アイドルファン その2

第30話 タガタメ

 汗のにおいが充満する大きな倉庫の中は、大地からこれほど疎外されたものはないと感じさせるにもかかわらず、どこか土っぽい空気を保っている。

 太陽の光が差さない時間も、その場所は煌々とした光に包まれる。空気も光も閉じ込められた大きな押し入れの中で、規則正しい機械音と、粗雑な金属音が響き渡っていた。

 ベルトコンベアーに、大小さまざまな段ボール箱が所狭しと並べられ、それぞれのあるべき場所へ、本流から無数に枝分かれする脇道へと流されていき、やがては金属の大きな籠の中へつみきのように重ねられる。

 段ボールでいっぱいになったその籠は、さらにそれよりも大きなトラックに詰め込まれ、長かった旅の終点へと旅立っていく。


 物言わぬ旅人の手助けをするのが、私たちの仕事だ。

 あるべき脇道へ導いてやるのも、快適な空間に詰め込んでいくのも、誰にだってできる作業だ。特別な技術など全く必要ない。

 けれど、その時その場所に自分がいなければ、その旅が実際に起きたその通りに実行されることは決してなかった。そう考えてみると、自分がやっていることにも何らかの意味があるのではないかと思えることもある。

 別にやりたくて始めた仕事じゃない。

 肉体労働なんて性に合わないことは百も承知だ。

 それでも体を動かさずにはいられなくなっていた。


 FORTEは芸能界という険しい山道を、最短距離で駆け上がっていった。

 ちゃんと歌が歌えるか、ダンスは間違えずにしっかりそろうのか、と心配されていた少女達は、あっという間にアーティストになってしまっていた。

 2年という時間は、かつてない密度で過ぎ去った一瞬の出来事でありながら、彼女達が成長するには十分な時間であったのかもしれない。

 必死に頑張る姿を見ていると、時折ぼんやり見ている自分が恥ずかしくなった。


“応援するに足る人間にならなければ”


 頑張っている人を応援するには、その人達と同じくらい頑張らなければならない。

 そんなルールはどこにもないのだが、そうでなければ思い切り後押しをすることができなくなるような気がした。


 仕事を求めたのではなく、仕事をしている自分が必要だった。

 たとえそれほど役に立たなくても、彼女に胸を張って応援できる自分でありたい。ただその一心で、私の体は動いた。

 長年凝り固まっていたのが噓のように、あまりにもあっけなく初めての職場に足を運んでいた。こんなにも簡単だったのかと思う間もなく、その日の仕事は終わっていた。

 久しぶりの肉体労働は体に堪えたが、帰った後のキンキンに冷えた麦茶は、今まで飲んだどんな飲み物よりもうまかった。おなかが空いてご飯を食べ、シャワーを浴びるとすぐに眠気に襲われた。逆らうことなく寝床へ向かうと、その日はぐっすり眠ることができた。

 翌日も筋肉痛で痛む体を引きづっていく。今までずっとそうしてきたかのように、それは自然の流れになっていった。


 何かの役に立てたとは思っていない。

 ただ、目が覚めてから行く場所があって、自分の立場や役割があって、それを全うすることで何かが前に進んだ。それが、自分がここにいてもいいのだという証明になるような気がした。

 充実感だとか、やりがい、面白いこと、嬉しいこと。何もない仕事だ。

 それでも、何もせずに家の中にいたときよりも、気持ちはすこぶる楽になった。




 夏に向けて少しずつ暖かくなりつつも、じめじめとした空気がどうもやりきれない。

 空もどんよりしていて気持ちの良いものではないから、過ごしやすい気温を台無しにしてしまっている。

 こんなことを考える季節になると、初めて私がFORTEに投票した日のことを思い出す。確かに私はあの時、高橋奈緒を応援するつもりで投票した。純粋に、彼女に頑張ってほしいという気持ちから、後押しをするつもりで票を入れた。

 けれども最近になってそれは、まったく逆だったのではないかと思うようになった。投票のときに感じた純粋に応援する気持ちは、もしかすると幻だったのかもしれない。

 今も彼女を応援し続けている気持ちは変わらない。ただこの応援は、奈緒のためではなく、本当は自分のためだったのかもしれない。

 自分が応援することで奈緒が頑張れるという責任感と、奈緒が頑張っているから自分も頑張ろうと思う気持ちが連鎖することで、今の自分を保つことができている。このどこか一部でも欠けてしまえば、私はすぐに元の自分に戻ってしまうのは間違いなかった。




 人が集う控室は、倉庫の中でもひときわ汗と土の臭いが充満している場所だ。

 バラバラのタイミングで集まり、作業着に着替え、鉄板の入った長靴とヘルメットを装備する。

 勤務開始に備え、それぞれが黙々と準備をしている様子は、まるで試合を控えたアスリート達のように見えなくもない。

 だからこそ、背後から急に聞こえた大きな声が心臓に響いた。


「新井さん!!アイドルとか見るんだ!?」


 無造作に置かれた低いベンチに腰掛けて、前かがみでチェックしていたスマートフォンの画面が覗かれていた。


「FORTEじゃん!」


 明るい茶色の髪の毛が、被さったキャップから大きくはみ出している。上下で互い違いの作業着を着ている私たちとは違って、一式揃った会社指定のユニフォームを着ている。


「俺、真由推しだよ!あれはヤバい。」


 不意にスマホを盗み見されて、こちらはぽかんとしているだけ。一方的にFORTEを語られ始めている。


「新井さんの推しは?」


 初めてこちらに話が振られてはっとした。

 ただ、難しい顔をしながら眺めていたのがアイドルのSNSであったことを公然とバラされたことがどこか恥ずかしく、口ごもってしまう。


「分かった!意外とわかりやすいな、新井さん!」


 えっ、と漏らした声とともに、開始時間のベルが鳴る。どこか警告音を感じさせるこの音は決して心地の良いものではないが、不思議と身が引き締められる。


「あ、もうキックオフかー。」


 残念そうな顔でベルのなる方に向けていた顔を、ゆっくりとこちらへ向ける。その顔はいつの間にか清々しいほどの笑顔に変わっていた。


「新井さん、今日は日勤上がりでしょ?」


 この後に続く言葉の助走のように感じさせる表現に、懐かしさを感じつつ、おかしな汗をかいた。


「晩飯行こうよ。FORTEトークしようぜ。」


 思ったよりもすんなりと発された「あ、はい」という返事は、ベルと周りの音にかき消されたはずだが、その社員は細い目をさらに細くしてにっこり笑った。


「じゃあ!終わったら通用口に集合で!」

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