第17話 60倍!!

 顔の中の色んなところに、深い皺を寄せて難しい顔をしている。色白できれいな顔が台無しだ。


「奈緒」


 優しく包み込むように呼びかける。この子にはいつもどこかお母さん的な何かを感じる。


「あんた、今60倍だよ!」


 そこだけ聞けば何だかよくわからないぶっ飛んだ表現に、私は思わず笑ってしまった。


「な、なにそれ。。。」


「60倍だよ、60倍。大学入試で60倍なんて聞いたことないでしょ!?」


 ただでさえぱっちりしている目が、いつもより大きい。


「そうなの?」


「もー!なんっにも知らないんだから!」


 皆と同じように私立大学を受験するとしたら、倍率が二桁になっただけでほとんどの人が受験するのをためらってしまうらしい。それがどれだけ自分が行きたい学校であっても、だ。


「この中から何人くらい選ばれるんだろうね。」


 約3000人が応募した書類審査から、残すところ最終審査となった現在で50人の候補者にまで絞られた。その中の一人が、奇跡的に私なのだった。




 最終審査は驚いたことに自己紹介だけ。“紹介”という名の“自己アピール”合戦というのが、美鈴の見立てだった。


「いい?」


 キリッとした目元がこちらをロックオンする。いつまでも見つめられていたいと思う凛々しさ。


「自己アピールっていうのは、自分のことをただ伝えるだけじゃダメなの。奈緒の得意なものは何か、魅力的なところはどこか、ずっと見ていたいと思わせるように魅えるかどうかが見られてんだよ。」


 もしそうだとしたら、私は誰よりも目の前にいるこの子には敵わないだろう。

 二次審査で自分がした自己紹介を説明したとき、美玲の目がカッと開いた。お説教モードの始まりだった。そんな喜怒哀楽も、私よりはるかに魅力的だった。

 オーディションを受けることにしてからは“特訓”のためもあって、不思議と学校にはちゃんと来ていた。だから学校に来ないことで美玲から叱られることは少なくなっていた。久しぶりに怒った美鈴の顔が見れて、どこか嬉しく感じてもいた。小学校や中学校とは違って、高校に行きたくなくなることはなかった。それでも休みがちになっていたのは、こうして美玲に叱られたかったからなのかもしれない。


「聞いてるの!?」


 美玲は怒るときは本気で怒る。だから私もちょっとだけ本気でふて腐れる。でもそれを美玲もわかっているから、すぐにフォローが入る。


「私は奈緒が絶対選ばれると思ってるから言ってるんだからね。」


 ここしかないという絶妙なタイミングで入るフォローに、「えへへ」と漫画のような声が漏れてしまう。さっきまでの見開いた目とは違い、少し垂れ目で甘えるようにも見える表情に、私は何度か恋していたかもしれない。


「うん。」






 選ばれた子と選ばれなかった子に、どんな違いがあるのだろう。今の私には、自分がここにいる理由が全く理解できなかった。

 そんな私にも明らかに分かることもあった。パフォーマンスだけでなく、控室で待つ姿からも、このオーディションのために入念に準備をしてきた子の姿。一番わかり易いのは目の力なのだが、それだけではないのはたしか。人間からオーラのようなものを感じるのは、その時が初めてだった。彼女だけはたしかに、周りのあどけない少女たちと別の次元に存在していた。


 私よりも少し前の順番だった。緊張が少しだけ和らいだのは、きっと彼女のおかげだった。どう考えても立ち向かえる相手ではなかった。誰がどう見ても、明らかにモノが違った。だからこそ、変な力が入らずに審査に挑むことができたのかもしれない。


「月島凛です。これまでの時間を全て、アイドルになるためだけに注ぎ込んできたつもりです。私に賭けてください。よろしくお願いします。」


 そんな自己紹介での力強い声とは違い、優しく丁寧に奏でられた唄は、アイドルソングではなかった。音楽好きではなくとも、日本人であれば誰でも知っている往年の名曲は、カラオケランキングではなかなか上位に見ることはない。誰でも知ってる曲は歌われるのが普通だが、歌いたくても歌えないほど難しいのがこの曲の魅力だった。

 歌う人を選ぶ曲。月島凛は、間違いなくこの曲に選ばれていた。月島凛が曲を歌っているのではない。月島凛の曲がそこにあったのだ。

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