アイドル 序章

第23話 選ばれたもの

 私はアイドルになった。なりたいと望んだことなど一度もなかったものに、気がついたらなってしまっていた。

 周りよりも少しだけ高くなったステージの上。会場で名前を呼ばれたとき、どんな風に呼ばれたのかは覚えていない。

 そのステージに立ったときも、学校へ行って周りから言い寄られたときも、自分がアイドルという全く別のものに変わってしまったという実感はなかった。


 平日は学校が終わったらレッスンへ向かう。土日祝日も朝から夜までレッスンか、ネットでの動画配信をする。

 レッスンは、当たり前かもしれないがダンス部だった頃よりも遥かにハードだった。家に帰ると食事も取らずにベッドに沈むことも多い。一日がこんなに短く感じるのは、今までの短い人生の中では初めてのことかもしれない。

 得体のしれない大きな流れのようなものに飲みこまれつつあるように感じて不安になることもあった。けれど今までそうしてきたように、“辞めよう”という気持ちが浮かんでくることは不思議となかった。




「どうして私だったんだろう。」


 誰に聞くつもりでもなかったけれど、ただずっと頭の中から離れなかった大きな疑問。あの日からずっと考えていた。疲れ果てている私の体には、それが外に出てしまうのをうまくせき止めることができなかった。


「オーディションのこと?」


 久しぶりに部活と仕事の休みが重なった。こうして帰り道に美玲と話すのは、何だか懐かしい。

 自分の意志とは裏腹に、こうして言葉が出てきてしまうのは、私の疑問に対する答えを、この子は持っているような気がしていたからかもしれない。


「まだ気にしてるの?」


 どことなくツンとした感じの返事をしながら、美玲は自転車を押しつつ前を向いている。


「だってさ、私よりもアイドルっぽい人、いっぱいいたんだよ。」


 深く考えるような様子もなく、まっすぐ自転車を引いている。私の声がよく聞こえていないのかもしれない。


「前にも言ったでしょ。歌もダンスもうまくて、一人だけ絶対敵わないって思った子がいたって。」


 美玲が何も言わないと、私達の間はこんなにも静かだ。自分の発してきた言葉の少なさに、改めて驚かされる。


「なのにその子はね、選ばれなかったんだよ。」


 二人の間にある静けさは、それに慣れていないせいか、とても気持ちが悪い。


「それなのにどうして私が…」


「強い者が勝つんじゃない!」


 急に響き渡る大きな声に、私は自転車ごと倒れこみそうになった。


「勝った者が、強いんだ。」


 住宅街から少し離れたいつも通りの畦道に、力強い声が広がって余韻を残す。


「知ってる?」


 その一瞬だけ疲れが吹き飛んだように、私の目はパッチリと開いている。驚いた勢いに任せて、言葉も発せずにブルブルと首を横に振った。


「サッカー選手の言葉なんだって。」


 通りの良い声に圧倒されているだけで、言葉の内容が響いているわけではなかった。

 私は軽く首を傾げた。


「私は奈緒の良いところを誰よりも知ってるから、オーディションに通ったのも全然驚かなかったよ。でも何が決め手になって選ばれたのかまでは、私には分からない。」


 足元に目をやって、また前を向く。美鈴はずっと前を向いている。


「なんで選ばれたのかよりも、選ばれてここにいることに目を向けたほうが良いんだよ。」


 その言葉はいつもよりも少しだけ厳しく聞こえた。また静けさに包まれたのは、声を出したら嗚咽が出るのが分かっていたからだ。

 叱られたからではない。その言葉があまりにも勢いよく、胸にすっと落ちてきたがために、体中に響き渡ってしまったからだった。

 それでも美玲はこちらを向かない。


「私は、アイドルの奈緒も大好きなんだからね。」


 二人が別れる最後の分かれ道。そこで初めて顔が合った。

 思っていたより柔らかい表情だったので、ほっとした。いつものように「うん」と、一言だけ返す。やっぱりいつも通りだと思った。






 本当に泣きたかったのは私ではなかったことを後から知った。

 一緒に帰ったあの日もダンス部は通常通りの練習日だったのだと、後から人づてで聞いた。春のコンクールだって目前だった。


 美玲は怪我をしていた。

 だからメンバーから外れていた。

 そして春のコンクールが、高校最後の大きな大会だった。




 私だって、どんなときの美玲も大好きだ。

 そういう気持ちを思い切り乗せて、スタンプを送る。

 青髭のおじさんが親指を立てて、「大好きだ」と言っている。


 ― な、なに!?


 ― なんでもない。


 ― なに!?気になるじゃん!


 ― なんでもないよ。


 ― なによーーー!!


 ― この前、ありがとね。


 少し時間を置いてから、優しい垂れ目のおじさんが、ポンッと現れて言った。


「やるなら今しかねえ。」

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