首絞めの呪い

    1


 町は大勢の人で賑わっていた。町の中央を通る通りには道端に露店が並び、市をなしている。威勢の良い魚屋の声。赤、緑、黄色などの色鮮やかな野菜や果物。ずらりと並んだ手芸品の数々。カイストルの中心ということもあって、さすがに人が多い。大通りの先にはカイストルを象徴する時計塔がそのずば抜けて高い背で町を見下ろしている。


 片田舎の少し大きな町で育ったメイサには久しぶりの都市であった。メイサが子供の時に疎開で越してきて以来のカイストルは、いつみてもハイカラで楽しい。


 年は現王暦26年。19世紀も末になった。王都についで栄えるこの町は、大陸の東と西を結ぶ要衝に位置する。最近は運河の開通でめっきり貿易量も減ったが、それでも、培われてきた文化は健在だ。2年ほど前の大陸間戦争で混乱していた世間も、今ではどこ吹く風のようにいつも通りに戻っていた。


 砂漠地帯の商人が今時珍しいラクダで市場を闊歩していたり、内海の小太り店主が大きく店を構えていたり、まるで人種の坩堝(るつぼ)のようで華やかである。しかし一方で、南方出身であろう色黒な大男や掠れた衣服を着ている細身の少年がせっせと荷物を運んでいる光景は、その盛況ぶりの裏に落ちた影を垣間見るようであった。その奴隷の腕にはラトルリア財閥の焼印が見られた。


 ラトルリア財閥とは大手貿易会社で、最近は貿易のみならず貴族の領地の売買など不動産業界にも手を出している新進気鋭の会社である。資産はそこらの男爵家よりは格段に大きい。カイストルにも進出していて、街の中にはその吸収した店舗が溢れている。


(うわぁ……! キレイ……)


 メイサは思わず艶やかな果物の陳列に目を奪われ。たが、人に紛れて半透明の変なモノが居るのを見つけると、しっかりと自分に言い聞かせて小さくかぶりを振り、人混みを掻き分けて進んでいった。


 手紙の通り、ポール・カーの鍵屋を目印にしてその脇に曲がり路地裏に入っていくと、陰湿な路地が緩やかにカーブを描きながら伸びていた。角が取れて丸くなった石畳が、メイサが歩く音にことことと音を立てる。ふと見上げると、建物と建物の隙間から見える空は遠く感じられた。


 石畳に半分埋もれて動けない変なモノが目でメイサの動きを追っている。


 しばらく歩いて手紙に描かれた大雑把な地図どおりに小さな隙間のような道を通り抜けた。猫が通るような道の先は、一本の小路だった。人1人が通れるか通れないかくらい狭い道は、石畳がすぐそこの突き当たりまで続いていたる。昼間なのに夕方みたいに暗く、雨上がりのようにジメジメともしていた。肌に感じる空気がひんやりと冷たい。メイサは唾を呑み込んで歩きだす。


 突き当たりを左に曲がると、少しだけ広い道に出た。道は石畳の車道と歩道に分かれていて、車道の両端にはガス灯が続く。周りに並ぶ家々に明かりはなく、カーテンは薄っすらと閉められていて中の様子がはっきりと窺えない。


 メイサは霧のかかって白んだ道を進んだ。


 すると、少しして霧に光輪を映すガス灯とは違う何かの光るものを見つけた。メイサが温かいオレンジ色に光るそれを店の前の看板ランプだと気づくのには、そこまで時間は掛からなかった。ここへ来て初めてまともに明かりを点けている家を見つけただけに、メイサは安堵を覚えた。


 近寄ったメイサは店の中を覗いてみる。薄いレースのカーテンが引かれた窓際には、使い道の分からない金獅子の頭の細工がついた変な棒や、紅い液体が入った小瓶。奥には薄っすらと金物の姿も見える。


 一旦下がって店の看板を見てみると『オリステラトスの道具屋』と書かれた看板が掛けられてあった。塗膜の所々剥げたていた窓枠だが埃が溜まっていなかったので、店の手入れは行き届いているようだ。今にも崩れ落ちそうな軒が、片隅にある一本の柱で支えられている。


 ──こんなところにあるなんて、客なんか絶対来るはずないじゃない──


 メイサはポケットに入れていた、くたびれた手紙を取り出して確認すると、合っているとみて店の扉を叩いた。


 すると扉の向こう、奥の方から微かに「どうぞ、入って」という声が聞こえてきた。メイサはその言葉通り、ドアノブにゆっくりと手を掛け、ガチャリと捻った。


──────────────────


 メイサが田舎のハルリオンから遥々大都市カイストルまで来たのには理由があった。


 事の発端は2ヶ月前にさかのぼる。


 17の誕生日を迎えたメイサは、いつものように学校へと向かっていた。その頃から一緒に登校するようになった小学からの幼なじみのユカ・ラトルリアと、高学に入ってから友達になったミキ・オルティア、トラファル・ヤブナ、中学の友達、フェイル・マキア、サシャ・ウルクと話しながら、変なものと目を合わせないようにみんなでバスに乗った。


 バスに乗る、そこまでは普段となにも変わらない事だったが、メイサが学校に着いた時だった。校門のところにいた変なものと目が合ってしまったのだ。変なものはメイサの視線に気付くと、じっとりと虚ろな瞳でメイサを見つめた。メイサはすぐさま目を逸らしたが、気付けばその変なものは、メイサの後をすいすいと付いてきていた。


 憑かれてしまったのである。


 それからというもの、そいつは一匹から二匹に増え、2週間経つころにはいつのまにか六匹にまで増えていた。


 メイサは恐怖を覚えた。


 そんな途方に暮れていた時に、ある手紙が届いた。


 聞いたこともない親戚からの手紙で、困った事があれば、私の所に来るように、と書かれていた。不審に思って預かってもらっている伯母に聞くも、そんな親戚は知らないという。


 ならば、捨ててしまえば良かったものを、メイサにはますますその手紙が捨てにくくなる事件が起きたので、今、店のドアノブを捻るのに至ったのである。


──────────────────


 ドアをゆっくり開けると、メイサは店の中をじっくりと見回した。


 半地下になった店内には、木製の机の上に羊皮紙が表紙になっている分厚い本が何冊も積まれていて、その隣にトンカチやらノミやら、鍋、鉛筆、ランプ、懐中電灯、クルミ割り人形が何の規則性もなく無造作に置かれている。しかし、仄かに生活感のある配置で、修理などを請け負っている作業場のような雰囲気は無かった。


「お邪魔しまぁ……す……」


潜めた声で言うと、ドアを開けてすぐにある短い階段の左脇から、男の声がした。いや、年若い青年の声だ。少し澄ました感じの声で「いらっしゃい。どうぞ」と言われた。ドアを開ける前に聞こえた声とは違う、別の声だ。


 メイサが声のした方向を見下ろすと、一人の青年が灰色のローブをはたきながら咳き込んでいた。十代だろうか。前髪が長く、俯瞰なので顔がよく見えない。


 言葉通り、メイサは階段を下って中へ入った。すると、それを見た青年は右手の人差し指をドアに向けて差し出して、くるりと手を返した。


 ベルがカランと鳴ってドアがひとりでに閉まる。


 メイサは驚いて振り返ったが、それを気にする様子もなく、青年はローブをラックに掛けて奥へと進んでいった。


「やあやあ、いらっしゃい。ようこそ我がオリステラトスの道具屋へ。日用品から専門用具まで幅広く取り揃えていますよ。お望みの品はありますか?」


奥の方の机から、ドアを開ける時に聞いたのと同じ声がする。見ると二十代くらいの男が、両腕を広げて出迎えていた。背が高く、淡い金髪で、鼻筋の通った、それでいて幼げな顔つき。首もとに何か水晶の結晶のような六角柱の首飾りをしている。


(うわっ、綺麗な人……)


 男はにこにこと悪びれのない笑顔で笑いながら、足早に歩いてくると、急にメイサを抱き締めた。


 えっ? なに? なに? なに! 何なの!!


 何が起きたのか全く解らない。メイサの頭は真っ白だ。


 気が動転して、振り放す事すら思い付かない。


 男はたいそう幸せそうに強くメイサを抱き締めて放さないでいる。


 しばらくして、店の奥から着替えて出てきた青年とメイサは目が合った。


 青年は眉をピクリと動かすと、滲み出る怒りを抑えているように、しかしそれでも少し怒り気味に「リック……」と呟くと、メイサに向かって「すみませんね」と辛うじてひきつった笑顔で笑って見せた。


 青年は近くあったフライパンの柄を握りしめると、すっと振り上げて、なんの迷いもなく男の頭目掛けて振り下ろした。


「うぐぁ……!」


男はそのまま膝をついて崩れ落ちた。


「びっくりさせて申し訳ない。これが、あなたに手紙を送った主です。帰ってもらっても構いませんよ」


メイサは倒れた男を見て、はっと我に帰った。フライパンで殴っておいて、物扱いって……。いや、それでも帰るわけにはいかない。


「あの! ここに来れば、変なものから助けてくれるって聞いたんです。まだ帰りません!」


「はあ……」


メイサは渾身の一言を発した訳だが、一方の青年の方は、メイサの大声に少し気が引けて他の言葉を思い付けない様子だ。


「そうだね。まずは詳しい話を聞こうじゃあないか」


そうこうしていると、頭を殴打されて倒れた変人が、頭を押さえながら立ち上がった。メイサは2、3歩、男から退(しりぞ)いた。


「あの……あなたが、オリステラトスさん、なんですか?」


メイサは確証が持てない。あのような流麗な文字で、落ち着いた文体を書いた主がまさかこんな変人とは夢にも思わなかったからだ。メイサの想像では白髪混じりでゴツゴツとした頬や年季の入った皺の手と、良い年をした道具屋の店主だった。しかしそれとは裏腹に若い男で、綺麗な輪郭と少し深い目の彫りが遊び慣れたイケメン風情を匂わせている。しかも自分の遠い親戚というから、さらに戸惑った。


「いかにも。私がメルド・カイビア・リック・フェル・オリステラトスです。お見知りおきを、お嬢さん。メルドとお呼び下さい」


手を大きく円を描くように挙げて、さっと胸元まで下げて礼をした。する事する事が役者のように演技じみている。だが、礼をされた以上、こちらもするしかあるまい。


「メイサ・ツェフィラ・バートンです。ご機嫌麗しゅう。メイサで結構ですわ」


すると、オリステラトスの隣に居た青年も、律儀に頭を下げた。


「さて、それじゃあ君の悩み事、お聞かせ願おうか」


      2


 メルドは埃を被ったソファーに座って、青年が出したヤタ豆茶を一口飲んだ。


「君が普段見ている変なものっていうのは、マルトンって言う、まあ普通の人には見えない生き物だよ。基本的に乱暴なことはしないし、穏やかで可愛いもんさ」


「でも、ずっとこっち見てるし、益々数も増えていくんですよ?」


 道具屋が何故"変なもの"祓いなどしてくれるのか、疑問符が浮かぶ点は少なくなかった。しかし、一通りその時の朝の様子や出来事の経過を話し終えて、メイサはこの変人が信用に価すると認めた。変なもの、もとい"マルトン"が見える事や、その落ち着いていて何でも知っているような口調もあるが、何より緩やかに笑って頷いてくれるのが、今までマルトンの事を誰にも打ち明けられなかったメイサには嬉しかった。


 メルドは咳払いして足を組み換えると、何か奥で漁っていた先程の青年を呼び寄せた。


「どうだいソルク? 彼女は」


青年はメイサを左右から観察すると、束の間考え込んで、一言発した。


「そうですね、見たところヤリャト憑きではないみたいですし。縁族の類いでしょうか」


「えんぞく?」


「ウサギみたいなものだよ」


「うさぎ?」


 マルトンに関係のある事だろうか。


 横に立っていた青年はメルドの方を一瞥して溜め息を吐くと、話し始めた。


「ええっと、古来から空気中を漂っている神魔種の高等目で……よくウサギと見間違われる生き物です。普段は森に生息する動物に貼りついて共に行動します。寄生と言った方が良いかな? それからじわじわとクスル……ええ、動物が活動する時に消費する根源を吸いとって、やがてその宿主を弱体化させます。そのあとは弱った宿主を離れて、新しい宿主を探し、ウサギに似た姿で飛び回るという、まあ簡単に言うと妖精ですね」


生命力を吸いとられると聞いて、メイサは身震いした。


「そ、その妖精がどうしたんですか?」


「君の肩にくっついて離れないみたい」


そう言われたメイサは、慌てて自分の両肩を見た。だが、肩には何も居ない。払ってみても、何にも当たらない。


「これこれ、逃げて遊ぶな」


メルドは気だるそうにソファーから立ち上がると、メイサの肩に右手をそっと置いてパンパンと軽く叩いた。すると、どうした事だろう。メイサの目の前に、白いウサギのようなものが現れたではないか。微かに青白い光を放つそれは、メイサの眼前を右往左往して、メイサの頭に落ち着いた。


「どうやら気に入られてるみたいだね。そいつのせいでマルトンが君に興味を持っているのやもしれない」


メルドの横に澄まして立っていた青年は、もう用無しとみたのか、一礼するとまた奥の部屋に戻っていった。


「私、今えんぞく……でしたっけ? に、生命力吸いとられてるんですか?」


恐るおそる聞いてみた。


「どうだろうね。基本的にヒト種には寄生しないから、純粋に好かれてるだけかも、だねぇ」


メルドは笑みを深くした。その何か続きの言葉がありそうな勿体振った微笑は彼の真の性格とはうらはらに、品行方正そうな趣をますます増している。メイサにはそれがとてつもなく残念に思われた。


「じゃあ、問題は無いんですか? でも、これはどうすれば……」


メイサは言いかけて、止めた。今回来た本来の目的は今言いかけた事そのものだったが、メルドの性格と言い異性しか居ない環境と言い、本題を切り出せないのには充分すぎるほどの条件が整っている。


 しかし、メルドの笑みは不思議なまでにメイサの心の内を見透かしているようにも捉えられた。


「束の事を伺うが、紫色の変な痣(あざ)なんかが皮膚に浮かび上がっていたりはしないね?」


メイサはギクリとした。


「やっぱり何か知ってるんですか!?」


 メルドはメイサの急な大声に身を退いたが、ニコリと微笑んで「さあ、どうだろうね」と首を傾げた。


 マルトンがメイサに憑きはじめてから一月くらいしたある日、メイサは左の肩から鎖骨にかけて襷(たすき)をかける風に、帯状に痣が出ているのに気付いた。それは、重い学生カバンを肩から下ろした時に出来るような赤い痕にも似ていた。 だから、いつも左肩にかけていたカバンを右肩にかけるようにしたのだが、痣は左の鎖骨から右の鎖骨、右肩にかけて広がっていった。どうやら背中側でも同様な事が起きているらしかったのだ。


 メルドは痣の事を何故か察知していたのだ。手紙を読んだ時から何か知っているような体であるのはメイサも思っていた。その手紙はマルトンがメイサに憑き始めた頃にタイミング良く送られてきたし、その頃から痣が出始めた。これに一連性を感じないほどメイサも鈍感ではない。


「良ければ見せてもらえるかな?」


メルドはゆっくりとソファから立ち上がった。


 メイサは慌てた。ソファに掴まって急いで引き下がる。変人に胸元やうなじを凝視されては、精神の安定が保たれない。一種の生理的嫌悪感とでも言おうか。慌てて洋服の襟を正した。その時、頭の上にいた"妖精ウサギ"がピョンとメイサの頭を蹴って離れて、そのまま本の森に隠れてしまった。メルドを怖がっているようだった。


「んん、なら仕方ない。麗しき淑女の容態を診る役目は、わたくしでは務まらないらしい。ソルク君、来たまえ」


メルドは店の奥を向いて先ほどの無愛想な青年を呼んだ。メイサにとって異性であることには変わりなかったが、目の前にいる変人メルヘンに比べれば、と渋々身構えた。


 だが、どうした事だろう。青年はすっかり先ほどとは別人のように、きっちりとしたスリーピースの学道服(何かひとつの学問に従事している者が着る正装)に着替えて、長い前髪を後ろに流していた。その時メイサは初めて青年の顔を見る事が出来た。


 眼は深く透き通った緑色で、その奥をついつい覗き込んでしまいそうになる。線の細い身体つきだが、別に痩せているという印象はない。そのせいか背も先ほどより随分高く感じた。


 ソルクと呼ばれた青年はスタスタとブーツの踵を鳴らしながら近づいてくると、ソファーに座って身構えているメイサの前で膝を折った。


「拝察しても?」


「ええ」


礼儀正しい彼の言動は、紳士的で物腰が柔らかそうである。そんな事だから、メイサはスカーフをとって服を第3ボタンまで開けた。


 青年は立ち上がり、早速症状を診始めた。青年の手がメイサの肩に軽く触れているのを気にしながら、メイサは青年がさらに襟元を広げるのを許した。


 とんとん、と痣の縁を二本指で小突いてみたり、背中側から首筋をそっとなぞってみたりして診察される。時たま青年の吐息が耳元を掠(かす)めるのがこそばゆかった。


 襟元を広げた後の青年の診断はとても早かった。メイサが気にしているのを汲んでの事だろうと思うと、青年に対する好感度はメイサの中で増した。


 診終わった青年は「失礼しました」とひとこと言うと、開いた襟をそっと合わせて退いた。一方のメルドは、不機嫌そうに眉を歪めて肘宛に肘をのせ頬杖を突き、露骨に気に食わないのを顕にしていた。青年はそんなメルドを冷ややかに一瞥すると、メルドの背後に戻って自分の見解を話し始める。


「診た感じからすると、呪術の一種だと思います」


 ──呪術?


「ほう、呪いと来たか。助手くん、呪いについて簡略に答えたまえ」


「はい、恨みを持った人物や物が、その恨みの根源である対象者に対してかけるまじないです。生を持ったもののみではなく、単なる道具や物体からの怨恨も含めて、呪術ですね。彼女の場合は、即効性の強い物ですから、傾向から見て人為的なものである可能性が高いです。肩、つまり首回りにネックレスのように広がった痣は、非常に……その……」


青年は言葉を詰まらせた。


「その……何ですか?」


人為的と聞いたメイサは最近の出来事を思い返してみた。別に恨みをかうような事をした覚えなどなかったし、いくら記憶を遡っても非常に順風満帆な日々しか思い浮かばない。ましてや呪いをかけられるほどの恨みをかうなど。到底考えつかない。それよりも、呪いという非日常的で非現実的な代物が自分にかけられているという事実に動揺を隠せない。


 メイサは青年の次の言葉を待った。


「言い難いのですが……」


「死ぬね」


青年が重い口を開いたと思ったら、メルドが先に青年の言いにくそうにしていた内容をさらりと告げた。


 死ぬ、という言葉を聞いてメイサの拍動が跳ね上がった。


「ど、ど、ど、どうして!? えっ、何で!?」


青年とメルドは互いに目を合わせて、言う。


「恨みを買われたから?」


素っ頓狂(すっとんきょう)にも程がある答えだ。


「そうじゃなくて、何で死ぬって判るんですか!?」


「そう言う呪いだもん。仕方ないじゃないか」


呆れすぎて言葉が出てこない。なぜ私が死ななければならない。そもそも、なぜそんなにも平然と割り切れるのか。メイサの気は一気に動転する。


「まあまあ、落ち着いてメイサ。君を死なせる程、僕らは冷淡ではないのだよ?」


「じゃあ、助けてくれるんですか?」


「そのために手紙を出したんじゃないか。親戚なんだし」


メルドの言葉に安堵を覚えた。


「じゃあ詳しく説明するね。君にかけられた呪いは、必ず死に至るとてもとても強いものだ。その痣は左の肩から腹側、背中側共に右肩を目指して延びていく。やがて右肩で繋がると、1週間くらいかけて、じっくりとじっくりと首元へ狭まってくる。そして痣が首にかかったたら、対象者を絞め殺す、というものだ。その間に少しずつ息苦しさを感じるようになってくるのも特徴のひとつだね。だけど──」


「まだ右肩で痣が繋がってないから、助かる余地はあります」


突然入った横槍に、良いところを持って行かれたメルドは青年をジロリと睨みつけた。だが青年はそんなメルドを睥睨してメイサに向いた。


「呪いをかけた張本人に、呪いを解いてもらうんです」


「でも、誰がかけたかなんて、私には見当もつかないわ」


「それに関しては心配しなくても良い。もう誰かは判ったから。だろ? ソルク」


「そうですね」


「そうだ、明日にでも解いてもらいに行こう。今日は長旅で疲れただろうから、ゆっくり休むと良い。こちらのソルクが部屋を提供してくれる」


メイサは一体誰が呪いをかけたのか気になったが、呪いが解けると聞いて胸を撫で下ろした。すると、緊張がほぐれて全身から力が抜けるのが判った。思えばここへ来るまでの道のりは大変疲れるものであったから、疲労感はそのせいだろう。


 メイサはローテーブルに置かれた香ばしいヤタ豆茶の香りと色合いを遠目で見つめた。


 気付くと店の中はメイサが入ってきた時よりも一層暗くなっていた。カイストルの町に着いたのは昼前であったのにも関わらず、日が暮れるのが早すぎるようにも思われた。やはりここは特異な場所であるようだ。


 薄っすらと射し込む青い光に街のガス灯のオレンジがかった色が混じり始めると、店の中央にあるランプが勝手に灯った。暖色系の温かな明りが本と道具を包む。メルドは、おや? もうこんな時間か、と溢した。


「リック……まさか俺が出てる間にごそごそとしてたって羽根ペンから聞いたら。俺の部屋を弄ってたんですね……」


(羽ペン?)


「ちょっとくらい良いじゃないか。君にはこのオリステラトスご自慢の年代物ソファーを貸与しよう」


 青年は眉をピクリと跳ねさせて、近くにあった削りたての鉛筆の束をメルドの上に振りかけた。


 メルドが痛がったのは言うまでもない。


     3


 翌朝、メイサは慣れない天井を見て目を覚ました。薄くまだ夜の余韻を残した青い天井は、焦げ茶色の梁が横に通っていて白い壁がその間に外の薄明かりを映していた。


 青年のものだと聞いてこの部屋は、意外にも女性的にしつらえてあった。立派な大きい丸鏡を備え付けたドレッサーが窓際に置かれていたり、唐草模様の彫刻が入ったクローゼットがあったりして男性的ではなかった。


 出窓の口に置かれた花瓶に挿してある薄く紅いパラメンの花が、部屋の空気をさらに和ませている。


 メイサはベッドから起き上がると、横に置いてある丸椅子の上に自分の着替えが綺麗に畳まれて置かれているのに気が付いた。薄々誰の仕業かは予測できた。あの青年だ。自分が寝ている間に畳んで置いておいてくれたのだろう。だが、ふと恥ずかしくなった。つまりは自分の寝顔も見られた訳であるからだ。寝込みに何かされていない事を祈って赤くなりながら、メイサは服の袖に手を通した。


 部屋に一つしかない窓を開け放つと、ちょうど2階なので街を一望出来た。家々と空の境目は橙色に輝いている。


 下の階からメイサを呼ぶ声がした。


 メイサは急いで鏡で顔色と髪を見ると、ドアを開けて階段を降りた。半地下になっている店内は相変わらず薄暗い。


 階段の下にある扉からベーコンの焼ける良い匂いが漂ってくる。ついでにメイサの好きなイチジクのジャムの香りもだ。店の中央にあるテーブルの上にはトマトがのったサラダが置かれている。昨晩は疲れて晩御飯も食べずに寝たメイサの心は躍った。


「おはようメイサ」


メルドが甘い笑みで挨拶をした。性格さえ良ければと、メイサはつくづく残念に思う。


「おはようございますメルドさん」


「メイサさん。お茶はヤタ豆かルイボス、どちらで」


青年がティーポッドを持って階段の下にある狭い部屋から出てきた。こじんまりとした石窯とコンロが2つ。その部屋の壁にはしゃもじやらお玉が掛かっている。キッチンであった。


 青年は器用にも両腕に3人分のベーコントーストとポッド2個を持っている。


「あ、ヤタ豆で。お手伝いしましょうか?」


青年は軽く横に首を振った。昨日同様に無愛想だ。メイサはメルドが引いた椅子に座って、青年が後ろからヤタ豆茶を注ぐのを見つめた。昨日は気づかなかったが、彼の左目には時々違和感を感じる。右目ほど自由に動いていないのだ。特に、横を見た時の左目のずれが甚だしい。


 青年がメイサの視線に気付いてちらっとこちらを見た。


「ソルクの左目は義眼でしてね。あまり気にしないでやってほしい」


メルドが察したらしく、言った。


「あ、いえ。すみません」


慌てて青年に謝る。だが、青年は何事もなかったかのように涼しい顔で注ぎ終わると自分の席に座った。メイサは申し訳なくなった。


 それからは黙々と食事をとった。別段話すような事もなく、テーブルの中央に置かれた塩の小瓶を取ってほしい、などの会話はあったが、今日することについての話は浮かび上がらない。意識的に避けているのか、というと、そうでもないように見える。メルドはいたって落ち着いてにこにことサラダのレタスを口に運んでいるし、青年はもう食べ終わったようで、ルイボスティーを飲みながら何か書類に目を通していた。文字を追う目はやはり左目だけ遅れていた。


「さて、食べ終わったところで、だが。早速本題に入ろうか」


メルドは口を拭ったナプキンをテーブルに軽く折って置いた。メイサはその言葉にはっとして青年から目を逸らした。


「ソルク」


「はい。今日はメイサさんの住んでいる町に行って、呪いをかけた術者に会いに行きます。呪いを解く方法ですが、呪いの源となる媒体を破壊した後、欠片に封をして術者本人の体内に埋め込みます」


「はあ……」


やはりピンと来ない。具体的な手法が示されても、魔術やまじないなどというものを10割信用するに値するものかどうか、まだ懐疑的であった。変なモノ《マルトン》の存在は認めるとして、そのような迷信めいた事象はこの科学がものを言うご時世に存在するのか、疑問である。だが、取り合えず肩の痣と、死ぬ事に関しては何とかしてもらわねばならない。


「じゃあ、術者って言うのは誰なんですか? 昨日はもう判っているって言ってましたけど」


自分の住んでいる町に、その術者はいると言う。だが、誰かなど思い付かない。


「ああ、それはね──。……今は言わないでおくよ」


メイサにはメルドが何故言葉を濁したのか判らなかった。


──────────────────


 昨日も通ったであろう道を二人で歩いている。メイサの右斜め前を怒り気味に歩いているのは、あの青年だ。学道服の上から灰色のローブを着て、革のカバンを左肩からさげている。


 彼がカツカツとブーツの底を鳴らしながら、不機嫌そうに歩いているのには理由がある。


 何故か。それは肝心のメルドが今この場に居ない事に大きく関係する。


 メルドはあのあと忙しいやら何やら理由をつけ全てをソルクに丸投げしてさっさと店を出ていった。彼の勝手気ままさも去ることながら、その無責任さに苛立ちを隠せない。自分から呼んでおいて、あとは他人に一任するなど、憤る以外にどう受け止めれば良いのだろう。


 それと、もうひとつ。


「あの、私昨日から貴方のお名前を伺ってないのだけれど、ソルク……君で良いのよね?」


「ソルクでいい」


「私もメイサで良いわ。今年で17歳。あなたは?」


「16」


メイサはと言うと、青年の態度の変わりように戸惑っていた。昨日今日の付き合いだから仕方はないと思うが、今朝の態度とまったくの別人である。メルドが去ってからはずっとこのとげとげしい態度なのだ。


 無論、メイサには何かソルクの気に障るような事をした覚えなど万に一つもない。


「年下だったんだね。てっきりお兄さんなのかなって思ってた」


「年下だったら何か悪いの」


メイサはますます困惑した。こんなにきつく当たられるなど、初めてであった。マルトンが見える事で虐められる事は多かったが、ほとんどが自分の落ち度であった。うっかり何か変なものが見えるなどと口を滑らせたあかつきには、嘘つき、とヤジを飛ばされたものだ。だが、今回はどうだろう。彼も見える人間である。共感めいた感情が湧いて、すっかり仲間になったような気分であったメイサは、突然突き放された感じがした。


「私、何かした?」


様子を伺うように、ソルクの後ろ姿に問いかけた。


「別に」


「いいえ、私、絶対なにかしでかしたんだわ。ねえ教えて? 私は何をしたの?」


気分の晴れないまま町に戻っても、呪いを解く心の準備は出来ない。この際、ストレートに訊いてみるのが最善策だと考えた。


 ど直球な問いに一瞬どう反応すれば良いか戸惑ったソルクだが、急に立ち止まって、振り返った。


「朝、起きてから窓開けっ放しにしてただろ」


メイサは言われて思い出した。そういえば窓を開けてから閉めていなかった。でも、それがどうしたと言うの? 雨でも降って部屋がずぶ濡れになったわけでもなし。


「俺の花瓶が消えた。マルトンがどっかに持ってったらしい」


花瓶が消えた──それだけ? 拍子抜けだ。自分が鈍感な事は認めているメイサだが、まさか花瓶のひとつくらいでここまで目の敵にされるなど、思ってもみなかった。


「もしかして、貴方の左目の事をチラチラ見てたから?」


「だから、花瓶が消えたんだって」


「何それ」


「あの花瓶は、俺の348番目の家族だ。家族が誘拐されたんだ。その原因を作ったあんたを許せるはずねェだろ」


「あの花瓶は貴方にとって家族も同然だったってこと?」


「めんどくさいな。あんたには関係ない。余計な話なんかしてないで、さっさと行くぞ」


ソルクはローブを翻すと、今度はせっかちに早足で歩いていった。残されたメイサはポツンとしばらく佇んでいたが、慌ててソルクの後を追いかけていった。何が何だか判らないまま。


──────────────────


 メイサは、立ち込め始めた霧がソルクの姿を消してしまう前にソルクに追いついた。周りには人の気配が無い。それどころか、生き物の気配すら無い。あのマルトンの姿さえも。ひたすら二人の靴音が湿った空気を伝うだけであった。


 やがてソルクは見覚えのある小路に入っていった。じめじめとした空気といい、丸くなった石畳といい。人ひとり通れるか通れないかくらいのそれは、紛れもなくメイサが昨日通った小路だ。


 向こう側に出ると、左右を見回してソルクの姿を探す。彼は暗い路地の右手を先々歩いていた。


 歩いて行っていつの間にか目の前にあったポール・カーの鍵屋を目印に路地を抜けると、空の色が映って青っぽく暗かった視界がにわかに色とりどりの市場に変わった。 みずみずしい果物が山積みになったコンテナが横一列に並んでいる。


 ソルクは、そんな人混みの中にあっという間に紛れてしまった。唯一、彼の着る灰色のローブが目印である。


 結局、メイサがソルクに追いついたのは町の外のバス停に着いた頃だった。


 バスはメイサが着いてからそう長く経たない内にやって来た。ボンネットの大きくつきだしたバスは、後ろから咳き込むように黒い排煙を吐き出している。


 ソルクとメイサは、そのバスに乗り込んだ。二人が席につくとのと同じくして、バスは一路、メイサの町ハルリオンへ向かって進み始めた。


    4


 マルトンの視線が一点に注がれている。メイサにだ。異常なまでに向けられる虚ろな眼差しは、呪いをかけられて死期の近づいた人間を憐れむようでもある。極力目を合わせないようにしたいメイサの視線は、自然と外の田園風景にいった。


 二人はバスのいちばん後ろの広い席で、充分に距離をとって座っている。


「なあ」


ソルクがメイサを呼んだらしかった。「なに?」と振り向く。


「あんたと仲がイイ奴ってどんくらい居んの」


ソルクは目だけをこちらに向けていた。メイサ同様、身体は窓に向いている。態度は相変わらず厳しい。


「何で答えなきゃいけないのよ。ソルクには関係ないじゃない」


メイサも態度を厳しくする。一方的にキレられるのは性にあわないのだ。


「いいから答えろ。死にたくはないだろ」


 メイサは言葉につまった。ふつふつと込み上げる苛立ちがメイサの顔に火を吹かせた。だが、"死ぬ"と言われて、嫌々答えた。実質、この小生意気な年下男子に自分の命を預けているようなものなのだから。


 ──礼儀正しい人だと思ってたのに。とんだ見当違い。


「学校に入る前はほとんど居なかったわね。ここにいるマルトンだっけ? が見えるとかで誰も寄り付こうとしなかったわ。強いて言うなら小学からの友達のユカと高学からのミキと中学からのマキアが一番親しいわね。ユカのお陰で明るくなれて、それからはたくさんの友達が出来たわ」


「分かった、少ないんだな」


ソルクは訊き終わると一言そう言って、窓の外に視線を戻した。


 ──もう、何なのよ! 言わせておいて感謝の言葉ひとつ無いなんて。


 会話はそれっきりだった。


──────────────────


 2時間ほどして、バスはハルリオンに着いた。周りを畑に囲まれたこの町は、メイサが幼少期から住んでいる町だ。カイストルほど大きくはないが、それなりの人口はある。


 バスを降りたメイサは陽の眩しさに目を細めた。太陽は丁度南の空に燦々と照っている。お昼時だからか、町の至る所からランチの良い匂いが漂ってた。


 メイサはソルクに向いた。


「で、これからどうするわけ?」


「あんたの高学に行く」


「何で?」


「後で話すから、とりあえず案内してよ」


人並みより鈍感なメイサだが、薄々ソルク意図を読み取った。 バスの中での急な質問や、今から高学へ向かうことを鑑みたのだ。


 術者が学校に居る──。


 それだけでメイサはたじろいだ。学校の中という狭い範囲で、メイサを知っていて、関わりを持っている人など、両手の指で数えられるくらいしか居ない。純粋に顔見知りなどを含めると、それよりは多いだろうが、術者として挙げるとなると、親しい友達という部類に限られてくる。


 つまり、ユカ、ミキ、トラファル、フェイル、サシャ。この5人に絞られる。


 恨みをかったのが誰なのか。


 いや、みんなに限ってあり得ない。あり得てほしくない。歩きながら自分に言い聞かせた。死に至らしめる強い呪いをかけるほどの恨みをかう理由が本当に見当たらない。


 だが、もし仮にミキが。フェイルが。トラファルが──。


 メイサは思考を頭の隅に追いやろうとする。だが、一度湧いてしまった疑念は水の中にインクを垂らしたように広がり、あっという間にメイサの脳裏を闇に染めた。


 そのうち、メイサは何も考えられなくなって俯いた。無邪気な子供が2、3人、横を走り過ぎる。


「あんたが思ってるほど、あんたに非はない」


背後をついてくるソルクが言った。振り返ると、ソルクは別の所を見ている。今の一言はソルクなりの慰めのつもりだったのだろうか。


 やがて重い足どりで歩いていたメイサは、町の北端にある高学に着いた。


生徒は家に帰って昼食をとるのが普通で、二時間ある長い昼休みには午前の授業を終えた生徒たちがぞろぞろと出てくる。


 この時間、校門はすでに生徒たちで溢れていた。ソルクは近くにある木陰にメイサを置くと、ここに居て大人しくしてろ、と言い残して生徒の雑踏の中に紛れていった。しかし、明らかにソルクの姿は浮いて見える。長袖カッターシャツの制服の中に、春だというのに厚いローブを着た青年が混じっていれば誰でも気付くだろう。


 中にはマルトンの姿もちらほら見受けられる。


 メイサは木陰からソルクの動向を窺った。ソルクは何やら生徒たちに話しかけていた。だが驚くべき事に、怪訝そうな視線をものともせず、今まで見たことのない笑みを浮かべているではないか。


 悪びれのない笑顔で話をするソルクは、さながら普通の高学生のようだ。しかし、大人に例えれば、どこぞの道具屋店主のたらし営業フェイスのようにも映る。


 ──あんな笑顔も出来るんだ。


 だが、気を抜けたのも束の間、メイサはソルクがとある人物に駆け寄ったのを見逃さなかった。ソルクは手をとって人混みからその人物をメイサの前に引き連れてきた。


 メイサは驚きの余り、言葉を失った。


    5


 「……なんでユカを連れてきたの」


メイサは震える手を抑えながらソルクに訊いた。まさかユカが術者だったとは思ってもみなかったので、ショックはなおさら大きかった。


「あんたももう解ってると思うけど、術者はこの人だ」


ソルクは、何の事はない、とでも言いたげなほどに剽軽に答えた。


「メイサ、この人、誰?」


ソルクに突然連れて来られて訳の判らない少女は戸惑いの視線をメイサに向けた。


 ユカ・ラフィーネ・ラルトリア嬢。白いカッターシャツに紅いスカートの制服を着たメルドらの商売敵、ラルトリア財閥家のご令嬢である。背格好は育ちの良いためかすらりと長く、肩の長さで揃えられた髪はやんわりとウェーブがかかっている。品の良い顔立ちは、清楚、清廉そのものだ。紅いカチューシャが白い肌色と相まって可憐な印象を与えている。


「あ、えっと、こんにちはお嬢さん、ご機嫌麗しゅうございます。今日は流るる水のごとく透き通った青空が貴女を照らし出しておりますが、もとより自ら輝きを放つあなた様にはマッチの灯り程度の眩(まばゆ)い陽光など、あなたを包む貧相なお飾りに過ぎません」


「…………」


「あれ? 違ったかな。本日はお日柄もよく──」


「そういう口上は、私を引きずり回して袖に皺をつける前に言うものですよ、紳士殿」


少し問いかける語調で上品に毒づいたユカ嬢は、微かな笑みをその顔に携えた。


「あ、それは失礼しました。何分慣れないものですから」


ソルクは胸元に右手を当て軽く頭を下げた。


「で、何の用かしら。メイサとはお知り合いみたいだけれど、わたくし、貴方を存じあげないわね」


「申し遅れました。私はソルク・バル・ラドライ・オリステラトス。我が店主の店、オリステラトスの道具屋に奉公をさせてもらっております者です。どうぞよしなに」


ソルクは軽く頭を下げたそのままの姿勢で名乗ると、さらに深く頭を下げた。


「ユカ・ラルトリアです。ご機嫌よう道具屋さん」


ソルクは面を上げた。


「実はあなたにひとつお願いがあるので参った──」


「ああ、堅苦しいのは無しにして。息が詰まるのは好みじゃないのよね」


ソルクはそう聞くと、むしろ楽になった、と後に続きそうな顔で続けた。


「では、俺からのお願いはひとつだけです。ユカさん、あなたメイサさんに呪いを掛けましたね。で、メイサさんすごい困ってるんですよ。食事も喉を通らず、夜も眠れず、そんでうちに駆け込んでこられまして」


──いや、別に食事も喉を通らないとまでは言ってないのだけど──。


「で、ですね、俺達としては依頼者の要望に応えたいんですよ。だからもう分かると思いますが、それを解いて欲しいんです」


緊張していたメイサは、重苦しいはずの話を軽々と、しかも滑稽な話のように滑らせるソルクの場の空気感の無さに拍子抜けした。


「何を言い出すかと思えば。この科学技術がものをいう時代に、呪いって。私は6歳のお子ちゃまなのかしらね。そんな迷信を信じるほど、幼稚なおつむはしていないわ。まず呪いが存在するという証拠がないんじゃないの?」


「いや、ですね、メイサさんには呪いをかけられた症状が出ている訳であって。その証拠に、ほら」


ソルクは隣にいるメイサのスカーフをいきなり掴んで巻き取った。


「きゃっ!!」


メイサは思わず声を上げた。首元からはあの痣が襟の隙間から覗いた。


「この紫色の痣がそうです」


「あら、メイサ。それはどうしたの?」


「あくまで知らないとしらを切るつもりですか」


ソルクはメイサにスカーフをひょいと渡すと、ユカの胸元を指して言う。


「そのペンダント、とても綺麗ですね。よくお似合いですよ。赤い石には幸運を呼び込む力があるとされていますね。ですが、あなたのはどうやら禍(わざわい)の根源のようで」


ユカの胸元にはハートの形をした紅い鉱石が麻の飾り糸に括(くく)られて煌(きら)めいている。


ユカはペンダントを胸元で握りしめた。


「あら、レディーの装飾品(アクセサリー)にケチをつけるなんて、オリステラトス様は作法は教えてくれたみたいだけど、ちゃんとした礼儀を教えてくれなかったようね」


メイサの赤面を気にも留めない様子で、ユカは話を運んでいく。


「俺的にはあいつの教える200年も前の古くさい作法なんて微塵も聞きたくないんですけど、形式みたいなものでして……。あ、別にあなたのペンダントにケチをつけるつもりはないのですよ、ただ正直に言っているだけであって」


「それじゃあ何? 中世の魔女狩りみたいにこじつけで人を魔女扱いして締め上げようって思ってるわけ?」


(ユカ、相当怒ってる……)


「ねえソルク、ユカは違うよ。本人が違うって言ってるんだから、きっと違うのよ」


ソルクのローブの袖を引っ張ってそう小声で言うと、絶対そう、とメイサは心の中で続けた。


 だが、ソルクはこちらを冷淡な眼差しで一瞥すると、引っ込んでろ、と言わんばかりの高圧的な眼光でメイサを見下ろした。その怖さのあまり睨まれたメイサは小さく「ひっ!」と声を出してしまった。


「ちょっとそのペンダントを見せてもらえませんかね?」


「嫌と言ったら?」


ソルクは、参ったな、と頭を掻いた。


「強行手段です」


ソルクは学道服のポケットに手を入れると、紅い宝石のついたペンダントを取り出した。よく見ればユカが首に掛けている物と瓜二つだ。


「これ、先程あなたから頂きました」


ユカは慌てて自分の持っているペンダントがあるか確認した。


「どういうこと。私のはちゃんとあるわ」


「言葉のままですよ」


「あり得ないわ」


ユカはペンダントを首から外して紅い宝石の裏を見ようとした。その瞬間、メイサの目の前に居たソルクが疾風のごとき速さでユカのペンダント目掛けて走り出した。次の瞬間にはソルクはユカの目の前に居て、ペンダントを持ったユカの右手に自分の右手を載せていた。


「テフラ!!」


ソルクはそう叫ぶと、ユカの掌でペンダントを握った。すると宝石部分が黒い緑色の閃光を放ち、同時に甲高い叫び声のような音が辺りに響いて宝石が割れる音がした。


 その音の凄まじさのあまり、メイサは耳を塞ぐ間もなく目眩(めまい)を感じてその場に座り込んだ。


「な! なに!?」


光は空に向かって筋を引いて消えていく。


「ひとつめ、終わりです」


「な、何を言ってるのよ!? 何なのよ!」


ユカはソルクが握ったペンダントから逃げるように後ずさる。


「メイサさんの呪いは、今解かせてもらいました」


ソルクは座り込んだメイサに振り返る。


「おい、自分で見てみろよ。痣、もうないだろ」


メイサはゆっくりと立ち上がると、首回りを確認した。確かに何もなかったかのように綺麗さっぱり痣は消え去っている。


「す、凄い……。一体、何をしたの!?」


ソルクはメイサが元気なのを確認すると、メイサの問いを無視してまたユカに向く。


「じゃあ次、ふたつめです」


「えっ……?」


「貴女がメイサさんにかけた呪いは解きました。これからは貴女にかかった呪いを解く番です」


ユカの表情が険しくなった。


「……何をするつもり? 私に呪いって……」


「そうよ、ユカに呪いなんて、一体誰が──」


ソルクはメイサの言葉を遮って、続ける。


「その前にひとつ、お話をしておこうと思います。これも呪いを解くための形式のひとつなんで」


ソルクは深呼吸をして間を空けた。


「あなたがメイサさんに呪いをかけた、これは今俺がメイサさんの呪いを解いた事で実証されました。あの緑色の閃光がその証拠です」


「──あら、私を犯人扱いした理由が見当たらないわよ? 当てずっぽなんだったら相当運が良かったのね」


「いやいや、まだありますよ。あなたが、身に付けていたペンダントを媒介として呪いをかけた事は最初からわかっていました。基本的に術者ってのは媒介とした物を肌身離さず持ち歩くものです。だから──」


ソルクはローブのポケットから先ほど取り出したユカの物と同じネックレスをもう一度取り出した。


「こうやって子供だましの手品を披露したんですよ。案の定引っ掛かってくれましたね」


「私に鎌をかけたわけね」


「一種の安心感から、と思われる事も多いようですが、実際は呪いのせいです。呪いの媒体はそれ自体に強い怨念が籠ってますから、術者を呪縛するんですよ。これっておっかない事に命を削ってるんですよね。かけた呪いの強さにもよるんですけど、半年で大体5年くらい減ります。まあ貴女がかけた類いの呪いは、ですが。だから」


「それなら今呪いを解いたからもう私の呪いも解けたのではなくて? それとも貴女は私を迫りくる地獄の悪魔の手招きから救った、とでも言いたいのかしら」


 ユカ嬢の冷淡な表情はピクリとも変わらず、穏やかな口調も健在である。


「いや、そんな事に時間を割くほど道具屋は暇じゃないのですよ。貴女だってかけるときに代価を支払う事くらいは知っていたでしょうし、クスルを削るくらいの強い覚悟はあったはずです。でないと人を絞め殺す呪いなんてかけませんよ」


ユカは冷たい眼で黙ってソルクを睨んだ。


「ここからは俺の憶測でものを言います──。


 幼い頃に出会った貴女方二人は竹馬の友になりました。小学を共にしましたが、中学では別の学校になってしまいます。何故か。メイサさんには疎開の経験がありますね。時期が戦争と重なるので違う中学になったのはメイサさんのカイストルへの疎開が原因でしょうか。小学が同じだった経緯は少し妙でしたが、ここではとばしましょう。その間にメイサさんは別の友達を作り貴女から離れてしまいました。


 戦争が終わり、ハルリオンに戻ってきたメイサさんと高学に入って再会を果たした貴女は、周りをしらない友人に囲まれたメイサさんに嫉妬します。かつての親友は、もはや他人のようになっていたのです。そこで呪う事にしました。とまあ、こんな具合です」


「どうやってそんな妄想を思い付くに至ったのかしら。参考までに聞きたいわね」


「そうですね……」


ソルクは束の間何か考えた。


「じゃあ、詳しくいきましょう。俺が貴女を術者だと思った理由は、貴女とメイサさんの親密度の深さです。メイサさんは俺が友人関係を聞いたとき、必ず貴女の事を話していましたし、貴女のことを喋るときは他の方にも増して事細かでした。それほどの友情が貴女方の間にはあったんでしょう。それに幼馴染みで一時期二人は疎遠化していたときた。この構図で疑わずにいられるでしょうか?


 ですが、疑念の段階でした。最終的な決め手になったのは、貴女のひと月前からの行動です。そこで全部が腑に落ちました」


「ひと月前からの行動?」


メイサは成り行きを見守ろうと黙って立っていたが、引っ掛かって聞き返した。1ヶ月前から今まで、今の事態以外にメイサの身の回りには不審な動きは無かったはずだ。ユカも然り。ソルクをメイサを一瞥した。


「ひと月前、貴女、メイサさんと一緒に登校するようになりましたね? とうことは、それまでは別々に登校していた訳だ。だけど今の今まで別々に登校していたのに、ひと月前から貴女はメイサさんと一緒に登校するようになった。これって偶然にしては時期が合いすぎてますよ」


確かにメイサはそれまで中学の間に空いたユカとの距離を感じていた。だが──


「だったら何だっていうの? ユカが一緒に登校するようになったからって何の関係が──」


言い終わりかけて言葉が失速した。ここでメイサは気付いたのだ。何故ユカが一緒に登校するようになったか。


 観察である。


 ユカが自分のかけた呪いがどのような具合で相手を苦しめ殺すのか四六時中観察するための行動だったのだ。二人の空いた距離が縮んだのではない。ユカは朝を共にし、授業を共にし、その進捗を観ていた。


 メイサの中でさらに困惑や落胆が渦巻いた。自分の鈍感さがつくづく嫌になる。


 ソルクは確かめるようにメイサの疑心暗鬼になっている顔を横目で眺めた。


「親密度、交友関係の途絶え、その間に出来た新たな友人たち、それと貴女のひと月前からの行動。それらから判断して俺は貴女の前に立つに至ったわけです。結果、貴女は術者だった」


 ソルクが言い終わると、しばらく三人の間に沈黙が流れた。


 ちょっとした険悪さが場にねっとりと垂れ込めているなかでソルクの軽快な口調は違和感を醸し出したが、自然とユカとメイサの二人は気味の悪い穏やかさが心中にあった。メイサはユカを信じられなくなっていたが、ユカへの激しい憤りや罵詈雑言を吐きたいほどのものに成りきらなかった。ユカも心の内の複雑な想いをあっさりと端的に纏められて腹立たしくはあったが、それもやはり全面に出してソルクを皮肉る気にならなかった。


 不思議な時間が3人の間に横たわった。


 結局、沈黙の時間はユカが言葉を発するまで続いた。


「お見事ねミスターオリステラトス。誉めて差し上げるわ」


ユカは乾いた拍手をソルクに送った。これでも思い付く限りシニカルに敗けを認めたつもりだ。


 だが、ソルクは何もせずユカをじっと見つめた。瞳の奥を覗き込む。ユカは怪訝に思ったが、ソルクのエメラルドグリーンの眼に引き込まれるように見つめ返してしまった。


「いや、貴女はもっと自分を責めるべきだ」


「……え?」


唐突に放たれたソルクの言葉はユカはもちろん、メイサにも意外なものだった。話の流れが掴めないでしどろもどろしていたユカに、ソルクは虫けらを見下すような冷やかな眼を向けて続けた。


「俺は人を呪う輩が嫌いです。大嫌いだ。神経が逆撫でされるようで吐き気がする。貴女だって例外じゃない。人を呪おうなんて考えるやつの気が知れない。私利のために人を陥れて、私欲のために人を苦しめる。そりゃ自分の生命削ってるんだからあいこでしょ、なんて言うけど、そんな理屈、ロバにでも喰わせとけと思います。第一、人が恨めしいやら羨ましいやら、んなもん自分の力不足なだけでしょう。あんたら術者はそうやって人を不幸にしていくんだ。同じ土俵に立てないからってそいつを自分の土俵まで引きずり込んで叩くんです。下劣で卑怯だ。


それに、かけられた人には傍迷惑(はためいわく)極まりない。


 貴女はメイサさんが憎かった、それは心中に留めておけばよかった感情だ。もし表に出したかったんなら、面と向かって言えばよかった。なんで自分を裏切ったんだって。そのくらいの短い言葉、言葉が通じる物、ましてや人間同士には造作もない。それとも何です? 貴女はメイサさんが信用出来なかったんですか? なるほど、信用が無いのに離れている間ずっと待っていた。可笑しな事もあるもんだ。それとも自分の感情に自信がなかったんですか? 実は恨んでいなかった? だったら尚更可笑しいですよ。もしくはラトルリア家の令嬢としてのプライドですかね。何(いず)れにしても貴女の行動は──」


「黙れっ」


ユカは声をあげた。その声にメイサはびくりとする。


「あなた何様のつもりよ! 人のこと惨々に言い回して何がしたいのよ! いきなり現れて呪いを解くやらなんやら言いはじめて、走ってくるわ、ペンダント壊すわ。あなたには関係の無いない事じゃない。私がメイサを恨んだ? 当然だわ。あのケチな"商売人(親)"に必死に頼み込んで学校にまで行かせてあげたのよ。8年間を一緒に過ごして、家族同然だったのに、たかが3年……たかが3年でこのザマよ。何がずっと親友だよ、よ。私から離れたらすぐ赤の他人に尻尾振っちゃって、挙げ句、私の事は眼中にないみたいに澄ましちゃって。私の噛ませ犬風情もいいところだわ。それを見て薄ら笑いしてたんでしょ? なんて賤(いや)しい。これだから第三階級の出は信用ならないのよ」

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一番街裏通りの奇妙な道具屋は道具を売らない 佐々城 鎌乃 @20010207

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