第6話 お披露目会

 6ヶ月間、画面越しに彼女たちを追いかけてきたことを思い返していた。取りつかれてしまったかのように、これほど何かに魅入られたことはなかった。生まれて初めての追っかけだった。


 高橋奈緒は…


 そのとき、聞き覚えのある音楽が流れ始めた。照明やステージの機材は、コンサートホールや豪華な劇場のものとは比べものにならないくらい脆弱で、ステージはずっと柔らかいオレンジ色の光で単調に照らされている。


 きらきらとした音楽は、ステージ右脇から駆け込んでくる少女達の雰囲気と、どこか合っていないような気がした。オレンジの照明に照らされた衣装はきっと、赤紫色がベースになっているのだが、セーラー服をモデルにしたその服の本当の色は分からない。


 流れている曲はSOPRANOの曲だった。

 年間トップセールスを記録したこの楽曲は、平成アイドルソングの最高傑作との呼び声も高く、現代アイドルの特徴を凝縮したものになっている。終始ハイテンションで歌われる歌詞は、これ以上なく前向きだ。


 梅雨が明け、これから真夏が始まるぞと言わんばかりの、まさにあのタイミングの季節を感じさせる。この世界には梅雨も、夏の終わりもないかのように、ただその瞬間だけを全力で生きようとする。そういう熱を持った人間が歌う曲。


 もちろん曲が売れた理由も、時代がその前向きさを求めていたからともいわれているが、それは一部に過ぎない。今では当たり前となった、握手券付きのCD売上がその原動力であったことは言うまでもない。同じCDを握手券欲しさにまとめ買いするファンが急増したのだ。アイドルファンにはウケたが、そうではない“自称音楽通”からは批判の的になった。


 良くも悪くも時代を彩った楽曲だからこそ、歌い手と曲とのミスマッチさが顕著に感じられるのかもしれない。一言で言ってしまえば、明と暗。笑いながら怒る人、という芸をする俳優がいたが、今、私の目の前に繰り広げられているものはまさにそれなのだ。俳優の芸の中にある違和感は笑いを誘うが、ここにある違和感がもたらすものは戸惑いでしかない。応援の掛け声を上げ慣れているはずのアイドルファン達でさえ、冒頭、声を上げるのを忘れてしまっていた。


 サビに入る少し前だった。

 私の隣から大きな声があがった。


「イエッ、タイガーー!」


 前列の数名の背中が、ハッとしたのがわかった。ただの一声で、会場内が目を覚ましたかのようだった。


 せーの!


 おーーーーーー!

 フッフー、フワフワ!


 おーーーーーー!

 フッフー、フワフワ!


 振り付けも声も、一瞬にして揃えてしまう彼らはプロだ。可愛らしく着飾ったステージ上の少女達よりも、それに対面している飾り気のない彼らのほうが、パフォーマンスとしては遥かにうわてだ。



 こういう場に慣れていない私は既に、雰囲気に圧倒されているのだが、しかし熟練した彼らでさえ最初に呆気にとられた理由は分かる気がした。


 怖い。


 彼女たちがステージに現れたとき、何よりも先に生まれた感情はそれだった。顔の筋肉はおかしくこわばり、笑顔を作るはずの部分でもうまく笑えていない。その歪んだ頬と、明らかにシワのよっている眉間が、まるで睨みつけているかのような目つきを作り出していた。演出のように相手を威圧する表情は、今となってはいつもの姿を思い出した彼らさえをも金縛りにしたのだ。


 全ては緊張からなのだろう。しかしこんな子達が、本当に芸能界でやっていけるのだろうか。画面越しに眺めているときは自然と、それ以外のアイドルたちと同じ土俵に立っているように思えていたのに。


 アイドルがどういうものなのか、どうあるべきものなのかを知っているわけではない。けれども彼女達がステージ上でパフォーマンスをしている今、私はこのグループからアイドルらしさというものを全く感じなかった。


 このステージだけを見た人はきっと、最初の私と同じ感想しか持たなかったことだろう。角度やタイミングなど、その端々が揃っていない振り付けや立ち位置。たとえこれがカラオケボックスであったとしても、褒められるとは思えない歌唱力。一流のアーティストとは到底呼べない出来だ。


 しかし、なのだ。私の顔は熱を帯び始め、鏡を見なくても紅潮していくのが分かる。心臓の鼓動が早くなる。どことは言えない体の端が震え始める。そうなって初めて自分の感情に気づく。


 興奮していた。


 一流のパフォーマンスを見たときとは違う、今までに感じたことのない気分の高揚。


 これは何だ。


 全く経験したことのないものであるから、皆目見当がつかなかった。そしてその分からなさは、高まる気分を余計に掻き立てた。会場の温度が上がったように感じる。私が熱を帯びているからだろうと思っていたのだが、それだけではなかった。気付くと周りの掛け声は次第に大きくなっていた。アイディさんの動きも左右に激しくなる。振り回す腕がたまに顔に当たる。


 私だけじゃない。


 曲は最後に最高潮の盛り上がりを見せ、静かに終りを迎えた。今日のパフォーマンスはこれ一曲。自分たちの楽曲を持っていないため、このようなパフォーマンスがあるかどうかも定かではなかったので、観客はひとまず満足しているように見える。達成感と安心感にも満ちているようだが、彼女達の顔から威圧感が薄らぐことはない。何かにおびえる表情を浮かべている者もいる。おそらく照明が熱いのだろう。一曲とはいえ、だいぶ元気な曲であったので、汗ばんでいるのがこちらからもよく分かる。でもきっと、あの汗は臭くない。私はその時、根拠もなく、世にもおかしな確信があった。

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