第16話 ダンスの理由
第二次審査は暑い夏の日だった。煌々と照らす太陽の光が、夢に目を輝かせる少女たちから体力を奪い、滝のような汗の雫を与えた。
(あつい…)
東京という場所は、私の中ではもっと涼しいところであるはずだった。せっかく新しく買った服も、汗でべたべたと肌にまとわりつく。嫌な匂いになったらやだな、などと後ろ向きな感情ばかりを渦巻かせながら早歩きで会場へ向かった。
会場に入った途端、その異様さに唖然とした。そこにいる女の子たちは、汗を全くかいていなかった。地下鉄の最寄り駅から同じ道を同じように歩いてきたはずだ。自分よりも小柄で、細くて、か弱そうな彼女たちがこの暑さに動じる様子がない。しかも顔がかわいくて、髪型が似合っていて、服はおしゃれで、スタイルが良い、ときている。
汗を通じて体と一体化した服が冷房で乾き始めている。奪われた熱に背筋がゾクゾクっとなった。私なんかが残れるはずがなかった。。
「77番の方ー?。」
私はハッとした。あまりにも驚きすぎて、ハッと口にしていたかもしれない。
「あ。す、すいません。。。」
勢いよく立ち上がり、その力にまかせて深くお辞儀をする。長い白の机越しに、大人の人達が横一列に並んでいた。少しでも気を抜いたら気を失いそうなくらいの緊張。
「では自己紹介の後、一曲お願いします。」
「はい。」
返事をしてから次の言葉が出るまでに時間がかかる。左胸につけたバッジを見て、ようやく話しだすことができた。
「…77番、高橋奈緒です。」
二次審査では自己紹介に加えて、歌を一曲歌うことになっている。曲自体は自分が選ぶことができるので、この日に向けて練習することができた。
歌をうたうことは、ダンスをすることと同じように好きだ。ただ人前で披露することは同じように苦手だった。案の定、今も声は終始震えている。音程を合わせるよりも、震えを抑えることに必死になる。高い音と低い音に限っては、どんな音になっているかさえ分からなくなってしまっていた。そんな混乱がさらに声の震えを助長した。
「はい。ありがとうございます。」
向かいの中心辺りで、机の上の書類を見ながら話がすすめられる。
「特技がダンス、と書いてますね。」
「はい。ダンス部にも、入ってます。」
本当はもう辞めているけれど、ちょっとだけ嘘をついた。けれどこちらから発した言葉には大した反応がなく、ふーん、といった表情のまま、他愛のない質問をいくつかされた。
「…SOPRANOのダンスは何かできる?」
今まで一度も言葉を発していなかったが、絶対に一番偉いと分かる人が机の真ん中に座っていた。大きな体で細長い目は少し垂れていて、優しそうだった。不思議とこの人にだけは圧迫感を感じなかった。
彼が初めて私に口を開いた。
「はい。少しだけなら。」
「音、なにかあるかな?」
あちら側にあるシルバーのパソコンの中に、たくさんの楽曲のデータが入っているのだろう。そこからスピーカーに飛ばして、候補者が歌う曲のカラオケを流している。その中から一曲、SOPRANO定番のダンスナンバーが流れた。
「これ、いけそう?」
曲が流れると同時に、過剰な緊張感がふっと体から抜ける気がした。
「はい。」
“OCEAN”というその曲は、東京へ来る前に美玲と練習した曲だった。私は母から承諾をもらった次の日、学校へ行って美玲に報告した。
「私、せっかくだから東京行くことにしたよ。」
周りの人にわからないように、言葉をぼやかしながら伝えた。いつもワイワイと元気な美玲が黙った。こちらをじっと見つめるパッチリとした目が、少し潤んでいるようにも見えた。
「…え?」
美玲が席に座ろうとする私に襲い掛かるように抱きついてきた。「やめてよ。」「やだ。」というやり取りを何度か繰り返した後、ようやく美玲が顔を上げた。
「じゃあ、特訓だね!」
その日から美玲の部活が休みのときは毎日、カラオケボックスへ出かけた。私は課題曲に選んだものだけを歌い続け、美玲はダンスに使えそうな曲をいくつも歌う。美玲が歌っている間は私が踊る。2人だけでの猛特訓は、ときに部活よりも厳しかった。その分少しだけ体もシュッとした。それも計算のうちだから、と美玲は胸を張って言った。
美玲が歌う曲の中に“OCEAN”はあった。歌で聞かせるポップ調やバラード調の曲が大半の中で、アイドルソングとは思えないほど激しさのある曲。SOPRANOには珍しいダンスナンバーとして評判になった。
「いざとなったらこれ見せておけば間違いないから。」
と言っていた才色兼備の美少女は、こういうところでピタリと当ててくるあたり、やはり物凄い人なのかもしれない。
体を動かし始めてしまうと、どんなに緊張しているときも自然と固まった筋肉がほぐれていく。全身がほぐされ、全身で音楽に乗っかっているうちに、自分の心が緊張していることなんて気付かなくなってしまう。激しければ激しいほど良かった。踊っているときのその無防備さを、怖いと感じたこともある。自分がどういう動きをしているのか、どういう顔をしているのか。自分でコントロールできない部分があまりにも多すぎるからこそ、人が見ている前で踊るのが嫌になった。でもそんな私に、美玲は言ってくれたのだ。
「ダンスをしているときの奈緒の顔が好き。」
それだけでよかったのかもしれない。彼女の一言だけで、私は少しずつ踊ることに躊躇いがなくなっていった。今こうして知らない大人の人達の前で、しっかりと見られている。今までで一番緊張しているかもしれないけれど、ダンスをし始めてからの私にはそんなことがどうでもよくなっていた。ただ楽しかった。私が今ここで踊っている理由は、ただそれだけだった。
「はい。ありがとう。」
最も激しくなる1番サビが終わったところで曲が止められた。一瞬止められたことに気づかず、音がなくなってからも数秒踊り続けてしまった。「あ、」と言った後、顔が赤らんでしまうのが自分でも分かった。
「上手いなあ。」
真ん中の偉い人が、ぼそりとつぶやきながら頭を掻いている。余計な言葉がなく、分かりやすいその褒め言葉に思わず小さな笑みがこぼれてしまう。
「ありがとうございます。」
それをなんとか隠そうと俯いているのだが、好きなことが褒められた嬉しさほど、隠すことが難しいものはない。
「はい。ありがとうございました。それでは次の方、78番の…」
ありがとうございました、と発した私の言葉が、進行役の男性の声にかき消される。褒めてくれたあの人に届いていたかは分からないが、お辞儀から頭を挙げると、あの優しい目が私の目とほんの一瞬だけ合った。その瞬間の映像だけが、私の頭に刻み込まれているのだった。
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