第36話 前夜の宣戦布告

 S・O・Sが間近に迫っている。日に日に緊張感が高まるのを、メンバーだけでなくスタッフの人達からも感じるようになった。


 今回のライブは2日間で構成されている。

 1日目の『1stステージ』前半は通常のライブと同じように、グループでのパフォーマンスを行う。後半にソロパフォーマンスとして、それぞれに歌唱審査が課される。

 2日目の『FINALステージ』も同様にグループパフォーマンスを行った後、それぞれに自己PRタイムが設けられている。


 このライブが特別なのは、S・O・Sの最初のSにある。

“サバイバル”・オーディション・ライブ。

 つまり最後まで“生き残った”メンバーたった一人が、勝者になる。


 各日最後の審査が終わったタイミングで、その場にいる者だけによって投票が始まる。お得意のネット配信や、オンライン投票を導入していないのが、今回の特徴でもあった。いかにその瞬間、その場を支配することができるか、ということが問われているともいえるだろう。

『FINALステージ』に立つことができるのは、『1stステージ』での得票数が多かった順に上から5名だけ。新メンバー候補生を含めた10人は初日のうちに半分の5人に絞られ、2日目のステージに立つこの5人の中から、たった1人だけがセンターに選ばれるという、いわば勝ち抜き戦である。

 今まで6人だけで活動してきたFORTEにとって、選ばれなかったメンバーが姿を消すという仕組みは、今までにないシビアなものだった。






 リハーサルは着々と進んでいる。

 どことなく嫌な緊張感がある中でのグループパフォーマンスは、ぴったりそろってはいても、どこか違和感があった。

 今回の件で、現行メンバーの中でも意見が割れたこともあってか、口論をしたり不仲になったりということは全くなかったけれど、見えないところに小さなしこりがあるような感覚を、お互いに持っているであろうことが何となく分かっていた。

 だからこそこのライブが終わるまでは、変にそこに触れずにそっとしておいている。そういう腫物を囲むような雰囲気を、当の候補生達4人も感じてしまうことは避けることができず、明らかに彼女たちは委縮してしまっていた。

 仮にこのまま新生FORTEとして活動することになったとして、とても良い形でスタートできるとは思えなかった。




 そんな苦境の中でも、ただ一人だけはいつもと変わらぬ笑顔を振りまいている。現メンバーの間でも会話が少なくなったように感じる最中、彼女だけがひとしきり候補生とコミュニケーションを取ろうとしていた。


「紗季ちゃん、かわいいねー。好きな食べ物とかあるの?」


「未来って足長いよねー。何食べたらそうなれるの?」


「千秋!そんな端っこにいないでこっちおいで!飴ちゃんあげるよ!」


「凛ちゃん、スタイルいいよね。うらやましいわー。ちゃんとご飯食べてる?」


 彼女にも彼女なりの考えはあっただろう。けれど、そういうものを引きずる様子を見せず、その時その時を前向きに全力で楽しもうとしているのが見て取れた。そういう姿勢を素晴らしいと思いつつ、それができない自分に劣等感を覚えずにはいられなかった。


 候補生は馬場ちゃんにとてもよく懐いた。例の配信動画で新メンバーを歓迎する言葉を発していたということもあるかもしれないが、もともと人懐っこく話しやすい人柄であることや、先輩々々していないところは、間違いなく彼女の魅力だった。やっぱりFORTEのセンターはこの子なんだな、と深く思わせられた。


 勝負が始まる前にもかかわらず、私は心のどこかで負けを認めようとしていた。

 人は圧倒的なものを前にすると、一気に戦う気力を奪われてしまう。圧倒されればされるほど、魅了されていく。敵であったものを、いつの間にか味方に引き込んでしまうような力が、馬場ちゃんにはあった。

 アンチが多いというのは、アイドルにはありがちだ。老若男女に人気のある真由や結衣のような、“THEスターアイドル”のような子にだって、少なからずよく思っていない人はいる。

 グループが大きくなって知られるほどに、そうした人の数も増える。けれど馬場ちゃんに対してのそういう声は非常に少ない。もちろん全く聴かないということはないが、気付けばそうした声が薄められていっているように感じるのだ。


「歌が下手」という声は「個性ある歌声」に。

「下手なダンス」という声は「独特のリズム感」に。

「大根役者」は「素直さ」に。

「ブサイク」は「親しみやすさ」に。

「泣き虫」は「優しさ」に。


 一度アンチになった人でさえも、いつの間にかファンに取り込んでしまう不思議な魅力が、彼女には備わっているような気がしてならなかった。






「なお!! 固いねー。馬場ちゃんがほぐしてあげよう。」


 こうやって、と言いながら、不意に後ろから肩を力強くもみ始める。


「い、いたいよ!やめてー。」


 どんなに重苦しさがある状況でも、その空気に染まらず、自分のペースを崩さないところが、彼女の強さでもある。


「またいろいろ考えちゃってんの?」


 翌日の大舞台を控え、早めにリハーサルを終えた。ほかのメンバーはすでに帰ってしまい、いつも通り準備の遅い二人だけが最後に残っている。


「なんか、ここが正念場かな、なんて思って。」


 二人でこうして面と向かって話すのは、なんだか久しぶりだった。


「おお! 珍しいね! 奈緒がやる気出すなんて。」


「えー。いつも出してるよー。」


 そうしてふざけて笑い合っていると、手の届かないところまで行ってしまったように思えていた馬場ちゃんが、昔と同じくらい近くにいるように感じた。

 少しすると、肩に置かれた小さな手がすっと離れた。空いていた隣の椅子に、馬場ちゃんがすとんと静かに落ちてくる。


「私だって、奈緒に本気出されたら勝てないかもしれないって、不安だよ。」


「なにそれー。」


「ほんとだよ。」


 こっちを向いた顔は、じゃれ合っている女の子ではなく、ステージのセンターに立つあのアイドルだった。


「奈緒は自分を前に出さないから、すっごい損してると思う。でもね、そういう奈緒だからこそ、歌とかダンスで表現する力は、メンバーの中で一番だと思ってる。私なんかよりも、本当は凄いんだよ。」


「そんなことない。だって、馬場ちゃんはセンターじゃん。」


 馬場ちゃんは嘘やお世辞を言う子ではない。でも彼女の言っていることがあまりにも現実からかけ離れていることだったから、正直に受け入れることなどできなかった。


「わたしは、求められてないんだよ。馬場ちゃんほど。」


「そんなこと言わないで。」


 急に寂しそうな表情になった。涙が流れる限界まで、瞳を潤ませている。

 自分が何か大変なことをしてしまったかのような罪悪感と、今すぐにでも抱きしめてあげたくなる母性を、両方同時に呼び起こさせる。

 私はこの子のこういう顔にすこぶる弱い。


「奈緒は、ここまで頑張ってこなかったの?」


「…頑張ったよ。」


 そう思うと同時に言葉が発される。

 間違いなく私は頑張った。今までやってきたことの何よりも、頑張り続けていた。


「頑張ったし、今も頑張ってるつもりだよ。私の中では。」


 それを聞くと、馬場ちゃんはにこりと笑った。そうでしょ?という風に。


「奈緒はさ、なんでそんなに頑張ってるの?」


「なんで?」


 両手を膝について、前のめりになりながら大きく首を縦に振るしぐさが、子犬のように可愛らしい。


「私はね、本当は最初から、こうやって誰かの前で歌ったり踊ったりするお仕事がしたかったの。」


 馬場ちゃんの口から、アイドルになりたかったという夢を聞いたのは初めてだった。


「だから頑張れた。自分の理想に近づくために頑張って、今の私がある。」


「人前に出るのは、苦手だったんじゃないの?」


「苦手だったよ。でもそれは途中から。言ったでしょ? 学校で馬鹿にされて、嫌になったって。だからFORTEのオーディションだって、学校に行かなくて済むからっていう理由で応募したつもりだった。」


「うん。」


「でもね。本当は誰かの前で何かをするのが、小さい頃から好きだったんだよ。これが本当にやりたいことだったからこそ、きっとここまで来れたんだって、そう思うの。だから馬鹿にされたとき、余計に傷ついちゃったのかもね。」


 才能や運だけで生き残れる世界じゃないことは分かっていた。やはりトップで活躍する子には、それだけの理由があるのだ。強い気持ちがあったからこそ、ここまで戦い続けることができていたのだ。


「奈緒は?」


「え?」


「奈緒は、何のために頑張ってるの?」


 何のため、だろう。


 友達に言われてやむなく受けたオーディション。

 応援してくれるから、美鈴のためにもと頑張った。

 神様は何を思ったのか、そんな私を合格させた。


 通った後は?

 美鈴のために、私はアイドルになったのだろうか。

 美鈴が、私のダンスを見たいと言ったから?


 美鈴とはもうずいぶんと連絡も取っていなかった。彼女も彼女で忙しいだろうし。

 美玲は今の私の姿を見てくれているのだろうか。

 もし、見ていないとしたら?


 私は、何のためにアイドルで頑張っているのだろう。


「奈緒?」


 ぼんやりとした霞の中から、心配そうに見つめる女の子の姿が浮かび上がった。


「聞いてる?」


「なんでだろう…。」


 思いつめたような顔を見て、座ったままの椅子を自分ごとこちら側に引き寄せる。いつにも増して、和らげな口調だった。


「私はね、自分が人前に出ることが好きだって、ずっと否定してた。馬鹿にされて、喋れなくなって。誰かを前にする度にそうなるから、人前に出るのが嫌なんだって思い込もうとしてた。」


 何かを強く伝えようとするわけでも、私と全く関係のない話をしているわけでもない。そんな絶妙な調子で、彼女は話す。


「学校休む理由でオーディション受けたって言ったけど、休む理由なんていくつでも見つかるはずなんだよね。でも私が理由にしたのは、あのオーディションだけだった。」


 彼女が目線の先に、2年前の彼女自身の姿を見ているような気がした。


「私は、心の中ではずっと人前に出たかったんだと思う。その頃は全然気づかなかったけど、ずっと皆の前で歌ったり踊ったり喋ったりしたかったんだよ。表向きは嫌な振りをしてただけで、本当に私がやりたいことは大昔から変わってなかったの。」


 だとすれば私は、いったい何がやりたかったのだろう。


「奈緒が私と同じだとは思わないよ。でも、奈緒にだってオーディションを受けた理由があるでしょ? アイドルになった理由だって、今でも続けてる理由もあるはずでしょ? そうじゃなかったら、こんなに頑張れるはずないんだよ。」


 馬場ちゃんの語調が強くなる。そうなるのは決まって、自分ではない誰かの話をしているときだけだ。

 昔の自分の姿を思い出すのと同時に、ずっとそばにいた私のことも思い出してくれたのかもしれない。あの頃はいつも一緒になって頑張っていたのだから。


「奈緒が本当になりたい姿って、どんなの?」


 本当になりたい姿。

 本当に美鈴のためだけに、私はこれを続けてきたのだろうか。


「私はアイドルになって、初めて自分の気持ちに気付いたの。センターになって、色んな活動もして、もっともっとよく分かるようになった。今は全力でそれに従うだけ。そのためなら、誰よりも頑張れる自信がある。」


 そういう馬場ちゃんの瞳は既に潤んでおらず、ステージに立ついつもの凛々しい表情に戻っていた。


「だから今の奈緒には、私は負けない。」


 ニコッと笑った笑顔の天使に、もらった言葉は宣戦布告。

 その宣戦布告はただ戦いを告げるものではなく、自分のいる戦場に上がってくるように後押しするかのようでもあり、敵からというよりはむしろ心強い味方から受けているような感じがした。

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