第39話 夢から覚めて

「珍しいね。こりゃ、マジ歌だ。」


 何でもそつなくこなしてしまう鳥海結衣が、自分の感情を表に出すことは極めて少ない。だからこそ少し近寄りがたく思われがちなのだけど、本当はただの恥ずかしがり屋なのだということを、私たちは知っている。

 こうしてみると私たちはアイドルであるのが不思議なくらい、人前に立つのが苦手な集団だったようだ。


 FORTEが始まった当初、結衣は中学生だった。それが今となれば、高校卒業が迫ってきている。私がFORTEに入った時と同じ年齢。あの時の私と今の結衣が並んだら、まるで同級生とは思えない。

 結衣は身長も伸びて、“今の私”でさえ少し前に追い越された。短くしていた髪も伸ばすようになった。持ち前のきれいな黒髪は細くて白い体にぴったりで、それがロングになったことでより大人びて見えた。

 少しずつ自分の意見も言うようになった。

 例の事件も、もとはといえばそう。馬場ちゃんや真由が意見を言い合うだけならいつものこと。結衣や私のような、柄じゃないメンバーの言動こそが反響を呼んでいた。


 結衣は大人になっていた。

 そしてそれはきっと結衣だけではない。今回のようなことをお互いにできるようになったということは、FORTEが大人になってきたということなのかもしれない。

 中心になる誰か一人が引っ張るのではない。メンバーそれぞれが持ち味を発揮して、初めてFORTEなのだ。


 結衣が、黒くて長い髪を左右に揺らしながら懸命に歌っている。クリアでありながら力強いその声は、確かに耳に届いているはずだ。しかし奏でられるその音よりもむしろ、そこにある熱量に心がすっかり奪われてしまう。汗のにおいも感じさせない鳥海結衣の、額が確かに汗ばんでいた。






 少し茶色がかっている髪は、日焼けとは縁遠い透明感のある肌の色と相性が抜群。目鼻立ちがはっきりとしていながら、ちょっとだけ切れ長になったような目は、男性だけでなく同じ女性でさえも虜にしてしまう。すらっと伸びた手足は長く、全てが整っているようにさえ見える美少女にとって、ステージの上はとてもよく似合っていた。


 容姿の美しさで、真由の右に出る者はいない。一目見ただけで、“スター”や“カリスマ”といった言葉が頭をよぎる。

 しかしそれでいてその美しさは実に謙虚だった。人を圧倒できるものを持っていながら、決してそうしようとはしない。おしゃれなお店のど真ん中に飾られることもできるのに、古ぼけた学校の教室の端に咲いているようなこともできる。FORTEが様々なファン層を持つようになったのは、間違いなく彼女の功績だった。

 音楽が流れてそこにたたずんでいるだけで、それが一つの立派なパフォーマンスになる。さらに思いのほかかわいらしい声で歌いだすのだから、なおさら目が離せなくなってしまう。


「なんだろう?」


 サビメロが近づくと、真由の手がおもむろに衣装のポケットへ伸びる。気が付くと彼女の頭上には、薄手のスカーフが掲げられていた。

 歓声とともに、ホール内の温度が急上昇する。

 会場全体がタオルを振り回して盛り上がる、ライブでの定番曲だった。




 夏にはあなたの人気者

 秋になったらどうするつもり

 あなたの気持ちも、季節と一緒に移ろっていくの

 そうだとしても、かまわない

 それでもいいからこの夏だけは、

 ずっとあなたのそばにいたい




 サビで盛り上がる夏歌でありながら、切ない歌詞とたまに聞こえる寂しげなメロディが印象に残る。

 掲げたスカーフに合わせて、会場があおられていく。数分前の熱唱に圧倒されて微動だにしなかったのと同じ人達とは思えないくらい、汗を発する掛け声で沸いている。

 中心にいる美少女の表情が輝く。

 彼女が授かったもう一つの才能。それは向けられたもの全てを味方にしてしまうほどの威力を持つ、疑いようのない笑顔だった。




 控室に入ってきた真由が、汗を拭いながらこちらを見ている。


「凛と奈緒のせいだからね。」


「そうそう」と口にしているのは、それに同調する周りのメンバー達。

 歌唱審査として始まったステージは、すっかりパフォーマンス対決になってしまったきらいがあった。ピアノの弾き語りや全力“振り”付き『OPEN』が、その一翼を担ってしまったのは否定できない。ただそういう真由の口元は緩んでいて、それ以外のメンバーも言葉とは裏腹に楽しそうにも見える。


 モニターの前に並んで座る私と凛は顔を見合わせる。


「ごめんなさい。」


 二人で一緒に頭を下げると、控室は温かい笑いに包まれた。






 クライマックスかのように盛り上がった真由のパフォーマンスは、彼女がステージからはけた後までも、観客席に熱気を充満させ続けている。

 そんな中で小柄で華奢な女の子が足早にステージに現れた。小走りしている姿が小鳥のようで可愛らしい。

 その熱が冷めてしまわないうちに流れ始めたピアノの音。その音だけを頼りにする伴奏が、客席へ壇上の少女の存在をそっと伝えると、その場が魔法のように一瞬で静まってしまった。


 名前なんて呼ばれることのなかったあの頃

 自分にそれがあるのかさえも、気づいていなかった

 君だけがそう呼んでくれたから、

 初めて私が私になれた

 君がいるから私がいて、

 明日も君がいるのなら、

 私も明日を迎えることができる


 一人ぼっちの世界だけがすべてだった

 灰色の天井だけが、空のすべてだった

 そう、本当は何も分かっていなかった

 君の声のする方を振り向くと、

 雲に覆われた空の先に、光がそっと差し込んでいた


 時々光を見失い、君の姿が見えなくなると、

 とてつもなく不安になった

 いつか君が私の前からいなくなってしまうのではないかと

 でもその時気付いたんだ。

 雲の隙間から差し込む光が、窓に向かって反射する

 窓が私を映し出す

 私はたしかに、そこにいた



 決して歌がうまいわけではない。音程や声量などの技術だけが歌の全てではないのだと、面と向かって証明してみせるのが、馬場ちゃんの歌。誰にでも分かる一般的な良さを凌駕するものが、その歌にはあった。

 歌が得意ではない子が一人で歌うことの辛さは、同じように得意ではない子にしか分からない。音程が少しズレれば、そのままズレた音だけが聞き手に直接届いてしまう。グループで歌う時と違って、ごまかしが一切きかない。そういう恐怖に追われても、それに負けず懸命に歌おうとする姿勢に心をつかまれる。


 声色と楽曲のチョイスはこれ以上なくマッチしていた。自然と守りたいと思わされてしまう儚さの孕んだ声と歌詞。強く張り上げることはできないが、それでいてその後ろに確固たる強い意志が感じられる独特な声が、この曲にうまく乗っている。

 歌詞と歌い手がリンクするほど、その曲の持つ力はいくらでも大きくなる。

 馬場ちゃんの選んだ曲はFORTEのものだった。あれほど聞きなれているはずの曲を、そのとき初めて聞いた曲のように錯覚してしまっていた。


 しっとりとした曲調でありながら、サビメロではしっかり盛り上がる。フレーズの句切れも分かりやすく、要所要所で掛け声もかけやすい。

 熱量を維持したままに、曲の歌詞までしっかり聴かせるパフォーマンスは、今までで一番アーティストらしいものだった。


「やっぱ、すごいな。」


 声を発さなくなっていた私たちを代弁するように、真由がぼそっとつぶやく。

「うん」とか「そうだね」とか、そういう何にもならないような言葉でしか表現できないことに、より一層負けてしまった感が強くのしかかってくるのだった。

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