第三話 ~そうだ、病院行こう~ ③
―クリニック・ロビー―
治療の開始から数時間後。シテツは会計の為に受付のカウンターで
ジャクリーンと向かい合っていた。
シテツ 「……。ありがとうございました」
J・B 「治ってよかったわね。ところで貴方何回吐いたの?」
シテツ 「五回です…」
J・B 「そう」
ジャクリーンはサラサラと明細書を書きシテツに渡した。
治療費: 風邪1プレイ・200カーネ
+コンティニュー回数・5(×200)
+初診料300カーネ
計:1500カーネ
シテツは内容を確認してから、財布の中を見て青ざめた。
シテツ 「あのぉ…」
J・B 「何かしら? 検査代ならサービスにしてあるから気にしないで」
シテツは首を大きく横に振った。
シテツ 「さっき先生に飲み物とタバコを買って来てお金が足りないんです…」
J・B 「いくら?」
シテツ 「100カーネ」
ジャクリーンはカウンターの引き出しから万歩計を取り出した。
J・B 「じゃあ、貸してあげる。利息は50歩で1%」
シテツ 「歩数!」
J・B 「ええ、良心的でしょ? 動かなければいいんだから」
シテツ 「動かなければ下ろしに行けません」
シテツが反論するとジャクリーンが大きなため息をついた。
J・B 「その反抗的な性格は治らないのね」
シテツ 「反抗的って、普通でしょ!」
J・B 「あらあら…。ムキになっちゃって、可愛い」
茶化されたシテツは口を堅く結び黙り込んだ。
J・B 「怒る事ないんじゃない? 別に悪いとは言ってないわ」
シテツ 「性格悪いって言われれば誰でも怒りますよ」
J・B 「でもそれで診てもらえたんだからいいでしょ」
シテツ 「風邪だから診てもらえたんでしょ」
ジャクリーンは静かに首を横に振った。
J・B 「自力で病院来られる風邪の患者なんか診ているほど暇じゃないの」
シテツは今朝の状況を思い出した。
シテツ 「あなたは本を読んでたし、先生は散歩に行くって…。どう見ても暇じゃ
ないですか!」
J・B 「ええ、どっちも止められるわね。だけど、貴方を診ている間は他の患者
さんは診られないわ。今すぐに死にそうな人でも……」
シテツ 「……。その時は待ちます」
ジャクリーンはフフッと笑った。
J・B 「そんな事できないわね。できたとしても誰かを恨む、先生か私か、両方
とも…。もう一人の患者さんかもしれない。それじゃ治ってもハッピー
にはなれないわ」
シテツは彼女の言葉を否定しようとしたが、その言葉が口から出る
ことは無かった。
J・B 「だから、自分で来る人はああやって追い払うのよ」
シテツ 「そうだったんですか…」
J・B 「今回は読書の邪魔をされたからムカついたのもあったけれど、少し言い
過ぎたみたいね。あんなに泣いちゃうなんて」
シテツは恥ずかしそうに顔を背けた。ジャクリーンはそんな彼女の
手を取った。
J・B 「でも、貴方は去らなかった。普通なら怒って他に行く人ばかりだけど、
貴方は求め続けた。だから私も先生に診てもらおうと頼んだ訳」
シテツ 「すみません…。他に病院知らなかったんです…」
J・B 「そうだったの。ちょっとガッカリね…」
会話が途切れ、ジャクリーンは急にキョロキョロと周囲を警戒する
ように見回した。
J・B 「(小さく)ここだけの話、お金なんとかしてあげる」
シテツ 「本当ですか」
ジャクリーンは口の前に人差し指を立てた。
J・B 「(小さく)しー。静かに、先生に内緒だから大きな声じゃ言えないの」
シテツ 「すみません……」
ジャクリーンは小さく手招きした。
J・B 「(小さく)もう少し顔をこっちに」
シテツ 「はい」
シテツが言われるままに顔を近づけるとジャクリーンは両手で彼女
の頭を抱きかかえた。
シテツ 「えっ? なっ……っ!」
ジャクリーンは驚くシテツに濃厚なディープキスをした。
全身を強張らせたシテツはしばらく彼女のなすがままにされた。
二人の唇が離れるとジャクリーンは満足そうな笑みを浮かべた。
J・B 「はい、100カーネ頂いたわ」
放心状態のシテツには彼女の声は全く聞こえていなかった。
―クリニック前―
ジャクリーンとのキスの衝撃が抜けきらないシテツはクリニックの
前でボーっと立っていた。
先 生 「小娘、まだいたのか」
ジャージ姿の先生に声を掛けられた彼女はハッと我に返り彼の方に
振り返った。
シテツ 「小娘じゃありません。轍洞院シテツです!」
先 生 「轍洞院? お前、アレか? 轍洞院コクテツの身内か?」
シテツ 「えっ! 先生、コク姉の事知ってるんですか?」
先 生 「ああ、アイツとは古い付き合いだ。お前は…。アイツの妹か!」
シテツ 「はい」
先生はシテツの肩をポンと叩いた。
先 生 「お前には、悪いことをしたな…」
シテツ 「…いいですよ。すっかり元気になりましたし」
先 生 「…そうか」
先生はシテツを置いて足早に歩き始めた。
彼女も先生と同じ方向へ歩いて行った。
先 生 「んだよ、ついてくんなよ!」
シテツ 「帰りがこっちなんです!」
二人とも足を止め無言で向かい合ったが結局一緒に歩き出した。
―路地裏―
シテツと先生が一緒に歩いていた。
先 生 「お前、何でこんな所通るんだよ!」
シテツ 「こっちが近道なんですぅ! 先生の方こそ、散歩コースにこんな道なんて
おかしいじゃないですか!」
先 生 「俺もこっちが近道なんだよ!」
シテツ 「散歩に近道なんてないでしょ!」
二人が互いの顔を見合って口論しながら歩いていると、先生が急に
足を止めた。
シテツも足を止め先生の方を向くと彼の肩越しに道端に座り込んだ
老人が見えた。
先生はしばらく黙って老人を見ていた。
先 生 「なぁ、爺さん。金の付くものは欲しいか?」
先生は老人に語り掛けたが返事はなかった。
先 生 「とは言ってもなぁ、俺も一つしかやれないんだ…」
先生はジャージの懐から拳銃を取り出して老人に向けた。
先 生 「鉛だ…」
先生が引き金を引く瞬間、シテツがその腕を突き飛ばした。
放たれた弾丸は老人の頬をかすめ背後の壁に跡を残した。
先 生 「何すんだ! 変に跳ね返ったら危ねぇだろが!」
シテツ 「アンタこそ何してんの! この、人でなし!」
先生は銃をしまい、彼女を睨みつけた。
先 生 「ほぉう…。俺が人でなしだと……」
シテツは先生の威圧感に押されながらも真っ直ぐに彼を見ていた。
先 生 「そりゃそうだ。俺は医者だ、言うなれば神だからな」
先生の回答にシテツはただ唖然とした。
シテツ 「……この人、頭おかしい」
先 生 「だ~か~らぁ、俺は神であって人なんかじゃないんだって。まあいい、
ちょっと黙って見てろ」
先生は老人に歩み寄り彼と視線を合わせるようにしゃがみ込んだ。
先 生 「爺さん、そこに座って何日だ」
老 人 「三日になります…」
先 生 「そうか。悪いが、ちょっと診させてもらうぞ」
先生は老人のズボンの裾をまくった。履き物の下の老人の脚は炭の
ように真っ黒になっていた。
先生は老人の顔を見ずに脚と同じように黒くなった彼の手に目を移
した。そして服の下に隠れた彼の腕を見た。
先 生 「手は…。肘くらいまで行ってるのか」
老 人 「はい…」
先 生 「だろうな」
先生は立ち上がると、再び銃を老人に向けた。
先 生 「悪いが、ここまで瘴気が侵食してちゃ俺でもまともに治しようがない。
アンタは俺の判断を分かってくれているとは思うが、後ろに何も分かっ
ていない馬鹿が一人いるから、そいつを納得させるために絶望した目の
アンタにあえて聞く……」
先生は虚空を見つめる老人の目を見た。
先 生 「このまま瘴気に苦しみながら生きるか、脳天吹っ飛ばされて死んで楽に
なるか…。選んでもらおう」
老人は何も答えなかった。
先 生 「ちょっと難しい聞き方だったか…。じゃあ、アンタはどっちがハッピー
だと思う?」
先生の問いかけに銃を向けられた老人の目がゆっくりと動き彼の目
を見返した。
老 人 「生きる道を…選んだとして…。あと、何日ですかの…」
先 生 「一週間は無理だ。2~3日ってところだろう」
老 人 「さようですか…」
老人は静かに目を閉じた。
老 人 「ワシは…。もう何もできません…。選ぶことも……。ですから、先生の
判断に従いますわ」
先 生 「そうか。任せてくれて感謝する」
路地裏に二発目の銃声が響き渡った。
残響が鳴り止むと老人は恐る恐る目を開いた。彼の目には銃を高く
掲げた先生の姿が映っていた。
先 生 「爺さん、アンタがどんなに苦しくても死にたくないのは良く分かった。
だから、死ぬ前に諦めたふりなんて嘘をつくな! まして、自分に嘘を
つくのは全くもってハッピーじゃない」
先生は銃を懐にしまった。
先 生 「今は鏡が無ぇから分からんだろうが、俺と話してるうちにアンタの目が
変わった。生まれたての赤ん坊みたいな綺麗な目だ。そんな目のヤツは
死んじゃダメだ。それが俺の判断だ」
結論を言い終わると先生は老人に背を向け歩き始めた。
老 人 「先生、またお会いできますかの…」
老人の言葉に先生の足が止まった。
先 生 「明日は無理だが、明後日ならもう少し早い時間にここを通るつもりだ。
そん時にアンタが生きてようが、死んでようが一声掛けてやるよ」
老人の目から一筋の涙が零れ落ちた。
老 人 「ありがとうございます」
先生は老人に何かを答える事なく歩き出した。
先 生 「早く来い!」
先生に呼ばれてシテツは慌てて彼の後を追った。
二人が歩き続けて老人の姿が見えなくなった頃、先生は立ち止まり
横に居るシテツの頭にゲンコツを叩きこんだ。
先 生 「ったく、余計な事させやがって。弾一発無駄になったじゃねえか」
シテツは突然の激痛に頭を押さえながらうずくまっていた。
先 生 「分かったと思うが、あの爺さんは死ぬしか道が無かったんだよ」
シテツ 「でも…」
先 生 「でも、何だ?」
シテツはゆっくりと立ち上がった。
シテツ 「先生も結局…。あのお爺さんを死なせなかったじゃないですか」
しばらく間をおいて先生はタバコに火をつけた。
先 生 「爺さんがそれがハッピーだって思ったから、そうしただけだ」
先生はタバコの煙を眺めていた。
先 生 「さっきも言ったが俺は神だ。しかし、神でも間違えることはある。それ
を人が正すこともだ…」
彼はシテツの頭の上に手を置き少し乱暴に彼女を撫でた。
先 生 「よくやった!」
シテツ 「痛いです…」
先生は彼女から手を放すとすぐに歩き出した。
先 生 「ついて来い、今は気分が良いから何かおごってやる」
シテツは彼の優しい言葉に困惑した。
シテツ 「そっ、そんな別にいいですよ」
先 生 「素直に喜べ、そうすりゃ性格悪いのも少しは治るぞ」
シテツは少しムッとして頬を膨らませたが、大きく息をつき彼の後
を追いかけていった。
―轍洞院家・リビングルーム(夜)―
シテツ 「ただいま」
シテツが家に帰ってくるとコクテツとケイが夕食を食べていた。
ケ イ 「おかえり~」
コクテツ「おかえり。遅かったね」
シテツ 「治療の後で先生に食事に連れてってもらって。その後にプラモ造りとか
色々と手伝わされてたんだ」
ケ イ 「で、風邪は?」
シテツは歯を見せ笑い親指を立てた。
シテツ 「バッチリ治ったよ!」
コクテツ「じゃあ、明日から復帰だね」
シテツ 「うん」
嬉しそうに話を進めた姉妹の横でケイは浮かない顔をしていた。
シテツ 「ケイ、どうしたの?」
心配そうなシテツにケイは笑顔を見せた。
ケ イ 「気にしないで。アタシも部屋探さなきゃなんないから丁度いいよ」
シテツ 「部屋探すんだ。……って出て行くの!」
ケ イ 「もちろん、ずっとお世話になる気は無いよ。それに、どんな形であれ家
を出たって事は独立したって事だから早く自分の国を作らないとね」
彼女は嬉しそうに目を輝かせながら話した。
コクテツ「ケイちゃん、しーちゃんにアレ見せてあげなよ」
ケ イ 「そうですね」
ケイは席を立ちそのまま部屋を出て行った。
コクテツ「今日のケイちゃんお客さんから評判だったんだ」
シテツ 「そうだったんだ」
ケ イ 「お待たせ! 見て、見て!」
真っ赤な制服に着替えたケイが戻ってきた。
シテツ 「ちょ…。私のより凝ってない? てゆうかソレって車掌の制服じゃなくて
アイドルの衣装だよね?」
ケ イ 「いいでしょ」
ケイは自分の制服を感慨深く見た。
ケ イ 「せっかく作ってもらったのに…。もう着れないなんて」
コクテツ「何で?」
ケ イ 「だって、シーが戻るって事はアタシは必要ないでしょ」
シテツ 「そんな事無いよ!」
ケイはパッとシテツに目を向けた。
シテツ 「今回みたいに、私とコク姉二人だけじゃどうしようもできない事がある
けど。その時に頼れる人が、ケイが居てくれればどうにかなるから。私
たちにはケイは必要だよ。だから、またその服着てよ」
ケイは目を潤ませながらシテツに抱き着いた。
ケ イ 「ありがとう……」
シテツ 「私こそ、今日はありがとう」
―クリニック・ロビー(朝)―
先 生 「散歩行ってくる」
J・B 「はい…」
ジャクリーンが先生の声がした方を振り向くと真っ黒いスーツに身
を包んだ彼の姿があった。
J・B 「先生、その格好は?」
先 生 「あぁ、ついでにちょっくら知り合いに会ってくる」
先生はゆっくりとクリニックを後にした。
―路地裏(朝)―
薄暗い路地裏に一つの靴音が響いていた。
既に首まで瘴気に蝕まれた老人の耳にもその音は聞こえていた。
音が鳴り止み、彼にピンクのバラの花束が投げ渡された。
先 生 「爺さん、この二日間ハッピーだったかい?」
先生は老人に笑顔を向けた。彼も先生を見上げた後、自分の体の上
の花束を見つめていた。
先 生 「それか? いいだろ、俺からのプレゼントだ。何が良いか悩んだがアンタ
に菊は似合わないだろ」
老人は先生を見上げながら口をパクパクさせたが言葉は何一つ出て
来なかった。
先 生 「礼なんか要らねぇよ。今、こうやって生きているアンタと話せてるだけ
で十分ハッピーだ」
老 人 「あ……。あ…ぁり……」
老人の口が少しずつ動かなくなっていった。
やがて、その動きが完全に止まり彼の身体がズシッと沈み込んだ。
先 生 「頑張ったな…」
先生はスマホを取り出し電話を掛けた。
先 生 「……。清掃局か? 行き倒れの老人の死体が在るから回収に来てほしい。
場所は……」
先生は電話の間ずっと老人の顔を見ていた。
先 生 「ああ。…それと一つ、どうかこの人を手厚く葬ってやってくれ。頼む」
先生は電話を切るとしゃがんで息絶えた老人と目線を合わせた。
先 生 「じゃあな爺さん。来世もハッピーに生きるんだぞ」
老人から返事は無かったが、先生は満足そうにうなずき立ち上がる
と彼に背を向け去っていった。
〈第三話 終〉
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