アイドル 本章

第32話 ジェットコースター

 高校を卒業してからの上京。

 それまでとは全く違った生活が始まり、色々なものが大きく変わっていった。

 毎年この時期になると、たくさんの人が新しいスタートラインに立つ。

 けれど今までそこに立ち続けた人たちの中でも、変化の大きさでは負けていない自信がある。それだけこの2年間での変わりようには凄まじいものがあった。


 3年前まではどこにでもいる普通の高校生だった。

 同級生の陰謀により、いつの間にか芸能界への門戸が開かれた。初めはそんなものかとそれほど気にもかけていなかったのだが、今思えばそこからすべては始まっていた。

 数か月の間はWEB上での活動ばかりだった。画面に数字として表示されていても、実際にどれだけの人が見てくれているのかはイメージできていなかった。

 SNSのフォロワー数や動画の閲覧数で、確かに数字の大小は分かる。ただ三千という数字と、自分を取り囲む実物としての三千人では、全く別の物であった。


 デビュー2周年を記念したライブは、今までで最も大きな会場での開催だった。

 チケット予約が始まってすぐ、誰もウェブサイトにアクセスできなくなる。ようやく復旧したかと思えば、チケットはあっという間に完売してしまっていた。

 三千の空席が、一瞬で埋まった。


「失敗した。」


 その事件以降、マネージャーの本山さんはことごとく言い続けていた。


「まさか2年で追いつくとは思わなかった。」


 今やアイドルの代名詞となったSOPRANOも、全国に知れ渡るまでに丸5年かかった。

 自前の劇場からスタートしたデビュー当時、中学生だったメンバーはその会場を埋めたときには二十歳になっていた。

 もともとSOPRANOとは全く違う路線で、互いに刺激し合える存在になることを目標として生み出されたグループがFORTEだった。SOPRANOの歩んだものとは異なる道を必死で駆け抜けた2年間ではあったが、その中で何度も思い知らされたのは先人の残した途轍もない功績だった。

 テレビやラジオ、広告といったマスメディアへの道筋は、すでに元祖SOPRANOを中心としたグループによって切り開かれており、FORTEはきれいに舗装されたその道を、気持ちよく駆け抜けるだけでよかった。

 今となっては「勢いではFORTE優勢」とも言われつつ、FORTEが実績を上げるにつれてSOPRANOの凄さはさらに際立っていった。まさに本山マネージャーが思い描いた通りにシナリオは進んでいた。


 本山マネージャーはグループとして全く失敗などしていなかった。

 失敗したと言ったのは、半日で三千人の枠が埋まるのであれば、もう1つ2つ上の会場でも満員にできたかもしれない可能性を不意にしたことだった。

 もっと用意していれば売れたはずの商品を、在庫がなかったことが理由で売り逃してしまった。ビジネスとして、途方もないほどの大損害だったというわけである。




 そういう感覚は、メンバーには全くと言っていいほど無かった。


「……なにこれ。」


 私達がチケット完売事件を初めて知ったのは、真由のスマートフォン上だった。


「チケット予約システムがダウン、三千人の枠が即日完売……」


 真由が読み上げたニュースを聞いて、希美とみなみは驚きを示した。


「三千人って、今度のライブ会場と同じじゃん。」


「あれが1日で埋まるってヤバくない?」


 感情豊かに驚く彼女達とは違って、画面を見ていた私と真由は絶句した。


「それ」


 様子のおかしい二人に気づいた結衣が、自分のスマホを手にした。


「私達のライブじゃん!?」


 普段は口数の少ない結衣が大きな声を出したことに、車内が驚く。ようやく状況を理解した二人が発狂し始めて、さらに驚きが連鎖した。


「え!?なに?どういうこと!?」


 腰が抜けるほど驚くとはこのことだった。

 これほどのことは二度とないと思うのだけれど、実際にステージの上に立った時のものと比べてしまうと、あれさえも到底驚きとは呼べないものだったのだと思う。






 三千もの人間に周りを囲まれる経験など、今までほとんどなかった。

 さらにそこにいる全員の目的が自分達であるということは、まずない。

 ステージに立って初めて、“三千人”を実感した。身動きが取れなかった。


 部活動の延長ぐらいにしか思っていなかった過去の自分。誰かに応援されているという実感などなく、ただ言われるがままにレッスンに取り組んでいた。

 ファン投票を思い出す。あの時に初めて、自分にも応援してくれる人がいるのかもしれないと微かな光を見たような気がした。それでもまだ、気のせいかもしれないという思いはどこかにずっと隠れていた。


 想像できる範囲を大きく超えたパワーを目の前にして、既に自分達がとんでもないところまで来てしまっていたことを思い知る。


 三千人。

 フォロワー数。

 閲覧数。

 シェアの数。


 大きなメディアに出るたびに、数字は確かに大きくなっていった。しかし数字に対しての一喜一憂は、今思えば全て想像の中の出来事に過ぎなかったのだと思う。

 応援してくれているのが生身の人間であることを認識し、不安と恐れが初めて喜びを越えてきていた。




 体は動かない。

 でも景色は見えて、音は聞こえる。

 鳴りやまない声援の中、その波を乗り越えるようにして、音楽が私の脳内へとなだれ込んでくる。

 不思議だった。

 そのとき自分の動きを一番理解できていなかったのは、間違いなく私自身だった。


 音楽がかかればそれに身を任せるだけでよかった。

 何を考えるまでもなく、体はいつも通りに歌い、踊った。

 必死に躍動し、汗をかいて血の巡りがよくなったからなのか、もとあった体のこわばりもいくらか楽になっていた。

 揺らめくサイリウムの光やぴったりと息の合った声援が、全て私達に向けられる。

 それぞれの振動が止むと、感じたことのない静寂が私達を包んだ。


 ふと我に返り、自分の存在とそれを見つめる数えきれない人達の群れが意識されると、全身からあふれ出た汗が一気に引いていくように感じる。



 私はいつの間にか、アイドルになっていた。



 アイドルに仕向けられた私は、いつしか自分で必死にアイドルになろうとしていた。そう思って初めて、それが一人で頑張るだけでなれるようなものではないのだと知った。

 これだけ魅力のあるFORTEのメンバーが全員集まっても、あるいはSOPRANOのトップメンバーが集まったとしても、それはただの女の子の集団でしかない。

 今ここに見えている光景こそが、アイドルなのだった。






 あのビッグイベントは、多くの人にFORTEを知ってもらうきっかけになった。

 ライブ自体も大きく取り上げられ、ネット上で応援してくれている人達も格段に増えていった。

 ただ何よりもメンバーにとって、意識が変わる大きなきっかけになったことは、互いに口にしなくても分かることだった。


 あれ以来で初めてメンバー全員が揃う仕事が、テレビのレギュラー番組だった。

 ネット配信番組も続いているが、こちらはどちらかというと個人で出るようなメディアに変わりつつある。SNSが主体となり、かつてのようにメンバー全員での企画などは、今やテレビ番組の方に軸足が移ってしまっていた。


 それぞれが個々の分野で活躍をするようになると、こうして集まることができるのは何だか嬉しい。

 あのライブの興奮を改めて共有していると、“やっぱりこのグループでよかった”、“これからも皆と一緒に頑張っていきたい”と、素直に思うことができた。

 そんな平和なはずの番組収録の中、それは唐突に伝えられたのだった。



「FORTE第2期メンバー新加入!!」



 ジェットコースターから救出されたばかりのトロッコ列車はゆったりとしているはずだったが、急に出くわした坂道を急激に転がり下りて行った。私達はそれに振り落とされまいと、ただ必死にしがみついているしかなかった。

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