第43話 ゆめうつつ
「私が今このステージに立つことができているのは、運がよかったからです。運だけで、ここまで来てしまいました。」
歓喜の余韻が残る中、少し不安げな表情で、しかし背筋をぴんと伸ばしながら、馬場ちゃんは一人で立っている。まっすぐな瞳が観客席を見つめていた。
「私には何もできません。うまく歌うことも、かっこよく踊ることも、気の利いたことも喋れません。何も、できませんでした。それなのにここにいます。それなのに、私もFORTEなんです。」
数々の現場を経験し、場慣れしているとはいえ、もともと人前で話すのが得意な方ではない。決してスラスラとした話し方ではなく、時々言葉が途切れてしまう。それでもその一言一言に魂が込められているのが分かるから、客席はその声にじっと耳を澄ましている。音楽や照明の力など、そこには必要なかった。
「私がここにいられるのは、私以外の人達のおかげです。FORTEに入ることができたのは、オーディションを見つけてきてくれたお父さんと、私を選んでくれたスタッフさんと、本山さんのおかげです。センターに選んでもらったのもそう。アイドルを続けられているのは、メンバーのみんなのおかげで。」
真剣みを帯びた表情からにこりとした小さな笑顔への緩やかな変化が、その場の空気に柔らかさをもたらした。
「なにより、今、私の話を聞いてくれているファンの皆さんのおかげです。」
歓声が上がる。
「結衣と真由の話を聞いていて、思いました。全て運命だったんじゃないかって。私がFORTEに入って、アイドルになって、センターになって。そういうのがぜーんぶ、運命なんじゃないかって。だとしたら私は、その運命にずっと流されてきてしまいました。FORTEに入ったときも全然実感がなくて。急にセンターだと言われても、自分でそれにふさわしいと思ったことは一度もありませんでした。でも、真由や結衣がセンターをやるようになって、初めて自分がセンターでありたかったんだと気付きました。そして昨日、奈緒と凛ちゃんよりも票数が少ないと分かったとき、初めて悔しいと思いました。」
瞳が少し赤みを帯び、潤みが揺れているのが分かる。涙はまだ流れていない。
ぐっと唇をかみしめるようにして、目もとと口もとに力が入る。
「これもきっと、運命なのだと思います。だからこそその運命を、今度は自分の力で切り開いていきたいです。もう甘えるだけの私ではありません。もう、皆さんの前では泣きません!」
高らかに宣言したその声は、今までこの会場で発されたどの音よりもまっすぐに響いた。
離れていた喝采がまた、思い出したように帰ってくる。
持ち時間を残しながら、最も苦手な喋りだけでPRを終えて去っていく後ろ姿は、いつもよりずっと大きく見えていた。
「月島凛です。私は歌も踊りも好きなのですが、それと同じくらい何かを演じることが大好きです。今日は自分の好きな映画のシーンを、一人で演じ切りたいと思います。」
そう言って一歩前に進み出た凛の目つきは、すでに先ほどまでとは変わっていた。
「“カッコ悪いことしてんじゃねえよ!みっともねえ!”
“なんだと?”」
急に始まった一人芝居が、会場に笑い声を交えてざわつかせる。
初めて世に出た1か月ほど前、彼女は“才能あふれる天才少女”だった。誰も触れることができないほどの繊細さ。透明なガラスのような純粋さ。ほとばしる可能性に満ちたピュアな才気。
そのイメージは少なくとも昨日のピアノ事件をきっかけに、この2日間ですべて崩れ去る。
“歌唱審査”で何の臆面もなく想定外のパフォーマンスを披露する姿は、それを目にしたファンの人達に、単なる“天才”から“天然”路線へと急激に舵を取らせた。
天才少女に付きまとい始めた変わり者のイメージが、この自己PRでさらに拍車をかけようとしている。しかしメンバーである私達だけは、それこそが彼女の本当の魅力であることを、既に知っている。
「“必死で闘っている奴らを馬鹿にしたことを取り消せ。”
“そんなことしたって、何も変わらねえ! 現実を見ろよ!”
“変わるさ。”
“変わるかよ!そんなに必死になりくさりやがって、くだらねえ。”」
気付けば最初に漏れ聞こえていた笑い声が、いつの間にか聞こえなくなっている。
「“必死になることのどこがくだらないんだ。必死になるということは、それだけ自分の人生を真剣に見つめているということに他ならない。”
“そういうのがダせえってんだよ!”
“お前だってそうやって、必死になってあいつらを馬鹿にしているじゃないか。”
“あ!?”
“必死になるところに本当の自分がいるんだ。お前も本当は頑張りたいんじゃないのか? あいつらのように必死になれるものがほしいんじゃないのか?”
“そんなわけねえだろ。無理だと分かってることに突っ込んでくほど、俺は馬鹿じゃねえ!”」
私はその映画を知らない。それがどんなシーンで、どんな人が話しているのかもさっぱりだった。それでも演じられている会話だけは心に響く。すっかり凛から目が離せなくなっている。
「“誰が無理だと決めたんだ? 周りに無理だという人間がいたとしても、限界を決めるのは常に自分だ。最後まで自分のことを信じてやれるのは、自分だけしかいないんだ。”
“だまれ!全部きれいごとばっかりじゃねえか!”
“そんなことはない。人間ってのは、お前が思ってるよりはるかに凄いんだ。夢を叶えようとする奴はいつも、俺たちの想像なんて簡単に超えてくる。”」
凛の視線は
「人の夢を、馬鹿にするな。」
頭で理解できていないのに心に響くのは、その一言一言が、彼女自身の言葉であるように感じていたからだった。
「私は小さいころからずっと、アイドルを目指してきました。中学生からオーディションを受け始めたんですけど、全然ダメでした。それで今回初めて通って、飛び上がるほど嬉しかった。何度もこれで終わりにしようと思ってきたから、初めて途中で止めなくてよかったと思いました。自分がここまでこれたのは、途中で諦めなかったからなんです。」
私はそれを見ながら、かつてのオーディションを思い出していた。
凛も参加していた現行FORTEのオーディション。
2次審査から最後まで、私の視線はずっと彼女の方を向いていた。アイドルになるのはこういう人なんだと、私に現実を見せてくれたのが他でもない凛だった。
けれど本当の現実は、凛ではなく私がアイドルになることだった。
今私が見ている凛は、その時よりも遥かに表現力に磨きがかかっている。
でも、今はそのときのように体がすくむことはない。
今は私にも、積み上げてきたものがある。その一つ一つが私の体を支えてくれている。
あの時の私とは違うんだ。
圧倒的な力が見せるものは厳しい現実のように思えるが、実はそれはもしかすると、その力に魅せられている空想でしかないのかもしれない。
「信じる力だけは、誰にも負けません。私をFORTEのセンターにしてください! よろしくお願いします!」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます