第七話 ~ハート メカニズム~ ③
―シンの家・玄関(夕方)―
二人が揃って帰ってきた。
メ イ 「ただいま」
蓮 「戻りました」
二人の声を聞いたシンが家の奥からヒョッコリと現れた。
シ ン 「おう、お帰り!」
メイは靴を脱ごうとした。
シ ン 「お前、まだ泊まるん?」
メ イ 「えっ?」
シ ン 「だって、レン君がおるから実験できんやろ」
メ イ 「あっ… 確かにそうだけど…」
彼女は蓮を見た。
蓮 「俺はメイさんが居てくれた方が助かります。まだまだこの体に慣れてな
いんで、もしもの時に居て欲しいです」
シ ン 「なるほどなぁ…」
メ イ 「ボクだってこの夏休みの間しか居られないから、せめてその間だけでも
彼の近くに居たいんだ」
シンは大きなため息をついた。
シ ン 「分かった、いいぜ」
メ イ 「ありがとう」
シ ン 「ただな… 今日帰ると思って、お前の部屋と荷物を片付けてもうた」
メ イ 「そう… えっ?」
メイはシンを睨んだ。
メ イ 「部屋入ったの! ボクだって一応女なんだよ」
シ ン 「ハイハイ… 分かってる、分かってる。ただな、そもそもココは俺っち
の家なんだぜ? 大家が住人の部屋に入るのは当然の権利やろ」
メ イ 「部屋はそうだとしても、勝手に人の荷物を片付けるってダメだよ。下着
とかもあるんだよ」
シ ン 「風呂場で脱ぎっぱなしにするヤツが言うな。そもそも、毎日使用済みの
それを誰が洗ってると思ってるんや」
言い争う二人の横で蓮は気まずそうに立っていた。
―シュガーマウンテン―
――二日後
シテツ 「ケーキ、ケーキ♪」
皿いっぱいに並べられた様々なケーキに目を輝かせているシテツ。
そんな彼女のテーブル越しには小さなショートケーキを一つだけ皿
に乗せたメイが眠そうにボーッと座っていた。
シテツ 「大丈夫?」
メ イ 「ゴメンね、ちょっと眠い…」
シテツ 「寝不足?」
メ イ 「うん、最近眠れないんだ」
シテツ 「えっ! じゃあ、帰…」
シテツはメイへの心配を言い切る前に自分の前に積まれたケーキの
山を見ると、目を戻せなくなってしまった
メ イ 「心配しないで、たくさん食べなよ」
シテツ 「本当にごめんなさい…」
彼女はメイに深く頭を下げると、すぐにケーキを食べ始めた。
シテツ 「おいし~い♪ メイも食べなよ、嫌なことなんて忘れられるよ」
メ イ 「別に嫌な事は無いけど…」
シテツ 「じゃあ何で眠れないの?」
メ イ 「レンさんの事が心配というか、怖いというか、気になるんだ」
シテツ 「あの人の事?」
メ イ 「レンさんがあの体に入った事が偶発的なものだから、不具合がいつ起き
てもおかしくないんだ。全て想定外の事だから分からない事への怖さを
感じているのかな」
シテツ 「ふ~ん、発明も大変だね」
シテツは皿の上のケーキを次々と口の中へと運びながら相変わらず
ボーッとしているメイを見た。
シテツ 「今も気にしてる?」
メ イ 「ちょっとね。でも、シンが居るから大丈夫だよ」
シテツの手が止まった。
シテツ 「もしかして… 彼の事好きなの?」
急に真剣な面持ちになった彼女に対し、メイは小さく首をかしげた
だけだった。
メ イ 「分からない…」
シテツ 「分からないって… 自分のハートの事なんだから普通は分かるでしょ」
メ イ 「好意を持っているという意味では好きだよ。でも、シテツさんが欲しい
恋とか愛って話となると別だと思う」
彼女は一つだけのケーキをフォークで小さく切り分け口へ運んだ。
メ イ 「こんな甘さ感じていないから」
―シンの家・玄関(夕方)―
メ イ 「ただいま」
帰ってきたメイが目にしたものは玄関にぐったりと座り込んだ蓮の
姿だった。
メ イ 「レンさん! どうしたの」
彼の様子に慌てた彼女は靴も脱がずに彼の元へと駆け寄った。
蓮 「メイさん? 良かった… 急に視界がぼやけてきて、今はもう何も見え
ないんだ」
メ イ 「そんな、シンは?」
蓮 「こうなるちょっと前に緊急で仕事が入って出ていった」
狼狽するメイに向け彼は手を伸ばした。
蓮 「ピットまで案内してくれないか、見えないだけで体は動くから」
メ イ 「うん、分かった」
彼女は彼の手を取った。
―シンの家・作業用倉庫 (夕方)―
メイが蓮の手を引きながらゆっくりと入ってきた。
彼女は彼を中央の椅子に座らせると、すぐに充電ケーブルを彼の体
に取り付けた。
メ イ 「どう? 大丈夫?」
蓮 「いいや… 全然」
メイは倉庫の隅にある大型のパソコンの前に行き画面を見た。
メ イ 「…… 異常… 無し…… 嘘… 嘘、嘘! 嘘だ!」
彼女はそこにある見慣れた画面を叫びながら否定していた。
蓮 「メイさん、こっちに来てくれないか…」
メ イ 「待って、今原因を調べてるから」
蓮 「いいから、来て。頼むよ」
メイはしばらく考えた後パソコンの前から離れて、恐る恐る彼の元
へと歩み寄っていった。
蓮 「ありがとう」
メ イ 「もう見えるの?」
蓮 「いや、なんとなく分かった」
彼はゆっくりと彼女へ顔を向けた。
蓮 「もう、体に力が入らなくなってきた… 俺、また死ぬんだな」
彼の言葉にメイはとっさにパソコンの元へ戻ろうとした。
蓮 「待って!」
メ イ 「でも…」
蓮 「原因を探るのは俺の話を聞いてからにしてもらっていいかな」
彼女は黙って蓮の顔を見ていた。
蓮 「どうしても君に話したいんだ。だから、先に言わせてくれ」
メ イ 「……分かった、ちょっと待ってね」
メイは足早に椅子を持ってくると彼の横に座った。
メ イ 「いいよ」
蓮 「ありがとう… じゃあ、まずは俺が自殺した理由」
メ イ 「そんな事…」
蓮 「いいから聞いてくれ」
彼女は黙ってうなずいた。
蓮 「俺さ、向こうで付き合ってた子が居たんだよ」
メ イ 「まさか… フラれて……」
蓮 「それは無いよ。その方が幸せだった」
彼の含みを持たせた言い方に彼女は何も言葉を返せなかった。
蓮 「自分で言うのも馬鹿馬鹿しいけどさ、俺って結構イケメンだったんだ。
それで、高校入ってすぐに学校のアイドル的な女子にに告られて即OK
したんだけど…」
自身の心の傷痕にあえて触っていった彼の口が止まった。
メ イ 「無理しなくてもいいよ」
蓮 「いや、大丈夫。むしろ聞いて欲しいから話してんだ」
彼は大きく息を吸い込むような動きをした。
蓮 「彼女にとって、俺は恋人でも友達でも何でもない虫除けだったんだよ。
学内の誰かと付き合ってるって事実だけが欲しくて、見るに堪えられる
俺が選ばれただけだった」
メ イ 「そんな事なら何で別れなかったの」
蓮 「やらなかった訳じゃないよ、できなかったんだ。有りもしない悪い噂を
流されて学校からアイツの横以外の居場所を奪われたし。本命の大学生
と仲間たちにボコボコにされたこともあった」
メ イ 「酷い……」
蓮 「向こうの俺は人じゃなくて物だったんだ。アイツの所有物の一つでしか
なかった。だから、こっちでこの体になったのかな」
さりげなく挟んだ彼のジョークにメイはとても笑えなかった。
蓮 「でも、こっちのみんなはこんな体でも俺を人って言ってくれた。それが
嬉しくって… 本当に嬉しくって……」
蓮の体が小さく震えだした。
蓮 「死にたくない! もう死にたくないよ! やっと人になれたのに…」
彼があふれ出た感情のままに叫ぶと、メイは反射的に椅子から立ち
上がりパソコンの方へ走り出そうとした。
蓮 「待って! まだ、一つだけ言ってない」
メイは動かそうとした脚を止め、彼に振り返った。
蓮 「メイさん… 俺、君のことが好きでした…」
彼女は驚き固まってしまった。
蓮 「物だった俺に… 心を与えてくれて… ありがとう…… ……」
蓮の目から光が消えていった。
メイは完全に力が抜けきった彼の体を抱きしめた。
メ イ 「ボクにもお礼を言わせて…」
彼女の目から一筋の涙がこぼれた。
メ イ 「これが好きって感情だったんだね… 教えてくれてありがとう」
彼女は彼の耳元で囁くように思いを口にした。
静かに時が流れる間にも彼女は蓮の体だった人形を抱きしめたまま
泣き続けていた。
冷たい倉庫の中に扉を開ける音が小さく響いた。
シ ン 「二人ともココにおったんか。遅くなってスマン」
小さく開いた扉からシンが顔を覗かせていたが、メイは彼を見よう
とはしなかった。
そんな彼女の様子を不思議に思った彼は蓮を抱きしめているメイが
泣いていることに気がついた。
シ ン 「レン君どうしたんや?」
メ イ 「……死んじゃった」
シ ン 「う、嘘やろ?」
シンは慌てて二人の元へ駆け寄った。そして目から光が消え冷たく
動かなくなった蓮の体を見た。
シ ン 「嘘やろ… あんな元気やったのに……」
彼は思い出したようにパソコンの前へと走った。
メ イ 「無駄だよ… 完全に機能停止している。分かるんだ」
彼女の言う通り、全ての数値が0を刻んでいる画面の前で彼は立ち
尽くした。
メ イ 「ゴメン… レンさんと二人にしてくれないかな。涙が止まらないんだ…
もう子供じゃないのに」
シンはゆっくりとメイの隣に歩み寄り彼女の肩を優しく叩いた。
シ ン 「せやな、泣いてのお別れなんて彼も悲しいやろうから」
シンは一言残すと扉へと歩いて行った。
メ イ 「レンさん、最後にボクのこと好きだって言ってくれたんだ…」
彼女の独り言のような言葉にシンは脚を止めた。
メ イ 「ボクも… レンさんが好きだった… でも、それが分からなくて、最後
まで気持ちを言えなかった」
シ ン 「せやったか…」
シンは再び歩き出し、ドアノブに手を掛けた。
シ ン 「今日は… いや、三日でも一月でも好きなだけ泣いてええ。今のメイが
流してるのは大人の涙や、無理に止めたらアカン」
メイは蓮の体に顔を埋めるようにうなずいた。
メ イ 「そうなんだ」
シ ン 「せや、子供の好きと大人の好きは全く別モンだぜ」
シンはゆっくりと扉を開けた。
シ ン 「きっと、泣き終わった頃にはいい女になってるぜ」
彼はメイに一声掛けるとそのまま倉庫を出て行った。
シンが出て行ってからしばらくの間、倉庫の中にはメイの涙が床へ
落ちる音だけが微かに響いていた。
メ イ 「レンさんは人間界で死んだからから、こっちに来たんだよね… こっち
でも死んじゃったから、また向こうに戻ったのかな?」
彼女は何も答えない彼の体に語りかけた。
メ イ 「きっとそうだよね、向こうで元気でいるよね」
彼女はスッと彼の体から離れた。
メ イ 「だからさ… ボク会いに行くよ。すぐは無理だけど、絶対に行くから」
彼女はメガネを外し涙を手で拭った。
メ イ 「待っててよ。そして、またボクの知らないこと教えて欲しいな」
彼女は静かにパソコンの前へと行き、迷わずその電源を落とした。
メ イ 「その時まで… さようなら」
メイはチラリと彼を見た。彼女は力無く崩れたままの彼の体を確認
すると、淡々とデスクの上の書類などを片付け始めた。
綺麗に片付けられた倉庫の中、最後に彼女はそっと優しく彼の体に
つないだケーブルを引き抜いた。
―病院の個室―
目を覚ました蓮の目の前は白一色で染まっていた。
蓮 (眩しいな… コレが天国か……)
徐々にピントが合い始めた彼の目に映った物は夏の眩しい日差しに
照らされた真っ白な天井だった。
そこから目を落とすと、今度はギプスで固定された二本の脚が布団
から飛び出しているのが見えた。
彼は何かを確かめるように自分の両手を顔の前へと恐る恐る持って
きた。そこには生身の人間の腕があった。
蓮 「戻ってる…」
周囲を見回すと無愛想な病院の個室だった。
目に見える情報から自分の置かれている状況をしばらく考えたが、
行き着く先の望まぬ結論に彼は歯を食いしばり悔しがった。
蓮 「ちくしょう… 何で… 何で戻ってきたんだよ……」
別れを告げたはずの世界に呼び戻された彼を絶望が包み込んだ。
彼は自分の存在を認めてくれた場所へ戻る術だけを考えていた。
今度こそは確実に死ねる方法を。
しかし、全く使い物にならない両脚が彼をベッドから降りることを
許さなかった。
そんな状況でも、息を止めるや舌を噛み切るなどいくつかの選択肢
はあった。しかし、苦しみや痛み、生物としての生ようとする本能
が彼をためらわせた。
望みを実行に移せないもどかしさに疲弊した彼は窓の外を見た。
そこには遠くの線路の上をいくつもの色鮮やかな金属の箱が連なり
走って行く光景があった。
蓮 「電車…」
見慣れたはずの懐かしい物を見た彼は視線を落とした。
病院横の道路には当たり前のように大小様々な自動車が行き交って
いた。
彼はその中に大きなツチノコを無意識のうちに探していた。
自分がやっていたことに気がついた彼は乾いた笑いを浮かべた。
蓮 「何やってんだろ…」
自分を嘲笑しながらも、彼は目を瞑り瞬間的に浮かんだ新鮮な感覚
をそっと確かめていた。
目蓋の裏にぼんやりと浮かんだトーマスの車内。そこに少しばかり
恥ずかしそうにこちらを見上げているメイの姿があった。
メ イ 「人間界に行くのが、ボクの夢なんだ」
記憶の中のメイが話すと、蓮はハッと目を開けた。
彼はまた窓の外を見た。
視線の先にはツチノコも龍も居ない向こうとよく似た全く別の世界
が広がっていた。
蓮 「そっか… そうだよな……」
彼は窓の外から目を戻し、今の自分の手を確認するようにまじまじ
と見つめた。
そして、その手で自分の体を触りその感触を確かめた。
蓮 「コレが見たかったんだ…」
彼は大きく息を吐くと、窓の外の見慣れたはずの世界を楽しそうに
観察し始めた。
蓮 「約束したから、待ってるよ… 俺はこっちで君を待ってるよ」
彼が小さく決意を口にした時、病室の扉が開いた。
その音に彼が振り向くと、驚きの表情を浮かべた看護師が扉の前に
立っていた。
看護師 「目が覚めたんですか」
蓮 「はい」
彼女は安堵の笑顔を蓮に見せた。
蓮 「俺… 生きていますか?」
看護師 「ええ、もちろんですよ」
看護師の優しい声を聞いた蓮の頬を涙が伝った。
蓮 「ありがとうございます…」
彼はそれ以上の涙を堪えながら深く頭を下げた。
~エピローグ~
その後退院した蓮が学校へと戻ると彼の所有者の姿はどこにも無かった。
彼の自殺未遂を皮切りに、それまで隠されていた彼女の黒い話が瞬く間に学校中に広まり、彼女は逃げるように転校していったのだという。
再び戻ってきた世界には物でしかない彼はもはや居なかった。
その後、彼は高校を卒業して大学へ進学、そして社会人となった。いわゆる人並みの人生ではあったが、行く先々で常に人として生きられたことだけでも彼には十分幸せな人生だった。
やがて、彼は結婚をして子供を授かった。
芽生と名付けられた娘を彼は心から愛して育てた。
時は経ち、娘が成長した頃。
忙しい合間を縫って家族で遠くへ旅行に出かけることが彼の楽しみとなっていた。
娘に見たことのないこの世界の景色を見せたい。
そう、それは彼がかつて出会った娘と同じ名を持つ少女との約束だった。
〈第七話 終〉
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