第38話 夢の中へ
はじめに新メンバー候補生の4人が歌った後、FORTEの6人に順番がまわる。
会場の度肝を抜いた月島凛だけでなく、それに続く4人の歌はとても洗練されていた。一人ひとりの緊張感は手に取るように伝わってきたが、いざ音楽がかかるとそこにあるのは、紛れもなくプロの顔だった。
小さな声や低い声になるところでは、声の震えが伝わってくるように分かる。そんな状況でもどっしりと構えてステージに立つ姿はとてもたくましく、見ているものを勇気づける力があった。
最初の衝撃によって一度モニターに目を向けてしまった手前、そこからは諦めたように画面を見つめ続けている。
今、自分が競っているのがまさにこの子たちなのに、気付けば応援したい衝動に駆られている。確かに実力は本物だ。5万人のオーディションの中、群を抜いていたと言わしめただけのことはある。それでも本格的なライブのステージに立つのは初めてで、経験という能力はゼロに等しい彼女たちが、持てる全てをもってあのステージで闘っている。その姿はいつしか、昔の自分の姿と重ね合わさっていた。
画面から目を離していないにもかかわらず、4人目の候補生が歌い終えたことにも気付いていなかった。歌う順番が回ってきた私に声がかかると、驚いて気の抜けたような返事になった。急いで立ち上がった拍子に、隣にあった椅子を蹴り上げてしまう。
「痛ったー!」
やっと奈緒らしくなってきた、と他のメンバーが笑った。
少し前にグランドピアノで荒らされた会場は、すっかりオーディションらしい雰囲気に様変わりしている。ステージに立つとそれが全身に感じ取れ、手のひらにじんわりと汗をかいた。急激な緊張感にさらされると、こうなる癖があった。
「こんにちは。」
グループでパフォーマンスをしていた時よりも、ホール内の隅々にまで音が響きわたっているのが分かる。
「FORTEの高橋奈緒です。今日は暑い中、足を運んでくださってありがとうございます。こういった舞台なので、いつもよりずっと緊張してます。それでも私は私らしく、皆さんに楽しんでもらいたいと思います。短い時間ですが、どうぞよろしくお願いします。」
深く一礼した後、曲紹介を自ら述べていると、抜群のタイミングで音が鳴り始める。
「私の選んだ曲は『OPEN』です。これは私達がFORTEの曲として初めていただいたものでした。デビューの時は全然うまくいかなかったけど、今は、あのときよりずっと上達していると思います。そんな、…」
“あ、まずい…!”
手のひらだけだったはずの汗が、背中と額に勢いよく噴き出す。
あれほど繰り返し練習したセリフの、最後だけが出てこない。
「えーと…、そんな、そんなところも聞いてもらえると嬉しいです。」
かすかに笑い声があがると、不思議とその空間に温かい空気が流れ込んだ気がした。
ピンと張っていた空気が、少しだけ緩む。
“こ、これはこれで、結果オーライ…”
私の口周りの筋肉も、少しだけ柔らくほぐれた。
太陽の発するその熱は、力にだって変えることができる。
どんなに熱すぎたっていい。
力強い日差しを味方につけて、
今、その扉を開けるんだ。
どれだけ重たくて、
開けるのが億劫で、
外に出るのが怖くても、
そこにある光を信じて、目の前の扉を押してみよう。
空に果てが無いのと同じように、
空の下にだって限りない自由が広がっている。
開いたその扉こそが、
今までの自分からの出口であり、
新しい自分に向かう入口になるのだから。
私の太陽は高校の同級生だった。
彼女が私を空の下へ連れ出してくれた。
光を信じて外へ飛び出してみると、素晴らしい世界がそこには広がっていた。
しかし一方で、輝く世界を見つめるたびに、私は全く逆のことを考えてもいる。
誰にも連れ出されることがないまま、今も閉じこもり続けている人達が、同じようにいるのではないかと。
心から納得しているならいい。でも納得したふりをして、本当は出たいのに出られなくなっている人がいるのではないかと。
まさに私がそうであったように。
『OPEN』を選んだのは、FORTEの楽曲の中で最も自分に合っていると思ったから。
その理由を話しても、誰にも納得してもらえない。
だって私と違ってこの曲は、最初から最後までずっと明るくハイテンションだから。
端から見れば、私の性格とは真逆だ。
ここまでの4人が、しっかり歌唱力をアピールするような楽曲であったためか、『OPEN』のポップな曲調は歓迎されているように見える。曲調に合わせて徐々に、自然と掛け声もかかってくるようになった。
“なんか、気持ちいいな”
一番のサビ。
無意識に“振り”が付いてしまった。
“あ、やば…”
そのアクシデントが思いがけず、コールの盛り上がりに拍車をかける。
“もう、いいや!”
半ばヤケクソな気持ちになり、全力で振りを付けて歌うことを決心する。
“お、怒られてもしょうがない!”
会場の一部分でゆらめいていたコールは、炎が燃え広がるようにして、徐々に全体へと広がっていく。
客席が盛り上がり、私の気持ちもそれにつれて高揚する。滲んでいた気持ちの悪い汗は、その勢いが激しくなるとともに、心地の良いものに変わっていった。
“あ、”
自分だけ、宙に浮いているような感覚。
“楽しい。”
目の前の客席に、高校の体育館がリンクする。
ダンス部の私。
踊るのは好きだったけれど、人に見られるのが嫌だった。
だから辞めた。…はずだった。
でもそれは、ちょっとだけ違っていた。
嫌だったのは、あの目だけだった。
そこにいるべきではないと諭してくる、あの目だけ。
人に見られるのが嫌だったんじゃない。
だって、美鈴にダンスを褒められたとき、あんなに嬉しかったじゃない!
注目されれば傷つくこともある。FORTEになって、それをよく学んだ。
でも嫌なことばかりだったわけじゃない。褒めてくれる人もいれば、応援してくれる人もいる。そういう人が一人いただけで、私にはそれで十分だった。
客席にいるはずのない美玲の顔が、はっきりと目の前に見えている。
“いいんだよね?”
会場の熱を肌に感じながら、自分がひた隠しにしてきたものと初めて向き合う。
“私も楽しくて”
歌うこと、踊ること、そしてそれを応援してもらえること。
このステージにあるもの全てが、私はとても好きだった。
それはあっという間に過ぎてしまった。
音楽はすっかり止んでいるが、それを気付かせないほどに客席は盛り上がっている。
パフォーマンスでここまで夢中になるようなことは初めてだった。
とても不思議な気分。間違いなく楽しかったのは覚えている。けれど自分がどんな声で歌い、どんな振り付けで、どんな表情をしながらパフォーマンスをしていたのか、はっきりと思い出すことができない。
これまでに感じたことのない熱狂を一人で前にしていると、余計にすべてが夢の中の出来事のように思える。夢の中には、あの目は一つも見つからなかった。
「あ、あのう!」
ふと気が付くと、目の前で可憐な少女がこちらを見つめている。
「すごかったです! 私、奈緒さんが歌い始めたときから惹きこまれちゃって。」
「あ、…ありがとう。」
ソロパートが終わると、その前とは別の控室に通された。一試合を終え、高ぶった感情の治まりどころが見つからない少女達が私を待っていた。
「でも途中から“振り”入れたのはズルいですよ! あんなの、盛り上がるに決まってるじゃないですか!」
普段はほとんど話したことがなかったのに、パフォーマンスの後で興奮しているのだろう。熱が冷めやらない様子で、私の手が可愛らしい両手に強く握りしめられている。
「いや、凛ちゃんがあんなことするから。私も何かしなくちゃって思ってたんだけど、何も思いつかなくて。気が付いたら、踊ってたね。」
「あれはズルいです!」
「へへ。お互いさまだよ。」
不意に、気の抜けた笑い声が漏れた。
候補生の前でこういう顔をしたのは初めてだったかもしれない。
ちゃんと会話という会話をしたのもそうだ。
いつの間にか他の3人も近くにいて、一緒になってモニターを見つめている。
なんだかそれがとても心地よかった。
「え? どうしたの? 何があったの!?」
けれど後から控室に入ってくるメンバーは、そんな成り行きを知らない。
私達が身を寄せ合うようにしてモニターにかじりつく姿を見ると、各々で驚きを表現してくれていた。ドアを開けたみなみは奇声を上げ、次にやってきた希美は挙動不審になった。
そんな二人にとって、歌は得意とするものではなかった。
しかしだからこそこのパートが、歌唱力だけをみるものではないということをはっきり分からせてもらえた。
歌唱力だけでいえば、彼女たちよりも候補生の方がきっと上。それでも会場の盛り上がりは、圧倒的にこの二人に分があった。
確かに結果はまだ出ていない。けれど審査に投票するのは他でもなく、“盛り上がっていた”ファンの人達なのだ。
モニターを見る子犬のような目が少しずつ引き締まっていく。どうやら候補生達も、そのことに気づき始めたようだった。
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