第18話 スポットライト
あんなに練習したのに、最終審査の自己アピールも美玲に言われたとおりにはできなかった。ごめん、美鈴。
この前よりも強そうな人達に見られていたというのもあるが、なによりそれがインターネットで配信されているということを考えただけで、お腹が痛くなってしまった。
緊張に押しつぶされそうになると涙が流れそうになる。泣いてしまうのは、悲しいとか悔しいとかいう感情がついてまわるけれど、そうじゃなくただ目から涙がこぼれてくるのだ。声を出すことはそれに拍車をかける。だから私は昔から口数が少なかったのかもしれない。
私は瞳に少しでも刺激を与えないようにすることで必死だった。はっきり目を開くと乾きやすくなって涙を誘い出すから、できるだけ目を細めたりして工夫をする。本当は体を振動させるのもダメなのだけど、ダンスを踊らなければならなかったので仕方がない。
それでも踊っているときだけは、そんな苦労を忘れることができた。面白い本や映画を見ているときみたいに楽しいことに夢中になっているとき、それ以外のすべてから解放された世界に行くことができる。お腹が痛いことからも、涙が流れそうなことからも自由になって、ただそこには心地よさだけがあった。
音楽が止まるのと同時に、現実の世界が姿を現す。けれどそれまで怖い顔をしていたはずの目の前の人達は、少しだけ頬がやわらいだように見えた。それにつられるように、自然と私も頬が緩んだ。
そういう少しの感情の変化が顔に出てしまう癖がある。笑顔は大事だけど、ヘラヘラするのは良くないって、美鈴が言っていた。こんなところで笑っているのがバレないように、手のひらでそっと口元を隠していた
最終審査では新しいエントリーナンバーが与えられた。1番から50番まで。私の胸につけられた46番は、50の中では後ろの方だった。
最初に番号順に並んだとき、月島凛を見つけた。探すまでもなかった。ただ一人だけ輝き方が明らかに違うのだから。私は彼女の歌をまた聞きたいと思っていた。今日は歌唱審査ではないのだけど、歌ってくれないだろうかとひそかに期待していた。あれだけの歌唱力があるなら、歌うだけでアピールになるのは間違いない。
けれでもスターというのは、そういう期待のはるか上をいくものらしい。月島凛は歌いながら踊り、数人の役を一人で演じた。一人芝居ならぬ、一人ミュージカルを始めたのだ。いきなり繰り広げられた不思議な空間に、初めは戸惑って呆気にとられた者を全てその世界に引き込んでしまった。その完成度は中途半端なものでは決してなかった。
寸劇が終わると、会場は落ち着きを取り戻そうとする。けれども彼女は息もつかせず、その流れを崩さない。ミュージカル調でされる自己紹介は、それまでの荘厳な印象が一変してユーモアをふんだんに含んでいた。吐くことを忘れていた息を一気に吐き出すように、会場が笑い声を上げる。審査員だけでなく候補者の少女達まで、その場にいた誰もが、そこで初めて呼吸をするのを忘れていたことに気付いた。
“この子はなんでもできるんだ!”
私は月島凛のファンになっていた。彼女を見るたびに現実を突きつけられ、“自分なんかがアイドルになれるわけがない”という思いと、“なれなくてもいい”という思いがどんどん強くなった。だって後のスターを、こんなに近くで見ることができたんだから。
“全て終わったら、一緒に写真を撮ってもらおうかな。”
全員のアピールタイムが終わると、私達は控室に放り込まれた。「やっと全部終わったね」、「これでダメでも悔いはないね」、周りの女の子達の言葉に、私も心のなかで強く頷いた。仲が良さそうにおしゃべりをしている子達もいれば、まだ緊張がとけておらず怖い顔をして空中をじっと睨んでいる子もいる。それは今までよりもいっそう異質な空間で、初めての体験のはずなのだけど、どこかで感じたことのあるもののような気もした。
長かった空白の時間の後、私たちはついさっきまでいた会場に呼び戻された。それまで賑やかだった控室が、水を打ったように冷静になる。私達は流れるように移動を始めた。
ちょっと前まで必死になって立っていたステージを、逆側から見上げている。あんなに高いところだっただろうかと、こちら側に来て初めて気づく。
ステージの脇に立つスーツの人。入れ代わり立ち代わり、マイクを通して何か話をしている。さっきまでと違って薄暗い照明になった会場の中、格式ばった話を前にしていると、なぜだか緊張感が高まってくるようで頭の中がぼーっとしてくる。
選ばれるはずがないと思っていたのは嘘ではない。けれど、心のどこかで選ばれるかもしれない、という思いがあったのかもしれない。きっとこれは美鈴が甘やかしすぎたせいだ。スーツ達の言っていることは耳には聞こえているが、頭の中には全く入ってこなかった。
月島凛は40番。少し離れていたけど、順番に並んだ列の中で頑張って手を伸ばせば届きそうなところに彼女がいた。
ぼんやりとした意識の中、うっとり見つめていると彼女が背筋を伸ばすのに気付いた。ステージの方に目をやると、話をしていた大人が入れ替わり、手元の冊子を素早くめくっていた。よく通る良い声が会場に心地よく響いた。
一つの番号と女の子の名前が呼ばれる。モデルのようにスタイルが良く、色白できれいな顔をした子がステージに上った。発表が始まったようだ。次もまたスタイルの良い子が呼ばれた。こんな子達と一緒に並んでいると、私はどんなズングリムックリに見えているのだろうかと、今更ながら変な汗をかいた。
小さくて可愛らしいお人形さんのような子がその隣に並ぶ。そばにいたら頭をなでたくなるようなあどけなさがあったが、目に涙を浮かべながらもしっかりとステージに立つその姿は、誰よりも凛としていた。
「37番、馬場絵里。」
「…はい!」
元気のよい返事とともにステージまで駆けていく姿がある。きれいな黒髪のショートカットが可愛らしく、スタートダッシュの明るさとは反対に、ステージの上では声を押し殺して号泣している
緊張からなのか、その子の体が左右に揺れていた。顔が赤くなっているのが、離れた場所からでも分かる。早くその不安定な体を支えてあげないと。そばに行って「大丈夫だよ」と体を擦ってあげないと。きっと彼女も私と同じで、ああいう場所に行くのに慣れていないのかもしれない。そうだとしたら、彼女のそばにいられるのは私しかいない。その一瞬の光景だけで、なぜだかそう思った。同類にしかわからない親近感を、この場所で初めて感じていた。
気付いたときにはもう、その子の隣に立ってしまっていた。それでも周りの人たちは私をステージから引き下ろそうとはしなかった。霞み掛かってはっきりしない景色は今も変わらず、どのようにここに歩いてきたのか全く思い出せない。ただそんな私が黙ってここにいられるのは、この子の直後に私の名前がたしかに呼ばれたからだった。
「46番、高橋奈緒。」
そのよく通る低い声だけが、私の脳裏にかすかながら残っていた。
ステージ上よりも遥かに多くの少女たちが、私達を見上げている。それでも私にはその中の一人しか見えていなかった。たとえスポットライトの当たらない場所でも、彼女の輝きが弱まることはなかったから、大勢の中でもその姿だけがくっきり見えた。
月島凛は、瞬き一つせず、じっとこちらを見つめている。涙は流していない。肩が少しだけつり上がっていて、おかしな力が入っているのが分かる。小さな拳が強く握りしめられている。手のひらにはひどく爪の痕がついていそうで、私は顔をしかめた。それはまるで夢の一場面のように、靄に包まれていた。周りの音は何も聞こえず、そこにはただ私と彼女だけがいるように感じていた。
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