第22話 『オン・ステージ』

 目の前にある画面の下についた赤色のランプが点灯する。録画が始まった合図だ。懇意にしているアイドルのテレビデビューを見逃すまいと、二週間ほど前のSNS配信と同時に録画予約をしていた。とはいえ予定のあるスケジュールなどこれくらいしかないので、見逃しようがなかったことに、この瞬間気付くのだった。


 こうしてテレビの前に座って、しっかりと見るのはどれくらいぶりだろう。


“あ。”


 久しぶりに見た画面に最初に映り込んだのは、その何年か前にも第一線で活躍していた名司会者であった。不思議なことに老け込んだ様子もなく、当時と全く同じように、隣に立つ女性パーソナリティーとのオープニングトークをそつなく済ませる。

 女性の方はいかにも若そうな風貌だ。白いドレスから見える華奢な手足に、その若さを語らせている。どう考えてもこちらは当時とは別人だろう。


 二人の短いトークが終わると、女性の方が出演アーティストを読み上げ始めた。わけもなく、背筋が伸びた。


「FORTE」


 今まで見てきたように、それが画面であることは変わらない。画面越しに私と彼女たちが対するということは全く同じだ。それなのにそこから聞こえてくるグループ名は、いつにも増して新鮮に鼓膜に響いた。

 一流のアーティストがくぐってきた扉のない門から、見慣れた顔の少女達が足早に現れる。しっかりと笑顔を作ってはいても、口の端がこわばっていて、まばたきをしない。ロボットのように、動きに滑らかさがない。ただ歩いて出てくるだけで、彼女たちが緊張しきっているのが手に取るように分かった。“気が気じゃない”のは見ているこちらも一緒だった。


 パフォーマンスの前にはそれぞれトークの時間が設けられているのだが、アーティスト数が多いのでほんの数分ほどのおまけのようなもの。FORTEにももちろん回ってきたのだが、石川真由が無難なやり取りをしただけで終わった。

 一瞬の出来事であったはずなのに、石川が画面に映る時間が永遠に続くのではないかと感じるほど長かった。早く何も起こらないうちに終わってほしいという思いと、この美貌をずっと映していてほしいという思いが交錯していた。そんな状態では正直、彼女の話していたことは全く頭に入ってこなかった。何をどうやって話していたのか、ほとんど覚えていない。気がついたときには、画面の中央には先ほどの女性パーソナリティーがしっかりとマイクを握ってこちらを見据えていた。


「これがデビュー曲となります。FORTEで、『OPEN』」


 曲を聞くのも、ダンスを見るのも、初めて。そういう時にはこんなふうになるのかと、自分を少し離れた場所から眺める視点がある。何も考えることができなかった。呆気にとられている、と思った。

 歌詞も曲も、確かに聞こえている。ダンスも表情も、もちろん見えている。けれどもその内容を受け取ることができないのだ。自分で自分を、気持ち悪いと思った。離れたところから見ている目はそこに見える自分を「なんだかヤバイ奴だ」と思っている。分かっていても、そいつの目からあふれ出す涙は止まらなかった。感情と言えるような具体的なものはそこにはなく、ただ折れた枝からリンゴが落ちるように、涙が流れた。

 パフォーマンスなんて、それほどいい出来ではない。スタジオに入ってきた時の様子で想像はついていた。ただそんなことはどうでもよかった。自分が応援してきた子達が、こうして世に出ていく。ひな鳥が空を越えて羽ばたいていく瞬間を、親鳥はこんな風に見つめるのだろうか。

 もちろん私に見えているのは高橋奈緒だった。ただ、前から3列目の彼女がカメラに抜かれることはそれほど多くない。彼女一人だけに、涙腺が刺激されているわけではなかった。


 推しメン以外であっても、応援しているグループのメンバーが活躍するのは嬉しい。テレビを見ている人達にFORTEというグループを印象づけたのは、間違いなく中央にいる劣等生のメンバーだった。


 歌もダンスも苦手。喋るのも得意じゃない彼女には、一言では言い表せない魅力があった。その魅力の正体を、私たちはまだ完全には理解していなかったのかもしれない。

 前から3列に並んだ陣形の一番前に、彼女はたった一人で立っている。立ち位置こそがファンの評価だった。デビュー曲のセンターという、グループの顔となる場所。今まで半年以上、ずっと見守り続けてきたファンは、その場所に馬場絵里を選んだ。

 歌、ダンス、容姿、どれを見ても一番ではないはずのこの少女が、どうしてこの位置にいるのか。初めて見る人にはきっと分からないだろう。ファンであったものだけがこのパフォーマンスを、瞬間ではなくストーリーとして見ることができる。それはFORTEが持つ呪縛のようなものだった。呪縛から逃れられなくなるのは、実はそれ自体がとても心地よいものだからなのかもしれない。




 歌が終わって静けさが徐々に包み込んでいく。固まった体の力がうまく抜けない。彼女たちも同じように、カメラを睨んだまま瞬き一つしていない。開いたままのその目は私と違って、溜まった雫をこぼさないように頑張っているように見える。一番前のあどけない少女の目にだけ、留めきれなかった滴が頬をすーっと流れた。


「緊張してましたね―。」


 和やかな笑いが画面越しに聞こえ、我に返る。映像は例の司会者に切り替わり、孫を見守るような表情と口ぶりで、会場を和ませていた。

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