなこともあったな。たしか、女の人に体重を聞き回ったりとかね」


女の人の体重……。母さんに聞いたら絶対げんこつが落ちる。ましてや知らない人に聞くなど。


 その時、ふと入り口の方から荒々しく扉を開ける音がして振り返ったが、次の瞬間にはトイレのドアが荒々しく閉められた。どうやら入って来た人は、そうとう我慢していたと見える。将輝さんも一瞬一瞥したが、すぐ向き直り話を続けた。


「でもね、先生の凄いところはそんな奇想天外な事でも、ちゃんと意図を持ってしているところなんだよ」


彼は人指し指を立てる。


「料理に入っている具材がなんたらって言ったね」


「はい」


「あれ面白くてね、その地域によって入れるものが違うでしょ?でもね、一貫してこれだけは必ず入っているっていう地域がいくつかあって、それを地図に書いていくと、一本の流れになっていたんだ」


「……はい?」


彼は人指し指をぐるぐる回す。


「要はね、そこに昔あった道が見えてくるんだ」


そう言うと彼はジャケットの内ポケットからメモ帳を取り出した。


「例えばここに5つの町があるとする。それらはばらばらの場所にある。でも、それらには必ず道が繋がっている」


彼はメモ帳に5つの丸を書き、線でそれぞれを結んだ。


「そして、そこには主な交易路があるはずなんだ」


幾つかの線を2、3度なぞって太くする。


「昔、道ができたのは交通の多いところだけ。今みたいに公共事業が盛んではなかったから、交通量が多ければ必然的にその道は大きなものになる。といっても、今ほど整備はされていた訳ではないけど。そして、その土地では作物の生産は難しかった。よって交易で食糧を入手するしかなかった。だから、定期的に通る隊商から買っていたんだ。


 隊商はひとつ目の町を通ると、次の町へ行く。そこでまた食糧を売る。そうしていくことで、それぞれの町には共通の食材が使われるようになる。だから、その共通する食材が使われているかで、古代の道が見えてくるのさ。


 逆に、道が先にあって、そのそばに後から町ができることもある。本当はこちらの方が一般的なんだけど、あの時は珍しく町が先にあった例だね。まあ、家庭の味も古代からの名残ってことだよ」


ああ!なるほど、そういうことか。具材の共通点で交易路を調べるために材料を聞いて回っていたのか。


「その思いつきでね、主な目的だった遺跡の調査よりもっと凄い、古代の交易路を発見したのさ。今の教科書にもその道は載っているよ。まあ、ある意味運が良かったのもあるけど」


教科書に載るくらいの発見を、現地の料理の材料で見つけたりするなんて。 小さな事でも大きな事に繋がっているのだな。


「そのあとは大変だったね。200キロに渡ってその調査が始まって、僕は先生の横で記録をひたすら録っていた」


「記録ですか?」


僕は聞き返した。なんだか考古学と言ったら、遺跡で発掘したりしてお宝を見つけたりといったイメージがある。だが、よく考えてみればあまり何をしているのか知らない。


「そう。遺跡の発見や発掘が真っ先に思い浮かぶと思うんだけど、実際はそれよりもその後の方が主になる」


彼は咳払いをして座り直す。


「考古学の仕事は、発掘や調査と言った一般にとって表だったものよりも、裏の記録を録ることの方に重きを置く。ずばり、その真髄は、後世に残すために目の前のモノすべてを記録し、そこから過去を知ること。その記録から"過去の記憶"を呼び覚ますことなんだ。


 僕たちには昔の事は判らない。でも、過去に何があったか。それを出来る限り知ろうとする事は出来る。それが例え不完全であっても、僕たちは知りたいんだよ。過去に何があったか。そして、それらを多くの人に知ってほしい。だから僕たちの主な仕事は、おおもとである記録することなのさ。勿論、その後の研究があって初めて色んな事が判るんだけど、記録が無いことには、どうしようもないからね」


彼は話し終わるとふっと息をついて


「まあこれは矢永田先生からの受け売りなんだけど」


と言い、サンドイッチにかぶり付く。


 記録する事が仕事か……。なんだか新鮮な感覚だ。発見や発掘だけが考古学じゃないんだな。だが、将輝さんがこうも堂々とモノを語れる人だとは思わなかった。僕は少し感心した。


「なんだか僕、将輝さんのことを見直しました」


すると彼は眉をひそめる。


「なんだいその言いぐさは。まるで僕がダメなやつみたいじゃないか」


僕たちは思わず吹き出してどっと笑った。周りの視線が一気に集まる。


「すいません……」


僕は小さく呟いた。彼は頭を掻く。


「まあ、とりあえずだ。僕も食べ終わったことだし、そろそろ行きますか」


はい!?いつの間に食べたんだ。さっきからずっとしゃべっていたではないか。合間あいまに食べていたとしても、何の違和感もなかったから、さらに驚きだ(速い……)。


「そ、そうですね(どこに行くんだろうか……)」


彼は食べ終えたトレーを回収スペースに戻すと、すたすたと大股に出口に向かう。背が高いと、一歩いっぽが大きいので、ゆったり歩いていても普通より速い。それにもまして、将輝さんの場合は歩くのが速いから、余計に隣を一緒に歩くのは難しい。


 しかし、出口に差し掛かったその時である。店内に荒らげた声が響いた。


「こん野郎!わての車に傷つけよったな!?」


僕らはその声がした方に向く。そこにはトイレの前で白いスーツ姿の中年男性が、営業マンのような若そうな男の人に突っ掛かっていたいる光景があった。


「誤解ですよ」


営業マンらしいその若い男の人は、身振り手振りでそれを否定する。


「何を言うとんのや。あんたの車、あのシルバーのプジョーやろ」


「それがどうしたんですか」


「わての車にな、あんたの車のシルバーの塗料がついとるんや。わての車はな、ごっつい高かったんや。苦労して貯めた金でやっと手に入れたんや!お前の安もんとは違う!それをお前よくも!」


中年の男性は若い男の人の胸ぐらをぐいっと力強く掴んだ。中年の男性の襟元から金色のチェーンがじゃらりと覗く。男の人の手からはアタッシュケースが滑り落ちた。中身がガチャリと音をたてる。そのままケースは、パタリと倒れた。


「言いがかりも甚だしい。そんなのどこかで貴方がぶつけたんでしょう」


若い男性は、それをさっと振り払ってネクタイをしめ直し、大事そうにすぐさまケースを拾い上げる。


「んなわけあるか!?昨日初めて運転したんやぞ!」


「初めてだからって擦らない事はない」


「わての腕前を知らんとよくもぬけぬけと。これでも若い頃はレーサーやったんや!そのわてに限ってぶつけるなんかありえへん!」


凄い自信だ。レーサーとして成功していたのは確かだろう。腕にはこれまた金色の腕時計が光っている。


「私だって、貴方の車がどんなんか知りませんよ」


「知るか!お前の車が隣に停まっとるから、お前がやった」


おいおい「知るか!」って、もはや誰でも良いから八つ当たりし始めたな。こりゃあ大事になるぞ。そう思っていると、遠目から見つめていた僕と、中年男性の目が合ってしまう。


「何を見とんのや子河童!」


彼はぎろりと僕を睨んだ。


「すいません!」


僕はすぐさま謝る。が、時すでに遅し。その男性はこちらにのしのしと歩いてきて、僕の胸ぐらを掴んだ。


 その瞬間、ものすごい臭気が男性から漂ってくる。酒だ。こりゃあ酔ってる。顔まで赤い。


「すいませんって言ってるでしょ!」


「生意気な!」


僕はその男性が拳を握りしめたのを見て、覚悟を決めた。


 僕はその男性の手を掴んで、体を右側に捻り、そのまま前へ進んで肘を固め、左に転換した。男性は大きく空中で一回転して尻餅をつく。そして、僕はさっさと背中から離れた。男性は痛そうに尻をさする。


「あっ。すいません……つい……」


こんなところでこれを使う羽目になるとは……。母さんの教えることもまんざら役にたたないこともないらしい。


 僕がどうしようかとおろおろしていると、耳元で尻上がりの口笛が聞こえた。


「よくできたね。なかなか難しい技だ。まあ少し捻りが甘いから尻からつくんだけどね」


それは将輝さんだった。先ほどとは違って嬉々としているように思うのは、彼がニコニコと恐いくらいに笑っているからだろうか。男性は「ううっ」と床で呻く。


「この子河童が!何を……」


その時、男性の台詞を封じたのは、将輝さんだった。将輝さんは地面に座り込んだ男性に顔を近づけて


「落ち着きましょうか。飲酒運転はなかなか厳しい刑罰になるそうですよ?」


と囁くと口角を少し上げて、恐いくらいに満面の笑みで男性を睨む。


 男性はその顔が恐ろしかった(気持ち悪かった?)のか、はたまた近すぎるのが嫌だったのか、「ひぃっ!」と口走り後ずさった。


「な、なんやお前は!」


男性は怒鳴り散らす。


「ああ、申し遅れました、僕は三鹿島と言います」


さらっと言うと、手を差しのべる。しかし、男性は振り払って「ふん!」と鼻を鳴らす。


「そこの貴方も、まだ帰らないでもらいたい」


将輝さんは帰ろうとしていたもう一人の男性を呼び止めた。


「店員に通報してもらいましたから、聴取くらいは受けてもらわないと」


「なんやて!?」


元レーサーが声をあげる。


「こういうのはお互いに折り合いをつけてもらわないといけませんし、喫茶店では迷惑ですからね。あ、あとは店員に任せますので」


するとスーツの男が言う。


「困ります。事を大きくされると」


「そうですよね。貴方の気持ちはとても分かりますよ? ただ、あなたに関しては見過ごせませんからね」


そう言って将輝さんがスーツの男の胸ポケットを人差し指で小突くと、男の顔にあからさまな驚きの色が浮かんだ。


「面倒になる前に行こうか幸助くん」


将輝さんは構わずスタスタと店を出ていく。僕も慌てて後を追った。その時、丁度兵庫県警のお巡りさん3人とすれ違った。来るのが早い理由は、三ノ宮が兵庫県警のお膝元だからだ。


 店内にいた客たちは動揺した様子で、視線をまだ揺れている扉に向けていた。


    2


 さて。外に出たのは良いものの、休日のセンター街の人だかりは凄い。なので行き交う流れを避けて、僕たちは将輝さんについて将輝さんが車を停めた駐車場に居た。


 元町駅方面に進み、辺りは少しばかり落ち着いた雰囲気になる。日はもう高くなって、少し暑いくらいになった。春の少し霞みがかった青空が広がっている。


 そんな空の下、二人の男性は互いに睨みあって火花を散らしていた。


 灰色がかったスーツに、紺色のネクタイ。露骨に歪んだ愁眉が不機嫌であるのをはっきりと表しているが、少し角張った顔からがっしりとした印象を受ける。さらに、日に焼けた小麦色の肌から、健康そうにも見える。だが、どことなくこのきっちりした服装に合わない使い込んだ運動シューズを履いている事にセンスのなさを感じる。


 しかし、おお!右手に海外の高級時計を付けているではないか!茶色の革製ベルトに銀色のボディーが光っている。遠目でよく見えないが、母さんが父さんの誕生日プレゼントに贈りたいと、ずっと呟いていたものと同じなのでよく覚えていた。僕も将来買いたいと思っている代物だ。


 一方の中年の男性は、まん丸な顔と前に張り出したお腹が、その裕福さを象徴している。白いジャケットに、赤いワイシャツ。開いた首元には金色のチェーン。手首にはこれまた金色の腕時計。妙に膨らんだ胸ポケットに挿した大きなサングラス。だが、まん丸な顔をしているのにも関わらず、つり目で薄い眉なものだから、あまり良い印象を持てない。しかも顔が真っ赤で、酒臭い。ぱっと見はザ・王者とでも言おうか。なんだか持つ者と持たざる者の差を感じる。しかし、男の人とは違って下品そうなのが残念だ。 競馬にでも負けて飲んだくれたのだろう。元レーサーの威厳も感じられない。


 僕は少し離れた所にある自動販売機の前から3人を遠目で見守った。あの酔っ払い中年男性にはさっきの事で近づけないし、若い男の人も不機嫌そうな雰囲気を全身から醸し出している。将輝さんはというと、それを横目に何か手元をごそごそとさせて、何やら忙(せわ)しくしている。


 まもなくして、用を済ませたのかポケットにそれを突っ込むと、振り向いて2人に向いた。将輝さんには何かこのいざこざを収める考えがあるのだろうか。


「さあ、お二方。大体の事は先程の件から理解しましたが、僕から幾つか質問しても宜しいですか?もしダメな場合はこういう事のベテランに連絡する事になりますが」


将輝さんは慎重そうにそう尋ねるが「なんなんですかあなたは」と若い男の人に怪訝そうに見られる。


「まあ良いじゃないですか」


「急いで下さい。仕事があるんです」


将輝さんは今度は中年の男性に無言で向く。


「ふん!好きにしぃ!」


 二人とも"この手のベテラン"の意味を理解したようで、先程よりやけに大人しくなった。将輝さんは警察を呼ばない代わりに質問に答えろと脅しをかけているのだ。二人とも警察沙汰にはしたくないだろうから、ここはしたがっておくべきと思ったのだろう。


 ふと、中年の男性の方を見ると、かなり我慢しているように顔が真っ赤にして僕をちらっと睨んだ。だが、それに対して将輝さんは「こっちを向け」と言わんばかりの先程の悪魔の笑みで釘を刺して向き直らせた。(将輝さん、恐い。けど助かった……)


「では」


将輝さんは微かに微笑むと、ひと呼吸置いた。そして、ここから将輝さんの質問攻めが始まったのである。


「あなたは先ほど、こちらの男性の車がぶつかって自分の車に傷をつけたと言いましたね。あなたの車とは、灰色のランボルギーニですか?」


「せ、せや」


中年の男性は少し驚きつつも即答する。将輝さんがなぜ知っているのか、僕も疑問に思う。だが、ふと思い出した。確か将輝さんが車を停めた時、隣に停まっていたのは灰色のランボルギーニだったのだ。


「では、あなたはそれを見たのですか?」


「見てへん」


「直接見た訳ではないんですね?だったら何で彼がやったとわかるんですか?」


「それは、こいつがわての車の横に居(お)ったからや」


「どこから見ていたんですか?」


「花を買いに花屋に行っとった時や」


「花屋ですか。誰か女性の方にでも贈るのですか?」


そういう将輝さんの言葉を聞くと、中年男性は妙ににやっとした表情を示した。


「せや。最近見つけたええ女でな、なんか未紀ちゃんとか言う可愛い女やねん。えらいべっぴんでな、つい車まで買ってもうたわ……って、なに聞いとんや!?」


あなたが勝手にペラペラと喋ったんです。 さすがの将輝さんもこれには苦笑いする。先ほど将輝さんも言っていたが、こりゃあ相当酔っているに違いない。


「そうでしたか。そのあと車の傷を見つけて彼を追ったと。では、あなたは自分の車の横に居た人なら、誰でも犯人だとおっしゃりたいのですね」


「いや、別にそういう訳やないけど……とにかくこいつや!」


「理由は?」


「しつこいな。こいつがこそこそしとったからや!多分、ぶつけた傷を見とったんやろ」


「結構です」


中年の男性はそう言うと若い男の人を睨み付けた。将輝さんはそれを見ると、もう一人の若い男の人に向く。


「では、今度はあなたに質問します」


「何でしょう」


「あなたの車はシルバーのプジョーでしたね」


「ええ」


「先ほどあなたは仕事があるとおっしゃっていましたが、会社員の方ですか?」


「そうですけど」


「会社はここから近いんですね」


「ええまあ」


「近いのに車ですか」


「会社に行くときはここに停めてるんです」


「ここのコインパーキングは、案外高いですよ?」


「そこのところはお構い無く」


「そうですか。では、スポーツは何かおやりになっていますか?」


「いいえ、特に」


将輝さんは男の人の左手に目線を移す。


「ご結婚は……されてないようですね」


「それがどないしたんですか。ほっといてください!」


若い男の人は将輝さんの質問に苛ついたようで、眉をピクリとさせた。


「これは失礼、少し興味が湧きまして。では、先ほどあなたはこの方の車の横で何をされていたのですか?」


「自分の車に鍵をかけていただけです」


「手動で?」


「まあ」


「遠隔ロックが出来るこのご時世に、手動ロックですか」


「リモコンの電池が切れたんです」


「ほう。リモコンですか……」


そう言うと、将輝さんは口角をじんわりとあげて、不敵な笑みを浮かべた。そして言うのである。


「さぞ、薄っぺらいリモコンなのでしょう。存在が疑われるくらいに」


僕も流石にまずいのではと思い「ちょっと将輝さん。それは以上は言わない方が」と言おうとしたが、その前に遂に若い男の人は堪忍袋の緒を切らした。


「何なんですか!さっきから変な質問をして。私は関係ないじゃないですか。この人が勝手に私を加害者にしようとしているだけでしょう。要件がそれだけなら私は帰らせてもらいます。忙しいんです!」


彼は「ふん」と荒く鼻を鳴らして帰ろうとする。


「もう結構ですよ」


「え……?……本当に何なんですか!?」


こりゃあダメだ。全く分からん。僕には将輝さんが何をしたいのか、さっぱりわからない。やけに色んな事を聞いたり、挑発的だったり。何がしたいんだ。そもそも、このやり取りが何のためなのかも分からなくなってきている。


 だが、将輝さんは、男の人が怒鳴ったのを見て、さらに笑みを深くした。そして、ゆっくりとそれを落ち着いた笑みに変えて


「いやですね、車上荒らしがよくもまあぬけぬけと喋るものですから、つい調子に乗りまして。三文芝居も回数を重ねると、四文芝居になるんもんですね」


と言い放った。


「えっ?」


 その言葉に彼も含めて僕と中年男性もほぼ同時にそう発した。この場の空気が一瞬にして変わる。いきなり何を言っているんだ。


 しかし、僕が男の人に振り向くと、彼は血相を変えて動揺の色を見せた。


「は、はい?何を……」


「今回は失敗だったようですね」


男の人は自らの左手を右手で被うように握った。


「な、何の冗談ですか?」


将輝さんは構わず続ける。


「スポーツをしていないのに少し日に焼けた肌。腕時計の日焼けの痕から外での活動が多い事は見てとれる。なので常習と言った方が良いですかな?まあ後で調べればすぐに判ると思いますが。


 さしずめ一日中あちらこちらを張っていたのでしょう。ここいらは高級車の頻出地帯だ。さぞ、お高い品が手に入るんでしょうね」


先ほどの苛立ちも一気に消えて、焦りが混じった雰囲気になった彼は、額に汗をかき始めた。


「日焼けは……テニスクラブに入っていて……」


「先ほどは入っていないと即答したじゃないですか?」


「早く終わらせようと急いでいて、忘れていたんです」


「なるほど、腕時計をしてテニスですか。しかも、随分とお高いブランドものを付けて」


「付けたままする人だっています。これはお気に入りなんです」


「その腕時計をつけてテニスをしていると認めるんですね? 僕は別にその時計と限定した訳では無いですよ?」


「別の時計です」


「じゃあ、別の時計という事にしておきましょう。では、これはどう説明しますか?」


将輝さんはポケットに手を伸ばして何やら鍵束を取り出した。それを見た男の人はキョトンとした。


「それは……!」


「先ほど店を出るときに、貴方からお借りしました。あなたの車の鍵ですね?」


店を出るとき……。ああ!将輝さんが男の人の肩をポンと叩いた時にすっていたのか。


 彼は鳩が豆鉄砲うを食らったように目を丸くして、自分のポケットをひっくり返したりして探すが、見つからないようだ。


「…………」


「さて、どれがあのプジョーのやつでしょう。ああ、リモコンと言っていましたね。……あれ? 見当たりませんよ?」


「返して下さい!」


男の人は鍵を取り返そうと手を伸ばすが、将輝さんはヒョイッと持ち上げてかわす。


「ああ、リモコンの電池が切れたから、手動ロックしたとも言っていましたね。実際に行って一本ずつ挿して確かめてみましょうか? さっきプジョーは自分の車だと断言していましたから、鍵はあるはずですよね?」


「ええから返せや!!」


 男の人は再度、今度は殴りかかるように取り返そうとするが、やはり身長差もあって届かない。しかも逆に腕を掴まれて動けなくなった様子。かなり抵抗しているが、将輝さんの馬鹿力がここで活きてくる。あっという間に地面に組伏せられ、肩を決められて痛がり始めた。


「落ち着きましょうか。そう焦らずとも、もう時期警察が来ますから。あとは友人の栗林に任せるのでご安心を」


そう言うと将輝さんは男の人の首もとをパンと叩いた。すると彼は急に静かになった。なんだこの格闘系マンガでありそうな状況は。しかも一発で大人ひとりを気絶させるなんて……この人恐ろしい。


 あれ?だが、いつ通報したのだろうか。


「あ、そうそう。元レーサーのあなたも逃げないでくださいよ。飲酒運転はれっきとした違法ですからね」


すると唖然としていた中年の男性は、少し赤かった顔をみるみるうちに、さらに真っ赤に紅潮させて怒鳴った。


「おまえさっき、サツは呼ばん言うとったやろ!」


「僕は何も警察を呼ばないとは言ってませんよ」


ここでふと思い出してみる。確かに、こういう事のベテランとしか言っていなかった。この人、ゲスい。


「なんやと!?この青二才が!!」


唾を飛ばしながら中年の男性は怒鳴るが、将輝さんは彼に面と向かって真剣な顔をした。


「あなたが悪いんですよ。僕の連れに手を出さなかったら見逃しておいたものを。まあ、飲酒運転は分かっていると思いますが、暴行ですからねぇ……。未遂ですが、まあまあの刑罰にはなるでしょう」


そう言うと将輝さんは膝の下にいる男の人を2、3度叩いた。そして不気味なくらいに不敵に満面の笑みを浮かべた。


「ひいっ!」


男性は後退り、後ろの車に手を突くと、そのままガクりと地面に膝をついた。あまりに怖かったのか、彼の回りにはズボンを濡らしてしみが拡がった。失禁したようだ。


 やがて将輝さんは内ポケットからスマホを取り出す。


「おおい、栗林(くりばやし)。聞いとったよな。ほなあとは任せた」


画面をタップすると、またポケットに入れ直す。先ほど店を出た時に何かをしていたと思っていたら、電話をしていたのか。将輝さんは最初からこのつもりで──。


「ああ、それと最後にひとつ。あなたがこの辺で出会ったという未紀(みき)という女性とはもう会わない方がいい。これはあなたへの助言だ」


そう言うと、将輝さんはこの駐車場の奥の方に停めたminiまで歩いて行く。


「それじゃあ行こうか幸助くん。栗林が来た」


将輝さんは顎をくいっとして僕の後ろを指す。その視線の先には紺色のスーツを来た男の人が走って来ている姿があった。


    3


 将輝さんは僕に目で合図を送ると、すたすたと歩いていく。僕も地面にいる二人を横目に流し、将輝さんの後を追って車の中に入った。将輝さんは僕がシートベルトをしたのを見ると、ボタンを押してエンジンを始動する。


「あの……待たないんですか?」


「大丈夫だよ。栗林はそこら辺、慣れている」


「はあ……(栗林って誰だろう……)」


将輝さんは向き直ると、ゆっくりとアクセルを踏み込んだ。


 三宮センター街から大丸周辺は、信号の数が案外多い。理由としては、旧居留地周辺は区画がきっちりしているからだそうで、その分信号が多いらしい(某車ヲタクの友達による)。よって、一区画進む度に信号に引っかかるので、信号待ちの時間が必然的に多くなった。


 沈黙。


「あの……さっきは助けてくれてありがとうございました」


なんとなくそう言ってみた。何か喋らないと間がもたない。


「ああ、いいよいいよ。気にしてないから」


彼は前を見ながらそう言うと、また毎度のように黙り込む。なんとなく感謝してみたものの、なんだかしっくり来ない。いや、そもそもあれは感謝すべき事だったのだろうか。


 沈黙。


 信号待ちで停車している車内は、ウィンカーのカチカチという一定のリズムを刻む音が妙に大きく聞こえる。


 なんと話しかければ良いのだろう。先ほどのことで解らない事は山ほどあるのに、この雰囲気では聞きにくい。取っ掛かりがないのは困ったことだ。


 だが、しばらく僕が横目でチラチラと将輝さんを見ていると、将輝さんはさすがにもう無視出来ないなあというような顔をした。そして横目で僕を見て


「聴きたそうな顔をしているね」


と言った。僕の考えていることが読めるのならば、さっきから僕が考えていたこともどうせ分かっていたんだろう。だが、それなら話は早い。僕はいろんな意味を含めてゆっくりと頷き、短く続けた。


「あの時、何であの男の人が車上荒しだと判ったんですか?」


将輝さんは食事中、僕とずっと話しいていたのでよそ見をしていたようには見えなかった。だが、男の人のポケットから鍵を抜いたのが店を出るときだったとすると、店の中に居た時から気付いていた事になる。


「まず1つ目に彼の靴だ」


「靴?」


「そう。彼の服装はいかにも会社員という感じだった。だけど靴だけが服装に合っていなかった」


そう言われて僕は思い返してみる。確か運動シューズだったな。


「もう分かっていると思うけど、彼の靴は運動靴。つまりジョギングシューズだった。そしてよく見ると、彼の靴にはね、あちらこちらに擦った痕があった。つまり、よく外で活動する証拠だよ」


ふうん。言われてみればそうかもしれない。だが、


「最近は会社に行くときでも、革靴じゃなくてジョギングシューズってことありますよ?」


すると将輝さんは一息置いて言う。


「今日は何曜日だい?」


「土曜日ですけど」


そう、土曜日だ。それがどうしたというのだ。土曜日に会社へ出勤するのは別におかしな事ではない……。僕は将輝さんに向き直り、訝しげな顔をした。すると将輝さんはチラリとカーナビの時計を見た。


 ん、時間?今は10時39分だが……。


「ああ!」


僕が思わず声をあげると、将輝さんはニヤリと口角を微かに上げる。


「今日は土曜日で、しかもあの時は10時前だった。会社があるならとっくに遅刻している。また、会社がない場合も、わざわざスーツを着る必要はない」


「でも、だったら営業マンとかも有り得るんじゃないですか?息抜きにカフェに来ていたとか」


「御説ごもっとも。でも、営業マンなら尚更ミテクレが大事なんじゃないかい?もしそうなら革靴を履くはずだよ」


なるほど。


「ここで、カモフラージュのためにスーツを着ているという事がわかるね?」


僕は無言で頷く。


「じゃあ彼の持ち物はどうだった?」


「そう言えば、小さめのアタッシュケースを持っていました」


確かそうだったはずだ。


「その通り。営業マンを装っているという事は営業マンではないから、外にわざわざ仕事で使うようなアタッシュケースを持っていく必要はまず無い。ということは、何か隠したい物が入っているか、手で持っていると目立つ物があるという事。これが2つ目」


なるほど。確かに鞄は手で持つには面倒な物を容れられる。隠したい物も然り。


 将輝さんはそう言うと気付いたように前を向いてアクセルを踏み込んだ。


「3つ目は、彼が店に入ってきた時、一直線にトイレに向かったという事」


トイレ?ああ、荒々しくトイレに駆け込んだ誰かとは、あの男の人だったのだな。


「しかもその時、彼は左手を抑えて店の中に入って来た……っていうのは知らないか……」


知るはずがないではありませんか。僕は入り口を背にして座っていたのだから。まあ背中に目があるならば別だが。


「男の人は手を抑えていたんですか?」


「そう。僕が彼の失敗を指摘した時、彼は左手を庇(かば)っただろう。あれがその証拠だ。彼はそそくさと店に入って来ると、真っ直ぐトイレに向かった。幸助くんはカフェの向かいにコンビニがあったのを覚えているかい?」


「はい。ローソンがありました」


将輝さんは無言で頷く。


「さっきのカフェには僕も何度か行った事があってね。あそこのトイレは個室なんだよ。個室のトイレに入る理由はなんだと思う?」


「用をたすためとか……あ、隠れて何かするため?」


「御名答。理由は恐らく怪我だ」


「怪我ですか?」


「あの酔どれと争っている時、彼はやたらと左手を気にしていた。手を抑えて、気を遣うということは怪我をしたで間違いないだろう。これが3つ目」


という事は、将輝さんが男の人の左手を見て結婚していないと言ったのは、傷を再確認するためのカモフラージュだったのか。


 車はまた停止する。また信号待ちだ。


「4つ目は、彼が出てきた時にちょうどあの酔どれが突っ掛かってきて、自分の車に傷を付けたと怒鳴り散らしていた事。酔どれが彼を追ってきたという事は、酔どれの車の近くで何かをしていたという事が判る」


だからそこであの男の人が車上荒しだと判ったのか。あ、でも、


「じゃあなんで怪我をした事が関係あるんですか?」


将輝さんはニコリと笑った。


「車上荒しの手口は至ってシンプルでね。車の窓ガラスを割って中のロックを開けるだけなんだ。で、その時割れたガラスで切る事がある。調査で海外に行った時に聞いた話だと、常習犯でも切るらしい。だから、怪我して付いた血を洗い流そうとしていたんだろうね」


なるほど。だが、ここで僕の悪知恵が働く。


「ならなぜ手袋をしなかったんでしょう。スーツは長袖だし、それなら怪我する心配はないと思いますけど」


すると将輝さんは「やれやれ」と首を横に振った。


「じゃあ時間帯と場所を考えてみるといい。真昼間(まっぴるま)に手袋をしていたら、いくらなんでも怪しく見えるだろう?ましてや、あの駐車場はそこまで目立たない場所にあるわけじゃない。極力自然にするには、ない方がいいんじゃないかな?どうだろう」


はい、すいません。


「彼はあのプジョーを荒らしているときに運悪く怪我をしてしまった。怪我をすると、面倒な事になるのは目に見えている。なので彼は盗難を諦め、急いでトイレに向かった。向かいのコンビニじゃなくてカフェに来たのは、さっきのカフェのトイレが個室だというのを知っていたからだろう。この事からもここいらの地理に詳しい事は判る。しかし、彼の行動の一部始終は」


「あの酔いどれに見られていた、ですね」


「その通り」


将輝さんはアクセルを踏み込む。


「ちなみに、鞄の中の隠したかった物はハンマーとかガラスカッターとかバールだろうね。あの大きさの鞄なら十分入る。まあそこら辺は警察の領分だ。僕らの関わった事じゃない」


そういう事だったのか。なんだか妙にすっきりした気分だ。どこか心地好い。この、疑問が解けた時の快感は、病み付きになりそうなくらい危うい。


 とはいえ、こんな複雑な事にあの一瞬で気づくとは……。僕は全く判らなかったし、疑いもしなかった。この人、やはり不思議だ。本当にただの考古学者なのか?


「種も仕掛けもない、正真正銘ただの考古学者だよ。そんなに訝(いぶか)しむ事はない」


彼はそう言うとにんまりと笑った。そう言えばこの人には僕の考えていることがわかるのだったな。全くだ。僕は両手をひょいと挙げて降参の意を表した。


「あとのことは彼との駐車場でのやり取りで理解できると思うよ」


将輝さんは一呼吸置いて言う。


「まあ今回、彼の失敗は、上を気にするあまり下に気がまわらなかった事だね。まさしく竜頭蛇尾じゃないか」


将輝さんはそう言うと、はははと笑った。竜頭蛇尾……最初と最後の勢いが全く違う事?頭は上、尾は下。……上はスーツで、下がジョギングシューズ。なるほど。僕もつられて失笑した。


「あ、そう言えば、どうしてあの酔どれの車がランボだって判ったんですか?」


「ああ、それは至極簡単な事さ。彼の胸ポケットからロゴが入った鍵が覗いていただけだよ」


やけに酔どれの胸ポケットが膨らんでいたのはそのせいか。


「酔っ払いが男を追うのは歩く速度的に少し無理がある。よって歩いた距離は短い。それに、近くの駐車場でランボと言ったら、隣に停まっていたランボくらいだからね。まあ、そこは少し考古学者の"勘"だったんだけど、あっていたから良いんじゃない?」


彼はそう言うと誤魔化すように笑い飛ばして、ギアを合わせてアクセルをゆっくりと踏み込んだ。今頃になって気付いたことだが、彼のminiはどうやらマニュアルのらしい。四六時中ギアを弄(いじ)っている。マニュアルは上手い人でないとぎこちなくて乗り心地が悪かったのを覚えているから、それを感じなかったということは、相当上手だ。


 ふと目線を上げると、いつの間にか大丸前のスクランブル交差点だった。そう言えば、これからどこへ向かうのだろうか。彼に聞きそびれてしまった。横目でチラリと見ると、将輝さんは口元に笑みを浮かべて、今にも鼻歌を歌い出しそうなくらい楽しそうに、鯉川筋を北へハンドルを切った。





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