第7話 勇者の行く道に希望などありません(トウワ)

「勇者様、侵入者を捕らえました」


 そう言って入室したのは、副隊長のミモザだった。


 彼女は、僕の身の回りの世話までしてくれているので、僕としてはとても重宝していた。


 嫌な予感を感じ、装備も整えずにミモザの案内に任せ、侵入者の姿を確認しに向かった。


「っ」


 なんとか声を出さないように堪えた。


 どうか杞憂であってくれと願ったが、捕らえられていたのは悪い想像通り、リールだった。


 縄で上肢を縛られ、両腕と翼には縄がぐるぐると厳重に巻かれていて、一切の身動きを許さない意思が感じ取れた。


 親衛隊に囲まれ、両脇から剣を十字に突きつけられているというのに、じっと目を閉じ、現状に耐えていた。


「勇者様、こいつは魔族です。魔族は我々人類にとっての敵に他なりません。正義の名の下に、打ち倒すべきです。許可を」


 ミモザは感情の灯らない、無機質な声色で言った。


 命を奪うという行為を、正義という耳障りのいい言葉で隠れ蓑にしている。


 正義のためにと言い訳をして、その行為の意味を考えてなんか、いないんだ。


「彼を放してやってくれ。彼は……僕の友人なんだ」

「勇者様正気ですか? こいつは魔族で、我々人類の敵なのですよ」


 そんなことは、痛すぎるほどにわかっていた。


 自分の発した言葉の意味を考えると、恐怖がないわけではなかった。


 勇者は守るべき同胞よりも、得体の知れない魔族を優先するというのだ。


 人類に対して、役割に対して、ことわりに対しての裏切り行為だ。


 そうだとしても、僕は自分の心に嘘はつけなかった。


 親衛隊の口から、次々に疑念の言葉が漏れ出した。こいつは本当に勇者なのか、実は偽物なんじゃないか。


 リールに向いている刃が、僕に向けられる時は、簡単に訪れてしまうのだと感じた。


 持っている武器は、腰に挿した短剣のみ。


 王家直属の親衛隊を相手にするには、心許ない。


 リールは唐突に沈黙を破り、精一杯の憎悪込めた醜悪な声色で、叫びだした。


「はーはっはっは。まんまと騙されやがったな。今までのは勇者であるお前を騙すための演技だったってのに、ほんと勇者様は甘ちゃんだな。魔王様が手を下す間でもない。今ここで、僕が殺してやるよ」


 身動きの取れないはずのリールから、紫色した霧が吹き出してきた。魔力を増幅させているらしく、気温がわずかに下がる体感があったにも関わらず、汗が吹き出す。


「やれ!」


 ミモザが叫ぶと同時に、両陣の剣がリールの体を貫く。それと同時に、噴出した霧は拡散をやめた。


 リールの体からは紫色の血が滴り落ちていた。体が地に伏し、床の溝に従い、リールの血が石造りの床を伝う。僕以外の人々は、その血から逃れるように離れていった。


 リールはわずかに顔をあげて、何もできなかった無力な勇者を見上げていた。


 日の暮れかかっていた別れの日、永遠の別れを覚悟して、またねと言ったあの時と、同じ表情をしていた。


 またね。


 音もなく呟かれた言葉を認識した時、制御できない感情が爆発し、頬を濡らした。


 心情に呼応したかのように、とても冷たい涙だった。






 息をすることすら忘れたいと思いながら横になっていると、扉を叩く音がした。


 入室を促すと、入ってきたのはミモザだった。


 皮肉や、やつあたりすらぶつけてしまいそうだったけど、この世の終わりを見たかのような表情でうな垂れている姿を見ると、ぶつける感情の行方すら見失ってしまった。


「勇者様お逃げください」


 ミモザは、今にも泣き出しそうなかすれかすれた声で、言った。


「どうして?」

「勇者様は、役目を終えたあかつきに、殺されてしまいます」


 衝撃が全身を駆け抜けるが、疲れのほうが優先されていて、動くことはできなかった。


 うまく働かない頭を酷使して、やっとのことで疑問の言葉を搾りだした。


「なんで僕が殺されなければならないの?」

「イキュアーの民の間では、勇者様は勇者として相応しくないんじゃないかという声もあがっております。魔王のもとに辿り着けるのは勇者様しかいないため、すぐに手が下されることはないと思います。けれど今回の出来事で、親衛隊の連中は確信したようなのです。この勇者は危険だ。魔王を倒せたとしても、魔族を庇う姿勢から、人類を脅かす存在になるんじゃないかと。そう言っているのです」


 予想できた展開だった。


 人類にとっての最大の障壁、魔王。


 その存在さえいなくなれば、危険な力を持った勇者という存在は、邪魔でしかないのだろう。


 僕が戦うことに、人類が勝利することに、魔族を含めた世界全体を救う道など、始めからなかったのだということを、思い知った。


 けれど、リールは最後に、僕を騙して近づいたのだと、自ら宣言した。


 勇者に向けられる疑念を、少しでも逸らすために、そう言ってくれたのだ。きっと。


 リールは最後の最期まで、僕を信じて、道を繋いでくれたのだ。


 そう、僕は信じている。


 それならば、僕は自分に出来ることを、重い体と重い心を抱えてでも、やらなければいけない。


 悲哀で凝り固まった体を、わずかな使命感と、紡がれた想いを燃やして、起こす。


「ありがとうミモザ。僕はもう行くよ」

「ごめんなさい、ごめんなさい勇者様。どうか、どうか生きていてください。そして、無力でしかない私たちを、お救いください」


 泣き崩れるミモザに背を向けて、僕は窓から飛び立った。


 ガンガー砦を超えて、一日中進み続けば、人類には不可侵の魔族領域、サマリに出るはずだ。


 これ以上誰も死なせないために、悲しみを増長させないために。


 僕は一刻も早く、魔王のもとに辿り着かなければいけない。


 そして、その時は。

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