第26話 負けず嫌い
デビュー曲『OPEN』はとても明るい曲調で、元気いっぱいのダンスが付いた楽曲だった。
青空の下では何もかもが等しい。
太陽の日差しはすべてに公平に降り注ぐ。
雨に降られたことや、どんより曇った日だけではなかったはず。
日の光と青い空が、その背中を押してくれたときのことを思い出してみよう。
閉め切られていた部屋のドアを開け、今、外へ飛び出す。
それがきっと明るい未来への入り口になるんだ。
歌詞に込められたメッセージに反さず、終始無邪気な前向きさに包まれている。
馬場ちゃんにぴったりの曲だった。
気づけばいつも、私は馬場ちゃんと一緒だった。最初に仲良くなったのも馬場ちゃんだったし、朝の控室も、レッスンが終わった帰り道も、いつも隣にいたのは馬場ちゃんだった。
もちろんレッスンの時も一緒。二人とも立ち位置が両端だったから、ダンスパートも歌のパートも、一緒になることが多い。
引っ込み思案な性格も似ていて、二人同士でいつも端っこにいた。
私にとってはそれが心の支えになっていた。
そう、思っていた。
自分と同じような立場の子が一緒に頑張っている。それが心の支えになっているのだと思っていた。でもそれは、ちょっとだけ違ったのかもしれない。
意識したことはなかったけれど、レッスンの居残りになることは、馬場ちゃんの方が多かったような気がする。もしかしたらそうしたことの積み重ねで、そばにいる同じような立場の彼女が自分よりも少しだけ下の存在であることに、心地よさを覚えていたのかもしれない。
馬場ちゃんがセンターに選ばれたとき、どうしたらいいかわからない気持ちになった。そんなことは夢にも思っていなかったからだった。
新しい立ち位置でのリハーサルを進めるうちに、グループのパフォーマンスが洗練されていくのが分かった。最後列から見る馬場ちゃんの背中が、いつもよりもはるかに大きく見えた。
そんな彼女を中心にFORTEがまとまっていくのが気持ちよく、一方でやりきれない気持ちはずっと残り続けていた。
一緒に頑張ってきた馬場ちゃんがセンターになること、そしてそれによってグループがいい方向に行くことは間違いなく嬉しいことであるはずだった。けれどそのどちらに対しても、私は手放しで喜ぶことができなかった。
センターになりたかったわけじゃない。
でも何だか負けたような気がして、それが何に対してなのか分からないのだけれど、ただそれを正面から受け止めることができなかった。
“ああ、そうだったんだ。”
一旦気付いてみると、「そうだったのか」と変に合点がいき、少しだけ気が楽になるのが分かった。
自分が負けず嫌いだということに、今になって初めて気づいたのだった。
泣いている馬場ちゃんをなだめたその日、私はお風呂で一人で泣いた。誰にも気付かれないように。
馬場ちゃんが強いわけは、もしかしたらこういうところにあるのかもしれない。
学校の厄介な部分に対しても、彼女は感情をむき出しにして立ち向かったのだろう。
私にはできなかった。
立ち向かう強さも、本当の感情を見せる強さも、私にはなかった。
“そうだ。”
あのときと似ている感情。
小学生だったあのときだって、本当は負けることが、嫌で嫌でしょうがなかった。
でも戦ってしまえばきっと、負けたことになった。
それが嫌で、私は逃げ出すことを選んだ。こういう気持ちになるのが嫌で、自分がいじめられていることを認めるのが嫌で、逃げた。
“これが・・・”
これが悔しいってことだったんだ。
でもどうしてだろう。
今は逃げたいと思えなかった。
あのときからずっと、私は逃げ続けている。
一度逃げてしまうと、学校というところはなかなか受け入れてくれなかった。戦い続けられる人だけが生き残っている場所。それが学校だった。
生徒にとって、学校は生活の中心であり、全てだった。家と学校を全世界だと思っていた私は、社会全体がそうなのだと思っていた。
これからもずっと戦い続ける人だけが社会に参加することができて、逃げた人はずっとその端っこでひっそりと生きていくことになるのだと思っていた。
でも、違った。
何かの手違いでオーディションを受けてしまったことから、私の中の世界が大きく変わっていった。
一度も逃げなかった人たちと一緒に、審査を受けることができた。同じように見てもらうことができた。
逃げてしまった人間でも、戦っている人たちの隣に立つことができた。もう一度、胸を張って前に立っていいんだ、と言われたような気がした。
運命のいたずらで、私はアイドルになった。どんな過程であれ、選んでもらうことができた。私を私として見てくれて、私ならできると信じてくれた人たちがいた。
今回の投票結果が出たとき、悔しかったのは嘘ではない。ただ、悔しさとともに湧き上がる感情があったことも確かだった。
私に、何かを期待してくれている人がいる。
票数は少なくても、高橋奈緒を応援してくれている人たちがいる。
その期待に、応えたいと思った。
彼らがいるからこそ、私はもう逃げたくなかった。
すっかり頭がぼーっとして、全身から湯気が放出されているのが分かる。
何かを決したように勢いよく立ち上がると、一瞬だけくらっとして、すかさず手すりに助けを求めた。
汗と涙と、それ以外に噴き出してきた感情も、すべてきれいにシャワーで流し去る。
鏡に映る顔は、もうさっきまでのように情けなくなんてなかった。いつもよりもすがすがしく見えるくらいだ。
“よし。”
心の中で喝を入れながら、脱衣所へ扉を開ける。
「あ」と思わず声に出てしまい、それがやけにおかしかった。
洗濯機と洗面台が無理やり押し込まれたようなスペースに、大人一人がやっと入ることができる。
歯ブラシや石鹸、洗顔用具で大雑把に装飾された洗面台の鏡が、お風呂場からの蒸気をあびて一気に曇った。
これが私にとっての『OPEN』なのだと思うと、まずアイドルソングの歌詞にはならないなと思ってしまうのだった。
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